北アルプス最奥の沢

−−「黒部川・上の廊下」遡行詳報 斎藤 (編集・校正:大森)

Mon, 6 Sep 1999 19:17:40


 以前より温めてきた山行が、大森さんの提案で実現の運びとなった。半年ほど前から
意向を打診され、大森さん、鈴木さんと私の3名が最低限のメンバーに想定されていた。
必ず日程を空けておくことを約束に、夏を迎えた。
 8月11日(水)、運よく予約できた「扇沢直通バス」に乗車すべく、東京都庁横の大型
駐車場に集まる。大森・鈴木さんは私よりも若干早く来ていたらしく、すでに待ってい
た。ところが別部隊で参加の橋元・中村さんがいない。メールで確認は済んでいるので、
どうしたのだろうと近辺を探す。善(鈴木)さんはあたりを行ったり来たりしながら、そ
れらしい2人連れを見ると「来た来た」と決めつける。結局、両名がついたのは出発間
際。顔色がいいので聞いてみると、2人で出発の宴を張っていたらしい。まあ無事に揃
ったのだから、よしとしよう。バスは途中何度か休憩を入れながら、黒部アルペンルー
トの出発点、扇沢をめざす。車内で善さん手配のビールを飲み、明日に備えて仮眠を取
る。


8月12日(木)  晴れのち曇り、夕方より雨。夜半過ぎから大雨

  扇沢バスターミナル

 午前5時過ぎに扇沢に到着。白馬まで行く数人を除き、ほとんどの人が下車する。あ
たりは明るくなっているものの、まだ施設はシャッターで閉ざされたままだ。要領がわ
からないでいると、切符売り場の近辺に列ができている。すかさず並ぶ。大森さんの情
報だと6時30分の臨時があるはずだったが、明日からの運行らしい。やがてバスやタク
シーが続々と到着し、あたりがあわただしくなる。余裕の橋元さんはシュラフカバーを
出し、仮眠状態。中村さんも追随する。6時ごろ、職員が出てきて待ち列を整理し、
「本日7時に臨時便を出す」との説明。そこは要領のいい梓グループ、善さんと大森さ
んが先に改札口に並んで陣取りし、私が切符を購入して追いつく。
 ここでまたもや両名がいない。開いたばかりのレストハウスで朝食をとっているとい
う。心配した大森さんが様子をうかがいに行くと、まだ注文の品が出てこないらしい。
だいぶ待たされているようだ。中村さんによれば、橋元さんはキレる一歩手前だったと
か(橋元さんといえば、普段はとても温厚な人なのに……)。ともあれ、どうにか食事に
ありつき、無事合流。

平坦なはずの道が、かなりのアップダウン

 大勢いた人々は、7時の臨時便のバス7台に吸い込まれた。われわれは手配が早かっ
たので、首尾よく座席を確保できた。私は最前列に座っていた女性の隣に陣取る。とこ
ろがこの女性、太い足を組んで私の方に突き出してくる。視線で注意しても、少しも動
じない。顔を見ると……日ごろの憂さを晴らしているのかもしれない。トロリーバスは
後立山の主脈を貫くトンネルを抜け、一気に黒部湖まで運んでくれた。山越えで行けば
2日かがりのところを十数分で移動してくれるのだから、1260円は決して高くはな
い。
 人混みを避け、黒部ダムの上を横切る。このあたりまでは、まだ圧倒的に観光客の世
界だ。小さなトンネルをくぐり抜けた広い場所で、身支度を整える。どうも大森さんの
荷物が大きい。だいぶ分けてもらったつもりだが、まだザックの頭がひときわ高く突き
でている。私も善さんも60リットルのザック、これ以上は入らない。90リットルの
ザックに敬意を表し、背負っていただくことにした。
  ここから平の渡し(大森註・「平」はかつて「だいら」と呼ばれていたらしい。冠松
次郎の著作なども、そう読ませている)までは、湖畔沿いのなだらかな道を行く。すぐ
に「ロッヂくろよん」を見送ると、登山道らしい幅になる。沿道には花も咲き、植物博
士・橋元さんの蘊蓄をうかがう。湖畔の水面線が常水面よりかなり低い。上の廊下の徒
渉が多少楽になるだろうと、そんな都合のいいことばかり考えているものだから、しっ
ぺ返しがきた。ところどころ土砂崩れのために登山道が崩落しており、アップダウンを
強いられる。このあたりの補修は、崩落個所があれば、その上部に登りまた下るという
原則で貫かれているようだ。小規模なもので8カ所、大規模なもので2カ所、このよう
な補修個所があり、最大50mほどの登り返しである。



 意外と手ごわい道に閉口しながら、2時間強の歩行を終えたころ、中ノ沢に出る。か
なりの流れで、途中にも枝沢があったが、ここが最も大きい。大切に持参したバナナを
大森さんからもらい、一息つく。時計を見れば、11時を回っている。とにかく12時
までに「平の渡し」につかないと、本日の行程が苦しくなる。気を抜かぬよう頑張るが、
もう少しだと思うと足が重い。
 湖畔を回り込むようにつけられた道をたどり、観光船(黒部湖には45分程度で回遊
する観光船が、ダムから平の渡し付近まで往復している。乗せてくれればこの3時間は
省略できるのだが、途中下船はできない)の音が聞こえはじめると、ほどなく登山道か
らかなり下に船着き場が見えてきた。
 船が出るまで30分近く、のどはカラカラで、ビールの誘惑が強烈に襲ってくる。計
画ではロング缶5本のはずだが、橋元さんが配慮して10本も担ぎ上げており、加えて
私が4本抱えている。当然、ここで冷やそうということになる。水温は低いから10分
もあればどうにかなると思い、船着き場近くの湖水に沈める(ほかの山屋の視線を感じ
ながら、優越感にひたる)。乗船10分前、引き上げてここまでの無事に乾杯。あまり
冷えていないが、結構おいしい。
 平の小屋から船頭(といっても若い)が現れ、客の頭数をかぞえている。すかさず何便
出す(定員は12名となっている)のかと尋ねると、2便出すという。どうやら私たちが
境目らしい。すると後から並んでいた輩がどんどん抜いて行くではないか。都会の性癖
を捨てきれない、無礼な山屋どもである。淑女・紳士は、こういうとき割を食う。前の
方で止められたが、同じ仲間だと主張し、なんとか第1便の乗船を確保できた。

  渡船上にて

  頼りないほど小さな渡し船は穏やかな湖面を懸命(20人近く乗っているので重そう)
に走り、対岸に着く。途中で乗船名簿が回ってきたが、行き先はほぼ全員「上の廊下」
になっていた。こんなに行くのかと、多少不快な気分になる。下船すると他のメンバー
は早い。あっという間に急な階段を登り、登山道に消えていく。残されたわが梓は、体
が重くゆったりとしたスタート。ここまでくれば、奥黒部ヒュッテまであせることはな
い。

奥黒部湖を望む

  地図で見ると、等高線・河床に沿ったなだらかな傾斜路である。大森さんと一緒に後
を追う。ところが追いつかない。どうやら善さんが先頭で頑張っているらしい。さっき
まで不調だった中村さんも、ぴったりついているようだ。なかなか良いペース。ビール
の効果が出できたのだろうか。じきにバテることを期待しながら追いかけていくが、こ
の道も崩落個所が多い。再びアップダウンが始まった。未整備のところも多く、先ほど
より悪い。以前、大森さんと橋元さんは歩いているというのだが、こんな記憶はないら
しい。天気もなんだか下り坂、冷たいものも降りだしてきた。
 こうなると、軽量化をはかりたくなる。水場のある休憩ごとに、大量に持ち込んだビ
ールが1本、2本と減っていく。そのうち大森さんはあきれたらしく、口もつけなくな
ってきた。雨足が強まるとともに河原が広くなり、水量を測る自動測定器のアンテナを
通過する。根元にはテントが張ってある。どうやら、釣り人のようだ。再び河原に出る
と、大きな沢沿いの道になる。東沢である。以前訪れた大森さんの記憶だと、長いが特
におもしろい沢ではないらしい。歩く酒蔵・金谷氏も踏破しているらしい。
 東沢の橋を渡るころには、雨は本降りとなっていた。すぐに奥黒部ヒュッテ前のテン
ト場につく。撮影のため遅れて追いつくと、橋元さんと善さんが手持ちぶさたで雨宿り
している。こういう場合、すぐに天場を確保し、行動するものだが……。どうやら天気
の状況を判断した大森さんが、小屋に素泊まりを打診しているらしい。寝具付き素泊ま
りで5000円強と決して安くはないが、今宵の宴の重要性と明日の行動を考えて小屋
泊まりとする。

恒例の「茹で牛」は、かつてない美味

 10畳ほどの部屋に通された。濡れているものを整理し、早速、宴席の支度を整える。
自炊場はないが、5時ごろまでなら食堂を使っていいという。外には快適なベンチがあ
るのだが、雨水が飛び跳ねていて、とても出で行ける状態ではない。例によって中村さ
んは休息タイム、ひとり部屋で眠りにはいる。われわれはビールを冷やし、本日の無事
終了に乾杯。まだ8本もある。日本酒も、2.5リットルほどの「大山」がドンと鎮座
ましましている。
  湯が沸き、枝豆を茹でる。多少出来が悪いというが、生の枝豆は風味も歯ごたえもま
ったく違う。続いて恒例、橋元さん得意の「みそ漬け牛肉のボイル」。調理前から「今
日の肉はいいぞ」と言っていただけに、霜降りのすばらしいものであった。浸かり具合
もいいし、非常に美味。とろけるような口当たりに、ビールが見る見る空いていく。こ
れ以上お腹にたまると後が大変と日本酒に切り替え、宴は続く。山盛りのサラダ(大森
さんの要請でつぶさないように運ばれてきたレタス・トマト・キュウリ等)が、彩りを
添える。途中から中村さんが復活してビールでの乾杯が再現され、あれほどあった酒が、
どんどん減っていく。
 やがて、雨が上がりはじめた。晴れたわけではないが、外もまだ明るい。食堂を追い
出される前に外のテーブルに移動し、自然の中での宴席に変わる。ツマミも少なくなり、
あたりが暗くなりはじめたころ、雨が再び降りだしてきた。食堂の方を見ると、夕食も
終わった模様。聞いてみると、また使ってもよいという。何というグッドタイミング。
早々に移動し、夕食の仕上げの温麺づくりにとりかかった。このあたりから善さんがお
となしくなり、例によって椅子に座ったままで居眠りを始めた。こうなると動かなくな
る。
 気がつくと、大ペットボトルの酒が残り少なくなっており、ビールも3本しか残って
いない。話しの種も尽きたのか、誰からとはなしに部屋に移動していく。この間、私も
記憶が定かではない。いつのまにか部屋に客が2人増え、なにやら偏屈そうな初老の男
と、どういう訳かテントからはみ出したという中年(上の廊下をめざすらしい)が相部
屋になっている。そのジジイが堂々と部屋の真ん中に布団を敷くものだから、レイアウ
トができない。どうにか隅に寄せたが、中年の客の雨具の始末が悪いと、くどくどと何
度も繰り返す。社会にいづらくなり、盆休み山に身を寄せているようなタイプだ。
  大森さんが、お風呂が気持ちいいから入ってこいと言う。言われるままに風呂に行き、
ざっと汗を流した。帰ってくると布団が敷いてあり、もうみんな寝ている。私にあてが
われたスペースは、大森さんと中村さんの間。中村さんに何かしてはいけないと、緊張
した夜を過ごした。


8月13日(金)   曇りのち雨。夕方曇り、夜ふけて雨。

読売新道隊出発

 心配された天気も、読売新道隊(橋元・中村)を見送った後は快方に向かった。小屋の
窓から、わずかに青空も拝める。こうなれば行くしかない。いよいよ念願の「上の廊下」
である。気持ちの整理と荷物の整理を同時に行いながら、意識を高めていく。同室の中
年も出るらしく、荷物をまとめている。偏屈ジジイは、濡れきった靴に保革油を塗って
いた(本当に、訳のわからないヤツ)。
 7時前、出発。3人とも、新調の「フェルト靴」である。まして大森・鈴木さんのも
のは、今はやりの高級渓流靴。驚異的な力を発揮するにちがいない。テントサイトの横
から東沢寄りに、踏み跡をたどる。足のそろった先行パーティー3人(女2・男1)を追
いかけるように、本流をめざす。まずは東沢に出て、支尾根を回り込むようにして本流。
ここから、いきなり徒渉である。




突如、2人が意図せぬ「泳ぎ」に直面

 東沢の出合あたりで、川幅が広くなっている。深くはないが、流れは速そう。まだ沢
に慣れていない足元は、きわめて不安定だ。ドボンという嫌な音とともに、善さんがひ
っくり返った。ザックにのっかるように、仰向けで流れていく。一生懸命足をつこうと
している姿が確認できる。浅いから大丈夫だろうと前を見ると、こんどは大森さんの体
がじわじわと横向きになっている。ついに、こらえきれず流されていった。顔が水に浸
かっているのでやや心配したが、ザックが大きいせいか流れの途中で止まった。共に1
5〜20mは流されていたように思う。最後尾の私がだいぶ前の方にいる。
  こうして、この一件はことなきを得たが、以後、徒渉にはきわめて慎重になった。初
っ端に流されたのは、むしろ不幸中の幸いである。もっとも、2人とも流されながら、
体のあちこちを石にぶつけたらしいが……(大森註・年相応に、もっと軽量化に努める
べきでした。奥黒部ヒュッテと薬師沢小屋を利用し、沢は幕営1回で抜ける方法もあっ
たと思われます)。
  その後は、かなり単調な河原歩きが続き、膝から腰程度の徒渉を繰り返しながら進む。
右岸に細い筋を引いてきれいに落ちる「二条の滝」を見送るころには、渓流歩きにも慣
れてきた。前方に大きな尾根があり、これを右に回り込めば、第1の難所「下の黒ビン
ガ」は近い。
 左岸に黒い大きな岩壁が見えてくると、両側からガレ場が迫ってくる。いよいよ上の
廊下・核心部に突入だ。今まで横に広がっていた流れが狭められているので、水の勢い
はすさまじい。ここで、きのう黒部湖から抜きつ抜かれつを演じている単独行に追いつ
かれた。黒部湖からストックを両手に持ち、リズミカルに歩いていた人物だ。なぜ渓流
にストックかと疑問を感じていたが、われわれも何度かの徒渉でわかった。体を支える
のに、きわめて有効なのだ。大森さんはすでに、手頃な倒木を拾って杖に使用している。
いつの間にか、善さんも同じスタイルになっていた。

急流の徒渉は体重勝負?

  流れは速いものの、慎重に渡れば大きな困難はない。大森さんも立ち直り、快調にト
ップをきっている。途中で善さんを抜いたとき「ザイル……」という声を聞いたようだ
が、何のことだかわからず、対岸まで行き着いてしまった。振り向くと、善さんが沢の
中で止まり、手を振っている。本当にザイルが欲しかったらしい。対岸から、ザイルを
投げる。3度目で成功。もやい結び(善さんはまだ、ゼルブストをしていない)で固定し、
慎重に渡る。途中、やはり流されている。軽量というハンデは、かなりのもののようだ。
最近太ってきている自分の体に感謝する。

下の黒ビンガの威容



 いよいよ、下の黒ビンガ上部の深みに到達。いろいろなガイドブックでは、泳いでい
るパーティーが多いようだが、どうにか渡れそうである。しかし、流れは速いだけでな
く、腰以上の深さは覚悟しなければならない。大森さんがルートを探るが、ここぞとい
う個所がない。試しに入っていったが、滝壺ぎりぎりまで流された。そこでかろうじて
止まっているものの、流れに背を向けじわじわ動いている。杖をつかんで、どうにか救
出完了。
 こうなれば私の出番。ここは、思い切る以外にない。念のためザイルをつけ、トップ
で行く。流れが急で体全体に水圧を感じるものの、何とか胸までの徒渉で済ますことが
できた。続いて渡った大森さんが、岸で単独行の青年と話している。昨年も同じ時期に
来ていて、上の黒ビンガで引き返したらしい。彼もずぶ濡れで、シャツを乾かしている。
この難関をすぎると、しばらくは気持ちのよい沢歩きが続く。
 口元のタル沢の出合では、対岸の沢に雪渓が残り、北アルプスの最深部にいるという
実感が湧いてきた。雪渓から流れ落ちる清流は、とても気持ちがよい。向こうで2人が
躊躇しているので近づいてみると、杖で流れの深さを調べている。ここを溯るのは、と
ても無理だ。なんとか対岸に徒渉し、水際を攻めた方がよいようである。黒部の徒渉は、
深さだけではなく川底の状態にもだいぶ左右される。このあたりは川底に凹凸があり、
足場が悪い。少しでも滑れば持っていかれる。案の定、この上部で大森さんが虎の子の
「杖」を折り、バランスを失って流されてしまった。
 追いかけてきた単独行の青年が、先ほどわれわれが避けた深みにチャレンジを始めた。
やはり全身が沈み、ザックが浮いて流れに飲み込まれている。こうなれば、ストックが
あっても何の役にも立たない。岩にしがみつき、やっとどうにかなったらしい。すれ違
いざまに聞くと、無謀でしたと反省していた。このゴルジュを抜ければ、ゴーロに変わ
る。最初は険しいが、次第になだらかになり、前方に薬師岳が望めようになると、広大
な河原(旧黒五跡)に到達する。ザックを下ろしながら善さんに聞くと、以前は大きな自
然湖だったらしい。岸辺にその片鱗が、層となって残っている。昼食を兼ねた大休止と
する。
 スゴ沢からは、豪快に水が流れ出ていた。穏やかな河原とも、このあたりからお別れ
である。再び岸が切り立ってきた。ところどころゴルジュが深くなっており、水際を責
めて逃げ切る。青緑色の水をたたえた深い流れが、すごい圧力で押してくる。慎重かつ
大胆な駆け引きが必要である。ルートファインディングは、ふつう岩場で発揮されるも
のだが、上の廊下の場合、水量・水圧と川底の状況判断が決め手のようだ。
 大森さんがだいぶ勘をとり戻したようで、快適に進路をとって行く。善さんは、軽量
と身長の差が少なからぬハンデとなっているようだ。上の黒ビンガは、並外れて危険な
場所や徒渉不能の個所はない。しかし、流れはすこぶる速い。頼りの杖を失った大森さ
んの体が、危うく反転しそうになっている。この下の滝壺はかなり深そうだったので、
多少心配した。
 小さな河原を織りまぜながら繰り返しゴルジュが現れ、そのつど徒渉個所の判断をせ
まられる。左手の花崗岩(水質のせいか茶色になっている)の大きな岩に、幅広い滝が懸
かっている。おそらく「20mの滝」であろう。ここを過ぎるあたりで、朝方から差し
ていた陽の光も絶えた。天気は、急速に悪化しているようだ。しだいに川幅が狭まり、
左岸にまた滝が現れた。「苔むした滝」と名付けられているようだが、確かに滝の割れ
目に几帳面に苔が生えている。続いて数カ所のゴルジュ帯を抜けると、上の黒ビンガも
終わりになる。



イワナは、われらを見放した
 
 左岸に岩場を残しながら川幅が急激に広まり、広大なゴーロに変わる。右前方に、膨
大な土砂を押し出している大きな沢が見えてきた。おそらく「金作谷」であろう(大森
註・「大正12年、宮本金作さんを案内頭にして今西くんとともに、薬師岳のカールの
1つを黒部の本流へ下ったことがある。そのとき、その谷を金作谷と名づけた」と、西
堀栄三郎が書いている)。そうなると、ここは予定していた幕営地だ。しかし、まだ1
3時前で、ほかに誰も張っていない。かといって、これ以上行程を稼いでも、あまり意
味がない。砂地で絶好の天場があるし、すぐ近くには清水も湧いている。天気も何やら
怪しい。ここで本日終了と、リーダーが決断。当然、従う。
 念のため、もっといい場所はないかと先の方を見に行った善さんが流木を抱えて戻っ
てくると、まずは乾杯。けさ橋元さんから譲渡された「虎の子ビール」は、到着ととも
に冷やしてある。うま〜い。一瞬、雨が強く降りだすが、ほどなくやむ。
 食事の支度を大森・鈴木さんにまかせ、私はイワナ釣りに出かけることにした。小さ
なよどみや滝壺は、いくつもある。餌を付けて投げ込めば釣れるであろうと、安易な考
え。むかし双六谷で簡単に尺物を釣り上げてしまったので、そのイメージから抜け出せ
ない。ところが、場所を替え、餌を替えながらトライするが、当たりすらない。今回は
後藤さんの勧めで餌にイクラも用意したが、効果なし。金作谷出合からかなり登ったと
ころまで頑張ってみるが、手応えがない。ここで帰っては、「尺物を最低3匹」との言
いつけに背くことになる。元来、釣りはすぐに飽きてしまう方で、入れ食いでないと困
る。
 16時までねばろうと、祈りを込め糸を垂らしていると、善さんが少し足元をふらつ
かせながら歩いてきた。もう待ちくたびれてしまって、本格的な宴会を開始したいとい
う。責任逃れのため、少しのあいだ善さんに竿を貸し、釣ってもらう。やはり釣れない。
これで、2人の連帯責任ということになる。
 テント場では、すでに焚き火が燃え上がり、宴席の準備完了。盛大な焚き火は、大き
な沢登りの醍醐味だ。私の帰りを待って、再び乾杯。最初からイワナは期待されていな
かったようで、責められる気配はない。焚き火で温めながらながら飲む日本酒は、格別
うまい。あっという間に、善さん持参のお酒がなくなってしまった。共同装備のウイス
キーは手つかずだが、私の「鬼ごろし」(本来、イワナの骨酒用だ)に移行し、メーン
ディッシュのカルビ焼き肉とともに大いに進む。
 いよいよ雲行きが怪しくなり、ぽつぽつと落ちてきた。雨足が強くなってきそうなの
で、テントの中に逃げ込む。あり余ると思われた午後の時間が、流れるように過ぎ去っ
ていく。次第に強くなる雨音を聞いていると、読売新道隊が無事に登り切ったかどうか
心配になってきたが、何とかなっているだろうと無責任に結論づけておく。善さんは、
せっかくの焚き火が消えていきつつあるのを、寂しそうに眺めている。ところが夜半過
ぎに雨が上がり、善さんが火種の絶えそうな焚き火を復活させてしまった。焚き火に失
礼なので、囲んであげることにする。再び宴会。



8月14日(土)   雨のち曇り、また雨。夜半過ぎまで豪雨

 心配していたように、どこにも青空が見えない。しかし、幸いにも小降りである。停
滞はしたくないのか、善さんがスピーディーに撤収にかかっている。こうなれば、出る
しかない。どうせ沢に入れば、すぐに濡れるんだから……。
 昭文社の地図によると、金作谷の出合は98年の土砂崩れでせき止められ、自然湖が
発生したとなっている。だが、今は大きなトロが数カ所残っているものの、ダムの痕跡
などみじんも感じられない。圧倒的な水流が、膨大な土石をあとかたもなく押し流して
しまったのだろうか。上の黒ビンガを思ったより容易に通過できたのも、水深が浅くな
っていたせいかもしれない。

「指が利かない。懸垂下降を避けよ」

  ルート図によれば、この先右岸を高巻く際、15m程度の懸垂下降を要するらしい。
きのう痛めた左手中指が利かないという大森さんから、懸垂下降のないルートを探すよ
う命令が出る。ここで、私が先頭に立つことになった。
  ゴルジュが続き、おそらく高巻き地点だろうというところに来たが、どうにか流れ
を越えられそうだ。とはいえ、胸までの徒渉は高巻きより増しだが、朝一番のひと浸か
りは身にこたえる。全身が縮むように冷たい。今日は太陽が当たらないので、一層冷た
く感じる。懸垂下降点(2段の滝)を何とか通過すると、やがて大きなプール状のトロ場
に出くわす。「泳いで対岸に渡ろう」と善さんが提案するが、どうやっても流れで押し
戻されそうな勢い。まして、水は相当深そうな色をしている。大丈夫と主張する善さん
をなだめ、岩場を少し高巻く案を主張して大森さんの同意も得た。
  私がザイルを着け、先頭になる。斜めに落ち込む岩場をフリクションを頼りに進むと、
2人がやっと立てそうなテラスがあり、アンカーも打たれている。さらに上部には立木
もあり、ビレィ点が確保できそうだ。一気に登る。落ちてもでっかいプールが待ってい
るだけ、意外と気楽に登ることができた。続いて、大森・鈴木さんの順に登ってきた。
この先はノーザイルでも行ける。泳ぐことを考えれば、何と簡単なエスケープだったろ
うか。ここは、逆に水量がある方が、もう少し上のバンドを利用できそうである。ルー
ト図によると、この左岸を高巻く方法もあるようだが、見上げると恐ろしい高さを巻い
ている。よほどのことがないかぎり、避けるべきであろう。
 その後、しばらくは河原歩きが続く。結構砂地が多く、ところどころにテントの跡が
ある。きのう多くのパーティーは、この辺まで頑張ったようだ。やがて沢の雰囲気が、
再び廊下状を呈してくる。このあたりから上流(正確には金作谷から上流)を、「上の
廊下」と区別して「奥の廊下」と言う人が多いのも、うなずける(大森註・薬師沢出合
から上流を「奥の廊下」とする説が一般的か)。流れが狭まり、水量は減っても、体に
感じる圧力はあまり変わらない。
  両岸が開けてくると、1692m地点(1/25000図に定点がある)である。大きな沢が
左岸より落ちているが、ルート図にも地形図にもない。大きな岩のところで休憩してい
ると、地図を持つ善さんの手が、二の腕あたりから激しく震えだした。「寒い?」と聞
くと、「寒くない」との答え。何が原因なのか、止めようとしても止められないのだと
いう。




上の廊下のハイライトシーン

 雨の中を何度か徒渉を繰り返していくと、次第に川幅が狭まり、前方で2人が立ち止
まっている。こういうときは何かある。またしても深みである。今度は完全によどんで
いるので、どうにか泳げそうだが、色からして非常に深い。右岸の中程にバンドを発見。
ここに狙いをつけるが、深さは肩までありそう。一方、対岸までは、川底の石を拾って
歩けば腰ないし胸までだが、その後、足かがりがない。観念して泳ぐ。どうにか、左岸
の岩壁に取りつくことができた。
 3mほど登ったところにハーケンが打たれており、ここにセルフビレーをとって確保
する。ここからは、バンド沿いの慎重なトラバースである。左岸は水の流れが強いので、
落ちればそのまま流される。3人パーティーなので順当に行けばトップが変わるはずだ
が、「おまえ行けのアイパッシング」。すり足で歩を進め、手を最大限に広げてホール
ドを維持する。体とザックは、完全に水の上。微妙(奇妙)なバランスでどうにか抜ける
と、思いがけず残置ハーケンを発見、利用させてもらう。これで、大きく流される心配
は薄れた。あとはバンドを手探りで進み、河原まで降りて合図する。大森さんが重いザ
ックと戦いながら動き始める。さすがベテラン、何ということはなく通過した。続いて
善さんだが、こういうところは相変わらず身が軽い。すいすい来る。途中、動きを制し
て、記録撮影。この山行で初めての、厳しいシーンの撮影である。

黒部ハイライトシーン






 右岸から、水量の多い沢が流入してくる。赤牛沢である。場所が確認できたので休憩
をとる。ここでまた、単独行の青年と出くわす。しかし、荷物が少ない。どうやら釣り
を楽しんでいるらしい。この人は、釣り人だったのかもしれない。朝が遅いのも、一仕
事終えてから出発していたのに違いない。
 ここから「立木の台地」が確認できる。岩の上にぴょんと立っている木を指して、こ
う呼ぶらしい。だいぶ水量が減ってきたので歩きやすい。しかし、雨足は強くなってい
る。私以外は雨具を着けているが、いまさら着ても一緒と、濡れ鼠を決め込む。2段の
滝あたりで休憩していた5人のパーティーを抜いたが、この5人とは、しばらく前後し
て進むことになった。でも変なグループである。@中年5人組で、A先頭2人だけが頑
張って突き進み、われわれが抜くと敵対心あらわ、B何かバラバラの雰囲気で、会話も
なくひたすら歩いている。一言でいえば、「武田が連れて歩いているグループ(大森さ
ん評)」のようだ。平和な渓に、俗世間をかいま見たような気がした。とはいえ、この
グループの動きを見ていると、結構楽しい。ルートファインディングを誤り、急な流れ
を越すためにシュリンゲで確保している。かと思うとリーダーは、すぐ上の急流で流れ
を背にして耐えている。転べば、みな一緒に流されていくに違いない。
 「柱状節理の岩床」と名付けられたところは、実に美しい。写真を撮る人には絶好の
ポイントであろう。大森さん曰く、「崩落や倒木など、邪魔する物が1つもない絶景」
である。思わず立ち止まり、しばらく見入ってしまった。少し行くと、大森さんが休憩
しようという。「立石奇岩」のお出ましである。ちょうど岩陰で雨が当たらない場所が
あり、そこから奇岩が目の前に大きく見える。すごい大きさである。トーテムポールの
化け物のように見えたのは、私だけではないだろう。よくぞこうして残っていたものだ
と、感心する。

立石奇岩

 休憩しながら大森さんが、「上の廊下は滝らしい滝がないんだから、残雪が落ち着い
たとき、スキーで一気に下りてこられるはず」と言う。実現のほどは定かではないが、
おやりになる方は止めない。
  核心部はここまでである。「落ち込みの連続」なる場所も、何ということなく過ぎて
しまう。「樋状のルンゼ」を過ぎたあたり、右岸から沢が流れ落ちてくる。これがE沢
で、上流から順にアルファベットのA〜Eで命名されている5つの沢の始まりらしい。
D沢を眺めながら休憩する。
 雨は、完全に本降りとなった。こうなれば、安全な場所まで逃げ延びるしかない。だ
がB沢手前のルンゼは意外と深く、手ごわかった。この先に5mの懸垂下降があるとい
うので、再び「避けろ」の指示が出る。今度は大森さん自ら先頭を切るが、足が止まる。
大きなトロが出現した。泳いでもよいのだが、もうその元気もない。少し上のバンドを
行けそうだと、善さんが叫ぶ。われわれ2名も追随する。そのまま上部を高巻くおふた
方をよそに、私は一段下のバンドを行くことにした。ズルッと一回滑ったが、どうにか
行けそうである。途中で2人に接近したので、下のルートにお誘いしたのだが、多少ハ
ング気味だったせいか降りてこない。これが、分かれ目であった。私はそのまま岩場下
部にでることができたが、2人は懸垂下降に直面。上から、どうして教えなかったとク
レームがつくが、ここはザイルにぶら下がってもらう以外、手はない。
 すぐにB沢の出合になる。岩に赤いペンキが打ってある。高天原からの道は、限りな
く沢筋近くにつけられているらしい。この悪天候の中、結構人が下りてくる。昭文社の
地図では一般道とされているが、かなり荒れているようすだ。慎重にペンキを確認して
いけば問題ないかもしれないが、初心者は避けた方がよいと思われる。B沢出合から1
5分ほど行ったあたりで、道沿いに砂地で絶好の場所を発見。ここを今日の天場とする。
これも大森リーダーの的確な判断。もう上の廊下は終わったも同然。時間も経過し天気
も悪い。それに周囲を見渡せば、雨を避けて宴会ができそうな岩陰もある。無理して上
流をめざすことはない。すぐにテントを設営し、着替えを始める。すかさず全とっ替え
をした私が、一番快適になったようだ。しかし、よく濡れたものだ。脱いだ衣類が、ず
っしりと重い。




増水を警戒し、夜中に荷物を移動

 たっぷり残ったウイスキーをやっつけるべく、宴会の準備を始める。夕食の献立は、
麻婆なす・ご飯(納豆ふりかけ付き)・中華スープなど盛りだくさん。とりあえずツマ
ミに差し出した薫製のアサリとカキの缶詰が意外と好評であったのはうれしい。今日は
ビールという雰囲気ではなく、ウイスキーのお湯割りがベストだ。冷え切った体が、み
るみる温まっていく。そんな中、もう4時を回っているというのに、とんでもない軽装
の登山者が2人、高天原方面へ傘を差しながら向かう姿には言葉もでなかった。
 大きな岩の陰で雨をしのぎながらの宴会だが、雨はやむどころか大粒に変わってきて
いる。次第に水かさも増しているようだ。とにかく腹ごしらえをしたので、テントに逃
げ込む。荷物は岩陰に移し、広々と寝ることにする。夏山でやったことはないが、コン
ロをテントに入れ、暖をとりたくなってきた。さすがコンロの威力はすごい。どんどん
乾いていく。大森さんが、着替えた衣類をテント内に広げはじめた。パンツも干したい
というので、それだけは阻止させていただいた。鈴木・齋藤はウイスキーをチビチビや
っていたが、大森さんが横になったのをしおに、寝袋に吸い寄せられていく。
 「おーい諸君」の雄叫びで目が覚めた。まだ午前0時を過ぎたばかり。あまりにも激
しい雨に外に出てみた大森さんが、水かさが増して荷物が危ないと言う。大急ぎで雨具
をつけ、大きなポリ袋をかぶせたザックを高みに移動して、テントに逃げ帰る。善さん
の足をよく見ると、なにも履いていない。素足で動き回っていたのだ。さすがというか、
本当に身軽な人だ。やはり疲れていたのだろう、すぐに眠りに落ちた。3時前に目を覚
ますと、雨音がほとんどしない。どうにかなりそうな期待を胸に、再び寝入る。


8月15日(日)   曇り、昼過ぎから大雨

 どうせ今日は、折立までの行程。ゆっくり稜線歩きを楽しみながらキャンプ場まで下
り、明朝、早めのバスに乗ろうという計画である。ところが、いざ起きようとして寝返
りを打つと、腰から背中に激痛が走った。最近、この痛みで動けなくなり、立てなくな
ることすらある。ついに来てしまったかと、血の気が引く。そういえば重い物を担いで
はいけないと、医者に忠告されてはいた(これを守っていたら山には行けない)。しかし、
だましだまし動いてみると、どうにかなるようだ。
 川の水もだいぶ引き、ほぼ昨日並に戻りつつある。朝食はスパゲッティーとオニオン
スープ(ベーコン入り)である。昨夜半分残しておいたカキの薫製を加え、不思議な味の
ペペロンチーノができあがった。しかし、おいしい。食べ終えると、出発の準備にとり
かかる。装備をすっきり乾かしたいところだが、日差しはない。善さんの動きが早くな
り、あっという間にテントが片づいた。私は腰の痛みと戦いながら、パッキングを急ぐ。
大森さんが私に3色の薬をくれた。どうやら筋肉の痛み止めのようである(大森註・単
なる精力増強剤です)。こうなれば何でも試したい。ありがたくいただく。
 7時45分出発。これから先は一般道、足元も靴に変わっている。フェルトシューズ
の感覚とは微妙に異なり、慣れるまで多少の時間を要した。沢沿いには、朝露を受けた
花が美しく咲いている。トリカブトも花をつけている。今夏の高山植物も終わりを告げ
はじめる合図である。

 30分ほどで、薬師沢の出合に着いた。沢の合流点に建つ薬師沢小屋は、かなりの人
でにぎわっている。ここから20分ほどの登りで、「カベッケガ原」という湿原に着い
た。保護策が遅れた感があるが、木道が整備されベンチ等も整っている。前方には北ノ
俣山の前峰がそびえ、高山植物もチラホラ。急ぐ旅ではない、休憩をとる。
  太郎平小屋までは、等高線をていねいに1本1本越えていくような道で、最後の登り
以外、急な場所はないはず。快適な木道を、花の撮影をしながら進む。急斜面になると
木道がなくなり、緩斜面になると、また現れる。薬師沢を眼下に見るようになると、前
方に薬師岳が眺められる……はずだが、今日は上部に雲がかかっている。振り返れば、
雲ノ平の向こうに水晶岳の勇姿(実はこの山、すったもんだの議論のあげく、やっと山
名が一致した)。あたりには、ミヤマシケンカンブラシ(正式名称は知らない)、チング
ルマ(穂だけ)、トリカブトが多くなった。時折、ミヤマリンドウが鮮やかな紺色の花
をつけている。薬師沢の中俣を渡り返すと、最後の急登だ。これまでの疲れもあり、
結構こたえる。休憩していた初老の男性が「すごいザックですね、どのくらいあります
か」と、息もたえだえの大森さんに問いかける。「90リッター」との答えに、「ああ、
60リッターですか」。負けじと「90リッターだ」とやり返している。



 最後の木道に出ると、主稜線の鞍部に太郎平小屋が見えてきた。あたり一面がチング
ルマの群落になっており、雪解け間もない時期ならさぞ見事なものだろうと想像される。
薬師岳の山頂が、かろうじて姿を見せはじめた。小屋に着き、とにかくベンチに荷物を
置く。大森さんの薬のせいか、腰の痛みも多少和らいだようだ。早速、ビールの値段の
確認。レギュラー缶500円以内であれば、ここで乾杯することに決めていた。ぎりぎ
りでクリアーし、激冷えのビールにありつく。大森さんが留守本部の亀村さんに報告の
電話を入れた後、のんびり時間を過ごす。日差しはないが、きのうまでと比べれば極楽
気分だ。
 そうこうしているうちに、空もようが怪しくなってきた。富山側からみるみる雲がわ
き上がり、稜線を乗り越えそうな勢いである。下山を急ごう。

雨の中のキャンプはもうご免

  下りにかかると、すぐに雨が降り出した。ていねいに整備された岩畳のような道も、
濡れているとかえって歩きにくい。悪いと思いながらも、ついつい外側を歩いてしまう。
視界はなく、黙々と下るのみ。ところどころお花畑が目を楽しませてくれるが、じっく
り観察する雰囲気ではない。五光岩ベンチ(確かにベンチだけが所狭しと並んでいる)、
三角点と下っていくが、もはや道を急ぐ気力もない。後ろから来たパーティーに、どん
どん抜かれていく。
 雨はますます勢いを増し、本降りどころか豪雨の様相を呈してきた。このまま降るよ
うであれば、テントを張るのは嫌ですね……と、2人に探りを入れてみる。いっそ下界
まで下りてしまって、どこかで快適に……という心境は、みな共通のようだ。ドラエモ
ンの案内板を見れば「あと30分」、やがてドラミちゃんが「あと20分」で折立に着
くと教えてくれる。先ほどから善さんは、「ほら下に見えている」などと言っているが、
いっこうに着かない。かわいい案内板を頼った方がよさそうである。でもどうして、み
んなこんなにあわてて下っていくのだろう。とても山慣れているとは思えないグループ
にまで、先を越されてしまった。先ほどから後ろで抜きたそうにしている2人連れに事
情を聞くと、15時15分の最終バスに乗りたいのだという。見れば時計は15時8分。
「折立でのキャンプはやめ。バスに乗ろう」と即決し、一目散に駆け下りる。
 バスは、臨時車掌のような青年と運転手が荷物を後部座席にていねいに積んでくれる
ので、空身で座ればよい。運よく空席もある。体はぐっしょり濡れているが、エアコン
がないので窓から入ってくる風だけが頼りだ。しばらくは嵐のような中を下りていく。
車窓から、チラッとテント場が見えた。なかなか快適そうな環境だが、雨のテントはも
うご免だ。途中、有峰記念館の前の大駐車場で、時間調整を兼ね
て停車する。このスキに売店でロング缶を入手し、車内で下山祝いの乾杯。
 有峰林道が通行止めのため、バスは有峰ダムを下に見て山道を登りはじめた。どうや
ら、林道小口川線を下るらしい。かなりの大回り、そのうえ道は細く、曲がりくねって
いる。だいぶくたびれたバスだが、運転手とは相性がいいらしい。スイスイ下りていく。
大森さんとは席が離れたので、善さんと写真のファイル交換のことで話しが盛り上がる。
今回は善さんが120枚程度、私が240枚程度撮影している。ネット上で送れば大変
なことになるから、コンパクトフラッシュの交換ということで落着した。
 バスは有峰口駅に到着したが、その後の行動が決まっていない。バスと電車は同じ会
社なので事情を聞いても、俺はバスの運転手だからわからないという。そのうえ無人駅
……ところが駅の中を見ると、駅員がいるではないか。100円の特急料金を払えば、
17時6分の大阪行き特急サンダーバードに乗れるらしい。汗まみれで座るには気が引
けそうな快適な電車に乗り込み、車内で乗車券を購入する。車掌に聞くと、電車はJR
の改札口に大回りさせられてしまった。
 
越後湯沢では花火の出迎え。駅前温泉で汗を流す
  
 大森さんが改札口で長話をしている。このくだらないシステムに抗議しているのかと
思ったら、銭湯の場所を聞いていたようだ。ここで、風呂を選ぶか帰るかの決断を迫ら
れる。汚れた体も気になるが、次の電車まで50分しか余裕がない。ダメモトで指定席
の有無を確認に行くと、18時8分の越後湯沢行き特急がある。迷わず自由席の列に並
ぶ。きょうは8月15日の日曜日で、列車は金沢始発。あきらめていたが、意外にも空
席があった。禁煙席だが、どうにか3人が近い位置に席を確保する。
 乗車間際に買い込んだ「ますのすし」をつまみに、またビールで乾杯。酔わないうち
に精算を済ませる。4泊5日の上の廊下の旅が、小屋代を含めて3万円弱。嘘のような
話である。大森リーダーの手腕に感謝しつつ、湯沢までの2時間あまりを飲みふける。
 越後湯沢は花火競技会の真っ最中。雨の中、色鮮やかな花火が次々と打ち上げられて
いる。ここまで来れば、急ぐことはない。早速、温泉にはいることにする。鈴木さんが
いつもの蕎麦屋の方にあるはずと言うが、どうもはっきりしない。年輩の駅員に聞くと、
銭湯はいくつかあるが、反対側(国道側)の方が近いという。ロータリーを出た商店街
の一角に、めざす温泉はあった。内風呂しかないが、きれいなゆったりとした湯船であ
る。しかも、料金はたったの300円。山屋を扱いなれたおばさんが、ザックの置き場
所まで指示してくれる。
 すっかり気分をよくし、蕎麦屋にでも行きたいが、羽目を外すと今日中に帰れられそ
うもない。駅に戻り、予定していた始発の新幹線MAXに乗りこむ。ガラガラの2階席
をゆったり占有し、湯上がりのビールを買いに出かけた。ところが、キヨスクは全部閉
店。しからば水割り用の水はというと、ホームにも車内の自動販売機にもない。一大事
である。気がつけば腰の痛みが消えているが、それどころではない。やっとのことで車
内売店にたどりつき、しまりかけた冷蔵庫からビールを分けてもらえた。何はともあれ、
3度目の下山祝いだ……。 


[データ]黒部川上の廊下  1999.08.11−15

メンバー:大森武志(L)、鈴木善三、齋藤修

8月11日(水)
10:30新宿西口都庁大型バス専用駐車場(サンアンドサン「さわやか信州号」)
8月12日(木)
5:00扇沢7:00−7:15黒四ダム−7:40遊覧船乗場−12:00平の渡−12:20対岸
−15:20奥黒部ヒュッテ
8月13日(金)
奥黒部ヒュッテ6:45−7:00入谷−8:50下ノ黒ビンガ−11:35スゴ沢出合
−11:50上ノ黒ビンガ入口−12:05上の黒ビンガ出口−12:20苔むした滝
−12:40金作谷出合
8月14日(土)
金作谷出合6:45−8:30「1692m地点」8:45−10:10赤牛沢出合10:25
−11:35立石奇岩11:50−13:15C沢出合13:35−14:30テント場
8月15日(日)
テント場7:45−8:20薬師沢出合8:25−8:35休憩8:50−9:50休憩10:10
−10:55休憩11:10−11:30太郎平12:20−13:20休憩13:35−14:30休憩14:35
−15:15折立−16:40有峰口駅17:06−17:40富山駅18:05
−20:25越後湯沢(入浴)21:35−大宮−東京


*この原稿はA4(10ポイント・ベタ)で20枚になんなんとする長大なものでした
が、大森が相当部分をカットし、リライトしました。その疲労感と充足感で、大森自身
による記録は書けそうもありません。
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