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冨山さんの武相荘スケッチ OJ 2006/10/03(Tue)

面白いですねえ、後藤さんの写真と、冨山さんのスケッチと、自分の記憶とを比較してみ

ると。もっとも記憶のほうは、もうすでにぼんやり。



スケッチはあきらかにデフォルメされ、省略されています。遠近法が強調され、視点が身

の丈より高くなっている。これはたぶん、冨山さんが掲示に書いていたように、石畳に強

く惹かれたからでしょう。写真では敷石は単色なのにスケッチでは微妙に色づけされてい

る。その子細を描くために近くを見下ろす視線と、画面全体の基調となる遠くを見渡す視

線が一枚の画面に混在しています。写真にある左側の柿の木や奥の高木もスケッチにはな

い。これを描き込んでしまうと、うるさくなる。



こうして写真と並べてみると、最初に冨山さんのスケッチを見たときの静閑で克明な印象

はどこから来るかがはっきりします。写真では黒に沈んでいる軒下の木組みと茅葺きの下

端面を、スケッチは整然とした縦縞に置き換えている。写真に眼を凝らすとこの部分は錯

落した木組みで、屋根の下端面にも直線成分はない。ここを省略と強調によって画面の主

軸としている。この部分が、壁と柱の垂直面、石畳の水平面に呼応して、画面全体の印象

を決定しています。右側のコの字の強固な構造と左側の上へ抜ける開放感。写真でも、こ

の部分が浮かび上がると印象はまったく違ったものになるのかもしれません。



いやあ、スケッチと写真が同じ対象を捉えながら、これほど表現が違うものかとあらため

て感じました。それに、冨山さんは後藤さんの写真を見てスケッチしているのですからね。

しかし、スケッチはずるい。対象は俎の鯉、ディールは御意のママってことですね。

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(Tomi)過分なお褒めで痛み入っています。

小生は現場主義で、現場で眺めていないと絵が描けないのですが、今回は先に現場を見て

いた印象もあってか、後藤さんに貰った写真を眺めているうちにスケッチしたくなりまし

た。もっと明暗のコントラストを生かしたところでしたが、そこが未熟のところです。あ

の敷石に映った影は強い印象だったのですが、やはりうまくいきません。

しかしまあ、これですっきりしました。武相莊再訪の欲望はおさまりました。

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(putin)たいへん興味ある評論ですね。

写真では、分厚いわらぶき屋根の軒下は暗く沈んでいます。私も記憶は薄れていますが、

訪れたときの印象からすれば、相当目を凝らさなければ軒下のディテールは判らなかった

でしょう。OJさんの指摘する「右側のコの字の強固な構造」の部分を浮かび上がらせた

らどんな印象になるか?レタッチしてみたものが下の写真ですが、相当違うものです。た

だし写真として違和感がありますね。

87年の荒川三山の記録 総集編? OJ 2006/08/28(Mon)

まとめてみました、さらに思い出したことがあったらどうぞ。

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87年の荒川三山の記録のことがでたついでに、梓の掲示を利用して、みんなの記憶を

寄せ集めてみた。



8月11日〜15日

南ア 荒川三山縦走

参加:鈴木、高橋、大森、中村、田中、橋元

(OJ)参加は、高橋、中村、田中、橋元。ほかには?善さんはいたようなきがするが。

(鈴木)いましたよ、参加しました。 

(大森)記憶はすべておぼろげだけど、画像は一部明瞭で、話を聞いてインプットさ

    れたイメージほど曖昧ではない。しかし、自分が参加していたという確たる

    根拠はない。

    まぁ、みんなの記憶になければ、そこにいなかったということでしょう。

(田中)大森さんも参加していたと思います。この山行は大森さんが計画し、タクシ

    ーの予約も大森さんが手配していたと記憶しています。



行程

8/12(水)

伊那大島で昼飯の弁当を買いタクシーで小渋川を入れるところまで入る。小渋川沿い

に遡行して広河原小屋(泊)

(OJ)小渋川の遡行では、ぼくと田中君が先行。本岳沢出会(広河原小屋への分岐)

   を見逃して30分ほど遡行。おかしいと気づいて引き返したところで、遅れてい

   た後続と出会いで合流。

(鈴木)30分どころでなく正面に見えた岩峰の麓まで行ったような気がする?

(OJ)ということは、田中と善さんとぼくと3人が先行?

(鈴木)高橋さんも一緒でした。

(OJ)尚やん、なにか憶えていない?

(高橋)小生はこの山行には参加しておりません。高橋違いか勘違いではないでしょ

   うか。

(OJ)そうだっけ? あんときはオジサンがバテてって、大分いわれたけどなあ。

(鈴木)あれ?あのとき一緒にいたのは誰だ? 田中さん?橋元さんはちょっと後ろ

   だったような気がするけど?

(田中)橋元さんが先頭でその後に田中がいたと思います。引き返したのは30分足ら

   ずだったと思います。

(OJ)小渋川のあの辺りは、数100mも川幅のある、それこそ広い河原で踏み跡もあま

   りなく、ルートファインディングをしながら先行していた。しかし、広河原小

   屋へ到着する予定を大分すぎても、前方には荒涼とした河原が続くばかりで、

   これはおかしいと引っ返す判断をした。しかし、戻ってみれば小屋への分岐の

   辺りの河原には明瞭な踏み跡があった。広河原小屋は、地図からみて左岸に見

   えると思いこんでいたが、実際には、左岸から合流する本岳沢へ少し入ったと

   ころにあり、本流の河原からは見えなかったので、行きすぎてしまったのだ。

   田中君といっしょに道を間違えたので記憶は鮮明です。

(OJ)出会いをほんのわずか右手へ入ったところで、広河原小屋があった。宿泊はわ

   れわれだけだったような気がするが。このとき、胃が不調で夕食をもどしてし

   まい、翌日は絶不調。

(大森)広河原小屋では外で食事をし、キャベツ・キュウリ・ミョウガに梅酢をかけ

   た酸っぱいサラダを作ったような気がする。



8/13(木)

広河原小屋→大聖寺平→←赤石小岳(本峰?)→荒川小屋天場

(OJ)ぼくがバテて大聖寺平で昼寝しているあいだに、みんなは赤石まで行っている。

   このときは、シュラフカバーに入ってうたた寝をしたが、ものすごく気持ちよ

   かった。荒川小屋の天場は、御花畑の真ん中だった。このときは、夕食は味噌

   牛ならぬ味噌豚を炒めた。

(鈴木)テント場の記憶は思い出せない?記憶から抜け落ちている・・・

(大森)稜線では、誰かシュラフをかぶって寝ていたような気がする。



  赤石岳からの荒川三山

8/14(金)

荒川小屋天場→前岳、中岳、東岳、千枚岳→二軒小屋ロッジ天場

(OJ)この行程は、山小屋(中岳避難小屋?)の前を通過したくらいで、あまり記憶

   にない。二軒小屋ロッジでは風呂があったが、混雑していて、ぼくは入らなか

   った。テントをアリの巣の上に立ててしまい、テント中がアリだらけとなって、

   引っ越した。

(中村)二軒小屋のお風呂には入ったような記憶がある。なんでも、少し前に皇太子

   がきたとかで、あたりが整備され小屋もきれいにしたというような話を記憶し

   ている。風呂も真新しかったような記憶が・・・

(田中)風呂には大森さん、善さん、田中が入ったと思います。二軒小屋では私も胃

   が痛くて、あまり食べられなかった記憶があります。

(大森)二軒小屋では、風呂に入ったような気がする。



8/15(土)

二軒小屋ロッジ天場→伝付峠→田代バス停

(OJ)このときレンゲショウマを見たと、翌年の日記に記述あり。伝付峠への道はよ

   く整備されていて、散歩道のように歩きやすかった。これは多分このあたりが、

   製紙会社の私有林だからだろうと話した覚えがある。

(鈴木)三伏峠からの合流点を過ぎて急登を中村さんの後ろを登った記憶あり。まだ朝

   だった。トウヤクリンドウを善さんこれ何と言われ僕はわからず中村さんにコ

   リャダメダと言われた。そのお陰でトウヤクリンドウはしっかり覚えました。

   二軒小屋から伝付峠の道はよかったが遠かった。伝付峠から下ったところでは

   みんなザックを降ろして沢の水を飲んだっけ。

転勤 Kame 06/08/05(Sat)


7月仙台に来られた方には、可能性についてちょっと話しましたが、私の静岡転勤が

昨日正式に決まりました。

今度は緑茶工場の生産管理や、新工場をつくる仕事。これまでのスープや飲料の営業

とは業務内容が180度変わります。

異動はおそらく9月中になると思います。これから引継ぎや引越しでバタバタしそう

です。

静岡でも余裕ある宿泊設備確保に最大限努力します。お楽しみに。

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putin -(2006/08/05(Sat) 22:03:12)

新しいお仕事、まだまだこれからの亀村さん、新天地で大いに働いてください。

仙台は娘も居り、なにか心和む思いもありました。

いろいろ本当に勝手なことばかりしていました、厚くあつくお礼申し上げます。



> 静岡でも余裕ある宿泊設備確保に最大限努力します。お楽しみに。

これはこれ、またまたお世話になります。



それはともかく、健康には充分心がけて下さい。

少しは東京に近くなりましたね。



9月、東京通過の機会に何か企画しましょう。

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OJ -(2006/08/06(Sun) 11:02:24)

> 今度は緑茶工場の生産管理や、新工場をつくる仕事。これまでのスープや飲料の営

 業とは業務内容が180度変わります。



ほう、無責任にいうと、そのほうが面白そう。



> 静岡でも余裕ある宿泊設備確保に最大限努力します。お楽しみに。



是非、是非、よろしく。

仙台にも後ろ髪引かれる思いだが、心機一転、これからは南アの麓辺りを狙いますか。



> > 9月、東京通過の機会に何か企画しましょう。

賛成。ぼくもそう思いました。

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tomi -(2006/08/06(Sun) 11:35:45)

> 今度は緑茶工場の生産管理や、新工場をつくる仕事。これまでのスープや飲料の営

 業とは業務内容が180度変わります。



ご栄転おめでとう。先月、中村君に会った折に彼の後任はカメではないかと聞いた。

かつての日本紅茶(株)の本来の生産の仕事で肌にも合っているし、やり甲斐もある

ことでしょう。

まあ東京を素通りして静岡まで南下とは、ご家族は残念なことでしょうが、静岡なれ

ば東京まで1時間だから家も近いことでしょう。

新工場って、現在2工場あってまた作るの。ご繁栄は何よりです。 

静岡の宿は静岡市内になるのかな。

みちのく方面にようやく明るくなったところで残念だが、静岡からでまた出かけるか。

姫神山と登米は非常に印象的で、北上川に惹かれたところだった。塩竃神社に金華山

も行っておいてよかった。

静岡となれば、南アルプスは無理として八紘嶺に寸又峡、東海道自然歩道があるな。

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金谷 -(2006/08/08(Tue) 09:34:10)

> > 9月、東京通過の機会に何か企画しましょう。



  賛成。小生もそう思います。

  「仙台の拠点」、当たり前のようにあったものが無くなるのはなんとも……。

  お世話になりました。あれこれ去来するものがあります。 

高橋尚介さんのこと

tomi -(2006/04/20(Thu) 08:54:22)

尚介さんは、かねてから脚や腰が痛いといっていて、13日に町田市民病院で診察を受

けにいったままそのまま留置の模様で消息不明になっていましたが、本日、電話で奥

さんに事情を聞いたところ、リューマチで痛みがあちこちに異動していた模様でその

まま検査と治療を兼ねて入院していました。明21日に退院とのことです。

退院後は本人から詳しい事情が聞けることでしょう。

なお、長女の梓さんは入れ替りに出産、母子とも現在は実家にいるそうです。

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 高橋 -(2006/04/21(Fri) 19:38:33)

ご心配かけ恐縮です。本日退院してきました。改善したからの退院ではなく柏の慈恵

医大病院に通院することになったためです。

13日に町田市民病院でMRIの検査を予約していたのですが肩、股関節、膝の痛みが激

しく、4月に入って微熱もずーと続いて、たまらず8日に近所の医院に駆け込み痛み

止め薬を処方してもらいました。その医師はヘルニアらしいのでMRIによる検査が必

要と診断しました。その後も微熱も痛みも続きほとんど寝たきりになってしまいまし

た。

13日町田市民病院で診察を受け整形外科に即入院となった。特に右ひざの痛みが激

しいのは水がたまっていたためと判明。すぐ水を2本抜いてくれました。痛み止めの

座薬で多少痛みが我慢できる程度までおさまった。肩腰膝のレントゲンとMRI、採血

等検査の結果、関節リウマチの疑いが強いと診断されました。微熱は関節の炎症によ

るもの。整形外科病棟に入院したのですが、整形外科の担当医と内科リウマチ担当医

の治療を受け、点滴でベッドに縛り付けられていました。17日に関節リウマチと宣

告されてしまいました。すぐ抗リウマチ薬を服用しはじめました。抗リウマチ薬が効

き始めるのは早くて1ヶ月後だそうです。

文楽までに少しは良くなるかどうかです。さらに糖尿病も宣告され、すっかり意気消

沈しております。山は当分いけそうにないし、酒もリウマチの炎症発症のときはご法

度、ついでにタバコも血管を収縮するのでこの際やめなさいといわれて(現在禁煙10日

に突入)、今後何を楽しみに生きてゆけばいいのか・・・先輩諸兄のアドバイスを!!

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OJ -(2006/04/22(Sat) 00:32:41)

先輩ならぬ同輩の、アドバイスでもないのですが、そう落ち込まないで。近年、毎朝

散歩をしていますが、散歩程度の軽い運動でも相当心肺能力のアップを実感していま

す。糖尿にも効果があるでしょう。炎症が引けば酒は飲めるでしょうし。煙草だけは

はこの際止めた方がいいのでは。 

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 tomi -(2006/04/23(Sun) 20:22:29) >

意気消沈はいけませんが、タバコはちょうどいいチャンスですから止めるべきです。

10日止めたら禁煙の苦しい時期は終わりましたから、後は本人の自助次第。関節の痛

みをこらえつつタバコを吸ってもうまくないでしょう。これは天の配剤です。

 糖尿病は生活習慣病でもありますから生活態度を変えるのはそれが治療ですから。

適切な運動がいいらしいですね。

茶のカテキン(カフェイン。茶ではなぜかカテキンというらしい)が効果あるとの厚

生省の調査が今朝の新聞に出ていました。しかし缶入りやペットボトルの紅茶・緑茶

ではダメです。茶は時間をおくと濁りますが、これはカテキンの作用です。そのため

缶やペットボトルの茶類はカテキンを抜いています。この処理が特許で今ではいろい

ろな方法があるのでしょうが、ブルックボンドが一つ特許を持っていて、三共製薬が

使用特許を買ったことがありました。

それ以前の缶紅茶はコップに移すとたいへん濁って商品価値が危ぶまれたのでしたが、

幸い缶紅茶をカップに移さないでそのまま飲むという日本人のかつての美風が失われ

たことで、濁った紅茶が消費者にバレなかったのです。

 ということで尚やんは毎日せいぜい茶類を飲むといいでしょう。糖尿病には先達が

大勢いることでしょうから、充分に知識はお持ちでしょうから孫もできたことでもあ

るし、しっかり養生してください。

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金谷 -(2006/04/25(Tue) 10:25:07)

 >炎症が引けば酒は飲めるでしょうし。煙草だけははこの際止めた方がいいのでは。



血管拡張剤を飲みつつ煙草をやってもいいのでは・・・・・・。でも、せっかく禁煙を十数

日も続けたのだから、かなり意志が強いというか、決意が固いというか。酒一本に絞

りますか。となると、あのライター、無用になりますね。「後は頼む、下げ渡すぞよ」

ということになりませんか。 

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zenn -(2006/04/25(Tue) 20:10:38)

高橋さん大変ですね、お見舞い申し上げます。

ところで、今日ラジオを聞いていましたら、TBSラジオの15:30から始まる荒川強啓の

番組で「明日も元気」というコーナーでリュウマチのことを放送していました。(今

週はリューマチについてのようです?)今日の放送ではリュウマチによく効く薬はあ

るのだが副作用があるのでそう簡単には……と放送していました。

 よろしければお聞きになられたら如何ですか。参考になることもあるかも。

そのコーナは15:45頃からのようです。

何はともあれ節制して早く回復して一緒に山に入りましょう。 

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高橋 -(2006/05/15(Mon) 16:10:40)

 近況報告しておきます。

 辛い状態のままGWに突入。ベッドから起き上がるのに1時間。顔も洗えない。洋服の

着脱も一人でできない。晴れの日はまだ少しは楽ですが、雨の日や気温が下がると痛み

が増すという悪条件。一縷の希望は、4月18日から始まった抗リウマチ薬服用の効果

が早ければそろそろ効き始めるのではないかという期待のみ。

 GW明けから抗リウマチ薬をこれまでのリマチルに加えて昔関わったことがある抗リウ

マチ薬の切り札「リウマトレックス(メトトレキサート)」を処方された。間質性肺炎

の説明を受け、「症状が出たらとにかく救急車を呼んですぐ病院に駆けつけるよう」何

度も注意された時は、以前パンフ作成時に出た注意事項でこれさえ守れば安全という言

葉が懐かしくまた重くのしかかってきた。幸い今のところ何の症状も出てきていない。

15日に2回目のリウマトレックスを処方されます。

 整形外科の後、内科糖尿担当の診察を受ける。糖尿病としてはまだ治療を必要とする

段階ではないが、リウマチ治療にステロイドが使えるかどうかを決めるため、明日糖負

荷試験を受けます。これも町田で実施した検査をもう一度やらなければならない。うん

ざりです。 

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putin -(2006/05/15(Mon) 17:08:52)

> 近況報告しておきます。



大層辛い様子ですね。

昨日清水さんとも話していたのですが、床を離れるのに1時間、洗面に30分とか。

はやく本復されるよう祈ります。 

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高橋 -(2006/05/30(Tue) 09:37:35)

ご心配おかけします。昨日通院日で糖尿の検査結果が出て、糖尿予備軍だがまだインシ

ュリンもしっかりでているとのことでした。炎症を早く抑えたいので、少しリスキーだ

がステロイド剤もはじめましょうと処方されました。現在は要介護状態でほとんど自分

で何もできません。もうそろそろ抗リウマチ薬の効果が出始める時期で、時々ベッド上

で伸びをするようになりました。9日にはリハビリでと思っておりましたが、まだ無理

のようです。あと1ヶ月位様子を見てみます。 

天気が良いと身体の調子が良いのですが、雨の日はまったく駄目です。これからの梅雨

シーズンを憂えてます。空梅雨を願って… 

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 高橋 -(2006/06/09(Fri) 10:30:02)

 > 先週の赤旗日曜版に、最近のリューマチの治療法の進歩で、「治る病気へ」という

記事がでていました。施薬のテンポが重 要らしいですね。先刻ご承知とは思いますが、

念のため。

> http://www.asahi-net.or.jp/~cu9t-hsmt/hsMyWeb/images/rheumatism01.jpg

> http://www.asahi-net.or.jp/~cu9t-hsmt/hsMyWeb/images/rheumatism02.jpg

> 

ありがとうございます。記事にもありましたが、ステロイド剤を先週から使うようにな

って痛みが和らぎ、リハビリの散歩ができるようになりました。過信は禁物でうっかり

重いものを持ったりするとしばらく痛みに悶えます。問題はステロイドからいつ解放さ

れるかです。今月末にはある程度めどがつくと思います。アルコール解禁についても聞

いてみるつもりです。 

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高橋 -(2006/06/23(Fri) 08:31:19)

> 9月2日のふじさわ山荘の参加者は現在5名−後藤さん、善さん、おじさん、チャウ、

小生−。大森さん、オサムさんは都合悪く参加できない。

> 尚介さんは調子どうですか?9月なら参加できませんか。(ついでに近況も知らせて

ください)



返事遅くなってすみません。9月なら多分遠出出来ると思いますが、どの程度自由に動

けるか、皆さんにどんな迷惑をかけるか不明なため迷っています。

リウマチ治療は抗リウマチ薬も飲み始めて2ヶ月経過し、当初の辛さもずいぶん楽になり

ました。また5月末からステロイド剤を使うようになって見違えるように炎症が収まり、

痛みがずいぶん楽になりました。血糖値が高くなるという副作用も今のところ食事療法

でしのいでおります。着替えや入浴などもほとんど自分でできるようになりました。膝

の痛みが残りますが、天気のいい日は散歩できるまでになりました。ただ雨の日はいけ

ません。一日家に籠って寝ています。禁酒、禁煙も2ヵ月が経ちました。このごろにな

ってようやくタバコやお酒が恋しくなる時があります。快復してきた証でしょうか。お

酒については炎症が収まれば適量なら解禁と主治医から言われています。今月末(28日)

の診察時に打診してみようかと企んでいます。梅雨明けになったらぶらりと遠出してみ

ようかと考えています。 

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橋尚介 -(2006/08/03(Thu) 00:43:42)

> 体調が回復しているのなら9月2日(土)のふじさわ山荘の梓ツアーに参加しませんか?



参加予定ですので、よろしくお願いします。

体調は順調に快復してきております。調子のいい日には5キロのウォーキングで汗を流し

ております。多分体力的には参加可能と思いますし、是非参加したいと思っております。

が、別件のトラブル発生で迷っている次第です。はっきりしないですみません。もう少

しすればはっきりすると思います。



リウマチの治療を開始して4ヵ月が経過しました。抗リウマチ薬とステロイド剤の効用

で痛みがなくなり、日常生活はほとんど支障なくこなせるようになりました。ただあく

までも薬で痛みを抑え、進行を止めているだけです。正常に戻る訳ではないので、いろ

いろ不便なところがあります。例えば膝の関節に力がはいらないので、しゃがむ姿勢が

できないとか、手の握力が極端に落ちてしまって、字を書くのに苦労するとかです。ス

テロイドの副作用で血糖値が高くなって、酒が以前のように呑めなくなったとかなどな

どです。 

自然保護基金残高報告 omori 2005/12/21(Wed)

寄付金は19日にクヌギ山再生活動グループ(リーダーは森氏)あてに発送し、

今朝、以下のようなメールが届きました。

大森様/森

 寄付、昨日受け取りました。 

 農家の方やボランティアを集めて殆んど使われていなかった「くぬぎ山」の手入

 れを始めて3年目、約4haの林を、入ることも出来ないようなジャングル状態

 から本来の姿に戻す事が出来ました。

 「やま」の手入れは人手が中心ですが、軽トラック、チェーンソー、バヤカリ

 (刈払機)等の機械も必要です。その燃料のガソリン、潤滑油、チェーンソーオ

 イルやバヤカリの換え刃、チェーンの再研磨、軽トラの保険や維持費、ボランテ

 ィア保険などの費用がかかります。特にチェーンは生木よりも枯れ木の切断の方

 が磨耗が激しく、1本玉切りしただけで使えなくなってしまう場合もあります。 

 これらの費用は、サイサン(燃料会社)の環境保全基金と松を陶芸の薪釜まで運

 搬した場合の実費、畑の野菜の売上でまかなっていますが、四苦八苦しているの

 が現状なので大変助かります。有難う御座いました。

自然保護基金残高報告 OJ 2005/12/17(Sat)

昨日の梓集会で、大森さんの提案の、土と水と空気を守る会へ
寄付が決まりましたので報告します。 過去明細
年 月 適 用 金 額
  繰り越し 44,368
2005年12月 土と水と空気を守る会 -44,000
2005年12月 集会残金 830
  合 計 1,198

自然保護基金残高報告 OJ 2005/11/28(Mon)

現在までの自然保護基金残高は44,368円です。
年 月 適 用 金 額
  繰り越し 43,382
2005年08月 デリカ内拾得ほか 162
2005年10月 秋田駒 673
2005年11月 梓日だまり大野山ほか 151
  合 計 44,368

自然保護基金残高報告 OJ 2005/07/26(Tue) 18:32:06

5月八甲田スキー531円、6月利尻・礼文84円

7月土屋G檜枝岐836円、今回の「星空の宴会」清算残高2,101円でした。

これを自然保護基金へ繰り込みます。

結果、残高は下記となります。

年 月 適 用 金 額
  繰り越し 39,830
2005年05月 八甲田スキー 531
2005年06月 利尻・礼文 84
2005年07月 土屋G檜枝岐 836
2005年07月 「星空の宴会」 2,101
  合 計 43,382

「梓・アズサ・あずさ」について putin 2005/07/04(Mon) 14:41:24


すでに旧聞に属するが、昨年の11月恒例の「陽だまり山行」は東京都民の森を懐に

抱く三頭山であった。快晴の穏やかな冬の陽をあびながらの山道にあったのが「梓」

である。山行記録は橋元武雄氏のものであるがそこには「梓を見つけたのはぼくもま

だ2回目である」と記されていて、植物観察眼の乏しい私には「ほう、そんな珍しい

木か」と思っただけであった。

が、どうも実物には馴染みが薄いが「梓」「アズサ」「あずさ」という語彙からは色

々と思い至ることが多い。


 ヨグソミネバリ(都民の森にて)

出典:北東北の樹木図鑑
「梓」・アズサ、とはわがグループの名であり今年平成17年秋には満25年を迎え るが、グループ設立の折に大森武志氏がためらいもなく命名したものだ。 これは山好きの者が梓川と聞くと、穂高、上高地、小梨平、大正池をイメージしてそ こはかとなく山恋いの思いがつのるからではないか。 梓川は槍ケ岳の南斜面に源を発し、上高地を経て本格的な峡谷に入り松本盆地で奈良 井川と合流して犀川となるまでの上流部分の川の名で、さらに有名な古戦場の川中島 で千曲川となり、そして信濃から越後へ流れ信濃川と名を変えてゆく。 この流域には梓の木が多く、皇室に献上された「梓弓」はこの地方で作られていたと いう。 橋元氏でさえ2回目の遭遇というのだから、一般に梓がどんな木なのか知っている人 は少ないのではないか。その山行記録には「このコースは、めぼしい木にその名前が 表示されているが、そのなかに“ヨグソミネバリ”を発見。どうにもよい語感ではな いが、これが“梓”の別名である。ミネバリはミネハリで、峰の榛の木(榛は“はり” とも読むらしい)からくるが、ヨグソという不名誉な命名は、その樹液に含まれるサ リチル酸のせいらしい。」と述べている。 梓メンバーの高橋尚介氏には「あずささん」という娘さんがいる。それは梓弓に象徴 されるように「撓りがあって粘り強い子」にという思いと「あずさ」という言葉の響 きが好ましかったからではないか。 「梓」の木は撓りがあって粘り強いが、また斧が折れるほど硬いことから、オノオレ カンバ(斧折樺)とも言われている。(オノオレは図鑑によれば同じかばのき科だが 別種で別名アズサミネバリ) さきに述べたように長野県安曇地方から松本平には梓の木が多かったのだろうが、北 上山地の標高500メートル以上の岩石地や急斜面にまばらに自生しているという。 この材は、昔は馬そり、漁船の櫓や櫂に用いられ、身近ではソロバンの玉、最近は木 琴やピアノ、ヴァイオリンの弓などの楽器の高級材料になるという。 物書きが使う言葉に「上梓する」というのがある、梓の木は版木の材料に使われてい た、そのことから上梓という言葉が生まれた。「梓人」は大工やさしもの師のこと、 「梓里」とは故郷を意味し、(父母が子孫のために植えておいたあずさのあるところ) という意味。これらは中国から来た言葉。ところで漢和辞典をひくと、梓・〈キササ ゲ〉の事とある。またキササゲの中国名は、梓(し)であり、日本でも梓(あずさ) と呼ぶとの解説もある。キササゲは、非常に利尿作用が強く、腎炎やネフローゼによ るむくみや蛋白尿をおこしたときの利尿剤として効き目があるという。キササゲの実 や、根を乾燥させ生薬として用いる。 どうもややこしいが、これを要するに中国では梓は植物名キササゲのことで、キササ ゲが日本に伝来する前に梓という言葉(梓弓、梓棺、上梓など)が来て、日本ではヨ グソミネバリに梓の名を付してしまったと言うことかと想像するのである。 話かわって、去る6月初旬に青森県下北半島を旅した。北の春は遅く、菜の花が満開で 八重桜満開に花をつけていた。 平日ゆえか客もすくないJRビュウバスの旅を楽しんだが、小柄でなかなか愉快なバ スガイドさんにめぐり合った。 『下北のうれしい春は、だんだんと雪が解けて、青森トドマツの森の空には真っ青な 空が広がって、足元の残雪の下からバッケ(フキノトウ・これは中村貞子女史の故郷 秋田県の県花)が顔をのぞかせます。バッケが可愛くて、わたし田中めぐみの「お印」 です。「お印」って知ってますか? 皇室ではお一人づつお道具などのデザインに使う「お印」があるのです。今度お嫁入 りする紀宮さまはヒツジグサ、愛子さまはゴヨウツツジ、雅子さまはハマナスなんで すよ。 では皇太子さまはというとアズサなんです。でもアズサっていわれてもどんな木なん でしょうね。デザインするのも難しいのではないかしら。 ところでこの前、茨城県から農協婦人部の団体さんが私の下北へ来てくださいました。 そのときも、このお話をしたんです。私の「お印」はバッケ、可愛いでしょう。皆さ んも「お印」がありますか?って聞いたんです。しばらく皆さん、考えていました。 そしたら、後のほうから同行の真っ黒い顔したオジサンが大きな声で「オシルシなん かあるわけナカッペ、みんなばあさまダア」ですって。』 以上「梓」から思い至ることどもをつらつらと。 ----------------------------------- OJ -2005/07/05(Tue) 22:40:10 ============= やすみしし 我が大君の 朝(あした)には 取り撫でたまひ 夕へには い寄り立た しし み執(と)らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり 朝狩に 今立たす らし 夕狩に 今立たすらし み執(と)らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音す なり(万1-3) ============= ※“やすみしし”は、“国中を治める”ほどの意味で、眠っているわけではありませ ん。 これもリービ英雄の影響でちょっとつまみ読みした茂吉の「万葉秀歌」でいいなあと思 った歌。これも、まさに献上された梓弓だったか? 最近、藤沢周平の映画化作品「隠し剣鬼の爪」を見ていたら、主人公の思いびと役の松 たか子が柔らかなメロディーでこの和歌を詠っていた。 ----------------------------------- OJ -2005/07/05(Tue) 16:04:52 受け売りです。 ====================== 牧野新日本植物図鑑「あずさ」の項の解説より [漢名]梓はこの種ではない。梓をアカメガシワあるいはキササゲであるとしている のは全くの誤りで、真物はトウキササゲで支那産の樹である。 ====================== 他所の似たものに、自分たちの馴染みのある物の名前を当てはめるのは自然のことで も、学者から見ると“全くの誤り”になってしまう。牧野の解説には、“似ていたの で流用したのであろう”くらいで済ませておけばいいのに、この種の感情的ともいえ る表現が多く、それが彼が毀誉褒貶なかばした理由のひとつでしょう。 おおざっぱには比較的見分けやすいが、詳しく調べると違う樹が複数含まれる場合、 一般にはひとくくりにアズサやミネバリと、同じ名前で呼んでしまう。しかし、その 呼ばれ方は地方で異なる。それを植物学者が分類・記載する時点で、どこの地方の名 前を採用したかでどれかが優先される。後から別の呼び方もあることがわかり、その 名前も付記される。そうなると名前に一貫性がなくなり、同じ名前が異なる樹につい たり、異なる名前が同じ樹につくことになる。その事情を知らないで図鑑やネットで 調べたひとはますます混乱する…………ということですか。

アージェント!みなさん大丈夫? tomi 2005/06/20(Mon) 22:15:06

小生は”マダニ”にやられ、本日、慈恵病院で患部を切除しました。ほかのみなさん

は異常なかったですか?ちょっと厄介なヤツで素人処置は余病を併発することがあり、

ちゃんと外科か皮膚科で診断、処置されるといいでしょう。

 状況はこうです。土曜夕方から脇腹背後が痛痒く、鏡でみると3cmばかりが赤く腫

れ、1cm弱の赤いイボ状のものが突出している。触ると皮膚のように柔らかい。小生

は腰痛ベルトをしていたため、皮膚の一部が挟まれ、イボ状になったのかと放ってお

いたものの痛痒さは激しく、その突起物を切ってしまおうかと思ったほど。

 今日は慈恵耳鼻科での年1度の診察日なので、ついでに皮膚科で診察を受けたとこ

ろが、若いドクターが開口一番「どこかへ行きましたか?」「利尻・礼文へ」

トタンに「マダニだ!」と言って、夕方で診察を終えていたドクター連中を呼びまし

た。これが揃って若くて美人で、、、、前にも北海道の山へ行った人が同じ症状で診

察を受けたことがあるとのこと。「発熱は?」と訊かれたが、発熱はなし。

このヒグマにでもつきそうな大きなダニめは頭と歯を皮膚の中に突っ込んだままで、

下手に処置するとその部分が取れず発熱や他の症状を起すらしい。

若い女性ドクター連は、「写真とってもいいですか」「触ってもいいですか」小生デ

レデレと悦に入っていたが、「まだ動いている」には驚いた。

それから彼女ら3〜4人で、尻を半分出してベッドにうつ伏せになった哀れな小生の患

部を消毒、居部麻酔、執刀、切除、縫合てわけです。いやーその姦しいこと。喧しく

てすみませんといわれるが、こちとらは却って気分が晴れて結構な気分。

術後にアルコール漬けの小生の肉体に喰らいついたままのダニめを見せられた。

終ったのが5時ごろ。そんなわけで今日1日は慈恵病院のなか。明日はまた慈恵行き

です。

 今朝は小泉武栄『山の自然学』を読み返していたが、このダニめも氷河期からの

生き残りということになるのか。優に体長は1cm.はあったな。

ほかのみなさんが無事であれば重畳てところです。

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chau -2005/06/20(Mon) 23:09:12

こちら異常アリです。

木曜日帰る途中で、右腕の手首の近くの裏側に直径3CMくらいの紅い楕円形の腫れ

があり、さわると小さい突起があってざらざらした感じがありました。少しかゆいけ

どたいしたことはない感じでしたが、金曜、土曜とだんだんひろがってきてついに、

黄色い液体が浸出してきました。

今日皮膚科にいってきましたが、帯状疱疹でもこのようなことになることもあるがこ

んなにひどくなるとわからないので、とりあえずかぶれの処置をしますということに

なり、水ぶくれをつぶして液体を出し、薬を塗って包帯し、さらに飲み薬を処方され

て帰ってきました。

浸出液があるので、夜シャワーのあとまた包帯を変えましたが、薬の効果がでている

ようには思えません。

ずっと長袖をきていたし、植物のかぶれなのか、虫なのか・・・

冨山さんのように1cm位の突起というものともちがうので、マダニではないと思う

のですが・・・

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tomi -2005/06/21(Tue) 17:49:50

 今日、包帯交換で慈恵病院に行き担当の若い女医さんに、チャウの症状を伝え、こ

れもマダニかと訊ねたのですか、多分という返事でした。もし症状がよくなければ次

回診察の際に小生のマダニを参考例として伝えればどうですか。水脹れを潰し、体液

を出したのであればもう直るのではないでしょうか。

 昨日はハーレムの診察室にいる気分でヘラヘラしていたのですが、帰宅してハモち

りを前にして、はたと酒がいけないことがわかり、がっかり。来週月曜の抜糸までは

ビールもお預けとは酷なこと。トホホホ。

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chau -2005/06/22(Wed) 09:23:54

冨山さんには食らいついてそのままいついていたようですが、かじっただけで

去るということもあるのでしょうかね。植物のかぶれ?と尋ねたら、その場合は線状

のかぶれになるんだけど・・・・とはっきりしませんでした。

患部のひろがりはなくなり、浸出液もずいぶんすくなくなりましたが、

表面が紅く、ぐじゅぐじゅの見た目の状態はあまり改善されたようには思えません。

水曜は皮膚科休み、木曜は時間がとれずいけないので、金曜日にいきますが、

マダニのことを伝えてみます。金曜日でもあまり見た目の回復がなければ薬をかえま

すとかなんとか言ってました。

自然保護基金残高報告 OJ 2005/03/11(Fri) 17:25:37

今回の志賀高原スキーの残高は、ガソリン代清算後2,584円でした。

これを自然保護基金へ繰り込みます。

結果、残高は下記となります。

年 月 適 用 金 額
  繰り越し 37,246
2005年03月 志賀高原スキー 2,584
  合 計 39,830

パソコン通信を終了へ OJ 2005/02/17(Thu) 09:59:54


NIFTYがついにパソコン通信を停止(来年3月末)するそうである。NIFTYのサービ

ス開始が1987年4月。ぼくがモデムを買ったのが同じ年の12月。アイワの2400bpsの

モデムを41,300円で買っている。あのころは、300bpsのモデムを使っていることが

自慢であるような時代だった。現在の我が家のインターネットの接続速度が100Mbps

であるから、その差たるや目がくらむほどだ。 

 しかも、そのころのモデムの使い方というのは、1対1peer to peerであり、パ

ソコンからコマンドを入力して相手のモデムに電話をかけモデムどうしが直接対話

して通信を実行するものだった。だから、相手にも同じ程度の知識がないと通信自

体成立しなかった。そこへNIFTYなどのパソコン通信のサービスが始まってやりとり

が格段にしやすくなった。まだ相性というものが存在したコンシューマー用モデム

同士の直接接続より、パソコン通信会社のプロ用モデムへ接続するほうが容易だっ

た。しかも、データを直接やりとりするのではなく、蓄積転送store and forwardが

できるので、使い勝手が向上した。現在に置き換えれば電話と電子メールの違いと

いえばいいだろうか。メールやデータはパソコン通信会社へ送っておけば、受け取

る側は好きなときに取り出せるようになった。 

 1987年というと、インターネットは実験段階から実用化にはいったばかりで、い

まのような隆盛を予想だにできなかった。ぼくが最初にインターネットを使ったの

は1996年である。その間、ほぼ10年でインターネットは通信インフラとして爆発的

に普及を続けていた。いまでは笑ってしまうが、そのころはまだパソコン通信とイ

ンターネットの違いがよくわかっていなかった。その違いは、中央集権社会と民主

主義社会の違いに近い。インターネットの萌芽は敵の攻撃を受けても寸断されない

通信網を実現するという軍事的なものだったが、そのために考案された分散型ネッ

トワーク(インターネットの原理)は、その実現手法においてきわめて自発的で民

主的(資本主義的?)なものだった。 

 そして、それからほぼ10年、現在では、長らく通信手段の王者であったアナログ

電話もインターネットベースのIP電話に呑み込まれようとしている。通信インフラ

としてのインターネットはもはや盤石といえる。インターネット自体もアドレス体

系がIPv4からIPv6へ移行しつつある。さらに次世代のギガbps超高速インターネット

も実験が続けられている。ただ、分散型ネットワークという基本的なアイデアは同

じである。ネットワークに収容できるコンピュータの数がほぼ無制限になり速度が

3桁違うだけである。 

 この先は、ユビキタスな通信環境が普及するという。いままでは、通信といえば

コンピュータ同士のものだったが、ユビキタスではあらゆる電子装置が自律的に相

互通信できるようになる。現在では、ユビキタスな通信環境といってもベースはイ

ンターネットの通信機能を前提としているように見える。ここまでの通信インフラ

の成長と変貌を見る限り、ユビキタスに対応して何か革新的な通信原理が登場する

と思えるのだが、まだ見えてはこない。 

自然保護基金残高報告 OJ 2005/01/25(Tue) 17:18:00

自然保護基金の徴収は止めましたが、残金などある場合は、

従来どおり基金に加算することにします。

今回の残金は2,557円、それを繰り込んだ基金合計は37,246 円です。
年 月 適 用 金 額
  繰り越し 34,689
2005年1月 仙台・蔵王スキー 2,557
  合 計 37,246

モミジバフウ OJ 2005/01/02(Sun) 18:14:31

梓各位

あけましておめでとうございます。

予報に反して快晴静穏の正月日よりで重畳です。

==========

さて、金谷さんから写真入りの封書で、植物の実について御下問がありましたので、

この場をかりて回答します。

あの実は、下記の植物の実です。

モミジバフウ(紅葉葉楓) 別名 アメリカフウ



ネットを検索すれば結果は百出するでしょうが、下記サイトが特徴のよくわかる写

真を載せています。

http://www.asahi-net.or.jp/~ir5o-kjmt/kigi/momijifu.htm

別名が示すようにアメリカ原産ですが、この名前の元になった、ただのフウは中国

原産です。

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 金谷 2005/01/03(Mon) 00:12:46

ありがとうございました。

早速、問い合わせ人(絵かきです)に鼻高々に「回答」しておきました。

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tomi 2005/01/03(Mon) 15:51:20

この樹は、わが家の前の県道に街路樹として植わっています。新緑もいいが紅葉が

みごとで、「なんとかモミジ」ときいた覚えがありましたが、「モミジバフウ」で

したか。紅葉の色づき具合が変化があって絵心を誘われます。年末はこの落葉の始

末で動員されます。

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OJ 2005/01/03(Mon) 11:38:47

そうですか。絵かきさんですか。

ほかのひとのために説明すると、掲示では簡単に“写真”が同封されてと書きまし

たが、正確にはモミジバフウの実をひとつ白地にカラー印刷したもので、その下に

“Wanted”とだけ赤く印字されていました。

デザインのセンスもいいので、ただの質問にずいぶん手の込んだことをするなあと

感心し、もちろん金谷氏の技ではない(失礼!)とも思い、もしや女性かなどと想

像しておりました。

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金谷 2005/01/04(Tue) 02:33:45

訂正:「絵かき」ではなく、「写真家」でした。

    Googleで「風間雅昭」をご覧ください。

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OJ 2005/01/04(Tue) 11:07:21

ますます、納得。
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