19年まえの「赤谷川」を彷彿とさせるやぶ漕ぎ

−−会津駒下の沢遡行 亀村

Sun, 12 Sep 1999 17:55


                     会津駒下の沢遡行1999年09月04日
メンバー:大森(CL)、鈴木、高橋、中村、亀村、<さすらいの食客>金谷
日程:1999年9月3日(金)〜9月5日(日)

9月3日(金)
20時30分武蔵野線東川口駅集合。今回のドタキャンは後藤さん。大森リーダーあわてて
担当の割り振りをしなおす。橋元さん宅で公用デリカを調達し定刻どおり出発。夏休み
明け始めの週末は、東北道もやけに車量が少ない。今回の山行は行き帰りとも渋滞のま
ったく無いきわめて珍しいケースであった。
高速を西那須野で降り、塩原経由国号400号で山越え、田島から舘岩はいつものお決ま
りのコース。随分と道も良くなり予想通り3時間後の23時30分には桧枝岐村外れの公共
駐車場に到着。さっそく8人用を天張りささやかな酒宴もいつもの通り。1時前には全員
寝袋にくるまる。
9月4日(土)
6時起床。レトルト五目飯とフリーズドライキムチスープで朝食。7時過ぎにはテントを
撤収、村をはさんで反対側の駒ケ岳登り口に向かう。車で入れるとこまで行こうという
事で林道を登る。これは随分林道歩きをもうけたと思われるあたりでデリカをデポ、歩
き始める。登り口まで約10分、上にはまだ3個所車を止められる場所があったが、まあ
そんなに損した気分にはならない。駒ケ岳登山道と竜門の滝へ行く道の分岐で金谷さん
と別れる。後藤さんがいないので一人で正規の尾根道を登るわけだ。じゃあと手を上げ
例のごとく飄々と林道を歩いて行く。背中のザックには瓶ビール2本とワイン2本、パイ
ンとみかんのでかい缶詰が詰まっていた事は、後で高度差約1000m上の集合場所、駒の
小屋で判明するわけだが、その時はもう誰もあきれたり怒ったりしなかった。
沢登り組は竜門の滝への登山道を登り始める。山道を15分も歩くと斜面に設えられた木
でできた立派な展望台に着いた。正面百mほど先に、流れが上下二段に分かれた美しい
竜門の滝を見る事ができる。が、ここからでは沢に降りるルートはない。5分ほど前に
木橋で沢を横切ったが、そこから沢登りを開始するのが正解だったようだ。来すぎた分
を引き返すのもしゃくとばかり、鈴木さんが偵察、OK降りられるという事で懸け造りの
展望台直下の薮崖を無理矢理下って川原にでる。

竜門の滝を見る
今日のこのあとの行程は、無理矢理とか、薮とか、崖とかそういった単語を多用するこ
とになる。まずはいきなり竜門の滝の高巻きだ。右側の薮を大きく迂回して登り滝の上
部に出る。ここからしばらくは快適な登りが続く。適度な滝が連続し、また徒渉を繰り
返す。水量の多い実に充実感のある沢登である。数え切れない滝を、時には直登し時に
は高巻き、順調にルートを稼ぐ。

快適に溯る
2時間ほど登り第二のゴルジュ帯に入ると、滝の高度差が少し大きくなったようだ。僕
と中村さんのためにザイルを出してもらう機会が何度か出てくる。何度目かの滝上で鈴
木さんに確保してもらって10m強の滝を登っている時に、ほかのパーティーに追いつか
れた。男三人組だ。前に1パーティー入っている事(一人らしいが泊まった駒の小屋には
該当者がいなかったが…)は足跡から分かったが、まさか後ろから追いかけてくるパー
ティーがあるとは思いもよらなかった。滝の登りは最後の前が僕だった。リーダーの大
森さんが下から見上げている。滝の右脇を直登し登り切る直前に滝口の水流を左に横切
らなくてはならない。そこのところの右がテラス状に岩が突き出ているので、僕のザッ
クが引っかかってしまった。鈴木さんは上からは事情が見えずぐいぐい引っ張る。にっ
ちもさっちも行かなくなった。大森さんが下から叫んでくれて、やっと鈴木さんはザイ
ルを緩めてくれた。水流を横切る際に頭から水をかぶって全身が濡れた。どうにか滝上
にたどり着いたが全身が濡れて随分と体力を消耗してしまった。そうこうしているうち
に三人組に追い抜かれた。
昼を過ぎたが、ザイルの出し入れのため進捗がめっきり遅くなった。第二のゴルジュ半
ばくらいか、下から見ると三段の滝に見えるはじめの10m滝はどうやっても直登は難し
い、右に高巻き始めた。根曲り竹の薮こぎだ。泳ぐように全身を動かしてもちっとも上
に進めない。上どころか横にも下へも思うように動けない。パワーがぐんぐん低下する。
ホーホッとコールをかけないとどの辺りに仲間がいるのかも分からないものすごい薮だ。
しかも急斜面でいっときも体を休める事ができない。登っても横に移動しても楽な場所
には出ない。高巻きルートを見失った事は明らかだが戻る事もできない。息が上がりパ
ワーがゼロになった。再三の「おーいだいじょうぶかぁー、どこにいるぅー」の呼びか
けにも答えられない。TVゲームならここで主人公が死んでゲームオーバーという事だ。
しかし現実ではリセットしてやり直しというわけにはいかない。なんとかみんなの後を
ついていこうと、最後の力を振り絞る。声のするほうに薮を無理矢理下る。最後は垂直
の崖だ。大森リーダーががザイルを用意してくれて崖の下で待っている。懸垂下降し、
崩れるように川原に降り立った。時計を見ると3時を過ぎている。たかだか二つか三つ
の滝を巻くのに2時間くらいかかったわけだ。
核心部はまだ続く。鈴木さんがザックを交換してくれる。さらに荷物を自分の担いでい
るザックに移し替えてくれる。申し訳ないが今は遠慮などする余裕はまったく無い。
朝、リーダーにビールは一本ずつと言われたのにこっそり二本しのばせてきた事は、ち
ょっと言いにくい。今日中に無事小屋に着く事ができるのであろうか。
第三のゴルジュ帯に入り相変わらず小滝が続くが、いくらか谷が広がり開放的になって
きた。しかし天気は朝よりも不安定だ。午前中は晴れ間と曇りが交互であったが、今は
曇りと小雨が交互となり、だんだんと小雨の降る時間が長くなる。時刻も夕刻に迫り日
も陰ってきたので水温も冷たく感じられてきた。僕は息が上がりながらも、何とかみん
なに付いて行った。荷物が軽いのが随分と助かる。4時を過ぎ何度目かの休憩の時、大
森さんから蜂蜜をもらった。沢の水で溶いて飲んだ。どうやらこれが効いたらしい。何
とか最後までがんばる気力がでてきた。
ここからは、何故か僕がトップとなる。最後の詰めだ。正面に稜線が見えてきて、だん
だんと視界が開けてくる。と、上から人の話し声が聞こえてきた。先行していた三人組
パーティーがシートを木の幹や枝に結んで屋根代わりにして今夜のねぐらを確保してい
たのだ。なかなか山慣れしたグループだ、横浜の山岳会との事。ここから上はもう水が
無いという。沢の水はなくなったが、両側から生い茂る草木の露と、小雨で全身がびし
ょ濡れになりながらかき分け登る。やっとの思いで駒ケ岳山頂まで広がる広大な草原状
の稜線に出る事ができた。登山道の木道に出れば駒の小屋迄は5分とかからない。到着
は5時をまわっていた。

駒ケ岳
金谷さんは、二階の広間の隅で寝ていた。聞けば昼前の11時過ぎには小屋に到着したと
の事。それから僕らが到着する5時過ぎまで6時間、小屋から20分の会津駒頂上にも登ら
ずひたすら酒と昼寝を繰り返していたらしい。ご苦労様といったらよいのか。小屋の管
理人の髭面あんちゃんは、僕らの事を心配して少し下まで様子を見にいってくれたとの
事、こちらはありがたい。
この小屋は食事が出ない。入り口の横の自炊部屋で担ぎ上げた酒と食事。メインは味付
けカルビ焼肉、ナスなど野菜もたっぷり入る。が、疲れ切っているのでそれほど食欲が
わかない。せっかく苦労して運び上げたのに今回は酒と食料をすべて消化する事が出来
なかった。僕は先に寝る。夜中は星がきれいだったそうな。

小屋から
9月5日(日)
晴れた。5時半頃に朝日が昇った、金谷さんと鈴木さんが小屋の前で昇る朝日を見なが
らワインを飲んでいる。かに雑炊で朝食、今日は下るだけなのでゆっくりとする。8時
過ぎ雲一つない好天気、満員だった小屋の客も僕らだけになった。

駒の小屋


帰り

下り始める。誰も20
分先の会津駒頂上に行こうとは主張しない。頂上の先には中門岳迄の尾根が広がる、反
対側には燧ケ岳が見える、奥白根が見える。つらなる山並みが美しい。が、頂上の草原
地帯から程なく尾根伝いの樹林帯に入り、視界が途絶える。日帰り組がどんどんと登っ
てくる。40人の団体を含め100人以上は登ったのだろうか。山道ですれ違うたびに脇に
よける。2時間強の10時過ぎに登山口に降り立った。

風呂のあと
桧枝岐役場の横に最近改装された「駒の湯」という公共浴場はなかなか良かった。露天
もあり、300円という価格もリーズナブルだ。但し、薮こぎで傷だらけの腕とザックず
れした肩と脇が湯にしみて痛い。山を往復した付加価値付きのビールとワインで疲れを
癒し、桧枝岐名物10割蕎麦を食べて帰途についた。途中佐野サービスエリアで橋元さん
のお土産に佐野ラーメンを買って夕方には鳩ヶ谷に帰着した。

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