Message Boad Memorandum 2001年以前の記事はこちら 2003年以前の記事はこちら 新潟地震寄付 OJ 2004/12/06 (月) 16:10自然保護基金より3万円、振り込みました。 地震だけでなく水害も含めてということで、下記宛てとしました。 → 新潟県災害対策本部 自然保護基金残高
御無沙汰をいたしております 北村 眞弓 2004/12/06 (月) 14:54お久しぶりでございます。もう御記憶にないかもしれませんが、25年ほど前、 山に連れていっていただいていた、旧姓萩原です。 その節は大変お世話になりまして、ありがとうございました。 ちょうど梓ではスキーがブームのときで、天神平にテン張って、早朝よりすべ ったのが懐かしい思い出です。中村さんのきりたんぽ鍋が絶品でした。 皆様がお元気で、御活躍なのが嬉しくてメールをしてしまいました。 会のことは、ふとしたはずみに思い出しておりました。 私はこのところ年に一回くらいしか、登っていません。毎年夏に行く北海道旅 行のときに、必ず一つは登ろうと、夫と二人ちんたらとした山行をしております。 皆様のますますの御活躍をお祈り致します。 素敵な会にお世話になっていたこと、改めて感謝しております。 お体お大切に。 いつかどこかの山でお会いしたときは、よろしくお願いいたします。 夫が転勤族なので、今は名古屋におります。 またすぐ転勤のようです。 *********************************** putin 2004/12/06 (月) 15:23 懐かしいですね〜 ホームページがよくわかりましたね。 真弓さんとの山行では日光から鬼怒沼へ抜けたのをよく覚えています。 たしか大人数でした。 金精峠でチャウさんと二人で・・・大笑いしました。 たしか秋でタクシーの運ちゃんが「シモゲッチャウよ」などと言っていたっけ。 *** 北村 2004/12/06 (月) 17:21 早速、お返事ありがとうございます。 覚えていてくださって、感激です。 日光のときは、確か猿軍団に荷物を荒らされましたよね。 根名草山でしたか? 鬼怒川方面に下山して、温泉に浸かったような、、、 本当に懐かしいです。 *********************************** OJ 2004/12/06 (月) 16:22 いやいや、お懐かしやモンデンキント。 バスチャン・バルダザール・ブックスも年老いて、ハゲおじんとなっております。 ところで、こないだの新聞によると、ルグインのゲドはとんでもない帰結を迎 えたようで驚愕しておりますが、ナルニア国の物語は、指輪に続いて映画化さ れるようで楽しみです。 (この話、わかるのはカメちゃんくらいだろうなあ) お元気なようで、なによりです。 (ちょっと解説) 指輪物語はご存じでしょうが、そのほかに以下の引用があります。 (1)ミヒャエル・エンデ作『はてしない物語』(ぼくの気に入っている話) (2)アーシュラ・ル・グイン作『ゲド戦記』(萩原さん推奨本) (3)C.S.ルイス作『ナルニア国物語』(カメちゃんの愛読本) 読めば分かりますが、そんな暇なひといないだろうなあーー。 (2)、(3)は指輪に匹敵する長編。ぼくも全部は読んでいません。 なお、指輪のJ.R.RトールキンとC.S.ルイスは、同じ大学の同僚で、互いの物 語を切磋琢磨した仲です………え?、どうでもいいって。こりゃまた失礼しま した。 *** 北村 2004/12/06 (月) 17:32 お返事ありがとうございます。 本当におひさしぶりです。 ゲド戦記はかなり静かな終結でした。 ゲドも普通のおじさんになっていて。 大賢人にしなかったところに、ル・グィンの思いがあるようでした。 ナルニアも好きな物語ですが、指輪のように上手く映画化をしてほしいです。 といっても、指輪物語も、物語を構成していた妖精たちの歌が、一つしかな かったので、ちょっと残念でした。 きっと、難しかったのかもしれません。 なんだかタイムマシンに乗ってしまったようで、ついつい勝手なおしゃべりを。 失礼いたしました。 *********************************** tomi 2004/12/06 (月) 22:16 おお!懐かしや、元気な様子は何よりです。 しかし『ゲド戦記』以下は何のことやらチンプンカンプン。 自家製シイタケおいしかったこと憶えています。 日本のどこかからでもメールください。待っています。 みな今も昔も酒だけ変らず。 *** 北村 2004/12/07 (火) 08:24 お久しぶりでございます。 冨山さんの、豪快な直滑降、今でも目に浮かびます。 飲んで歩ける山岳会!楽しくていいですね。 むか〜し、日本山岳会の集まりで、夫は冨山さんと御一緒したことが あると申しております。30年ほど前でしょうか。 随分後になってから聞いて、びっくりいたしました。 ほんの少し手伝っていただけだそうですが、、、 連絡板にお邪魔をして、すみませんでした。 本当に懐かしかったです。 *********************************** Kame 2004/12/06 (月) 23:31 萩原さん 本当にお久しぶりです。 その昔、僕が梓初心者だったころ、北アルプスの赤木沢や谷川などに何度かご 一緒させていただきました。懐かしい思い出です。 > ところで、こないだの新聞によると、 ルグインのゲドはとんでもない帰結を迎えたようで驚愕しておりますが、 ナルニア国の物語は、指輪に続いて映画化されるようで楽しみです。 本当に楽しみです。ここのところ英国のファンタジーが色々と映像化されてい るので、宮崎駿も含め映画やビデオをみて心が豊かになります。 でもナルニアは最後が悲しい結末なので、その辺がどうなるのかちょっと心配 です。 *** 北村 2004/12/07 (火) 08:32 お久しぶりでございます。 その節は、お世話になりましてありがとうございました。 赤木沢、楽しかったです。 今思うと、皆様に御迷惑をおかけしていたのではと、心配 いたしておりますが。 『ライオンと魔女』が、どんな映像になるのか楽しみですね。 この頃はCGの技術がすごいので、なんでも出来てしまいそう ですが、ずっと観ていると実体が無いので、少しはぐらかされた ような感じも持ちます。 これからも楽しい山行を! お返事、ありがとうございました。 栃木の山part2 齋藤修 2004/12/01 (水) 21:31マスターベーションにも近い「栃木の山」シリーズができそうです。 暇なとき,一読ください(善さん音が出るから職場では注意) 3.星野「三峰山」 栃木には三峰山と言われる山が2山。それもこの阿蘇の山にまとまっている。 以前より興味を持っていたが,足の便が悪くなかなかいけないでいた。最近バ イパスが完成したおかげで,我が家から1時間強となったので,天気の良い休 日。足を延ばしてみた。栃木(インター)から県道を粟野方面に向かうと流出と の分岐あたりに見える大きな固まりが三峰山である。 こちら 4.岳ノ山・大鳥屋山 2山が登りやすい位置にあるこのあたりでも珍しい山である。信仰の山である ことには違いないが,登り口に景勝「五丈の滝」があるため,駐車場も整備され 登りやすい条件は整っている。しかしながら,標識等は整備されておらず十分 な下調べは必要である。今回も,登り・下りで各1カ所道を間違えてしまった。 こちら なんと哲学的な OJ 2004/12/01 (水) 10:26どこかの国の元首相は、明白な行為を確認するために「事実だと思う」といっ た。 デカルトは、自己の存在を確認するために、「我思う故に我あり」といった。 つまり、自分は思考する故に自己の存在は「事実だと思う」、ということだろ う。デカルトは、凡人の自明とすることを証明するために、この論理的な操作 を必要とした。これはきわめて哲学的な思考過程といわざるをえない。 してみると、庶民が数十年かかって稼げるかどうかの莫大な金額を受け取った という明白な事実を、あのような表現で確認せざるをえなかった元首相もきわ めて哲学的な思考をするひとだったのだ。哲人政治家ともいうべき首相をもっ た国はうらやましい。 しかし、それからわずか数代あとの現首相の発言に接すると、まるで論理的思 考が未発達な児童の議論を聞く思いがする。口の達者な小学生と口論すれば、 打々発止の面白い勝負になるだろう。 あの国の政治家の思考レベルが、ほんの短い期間でかくも衰退したのはなぜだ ろう。 ああ、よその国のことながら心配だ………… ********************************* 金谷 2004/12/02 (木) 03:27 あれは、何口もある賄賂のうちのほんの一つに過ぎず、どれがどれだか忘れち まっての正直な発言ではないか、とは或る「識者」の言。これ、諷刺か、揶揄 か、嘲弄か、さてまたかばい手か。 ********************************* OJ 2004/12/02 (木) 13:53 むむ、買いかぶりであったか。 残念。 自然保護基金残高 OJ 2004/11/29 (月) 23:24
岩佐又兵衛という画家 OJ 2004/11/23 (火) 00:17こんな絵かきもいたんだ。 千葉市美術館の展示は23日で終わりですが、 映画のほうは来年岩波ホールで上映されるようです。 芸術新潮の10月号で岩佐又兵衛という画家の特集をしていた。江戸初期の画 家で浮世絵の祖とも書かれているので知る人ぞ知るなのだろうが、聞き覚えが なかった。でも、一度絵を見ると、その印象は忘れられない。強烈な画風であ る。とくに絵巻がすごい。乱暴に言うと、地獄草紙の阿鼻叫喚を、源氏物語の 極彩色にぶち込んだようだ。だがそれだけではない。静謐な雰囲気に満ちた南 宋文人画のような山水もやすやすと描ける。えらく守備範囲の広い画家である。 この画家の展覧会を千葉市美術館でやっているというので出かけた。展覧会 とは関係なく、たまたま羽田澄子が又兵衛作の絵巻『山中常磐(やまなかとき わ)』を映画化していて、それをこの機会に上映するという。それも見たかっ た。絵巻を映画にするって、どうやるのかと興味が湧いた。美術館の開場10時 前から玄関にならび、美術館が開くと7階のチケット売り場で入場券を求め、 つぎに11階の映画会場へゆき、その前でまた10時半の開場を待ち、最前列に陣 取った。 定刻11時より少し早く、今回の展示を担当したという知的な美人の学芸員か ら作品紹介があって映画がはじまった。この絵巻は十二卷からなり、義経の母 常磐御前が奥州藤原氏にかくまわれていた義経に会いに京都から旅をする途次、 山中宿で盗賊に襲われて惨殺され、後日、義経がその仇を討つという話だ。絵 の合間に書かれている詞書きを浄瑠璃仕立てにして、文楽三味線のベテラン鶴 澤清治らが節付けして伴奏し、若手の気鋭豊竹呂勢大夫が語る。その義太夫が 狂言回しになって、物語がスクリーンにくり拡げられる。 冒頭、川面を映して、方丈記の“流れに浮かぶうたかた”の耳タコのナレー ションから入ったのには失望した。絵巻の要所要所をアップして、あとは画面 一杯に引いて左へパンして時間経過と旅程を表現する。詞章にあう絵がない個 所は、現在のそのあたりの風景を映して繋ぐ。絵巻のストーリーの合間に、と きおり又兵衛の生い立ちなども挿入する。それに生の女優を使って又兵衛の母 を登場させたりする。映画の手法としては、当たり前すぎて面白みはない。愚 直に絵巻と義太夫をあわせて、足りないところを手軽に補って作り上げた印象。 しかし、決してつまらなくはない。絵巻自体の内容が劇的で、それを義太夫が たっぷり聞かせてくれるからだ。映画化の手法などに余計な興味をもたなけれ ば、上演時間1時間40分を十分楽しめる。終わったのは1時。昼飯抜きで展示 を見るのはきついので、いったん街へ出て食事をしてから、美術館に戻った。 岩佐又兵衛の一生は、数奇な運命を絵に描いたようである。織田信長の家臣 荒木村重という大名の子として生まれるが、父、村重が信長に反逆したために 母は惨殺される(このあたり山中常磐の義経とダブる)。それなのに、村重は 逃亡して生きながらえ、彼は乳母に救われて石山本願寺にかくまわれて育った という。しかも、成長した彼の才能を見いだして庇護したのは、母親の仇であ る信長の庶子信雄だった。これらの二重、三重に入り組んだ生い立ちは、当然、 画家の成長期の感性に複雑な陰影を与えたろうし、絵の創作に強い影響を与え たろう。そして、その事情を知った鑑賞者は又兵衛の特異な画風をすんなり受 容できる気分になる。だが、又兵衛の人物像はそうやすやすと捕らえられない。 解説を読むと、岩佐又兵衛は、北斎やピカソがそうであったように、絵を描 く技法の習得や応用にほとんど苦労をしなかった。国内の諸流派の手法や中国 伝来のさまざまな筆法も、何の苦もなく駆使できたようだ。長大な絵巻は、そ の長さや量(残存する絵巻だけでも長さ1キロ近いという)からして、彼の主 宰する工房の作品だとされる。それにしても、合戦絵図や洛中洛外図の、画面 を埋め尽くさんばかりのおびただしい人物の数と、その人物達の衣裳の細部に 描き込まれた微細な文様は、注文者の要望というより彼自身の嗜好によるのだ ろうし、自在に筆を繰って短時間に対象を描破する技量を必要としたろう。 予備知識なしに岩佐又兵衛の絵を見ても、人物、とくにその容貌の“豊頬長 頤”と呼ばれる独特のデフォルメ、異様に長い女性の黒髪への執着、男女の濡 れ場のねっとりとした情趣、殺戮場面の極端な誇張など、普通の絵師には見ら れない執拗な表現が目につく。これらのエキセントリックな表現を、彼の生い 立ちに重ねて納得するのはたやすい。しかし、それだけでないのがこの画家の 不思議なところだ。残虐、凄惨を極めた情景を描きながら、どのような阿鼻叫 喚の最中にも、状況への諧謔といったらいいのか、画面が一方的な印象に傾く ことを拒否する描写が並置される。合戦の最先端で形相すさまじく敵の首をぶ ち切っている武者の背後では、余所を向いてなんだかニヤニヤ笑っているヤツ がいたりするのである。人物描写にもクセがある。三十六歌仙のように、権威 ある対象を権威ある風には描かず、その容貌や姿態にあからさまな風刺が込め られる。それに禅画のような、軽やかなユーモアを感じさせる神仙画だって、 やすやすと描いちゃうのだ。 執念、怨念、フェチへ傾くどろどろした心情と、それらをつっぱなした風刺、 諧謔、悟りの画境をこの画家は具有している。天の配剤など信じないが、過酷 な運命の代償として、天性の画才が与えられたと思えば見る方も気が楽になる。 まあ、可もなく不可もなくただ消え去ってゆく人間のほうが大多数だろうから、 うらやまれていいくらいだ。意のままに筆を繰れることは、若き激情の緩和に 役立ったかもしれない。あるいは、描画に没頭することで心の闇や泥濘を飛越 してしまったのか。天賦の画才は、心の闇と戦うための強力な武器となっただ ろう。ともあれ、この画家には非常に幅の広い心の振幅を感じる。 この画家に限ったことではないだろうが、年を取るほど極端な表現が少なく なってゆく。とくに最晩年の自画像から、あの血みどろの絵巻を連想すること は難しい。いつだか書いた円山応挙の心象風景が一本の素直に伸びた見通しの よい道だとすれば、岩佐又兵衛のそれは、いかにも紆余曲折、一寸先も見通せ ぬ険阻な山道のようにみえる。そして、あの自画像は、起伏の多かった道を歩 き終わって、安堵とも諦念ともつかぬ思いで来し方をふり返っている人物にふ さわしい。 齋藤の低山歩き再開 齋藤 2004/11/14 (日) 04:41今年は栃木方面を攻めていこうと思います。 1.千部が岳 http://eigen.dynsite.net/yama/yamaraku /upload/upload/kiroku-s/2004/20041103senbu/20041103saenbugatake.htm 2.尾出山・高原山http://eigen.dynsite.net/yama/yamaraku/upload /upload/kiroku-s/2004/20041107odayama/20041107odeyama.htm くそ! OJ 2004/11/11 (木) 15:08いや、のっけから失礼。 世の中、こんな奴もいる。 http://www3.ocn.ne.jp/~gogouan/index.html 宮沢賢治の“雨にも負けず”は、正しくはどんな詩だったのかと調べているうちに、 この五合庵氏のページに逢着。 *********************** putin 2004/11/11 (木) 18:00 なかなか・・・ 全部見るのに時間がかかりそう。 *********************** omori 2004/11/12 (金) 07:28 ひととおり、読んでみた。 確かに衒学趣味は鼻につくけど、「くそ!」というほどではないのでは? *********************** 三人三様 OJ 2004/11/12 (金) 09:22 “くそ!”の反応が面白い。 後藤さんは、多分、五合庵氏の宗教的な蘊蓄に“なかなか”と書いた。 大森氏は、多分、五合庵氏の文学的な引用に“衒学趣味”と書いた。 OJは、単純に羨望の裏返しで“くそ”といってみたけど、別に他意はなかった。 彼の夏の家の写真を見ると、そう言いたくなるって。 実は、一番気持が動いたのは、彼が独学で習得したというピアノの演奏ョいたと きだった。そのレパートリーがなんとも、わが世代的なのである。 http://www3.ocn.ne.jp/~gogouan/Piano/Piano.html とくに、とつとつとして音を拾うがごときマーラーの5番のアダージェット (彼はアダージョと書いていたが)を聴いているうちに、おもわず目頭ならぬ鼻頭? がジンとしてしまったのであるよ。 ははは。 *********************** 金谷 2004/11/12 (金) 11:26 三者三様、どなたのも「当たり」って感じ。 「収集力」と「好みの一貫性」に驚く。それにHPの作製技術。 人生、斯くも愉しむもの哉。愉楽、遊楽! 人生、斯くも堕ちてこそ癒されるもの哉。 Re^2: 馬蹄形トンネル zenn 2004/10/25 (月) 19:56どうも有難うございました。僕の疑問は完全に解消しました。 いやあ、僕は下からの圧力は露程にも考えなかったです、ただ卵形は強度が有 るといっても下をちょん切った状態では強度はないと思ったんです。そこで完 全な卵形にしてあるなら強度も有るしそれに夢がある?面白い(ですよね?)。 そこで、あり得ないと思いながらもお聞きしたわけです。 Re: 馬蹄形トンネル OJ 2004/10/24 (日) 15:39後藤さんに触発されて、トンネルの形状について、調べてみました。 結論から言うと、やはり安定性が高いので馬蹄形ということらしいです。 ただ、それだけではありませんでした。意外に奥が深かったので報告します。 昔から石積の建築でよく見られるボールト(要するにカマボコ形)と呼ばれる 構造があります。これは天井を支える圧力をアーチの部分で壁へ逃がして、壁 の上下方向の強さで支える仕組みです。断面は逆U字形になります。 建築のよ うに上からほとんどの圧がかかるだけなら、トンネルも逆U字形で済むわけで す。ところが、トンネルのように、地中に穴を掘ると周囲の泥や岩盤のすべて の方向から地圧がかかります。 上からに加えて横からの力にも耐えるようにす るには、横方向へもふくらみ、つまりアーチにするということで、断面は馬蹄 形になります。 ところで、その先の話があります。目には見えない、トンネルの底のことです。 あのときの話で、善さんは、トンネルの底がどうなっているかという疑問も出 しました。これは、なかなか鋭い観察でした。 鉄道のことは別にして、地圧の ことだけを考えれば、上に積もった泥や岩石の圧力は横の壁を通じて、トンネ ルの底へもかかります。これをトンネル側から見ると、トンネルは底の方向か らも力を受けることになります。となれば、トンネルは底の部分もアーチであ る必要があります。実はこれが正解です。 土圧がすべて均等なら、周知のように円形が一番安定しますが、普通の地形で は、上下の土圧のほうが横からの土圧より大きくなります。とすれば、縦長の 楕円にするのが一番合理的です。しかし、鉄道を通すことが目的ですから、地 下の余分なところまで掘削するのは無駄です。 そこで、縦長の楕円の底の部分を水平に切断し、軌道を敷設するに必要な横幅 を確保して、切り取った部分を逆のアーチ(下向きの弧)でふさぐ構造になっ ている、というのが正解でした。 実際のトンネルの設計図があります。 ただ、図中のキャプションにもあるように、これは地盤が悪いところでのトン ネルの形状で、岩盤が安定していて強固な底面が確保できる場合は、底のアー チまでは不要でしょうね。 イヤ、善さん、奥が深いね。 善さんがここまで見通していたのなら、完全脱 帽だ。 馬蹄形トンネル putin 2004/10/23 (土) 12:02馬蹄形トンネルについてこんなのがありました。
Webサイトをみていたらこんな記述がありました・・・ 下の写真は明治32年の奥羽線開業から僅か12年しか使われなかった隧道、 福島県福島駅をでてすぐの庭坂駅と赤岩駅の間にあった。 見事に馬蹄形である。 初代6号隧道など、現役といっても通用する状態なのですね。 鉄道のトンネルというのは、道路の隧道に比べて堅牢な印象を持ちました。鉄 道車両の走行に伴う振動などに配慮して、そもそも設計段階から異なっている のでしょうか。 ------------------------- 百年前の隧道にしては本当に堅牢ですよね。 煉瓦は鉄筋コンクリートよりも丈夫だとは思えませんしね。 多分、道路の隧道のように排気ガスの影響も受けないし、単線分の幅のため、 堅固なのでしょうか。 ------------------------- 断面積が小さいというのが有利に働いているのかもしれませんね。 それと、あの独特の馬蹄形の断面の形状にも秘密がありそうな感じがします。 ------------------------- あの隧道断面の形ですが、明治26年開通の信越線、横川〜軽井沢間の隧道断 面を改良したものだそうです。 これが隧道建築定規(鉄作乙第497号通達)として制定され、その後の単線 非電化トンネル断面の原型になったそうです。 自然保護基金 OJ 2004/10/18 (月) 10:49今回山行(仙台・金華山・面白山)の寄付金1,000円と共通費残金2,107円 を自然保護基金へ繰り込みます。 その結果、自然保護基金残高 61,906 となります。
10月東北山行 omori 2004/10/04 (月) 15:48ところで土曜日にバカ尾根を下りたら、太股ではなく、ふくらはぎが突っ張っ て痛い。どうしたことだろう。 ************************** OJ 2004/10/04 (月) 23:19 こんな掲示があったので、バラしてしまおう。 大森氏がはじめて丹沢へ登ったときの写真である。 多分写真は同行の佐藤氏が撮ったものだろう。 http://www.asahi-net.or.jp/~cu9t-hsmt/hsMyWeb/images/Tanzawa1972.html おぼろげな記憶をたどるに、宮ヶ瀬側から丹沢山へ直接登って、塔、鍋割、雨 山峠を経てユウシンへ下ったのだと思う。そのとき、ユウシンから玄倉までの 下りで、大森氏が靴擦れになやまされ、かろうじてたどり着いた新松田の駅前 の食堂でサンダルを借りたか、かっぱらったかして帰ったのだった。 えっと、これは昭和47年、1972年8月のことでした。 ************************** omori 2004/10/05 (火) 11:39 > 大森氏がはじめて丹沢へ登ったときの写真である。 というより、初めて山らしい山に登ったときの写真です。体が全然できていな い。これ以来、5キロは痩せた(また戻ってるけど)。 > > おぼろげな記憶をたどるに、宮ヶ瀬側から丹沢山へ直接登って、塔、鍋割、 雨山峠を経てユウシンへ下ったのだと思う。 そのとおり。丹沢山の小屋に泊まったのを覚えている。 そのとき、ユウシンから玄倉までの下りで、大森氏が靴擦れになやまされ、か ろうじてたどり着いた新松田の駅前の食堂でサンダルを借りたか、かっぱらっ たかして帰ったのだった。 買ったばかりの山靴で、足はメタメタ(慣らし運転が必要なんて、沼田先輩は 教えてくれなかった)。おまけに集中豪雨による土砂崩れで何箇所も林道が寸 断され、ひどい目にあった。 しかし、それで山にはまったのだから、余程の感動があったんだろう。むろん 山靴は根性で履き慣らし、1年余りで履きつぶした。 それにしても、かっぱらうわけないだろう(偏見だ)。店のおばちゃんが見る に見かねて、古いのをくれたんだ。 早池峰の屎尿処理 OJ 2004/10/02 (土) 12:14今朝のNHKの『地球大好き』というドキュメントもので、早池峰の屎尿問 題を取り上げていた。われわれがいったとき、前後して屎尿汲み下ろしのボラ ンティアが登っていたが、あのグループのリーダーが番組に登場した。「早池 峰にゴミはにあわない実行委員会」の菅沼賢治というひとだ。 OJの早池峰の記録では、なぜ手間のかかる人海戦術を採っているのか疑問を 感じたことを書いたが、その疑問に対する答えが、あの番組にあった。ゴミや トイレによる早池峰の自然破壊に心を痛めたひとびとによって、行政やボラン ティアなどが集まって対策会議があったらしい。行政側は、北アで実績のある バイオ処理可能なトイレの設置を提案し、ほぼ全員が賛成したという。しかし、 そのなかでただひと菅沼氏が異論を唱えたのだ。彼の意見を要約すると、左様 なトイレを導入すれば自然は守れるだろうが、それでは登山者の自然に対する 意識はいっこうに変わらない。むしろ人手をかけて、自分たちの排泄したもの を自分たちで下ろすことで、自らの行為がどれだけ自然に影響を与えているか を忘れないようにしよう、ということらしい。以来、十数年にわたってボラン ティアを募集して、あのポリボトルの登山隊が毎月1回出動しているとうこと だ。 彼自身の意見を表明したページがある。 http://www.jwaf.jp/magazine/backnumber/2003/0310-1.html こうした事情を知っても、屎尿持ち帰りに対する当方の考え、というか感情が 変わるわけではないが、また自分の中で未解決のまま取り残される問題がひと つできてしまった。まるでスケールが違うじゃないかと笑われそうだが、自分 にとっては、なんだか山の屎尿問題は、原子力利用の問題と似ている。 佐久のそば omori 2004/09/07 (火) 13:258月28日がこの状態なら、9月4日でも十分OKでしたね。 今回は中止で残念でしたが、また満開のそばの花で一杯を計画しましょう。 こぶ平 OJ 2004/08/23 (月) 12:02国立演芸場名人会で、『先人の十八番に挑む!PartU』なる催しがあったので 出かけてみた。外題は次のとおり。 「悋気の独楽」 三代目小さん十八番 入船亭扇辰 「祇園会」 八代目文治十八番 春風亭一朝 「佃祭」 三代目金馬十八番 五街道雲助 「能狂言」 三代目円馬十八番 鈴々舎馬桜 「一文笛」 桂米朝十八番 林家こぶ平 目当てはこぶ平。こぶ平が落語に本格的に取り込んでいることは知っていたが 実物を聞くのは初。TV番組では、どちらかといえば軽い扱いのタレントが、 国立演芸場の名人会のトリだというのだから、お手並み拝見である。 「一文笛」はスリの名手が主人公。 http://www.kakaa.or.jp/~fukasawa/beichou.htm 貧しい子供のために義侠心からやった盗みが返ってその子に不幸をもたらし、 それを機に改心するという世話物。米朝の十八番だが、こぶ平が米朝宅までお もむき、人間国宝からの直伝を受けたという。 枕は、米朝に教えを請う場面から、こぶ平がTV番組で実際のスリの親分にイ ンタビューしたときの話題などを交えて手慣れたところを見せる。彼の咄は初 めてなので、はらはらしていたが、ここですこし安心する。ただ、こうした枕 はTV番組での経験の延長でどうにかなる。落語とは別物だ。 本題に入ると、TVで見せる軽佻をかなぐり捨てて本格的な世話物の調子とな る。主人公、足を洗った先輩から諭されるが聞かず、自慢げに貧しい子供に一 文笛を盗んで与えた話をしたところで、実は、となり、その子が陥った悲惨を 知る。義侠話の高揚から、一転、深い悔悟の念に襲われる。落語は顔の向きで 登場人物を話し分けるが、同時に、顔の向きの変わるまに、同じ人物の心情の 移ろいをも描き分けなければならない。この辺りの転換、切れが良く見事。彼 はどうやら軽い斜視があるようで、情を含んで面を切ると、それが不思議な雰 囲気を醸す。親の三平とは似ても似つかぬ正統派の落語である。 ただ、気になるところはいくつかある。まだ場数の少ないせいか本人の緊張が こちらにも直に伝わってしまう。ここは、一歩引いて場を支配する芸がほしい。 それに細部の仕上げもまだまだ粗い。志ん朝が亡くなって、ときたま志の輔を 聞く程度だった。志の輔は好きな落語家だが、江戸の粋は期待できない。志ん 朝でぱったりとだえた水脈が、こぶ平でまた息を吹き返してきたようだ。 岬羅にはまった Kame 2004/08/18 (水) 00:04恍晩、3牡4晩の岬羅唾佩から氏「辰討C泙靴拭」 おいしい創尖とあたたかい繁たち。 もちろんn粁もべらぼうに芦くて、はまってしまいました。岬臼偏坪が嶄伉で したが、匯晩は岬臼から2瓶馮樋の充翌、仝湘芸々というかつて署緻で侭C┐申 屬慚个C泙靴拭・固Г版ァ撃沚C諒爾瓩乏・討・・IモHがブタになる啝牢瞬とそっ くりの瞬゜み、エキゾチックでなんとなく皓・なそれに、すっかりうれしくな ってしまいました。云輝にこんな壱ノ_・△辰燭鵑寸。 ************************************ えー、どうしてこうなるのでしょう。 とりあえずひらがなでほんやくします。 <たいわんにはまった> > きのう、3ぱく4かのたいわんりょこうからかえってきました > おいしいりょうりとあたたかいひとたち。 > もちろんねだんもべらぼうにやすくて、はまってしまいました。たいぺいし ないがちゅうしんでしたが、いちにちはたいぺいから2じかんじゃくのきゅう ぶんというかつてきんこうでさかえたまちにいってきました。せんとちひろの はじめのばめんでりょうしんがブタになるはんかがいとそっくりのなちなみ、 エキゾチックでなんとなくわいざつなそれに、すっかりうれしくなってしまい ました。ほんたうにこんなところがあるんだ! 『秘密と嘘と民主主義』 OJ 2004/08/08 (日) 15:43表題の本を、金谷さんから送ってもらいました。 読後感を掲示します。 チョムスキー『秘密と嘘と民主主義』、ありがとうございました。昨日、読み 終わりました。この種の本はまったく読んだことがないので、少し戸惑いまし た。民主党と共和党の区別すらできない政治音痴には、よくわからないことも 多々ありました。しかし、彼のスタンスは実に明快。ほとんど何も知らない人 でも直ちに理解できるような平明な前提から文を起こし、そのパラグラフの終 わりには、そこまで言えるのかという霹靂の結論が導かれる。その過程は、具 体的な事実の積み上げで、高邁な理論など入る余地もない…………そんな印象 です。 門外漢にも言語学の泰斗として知られるひとだから、明晰な頭脳をもつことは 間違いないのでしょう(横道にそれますが、ぼくは自然科学の数学に相当する ものが、人文科学の言語学であろう--哲学ではなく--と思っています)。それ に加えて、ものを見る目が恐ろしく澄んでいる。だれしもあるような、思い入 れとか、願望とか、傍目への気遣いとかといったフィルタがまったくない(あ るいは公正にという冷徹なフィルタのみがある)。それに、言いっぱなしだけ でなく、泥沼のような現場にも参加もしているようです。理論から入っていけ ば、現実の圧倒的な混迷を前に尻尾を巻いて引き下がるのが普通だろうに、そ れがほとんど彼の言説には影響していないように見えます。 現在の世界が富裕層の専制によって導かれ、政治もジャーナリズムもその手段 に堕していると。その結果、アメリカ自体すら第三世界化しているという議論 は新鮮でした。素人目の類推にすぎないが、いま企業が競争力強化の名の下に、 先を争って規模を拡大しているのをみると、白亜期末の恐竜の巨大化を見るよ うです。もちろん、その行く手に待つものは絶滅。素人目にも、いまの経済シ ステムの将来にはそれ以外見えてこない。それを市民の参加で変革してゆこう とする。あれだけなにもかも見通せる巨人の、なんたるかそけなき提案、なん たる絶望的楽天主義(限りない敬意を込めて!)。 それと、辺見庸の「チョムスキー」も面白かった。彼の一語、一語にたっぷり の思い入れを込めた言葉使い(手あかの付いた言葉を排除したいという徹底的 な願望)と、チョムスキーの単刀直入が相容れるわけもなく、ひたすら困惑を 胸に秘めてインタビューする苦衷が忍ばれました。あの眼力で見られたら、ぼ くなど発言することもできず赤面して沈黙してしまう。アメリカのメジャーな ジャーナリズムの無視というのは、そのあたりが原因かもしれない。辺見庸に とって、それこそ重要な言葉の枝葉末節が、鋭利な刃物でばさばさ切り捨てら れるような切なさとでもいうんでしょうか。一方が言語の機能を知悉した科学 者であり、他方は言語に情緒の衣にからめて提示する手法の巧者。打々発止と はいかなかったようですが、一面、チョムスキーにはその種の情感が欠けてい るのかなあという不安も感じました。 きりがないのでこの辺にします。いずれ酒席にて! なまず家報告、自然保護基金報告 OJ 2004/07/29 (木) 11:53なまず家はくたびれた割烹料理屋の風情。入口の狭い通路に、改築中の資材散 乱。一瞬、入るのを戸惑うほど。通路を入ってすぐにカウンターの席があり、 こちらはフリ用か。予約組は奥の座敷。いつかの横須賀を思わせる暑さにエア コンはほとんど効かず、ビールはアサヒビールしかなく、金谷氏は乾杯といえ どもアサヒは口にしないといい、しょっぱなから雲行き剣呑。しかしこの暑さ にビールなしは耐えきれず、他はアサヒでお茶を濁すうちに、係の女性が気を 利かせてキリンを買ってきてくれて、以降雰囲気好転。なまずは何度か食して いますが、あの濃厚な刺身の味にははじめて出会いました。さすが専門店。予 想以上でした。ただいかんせん、味一本で頑張るのか、割烹料理や的な雰囲気 を狙うのか、店のねらいが曖昧。一度行けば十分というところでしょうか。 (参加:冨山、後藤、金谷、高橋、橋元、中村 鈴木急遽不参) それにしても新大久保近辺は様変わりはなはだしく、ゆきかうひとは大半がア ジア系外国人。中華や韓国の派手な看板が乱立し、寿司屋、そば屋などは肩身 を狭くしているようでした。そうそう、石井スポーツの新店舗は山屋というよ りまるでアウトドアブティック。山は遠くなりにけり。 早池峰の残金は精算し2530円を寄付金へまわします。 欠席の大森、亀村氏分は寄付金へ繰り込みとさせてもらいました。 なお、金谷氏よりの寄付も含まれます。
川越 putin 2004/06/02 (水) 20:10週はじめからツユ入りかと覚悟したら今日も晴天。そこで「小江戸・川越」に カミサンと出かけました。 蔵作りの商家の並ぶ一番街通り、時の鐘、菓子や横丁、喜多院などの定番をこ なし昼もまっわて・・・。 いつの事だったか、橋元、大森さんと山行の帰り川越なら「うなぎ」というの で川沿いのうなぎやに入ったが、鯉のあらいはまあまあだったか、うなぎは?。 今日は川越の老舗天保三年の創業で六代目うなぎやという「いちのや」に行く。 ここは私が10年ほど前に行ったことがあったが、その折は「うなぎ」一筋の 店だったと記憶しているが。 いまは表通りに面した古い家はそのまま使い、前回駐車場につかった裏の土地 に豪勢な料亭?が増築されていた。メニューも盛りだくさん、カミサンは和風 弁当「うちわ」などを食す。小生は「うな重」・・こんなものかというが、ま あまあ。 川越にはうなぎ一筋の(うな重、うざく、酒、ビールぐらいだけ)の小川菊 (おがぎく)とその大正年間の別れという小川藤(おがとう)があるという。 おが菊は明治年間に建てた3階の木造の店。 橋元さん、いつか一人で川越に行ったと言ってましたがどこのうなぎやでした か?
懐かしい横丁 Putin 2004/05/29 (土)今週半ば、出かけたらこんな懐かしい横丁風景を見つけました。 つぎの「梓散歩」はこのあたりにしようかな。
亀ちゃん(リプライその1) Kame 2004/05/21 (金) 23:33亀村通さんの今日(5/21)の一日 昨日、郡山の得意先よりコーン缶詰に「釘」が入っているとの一報を受け、 回収のため8時に車で仙台発(今日は「天花」見られなかった毎日見てるの に)、インター直前で携帯電話を忘れたことに気づきUターン。再度インタ ーに戻り高速に乗ろうとしたら事故で閉鎖中(そのまま高速に乗っていたら 自分が事故にあったということにして気を取り直す)。下道を白石インター まで走りお昼直前に得意先着(通常1.5時間のことろ4時間かかる)。緊張し つつ担当者にあってクレーム品を手渡されたら、異物は「釘」ではなくコー ンの「茎」であった。これは、製造工程上ありうること。担当者いわく「ち ゃんと「くぎ」と言ったのに自分が訛ってたのかなぁ」。いずれにせよそう シリアスな問題でなく一安心。取って返して午後仙台のホテルで得意先の会 合出席。懇親会(宴会)直前に新たに別件でクレーム発生。会場を抜け出して 事務所に戻り処理に追われる。21:30事務所退出。途中スーパーで100円引き のヒレカツなど買い求め22:00自宅着。ただいま食事終了したところ。優雅 なのか何なのか・・・。
亀ちゃん omori 2004/05/21 (金) 07:52亀ちゃん 元気でやってますか。当方、連休(田植えをしました)が明けて以来、土日 も休まず出社は7時過ぎという、地獄の日々を送っています。 さて3丁目の角は、松屋の1回にヴィトンがあって、その向かいがシャネル (工事中)、京橋寄りがカルチェで、残る一角に三共薬局があったのを覚え ているでしょう。2月の閉店後、工事中だったけど、今朝、覆いが取り払わ れていました。MIKIMOTOでした。以上、町内の近況報告まで。 6月になったら一段落するので、カレイを釣りに行きたいなぁー、と夢想し ています。その節は、よろしく。
梓自然保護基金 OJ 2004/05/17 (月) 11:48八甲田寄付 1,375円 梓古典芸能鑑賞会文楽鑑賞後の合評会残金を寄付 1,120円
上野の国博で『空海と高野山』を見る OJ 2004/05/ (木) 10:31あまたの空海・高野山由来の国宝、重文が展示されていたが、運慶はすごい、 快慶は好きだ、につきた。八大童子立像の運慶作のものを同時代の彫刻と並 べてみると、違いは歴然としている。まず顔立ちに惹きつけられてしまう。 ここまでゆるぎない輪郭がどうして取り出せるのかと…。次ぎに、そこから 人間像が立ちあがってくるのだ。仏像をつかまえて人間像はないかもしれな いが、運慶が彫り上げたのは仏像に仮託した人間以外のなにものでもない。 この印象は、以前後藤さんたちと見たアレクサンドロス展で、彼が唯一自分 の彫刻を作らせたというリュシッポスを思い出させる。あの展覧会で何を見 たか憶えていないが、リュシッポスの表現が別格であったことは忘れがたい。 同時代を超えているという点で共通するものがある。我が家の部屋に飾って ある仏像写真は、若い頃奈良の忍辱山円城寺で一目惚れした、運慶の大日如 来像だ。 それに対して、快慶は無条件に好きだ。一瞥して“あっ、いいなあ”と思う と快慶作だった。それも孔雀明王坐像ともう1体あったが、2体ともそうだっ たから、多分、自分の好みなのだろう。 梓では訃報がないが,山楽では 齋藤修 2004/05/12 21:23知らせる必要はないと思っていましたが,写真を整理していたら, 大森・後藤さんは何度か会っている模様。 山楽の「大槻政行」が52歳の若さで他界しました。 私が最も好きだったメンバーです。 なにかこれからの運営もやる気がなくなってきました。 詳細は,山楽hpをご覧ください。 みちのく便り(5)今日の仙台 kame 2004年4月10日 12:02今日朝から先週と同じ青葉の森を散策した写真。 橋元さんのリクエストのセリバオウレン。もう盛りは過ぎて花は開ききっ ていました。林の中の日陰に群生しているのでフラッシュをたいたら花の 白がとんでしまいました。やはり実物を見に来てもらわなければ。イワウ チワは今が盛り、広瀬川沿いの崖沿いに100m以上続くうす桃色の可憐 な群落は見ごたえのあるものでした。カタクリは道すがらそこかしこに群 生しています。これも今が見ごろです。林の中はウグイスをはじめ春を待 ちわびた野鳥のさえずりで賑やかでした。なんと、春の女神といわれるギ フチョウも飛来して僕は感動しました。実を言うとギフチョウの飛翔を見 るのは今日が初めてです。住まいから自転車で10分程度で散策口、そこか ら往復1時間の山歩きでこんな自然に出会えるのです。仙台はすばらしい 街です。 桜はここ2〜3日の暖かさで急速に花を開き、まるで今週末のお花見に間 に合わせるかのように咲きそろってしまいました。我が家から歩いて10分 足らずの西公園には朝から多くの花見客が訪れています。でも面白いのは、 桜の種類が違うのか満開に近い樹もあればまだつぼみのものもあり、又木 蓮や梅が一緒に咲いているのがなんとも不思議な感じです。 セリバオウレン 今が盛りのイワウチワ 2〜3日の暖かさで急速に花を開いた桜 みちのく便り(4)青森出張 kame 2004年4月10日 11:39今週月火と青森に出張した際のの写真です。 岩木山は津軽サービスエリアからの遠景。夕焼けと雲のコントラストが見 事でした。青森では、空き時間があったので三内丸山遺跡に行ってきまし た。太古の人々の暮らしぶりがよくわかるすばらしい遺跡です。遠方の山 は八甲田?帰り道、岩手山の写真をほめられたのでもう一度撮ってしまい ました。これも見飽きない山です。 暮れなずむおいわき山 三内丸山遺跡(右のやぐらの柱はロシアから1本1億円で買ったとか、後藤) 岩手山の雄姿 みちのく便り(また番外編) putin 2004年4月9日福島を旅しました。 白河市郊外の南湖公園、二本松城址を訪ね、福島に泊まって高湯温泉共同 風呂「あったか湯」(250円)に入りました。ここは何時か吾妻縦走の帰 りに入浴した「玉子湯」のすぐ上に一年前に出来た施設です。 翌日は晴れて吾妻連峰が良く見えましたが地元の人に雪うさぎを教わりま した。「三春の瀧さくら」はまだ蕾というのであきらめ、帰途佐野の「三 かも山」によりましたが、山全体が公園になっていて素晴らしいところで すね。カタクリは終わりでカメちゃんの写真のほうがさかりです。 二本松城址公園のすばらしいこぶし 福島市郊外にも春の息吹が・・・ かわいらしい雪うさぎでした(吾妻小富士) みちのく便り(3)・青葉の森の早春の花 Kame 2004年4月3日 18:37僕の住まいの前を流れる広瀬川の向かい側に青葉の森という自然林の散策 コースがあります。青葉城址のほうから連なる低い山並みです。ここに仙 台では珍しいイワウチワの群落があり、見ごろが4月上旬だということを 何かの記事でみかけたので、散歩がてら自転車で行ってみました。イワウ チワは初めて見ましたが、うす桃色のかわいい花で咲きようや葉がイワカ ガミによく似ています。後で調べたらやはりイワカガミの仲間のようでし た。広瀬川沿いの日の当たる崖沿いに寄り添って咲く姿はとても可憐でし た。又、散策道沿いにはカタクリの群落やショウジョウバカマ、それと名 前がわからないが線香花火のような白い小さな花たちの群落もありました。 みんなまだ早いようで来週あたりが見ごろとなりそうです。仙台の桜の開 花予想は4月10日。このあたりでは民家の庭の梅が盛りを過ぎ、コブシや木 蓮がやっと咲き始めたところです。 イワカウチワ(岩団扇) ショウジョウバカマ(猩々袴) イショウジョウバカマ(猩々袴) カタクリ(片栗・別名カタカゴ) セリバオウレン(芹葉黄連) みちのく便り(番外編) putin 2004年3月29日昨年11月に会津を訪ねた折、初雪にあう。磐梯山は猪苗代湖畔「野口英世記念館」の辺りからのもの。 あとは下郷町、旧会津西街道の宿場「大内宿」。 地理的には、天栄村羽鳥湖を西へ118号線が日光街道(会津西街道) と交合うあたりになる。みなでいちど行ってみようよ。
論文 中国人は禿げないのか OJ 2004/03/29 (月) 09:33きょうあたりが窓前の花も全盛かな。 ちっと、桜に酔うたかもしれません。 ------------------------------- 中国人は禿げないのか なぜか漢詩に禿がでてこない。 ざっと思いつくのを挙げても………… 白髪三千丈 愁いによりてかくのごとく長し(李白) 白頭掻けばさらに短く すべてカザシにたえざらんと欲す(杜甫) 艱難はなはだ恨む繁霜の鬢(杜甫) 須臾にして鶴髪 乱れて糸の如し(劉庭芝) 白髪、白頭、繁霜の鬢、鶴髪、みなすべて白髪であって禿ではない。 しゃくにさわるのでパロってみた。 禿頭三千間 楽しみによりてかくのごとく闊し 禿頭掻けばさらに短く カザシもつるりと滑らんと欲す 享楽はなはだ励む禿頭の頂き 須臾にして禿頭 光りて灯火のごとし ふーん、やっぱり白髪にはかなわんか。 で、突如閃いたが、一句ある。 少々にして郷を離れ老大にしてかえる 郷音あらたまるなく鬢毛くだく(賀知章) 年少にして故郷を離れて年取って帰ってきたけどいまだ訛りは抜けず、 鬢毛がくだければなくなるんだから、賀知章は禿げである。 このひとは大酒飲みの詩人で、今でいうと文部次官くらいまでいったひ とだから詩才だけでなく官吏としても優秀だったんだ。そうそう、李白 の詩才を最初に見いだして詩仙と評したのはこのひとだという。能力が あっただけでなく人柄がおおらかだったらしく、杜甫は、「知章の馬に 騎るや舟に乗るに似たり目に花咲き井に落ちて水底に眠る」と詠ってい る。 いつも酔っぱらって馬に乗ってるから舟に乗っているみたいにゆらゆら していて、眼は花が咲いたように赤くて、そのうち井戸に落っこっても そのまま水底で眠っていた 知章の人柄はこの人の次の句でよくわかる。 主人相知らず 偶坐せるは林泉がためなり みだりに酒をかうをおそるるなかれ 嚢中おのずと銭あり かってに他人の家に入り込み、ご主人面識ないけど「なかなかのお庭で んな。銭はどうにでもなるさかい酒こうてきてんか」…ってな意味です ね。 そういえば漢詩の中に金の話がでてくるのも、これくらいかな。賀知章 ってとても個性的だったんだと思う。 ははは、白髪と禿から大分話がそれてしまった。 みちのく便り(2) Kame 2004年3月26日 0:26本日の会津磐梯山。会津若松の気温10度。鶴ヶ城の桜はまだつぼみです
「茅野発アルプス6号16:39」調査報告 putin 2004/03/20 (土) 12:14復刻JRAC会報2号・・・ ***************************************** (OJ)最後の『冬山合宿訓練』の下記の記述は、時系列的に不可能と後 藤さんから指摘されました。 “美濃戸口着16:55。17:10にバス発車。全員16:39茅野発アルプス6号で 帰京した。”これは原本ママで、誤認識ではありません。 調べてみると、70年代後半のアルプス6号の列車編成はマニアが掲載 しているのですが、時刻表は見あたりません。前半が正しいとして、6 号も間違いないとすると、18時乗車ってとこかなと思うのですが?。 ***************************************** (Zenn) 僕のところにもこの会報がありました。 確かに(OCRの)誤認識ではありません、証人になります。やはり18時って ことでしょうね。 ***************************************** (OJ)東京駅の北東側に、JTBの「旅の図書館」があります。 そこで、昭和51年1月の時刻表を調べれば、解決するか? ***************************************** (Putin)「茅野発アルプス6号16:39」調査報告 結論はOJ、善さんの推理のとおり16:39は18:39でした。 急行アルプス6号 南小谷15:09発 松本17:22 茅野18:39 新宿着20:52です。 ---------------------------------------- 昨3月19日東京八重洲口の第2鉄鋼会館にあるJTB旅の図書館 に行きました。 図書館には古い時刻表がすべて収蔵されている訳ではなく、 「復刻版・昭和後期編」(エポックメーキングな事があった時 期のものを4冊収蔵・14,000円 別に戦前編など幾つかあります) というものがありました。偶然僥倖にも日本交通公社時刻表、 昭和50年3月号が入っていました。 ちょうど「同年3月10日山陽新幹線博多開業・湖西線本開業」 があり、定価400円でした。いまの時刻表は税込み1050円。 ちなみに、当時茅野〜新宿970円 急行券300円、 いまは3,260円 急行券1,050円。 みちのく便り Kame 2004/03/17 (水) 20:02昨日(2004/3/18)の八戸の帰り、盛岡北部の高速から撮った岩手山の勇姿です。
(3月30日の会合には)残念ながら参加できません。 八戸の場末のラーメン屋から愛をこめて・・・。 ***************************************** (OJ)ふむ。ということは、ラーメン屋でノートパソコンを開いて、梓 の掲示を見て、投稿したわけだ………… ***************************************** 泊まったホテルがひどくて、部屋からメールチェックできなかったため、 やむなくパソコン持参で夕飯を食いに行ったわけです。おまけに夕べ八 戸は雨だったので、ホテル近くのラーメン屋に飛び込んだのでした。 八戸の国道沿いのマックにてソーセージマフィンを頬張りながら・・・・・・。 ***************************************** (OJ)“八戸の国道沿い”なんて聞いただけで、うらわびしい雰囲気が ひたひたと押し寄せてくるね。まして、マックのマフィンなんてきくと なおさら。まあ、めげずに頑張ってヤ! ***************************************** なんの、めげてなんかいるもんですか。エンジョイしてますよ! ところで、東京は本日開花宣言だそうですが、らくだ坂は如何でしょう。 今日、八戸から仙台まで350Kmひた走りに戻ってきましたが、八戸周辺の 山里はいまだ雪景色、道中時折小雪も舞っておりました。青森放送によれ ば、弘前の桜は例年より10日も早く4月20日には開花の予想とか・・・・。 ***************************************** (OJ)昨日、友人の追悼観梅の会で、1日家を空けてしまったのでなんと もいえないけど、今はちらほら見えるから、今日当たりがらくだ坂は開花 かな。(3/19) 幸い桜の伐採は、奥の方の一部だけで済むようで、我が家の前の部分は、 ほとんど手つかずで残っています。 以前は連休がちょうど弘前の満開時分で、八甲田から毎年のように出かけ たもんでしたが、最近は連休だとソメイヨシノは終わって、八重桜が満開 ってことがおおくなったね。 JRAC会報第2号 復刻版 OJ 2004/03/11 (木) 11:33兎の第2号会報をOCRで読んで、Wordに入力して、それをPDFへ書き出 してみました。 はじめは梓関係だけをと思っていたのですが、やっているうちに電子化し ておけば、なにかと便利かと…こちらから ざっと読み直してはいますが、まだ誤認識等残っていると思います。 気付いたら連絡お願いします。 兎の会報はことあと続いたのかな? ねえ齊藤君。 それとこの時期に、OJが書いて、なんと齊藤君が浄書したという長編 『剱』があるんですが、もちろんワープロなんてないころだから手書きね。 なんと400字詰め原稿用紙に50枚。書いたのもアホやけど、浄書した ほうも相当なもんだね(ゴメン!)。これを打ち直すかどうか、悩んでい るところ。
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