北アルプス・餓鬼岳(その1) 梓との久々の山歩き 

斎 藤 修     '01/08/23



リーダー:鈴木善三
中村貞子・橋元武雄・齋藤修 4名。

8月10日(金)
東京駅に無事集合、登山口へ
 出発の朝まで南浦和の集合とばかり思いこんでいた齋藤が、東京集合に気がついたのは昼食を摂っていたときである。中村さんの心配をよそに、橋元さんが調整をはかってくれていた。19時30分。駅にはすでに鈴木さんが到着していた。みていると運転する意欲を感じる。
のどが渇いていたので一気にビールを500ml飲み干す。後は、鈴木さんに任せるのみ。
 中央道を順調に進むも、時おり雨がフロントガラスに当たっている。天候が思わしくないことは解っているが余りよい気分ではない。途中から橋元さんが運転を代わり豊科でおりる。オリンピックのおかげで整備された国道を北へあがる。穂高・信濃松川をすぎ、善さんの指示通り「沓掛」の信号から登山口を目指す。闇夜の里道、2万5千分の1を拡大した
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地図で確認するが、私以外細かな所は見えにくい状況、地図もみているといらいらしてくる。
 勘を頼りに道を探る。広い道にでたので進む。今度は穂高方面に向かい始めた。何度か考えながら、信濃常磐駅からのびる道にどうにかたどり着くまで1時間弱を費やした。どうやらこの迷走で運転手(橋元)が車酔い状態。どうやら駐車スペースを発見したのは12時をまわったいた。
 宴会担当者はテント設営と同時に横になったまま。中村さんが代行し宴席ができあがる。いつもにまして、非常においしそうな刺身が準備されていた。7品以上の品揃え、どうにか元気を取り戻した橋元氏を加え、前夜祭は遂行できた。

8月11日(土)
長い登りの始まり、渡渉は無いが橋が多く架けられている。


 6時やや遅れて、朝食の準備を始め
る。早起きの善さんが紅茶をわかす。昨夜遅く着き、寝付いていたグループはすでに出発しようとしている。本来、齋藤が中房温泉まで車を移送する予定でいたが、天候も悪いので同一行動をすることになった。7時45分いよいよ準備完了、出発。


 大森さんがいないので、齋藤が先導する。どうも「山楽」(注:斎藤主宰:山を楽しむ会)の歩き方と勝手が違う。模索しながらの歩きが続く。1キロ程度林道が続くが、その後は沢沿いの登山道になる。白沢沿いにつけられている道は忠実に沢沿いを歩く。所々簡易な橋が渡されている。
 紅葉の滝あたりは広い場所があり、休憩には最適な場所である。先行パーティーが多くいたので、我々は少し先の枝沢で休息を取る。
@「赤い服を着た単独行のおばさん」:紅葉の滝手前の崖で休息を取っている。どうも単独行。今後何度か行き交うが、
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何を楽しみに登られているのか・・。
A「無愛想な中年男性」:支流の休憩場所で最初に出会う。何もはなさずこちら側から声をかけても反応はない。
このような単独行を観察しながら登路の楽しみを見いだす。


 最初のうちは沢沿いの変化のある道が続いたが、魚止の滝をすぎたあたりから傾斜が増し始める。加えて、単調な登りの始まりである。相変わらず善さんは楽観的、すぐに大凪山だと言ってきかない。地図上ではまだまだである。最新鋭の高度計時計も100m程度の誤差がでて
いる。最後の水場まで2時間弱(行程4時間)、あとは登りを我慢するしかない。樹林帯の登山道が鬱陶しい。時々開けたところに花が咲いている。橋元さんは多くの花があるというが、相変わらず私には識別できない。
とても飽きがくる長い登り。
 何で同じような道が続くのであろうか、まして適度を越える傾斜がある。天候の優れないこともあるが展望も無い。自然林の中を歩いてはいるものの際立った場所もない。久しぶりに背負う荷も肩に食い込んでくる。水を買うのが悔しく背負うが、急に重く感じてきている。途中からトラバースするようになり沢沿いの登路に変わる。後ろから休憩したそうな雰囲気を感じる。多少明るいので沢沿いの一角で休憩する。
 どうも善さん所有の地図と登山道が違う。確認するとだいぶ古い地図、今は廃道になった道が記載されている。これでは話が食い違うはず。でも読図もあまり的確ではない。中村さんから梨などのフルーツが振る舞われる、実においしい。橋元・鈴木・齋藤では、飴や果物など持参するはずが無い。姫からの差し入れが鋭気を復活させてくれる。赤服のおばさんが今度は若い単独行を捕まえて一緒に休憩している。
 あと一本で大凪山に着けるはずである。しばらく歩くと稜線にでる。多少緩やかになるものの登りには変わりはない。このあたりから私が先行して進むようになる。状況がはっきりしないので、
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致し方ない。すぐに着けると思われていた山頂も意外と遠い。蛇行する道を何度も繰りかえす。
何だ、これが山頂。
 どうにかついた「大凪山」は、標識がなければただの道のような場所。先行する登山者がいたのでどうにか山頂の威厳は保っているものの、単なる曲がり角である。とにかく2000mは越えた。遅れている3名を待ちながら地図で確認する。最終水場が1500mだから500mは稼いでいる、どうして登りがいがあるはずである。


 到着すれば、記録撮影。登りに任せ満足な撮影もしていない。2/3は来たはずなのに、まだまだ続く道。
 大凪山からは適度のアップダウンが続く。先ほどまでの急登は姿を消し、自然林の中を歩くよう道がつけられている。なだらかな稜線を左右に巻くように付けられた道は、距離を稼ぐことができる。天気が良ければこもれ日が差込むなかな
かの登路であると思われる。今日は雲が厚く、すでに冷たい物も落ち始めている。
 2ピッチ程汗を流せば「百曲り」にたどり着ける。だいぶ天候が荒れてきているので、速度を増したいがそれぞれ相応の重荷を背負っている。加速は出来ない。途中雨仕度をととのえて、最後の登りにチャレンジし始める。どのくらいの急登かと思えば、さほどではない(大凪山までの方が手強い)。花も咲く蛇行路といった方が的確である。雨足も弱くなり気持ちが和らぐ。
こんな所にも・・「ウグイス」。
 トンボがかなりの高度まで、あがっていることは良く感じる。今日はウグイスが、間近で鳴いている。地鳴きであるが潤いを与えてくれる。私以外植物には堪能、見つけだしては確認している。花はともかく「クロマメノキ」になる実(ブルーベーリーのような物)がふんだんについている。むさぼるように食べると非常に美味しい。のどの渇きを癒すと共に元気を与えてくれる。
 植生が変わり、低木になり始めたところで「餓鬼岳小屋・10分」の看板、最後の力を振り絞る。天候は悪いが4人で4リットル程度の飲料水をすでに消化している。橋元さんたるや、頭にかく汗がすぐに額に落ちる(山で植生・樹木が如何に大切かを示してくれている)ので、タオルが絞れるほどびしょびしょである。大きな荷物(重量は定かではない)の中村さんもいまいち調子が出ていない。
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 気合いを入れてみるも意外と距離がある。なだらかな道ではあるがだいぶ歩かされている。我々が遅いとは思えない。赤い屋根の一部を見るまで、20分弱は経過していた。幸いなことに雨は弱くなっている。
こんな所がテント指定地。
 情報では5張りとなっている天場に着く。すでに4張り張られている。計算上はもう一張り張れる。しかし、どの場所を選んでも5人用のテントには狭い。まして傾斜している。さんざん吟味、転地(少し先に裸地がある)も考えたうえ、どうにか張れそうな場所(傾きには目をつむる)を整地し張り終える。
 先ずは到着祝い、まだ冷えの残るビールで乾杯する。やはり美味しい。体に水分が吸収されいく。中村さんにテント内の整備を頼み、最後の整理をしながらテントが完成する。その時雨はやんでいる。
献立は、善さん。調達は橋元さん。
 今回は参加もどうなるものか直前まで自信がなかったので、共同装備をお三方にお任せした。最後で中村・善さんも忙しくなり、調達は橋元さんに委ねられたようである。夕飯のメニューは中村、朝食は善さん。
 こんばんは麻婆なす、梓にしては珍しいメニュー。食材の刻みは橋元さんがかって出る。先ずは「枝豆」。今回も由緒正しい豆らしい。茹で加減を中村さんに委ね数分茹でる。歯ごたえのある枝豆が天然塩と実に合う。ミネラルを感じなが
ら枝豆を味わう。
 続いては「麻婆なす」。肉も別にブロックで持ち上げられている。トウバンヂャンで味付けされ保存されている。よく見れば美味しそうな固まり、お願いして焼き肉にする。ぶつ切りになった肉をテント内で炒める。ものすごく臭い。即座に外での調理に変更。しかし、脂ののった肉が非常に美味。ビール・日本酒に合う。

7月12日(日) 曇り時々雨
「唐沢岳」断念。善さんは行きたそう。
 昨晩も不安定な天気が続いた。気圧が安定していないせいであろうか、どうも雲が多い。夜中には雨音もしていた。起きてみても変化はない。5時過ぎに起きた善さんは帰ってこない。近辺を散策していた様である。天候の回復を祈り(鈴木・齋藤のみ、橋元・中村はすでに停滞を決めている模様)、朝食(餅入りラーメン)の準備をし始める。
 善さんが執拗に誘うが、「唐沢岳」までの道のりは遠くすぐには賛同が得られない。
山頂に行きたそうな「善さん」。動かない、2名。
 そういえば今回のリーダー(企画者)は善さん。餓鬼岳は初めてであるようだ。大好物のビールもそこそこに腰が浮いている。展望はないが山頂を確認したいらしい。小屋から5分強だからテント場からも10分はかからないはず。
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 我慢できず、行動を起こし始めた。こうなれば付き合うのが義理というもの。カメラを手に「善さん・・・」、もう居ない。すでに見切りをつけ歩き出したようである。「コマクサ」の写真を取りたいと言っていた。たぶん山頂から唐沢岳よりまで足を延ばすのだろう。そこまではつきあえない(酔い始めている)。トイレを兼ね後を追う。「コマクサ」は無い、視界がない、善さんも居ない。
 用をたし、のんびりと山頂を目指す。本当に一息で着くことができる。山頂には祠と標柱が立っている。多少の展望がある。しかし、善さんは居ない。唐沢岳方面に目をやれば、小さな人影が動いている。あんなところまで行っている,まあいいや。
 遠くから「ホーホー」のコール。無事写真に収めたのだろう。5分ほど待てば帰ってきた。山頂で善さんとのツーショット。良く聞けばコマクサがなかったという。先ほど山頂横に保護されるように咲いていた「コマクサ」を紹介する。知らないという。地図上のコマクサしか頭になかったらしい。盛りは過ぎているがコマクサが数株咲いている。
引き立て役は必要。
 4人ほどの女性が登ってきた。その中のかわいい女性(年の頃30強)。他の3人が鑑賞に堪えない50代なので、非常に目立つ。えくぼも可愛いすてきな声の女性が「お急ぎですか」と声をかけてきた。当然こちらは急いでいない。「こんな所で人目もありますから・・」などと
勝手にシナリオを書いていれば、やはり写真を撮ってほしいと言うことらしい。折角なので彼女一人のアップも撮って置いた。 3人は山慣れしているようであるが、姫の引き立て役には打ってつけの人材である。再び小屋で出合う。また頼まれるので撮影をしてあげた。善さんは気軽に話しかけている。どうやら上高地から来たらしい。これから下山するようであるからなかなかのもの。姫の無事だけを願い別れる。
後はなすがまま、なされるままの世界へ。
 戻れば、橋元・中村さんは完全に停滞モード。横になっている。まだ朝である。幸いなのは、酒が十分に余っていることである。そうなれば、徐々に宴会モードに切り替わる。まだ唐沢岳に未練があるのは善さんだけのようである。飲んだら終わりとクロマメノ木の実を集めている。
 10時過ぎやんでいた雨が再び降り始める。薄くなりつつあった雲も厚くなり  
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始めた。テント場も我々だけ。善さんも完全に諦めたようである。先ずはテントの移動を遂行。条件の良い場所に移動する。会場も整備されれば開始である。あるものを駆使し、ロングランの宴会が始まった。
ビールを持ち上げた方が得策。
 明るいうちはビールがはかどる。知らないうちに今日の分が空いている。中村さんがトイレ(小屋にある)に行くというので購入をお願いする。「2本・・」の声が4本・6本となっていく。あきれ顔の淑女は返事をしないまま旅立つ。何せ会計(特に酒豪でもない)の中村さんの管理は厳しい。残された3人はさて何本買ってくるか興味が移っている。
 なんと6本購入してきた、素晴らしい。だが、350ccが500円。3000円であれば水が30L(小屋で1L100円)は買える。自動車に残してきた6本が悔やまれる。水を持ち上げずビールを持ち上げた方が5倍の効率だった。目先の欲にかられたことを悔やむものの後の祭り。
12皿分のカレーライス。
 荷物を整理していた時とにかく大きな
カレーのルーがあった。聞いてみると今日の夕食用である。どう見ても10人前以上。中村さんが時間にまかせ、昼過ぎから調理を開始する。具はタマネギとピーマン,肉しかない。いたってシンプルである。職人の腕に頼らざる得ない。丁寧な調理の後ルーが入れられる。とろみを出すため工夫していると1箱入ってしまった。大コッヘル一杯分になっている。夜まで寝かしてうまみを出すことにする。夜半過ぎに食べたが量が多い事は当たり前、残すわけに行かないので一生懸命食べたのはいうまでもない。しかし、この食べ過ぎが原因で、中村・鈴木さんがお腹の調子を崩したようである。
満点の星空、雨・・、とにかく忙しい天候。
 暗くなって外に出た橋元さんが、星が綺麗に出ているという。やっと明日は日が浴びられ素晴らしい展望を見られる。その安堵感もテントに落ちる雨音で崩される。確かに気圧配置は安定していない。でも最終日は晴れたい。我々が占有していたテント場も満杯状態。夜半過ぎには、様々な音が聞こえてくる。
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