利尻・礼文花紀行 橋元

Mon, 28 Jun 1999 15:31:40


                   利 尻・礼 文 花 紀 行(photo 大森)
                      期日:1999年6月19日〜22日
                      メンバー: 大森、中村、橋元

利尻礼文花紀行 1999年6月19日 土曜日

関東地方は降ったり止んだりの梅雨空。今日から、北海道、利尻・礼文花の旅である。
羽田ANAのカウンターでチャウと合流。10:35分羽田発。久々の空の旅だが、飛
行機の飛ぶのが信じられないぼくとしてはどうにも機内は居心地が悪い。
それに、ジェットの騒音は、列車の走行音と違ってどうしても馴染めない。
出発は雨の中だったが、十和田湖上空辺りで下界が見えるようになり、青森湾から津軽
海峡にかけてやっと視界は良好になった。
千歳空港でチャウと昼食をとったのち、JALで先行した大森氏と合流。めでたく3人
揃って利尻への旅が始まる。

   礼文島(香深井)から利尻岳を望む
利尻空港着は定刻をやや遅れ2時半頃だったか。はじめての利尻は曇り時々雨で肌寒い。 機内の放送によれば、東京の気温は14度、札幌19度、利尻11度であった。 はじめての空港であれこれ様子を見ているうちに、一日一本の航空便に接続する、これ も一日一本のバスが出てしまった。タクシーを拾って国道を鴛泊へ向かう。 車道の両側の草原に黄色い花が点在する。運転手に聞くと、エゾカンゾウとのこと。 まずホームセンターへ案内してもらいガスを仕入れ(飛行機にはガスボンベは載せられ ない)、次に食料を求めてとあるスーパーへ向かう。運転手はキャンプ場まで乗せるつ もりだったらしいが、われわれの食料調達はたいてい30分以上かかる。その間、待ち メーターをカウントされてはかなわないとので、ここでいったん車を降りることにした。 しかし、期待した魚介類はエゾメバルとソイ、貝類でツブとホッキくらい。あとは冷凍 物、乾燥物など加工品である。どうもぱっとしない。というより落胆した。 なにしろここは、日本海に浮かんだ島なのだ。それが、たったこれだけの魚種しかない わけがない。いったん、その店をでて町を歩いてみる。基本的に利尻島の町並みは、島 を一周する国道(海から30mも離れていない)を挟んで、その海側と山側に家が並ん だ格好になっている。ほかに2件ほど同様の店があったが、運転手がまず案内してくれ ただけあって、最初の店が一番商品が豊富だった。結局戻って、エゾメバル、ツブ、ホ ッキを買う。しかし、決して安くない。大森氏がなにげなくツブを2個とったら二千円 を超える値を言われて、1個だけにしたくらいだった。それに、野菜や主食のうどん、 レトルト米などを仕入れる。 その並びの酒屋で、酒とビールとワインを買い、店からタクシーを呼んでもらって、目 指す北麓野営場へ向かう。明日の参考にと、大森氏がタクシー事情などを訊ねる。今は 繁忙期で観光タクシーで貸し切りになると一日出っぱなしになってしまう。どうしても フェリーに乗りたいなら、歩いて国道のバス停(つまり、買い物をしたスーパーの近く) まで出られるゆとりをみたほうがよいという。 野営場へついたときは、本格的な雨。運転手もバンガローが一軒2000円だから、テ ントよりそっちを借りた方がいいだろうという。テントは新品とはいえ、この雨ではと ても幕営する気になれない。大森氏が管理人と掛け合うと、“予約は満杯ではないが、 最後のフェリーが到着するまでは様子がわからないから待て”という。何だか話し筋が 通らない。ぼくは、そんな調子の話しを聞くとすぐプッツンするので、管理小屋の前の 公衆電話の軒下で雨宿りしながら成り行きを見守った。ようするに、管理人氏は、予約 のない人間にそう簡単に貸すわけにいかないと、もったいぶっているのである。 大森氏は、世間話のようなことで間を持たせ、時間をかけて管理人を籠絡している。そ のうち、ある程度、心理的な距離が埋まってくると、なんとなくじゃあ貸しましょうと いうことに落ち着くのである。 細かい話しの筋は知らないが、最後は“いや、運が良かったね”などといってバンガロ ーの鍵を渡してくれたという。こちらは、余計な時間を取らせて、何が“運”だと言い たいところだが、ここは大森氏の手腕に敬意を表するしかない。助手らしき女性の案内 でバンガローへ向かう。積雪への配慮だろう、鋭い三角形の屋根だけのような家だが、 中に入ると手前に板の間、その奥の狭い板の間を挟んで、左右にそれぞれ2人用の蚕棚 式のベッドがあり、さらに1人用のベットが部屋の空間に吊り下げられている。 各ベッドには布団と毛布までついていて、シーツやタオルは新しい物を貸しててくれる。 文句なし快適である。さっそく、ビールで乾杯して、大森氏は刺身の調理にかかる。そ の間にも、管理人自らゴミ袋を持ってくるは、助手の女性が鍵の閉め方を教えにくるは と、いたって親切である。もっとも、鍵の閉め方といっても、どこにでもあるノブの中 央のボタンでロックする形式のやつで、“だいたいこの手の鍵は日本国中どこでもそう やって閉めることになっている”と返事をしたら、大森氏とチャウからせっかくの親切 をと、叱られてしまった。管理人も、もったいぶってはみたものの、悪気はまったくな かったようである。 刺身、とくに一番高かったツブは美味であった。われわれと並んで買い物をしていた地 元のおばさんはツブを指して“これはアワビなんかより美味いよ”といっていたが、そ れは極端にしても、味の濃さはなかなかのものだった。最後は、ブタとナスのショウガ 焼きだったが、作った本人は翌朝、夜中にうとうとしていたとき、あれブタが残っちゃ った、困ったなあなどと思ったほどで、ほとんど覚えていなかった。さほどに心地よく 酔ったのであった。 1999年6月20日 日曜日 曇り、後晴れ。 夜中、何度か雨の音で目を覚ます。しかし、ここまで来て中止はあり得ないから、多少 の雨は気にならない。幸い空が明るむ頃に、雨は止んだが頭上はまだ雲に覆われている。 朝食はバナナだけ。新品のテントを張って荷物をデポし、5時過ぎに出発する。 西穂・奥穂の縱走以来の早立ちである。明日、余裕をもって礼文島を見て回るには、今 日中にあちらに渡っていないといけない。最後のフェリーは、3時過ぎに沓形から出る ので、少なくとも2時前には野営場へ戻りたい。タクシーがなければ、それでも間に合 わないくらいだ。 野営場から甘露泉水(日本百名山の日本百名水)まで道は舗装されている。山はだめで も名水まではというひとが多いのだろう。舗装が途切れて本格的な登山道になるが、緩 やかな登りが延々と続く。途中、「野鳥の森」を過ぎた辺りでようよう登りらしくなる。 斜度が増すにつれて周囲はガスに覆われてくる。雲中に突入ということだ。登山道は灌 木のトンネルの中を進むので視界はほとんどない。道ばたには、ところどころマイヅル ソウの大群落があり、灌木の奥の下生えにオオバナノエンレイソウの白い花が鮮やかで ある。下生えのなかに艶やかな緑色の大きな葉がひときわ目立つ。ミズバショウに似て いるが、フキの葉に似た丸みを帯ている。それに、こんなに乾燥したところにミズバシ ョウが生えるわけはない。あとで、花が現れてわかったのだが、ザゼンソウであった。 ウコンウツギの大振りの派手な黄色の花がときどきアクセントを添えている。そのほか 、このあたりで花をつけていたものは、ツルツゲ、アカミノイヌツゲ、ツルシキミ、ク ロツリバナ、ミヤマカタバミ、クルマバツクバネソウ、クルマバソウ、アマドコロ、ギ ョウジャニンニク(蕾)などである。

        ウコンウツギ(4合目付近)

        ザゼンソウ(7合目付近)
高度が上がってくると灌木の種類はミヤマハンノキから変わって、ダケカンバとハイマ ツが目立ってくる。何合目と標識のあるところだけ、周囲が少し開け視界が得られるほ か、延々と灌木トンネルの中を進む。そのうち、下の方が騒がしくなってきた。どうや ら団体である。1本立てるまではしのいだが、2本目の手前でついに、追いつかれて道 を譲った。ところがである。この団体、どうみてもわれわれより平均年齢がはるかに高 い。普通なら追い越されるわけはないのだ。山慣れたリーダーがいて若いサポートが何 人かいるにしても、これはいささかショックであった。 8号目の手前で視界の良い岩稜へでる。ここで、ついに雲海の上へ出たことがはきりす る。上空には一点の雲もない。当然一本立てる。そこで、途中抜き返した例の団体に抜 かれた。そのあと、大森氏が我慢できなくなって写真撮影を始めたこともあるが、つい に頂上までこの団体に追いつくことはできなかった。彼らの休み方は極めて機械的であ る。一定の時間できちっと休んで、きちっと行動を再開する。だから、視界などおかま いなしに、藪の中でも休みとなったら休みなのである。リーダーの性格であろう。

      長官山(8合目)から見上げる利尻岳
「長官山」と呼ばれる8合目へ出て、全面的に視界が開け、利尻富士がはじめて上半の 急峻な山容を表す(大森氏の写真参照)。8合目から9合目へかけては途中に避難小屋 もあり、いったん下りも入るほど斜度は緩むが、これが曲者であった。 9合目に、“ここから先が正念場”の看板があるように、ここから急に斜度が増し、足 下は丸くなった火山礫の堆積となる。踏ん張ってもずるずる崩れ落ちてゆく。3歩のう ち1歩は損をしている感じだ。 火山の様相がはっきりしてきたあたりからは、エゾエンゴサク、ハクサンイチゲ、キバ ナノコマノツメ、ジンヨウスイバ(加賀の白山にも多い)、チシマフウロ、エゾヒメク ワガタなどの花が出てくる。ただ、昨日の最初のタクシーの運転手がいっていたように、 この時期は、下界が花の盛りであって、山の花の最盛期には早過ぎたようだ。とくにリ シリを冠した花を1つも見られなかったのは多少心残りであった。 急登の最後に関門のようなルンゼ状のザレ場があるう。そこを乗っこすとやや斜度がお さまって、じきに山頂である(9時半着)。さほど広くない山頂には、小さな祠があり、 すでにその周囲は例の団体に占拠されている。見渡せば周囲はすべて雲海。そのなかで ところどころ雲が切れて、本土らしきものが見えるがどの辺りかはわからない。山頂の 祠前で記念写真を撮って、南峰への道を少し下って、風のない日当たりのよい斜面でビ ールとワインで乾杯する。山頂直下なので、例の団体のはしゃいだ声が頭上から降って くるようでいささか辟易したが、なにせ例のペースだけあって、じきに下山してあたり は静寂になった。山頂付近の花は、ツクモグサとキバナシャクナゲくらいだったか。

        利尻岳山頂 
休憩した斜面の斜め前に、巨大なロウソク岩が屹立する。これは畏れ多くて、とても “チンポコ岩”などとは呼べない。丁度、槍ヶ岳の小槍をもっとスリムにしたような感 じである。われわれもそうはのんびりしていられないので、小一時間を山頂で過ごして 早々に下山を開始する。 〜〜〜 〇 〜〜〜 ぼくが最後に少し遅れてテント場まで帰ってくると、早くせよとばかり大森氏が手招き している。タクシーがドンピタでつかまったのだ。それまで、公衆電話でタクシー会社 へ電話していたらしいのだが、沓形と鴛泊にそれぞれ1社しかないタクシー会社はどれ も出払っていると断られいささか焦ったらしい。しかし、電話ボックスから出たとたん に、ちょうど戻りかけのタクシーを見つけたという。 まだ、テントに荷物を置いたままだから、いそいで撤収しなければならない。とりあえ ず自分の荷物しかないチャウに、はやく行ってタクシーに乗り込んでおくように頼んで 男どもはテントを畳む。ところが、彼女は何に時間がかかるのか、いつまでもザックを いじっていて行としない。そのうち、男どもの準備のほうが先に終わってしまって、ま ず大森氏がタクシーへ飛んで行った。彼女、“ああ、置いてかないで”などといってい る。以後、この旅では“役立たずのチャウ”という不名誉な枕詞が付くことになった。 北麓野営場から沓形までは、ほぼ島の全周の1/5程度の距離だろうか。野営場からの 距離は鴛泊のほうがはるかに近いが、そちらからの今日のフェリーはもう出た後なので、 沓形発のフェリーしかないのだ。財布係のチャウは、タクシー代として4千いくらかを 払っていたようだ。この偶然のおかげで、2時前には沓形フェーリー乗り場に到着。出 航までゆうゆう1時間以上もあった。残りのビールに土産物屋のビールを買い足し、ピ ーナッツ入りの柿の種やサワークリーム入りのポテトチップスという奇妙なつまみで飢 えをしのいでフェリーの出発をまった。フェリーは40分ほどで礼文島の香深フェリー ターミナルへ着く。 晴れて無風。日の当たる後部甲板で、手すりにもたれれうとうとするうちに、短いが快 適な船旅は終わった。

      船上の2人
今夜の宿泊予定は、ここから5キロほど北の香深井にある緑が丘野営場だ。問題は、食 料の仕入れである。様子を見がてら荷物を担いで香深井方向へ香深の町を歩いてみたが、 何もない。車はわずかに通るが人通りがほとんどない。心細くなるくらいだ。途中の店 も寄ってみたが昨日の店と大差はない。しばらく歩いたところで、立派なバスターミナ ルがあったが、ここもまったく人影がない。バスには大分間があるので、ここでの食料 調達は諦めてタクシーで香深井へ向かうことにるす。大森氏の電話での事前調査によれ ば、香深井にも数件の食品店があることがわかった。 すぐに来たタクシーに乗って、海岸沿いの国道を北上する。すでに利尻は中腹に雲を巻 いているものの、その全容を見ることができる。運ちゃんは、利尻がすっきり見えるの はそうしょっちゅうあることじゃあない、運がいいという。食品店の様子を聞くと、香 深では土山商店(下調べ済み)というのが、一番新しく品物が揃っていて、客も一番集 まる。近所の古くからの店は客を取られて迷惑をしているという。じゃあ、それっきゃ ない。とりあえず、野営場まで行ってもらって、荷物を置き、土山商店へ買い出しに出 ることにする。すると、その話を聞いていた運ちゃん、野営場からの戻りはただで店ま で乗せてあげますよ、田舎の商売はそんなもんだという。感激である。当然、チップを はずむから、賃走で店まで戻るより、彼にとってはるかにメリットがあったであろう。 ここも何もない。土山商店は、こちらの標準で言えばコンビニである。品揃えもコンビ ニ並で、生鮮食品は少ない。小さいながらも目の前に香深井の漁港があるというのに、 しめ鯖と豆腐(大森氏曰く、利尻の夕食と同じメーカー)がつまみである。肉類はこと ごとく冷凍だ。北の果ての島は、食文化も果てる島かなどと悪口をいいたくなる。 しかし、緑が丘の野営場は小規模だがよく整備され快適だった。緑の谷間といった風情 で、西側に沢が流れ(残念ながら3面舗装)、その周囲の草原にテントサイトが展開し ている。もちろん、トイレ、洗い場完備である。幕営用に高床式の板張りが散在するが、 すべて占拠されていた。利用しているのはもっぱらオートバイ族だった。山屋など皆無 である。東京周辺にこんな施設があれば、利用者が殺到してくじ引きとな り、オーバーユースで荒廃するに違いない。 われわれは、一番奥まったあたりのテーブルの近くの芝の上にテントを張った。沢風は 終始穏やかに吹き下ろしているが、それにめげずに羽虫が飛び交い、蚊取り線香を持参 したのは正解だった。なにはともあれ、最高のつまみは今日の利尻岳である。期待して いなかった山の天気は快晴に変わり、対岸の礼文に渡れば、そうそう見えることのない その全容を見ることができたのである。幸運の一語につきる。さほど飲んだわけでもな いが、心地よく酔って寝たのは言うまでもない。 1999年6月21日 月曜日快晴。 朝起きは得意でない。例によって、ぐずぐす最後まで寝ていると、表でカラスにやられ たという声が聞こえる。あとで、大森氏に聞くと、片づけ残した食い物にカラスが来襲 し、テーブルの周囲に食器が散乱していたそうである。しかし、ぼくがテントからのこ のこ這い出したときには、チャウがすべてきれいに片づけてくれていたのである。大森 氏がぼくにそっと耳打ちした、“昨日の役立たずがよほど効いたらしい”。しかし、彼 女の名誉のために言っておくが、八甲田などの共同生活からの結論によれば、自分の都 合が優先しないという条件付きで、彼女は相当に“まめ”である。 ごま油抜きの冨山風ニラうどんで朝食を済まして、礼文島花の旅に出発する。まずは、 バスでレブンアツモリソウの群生地へ向かい、そこから島の最北端であるスコトン岬を 周回する約4時間の行程だ。早朝で、丁度礼文高校の通学時間にあたっていたらしくバ スはほぼ満席だったが、嫌みなオジサンぶりを発揮して、女徒性の隣に置いてあった鞄 をどけてもらって座った。 フェリーを下りたときから感じていたことだが、この島は園芸植物と高山植物の区別が ない。道路端の緑地に、ハクサンチドリとポピーが一緒に咲いていたりする。なかでも 目立ったのは、オダマキだった。自然にはミヤマオダマキとヤマオダマキがあるが、園 芸種としてミヤマを改良したものが一般にオダマキとして売られている。しかし、ここ にはいろんなオダマキが入り乱れて区別がつかない状態だった。 バスの走る国道の右手は海岸、左手は丘陵だ。丘陵は海岸付近で急に落ち込むので、左 側は緑に覆われた崖というほうがぴったりする。その緑を、おびただしいチシマフウロ とハクサンチドリが彩っている。 この島は、遠目には平らに見えるが平地はあまりない。海岸と丘陵のわずかに平けたと ころを、国道が走りその周囲に集落が散在する。 この島のバスはオンデマンド方式だ。だから、好きなところで乗り降りすることができ る。スコトン岬の付け根の「浜中」バス停で降りて歩くつもりで、大森氏が“レブンア ツモリソウの群生地はどちらの方向か”と運転手に訊ねると、そのまま乗っているよう に言われた。そして、数100m先の群生地の真ん前で降ろしてくれたのだった。群生 地の周囲は厳重に柵で囲われ、監視小屋に人が常駐している。柵の一個所に入り口には 扉があって鍵が掛かるようになっている。よほど盗掘がひどかったのだろう。

      レブンアツモリソウ
そこからわずかな距離の周回路が群生地のなかを通っているのだが、ほとんどが花期を 過ぎて枯れた花が垂れ下がっているだけだった。大森氏の写真は、わずかに1株だけ日 当たりの悪い木陰に残っていたものである。ただ、周回路からはずれたあたりには、い くつかの群落があり、柵の近くにも数株が残っていたので比較的間近に見ることができ た。この群生地は、島がスコトン岬へ向かって突き出す半島の付け根の中央あたりにあ る。散策路は、そこから日本海側の鉄府という港へ向かって下る。その途中か車道をシ ョートカットして海辺に下り、海岸線に沿って北上する。散策路の周囲にわずかにあっ た人家もすぐになくなり、行き交う人影もまばらだ。快晴の空の下、風が吹き渡り、左 手は果てしない海、右手から前方にかけてゆったりとした丘陵が広がる。3人いるから いいようなものの、独りだったら寂しくてやりきれないような風情だ。しかし、花に関 しては賑やかである。海岸付近は独特の植物が多いが、それと高山諸物と、普通の下界 の植物が入り交じって、とてもではないがぼく程度の植物知識では混乱を深めるばかり である。 今日の旅の最後に購入した礼文、利尻に冠する花の本を参考にまとめてみると、ここで 見た花は次のとおりである。 ハクサンチドリ、ヨツバシオガマ、ハマナス、エゾフウロ ネムロシオガマ 黄色い花のシオガマ。エゾシオガマより大振りな花 センダイハギ あざやかな黄色の豆科の植物。『伽羅先代萩』(メイボクセンダイハギと読む) からの命名といわれるが意味不詳。 オオバナノミミナグサ 名前のとおりミミナグサより大分花が大きい。 ハマベンケイソウ ベンケイソウに似て粉をふいた大きい葉をもつ。瑠璃色の鐘状の花が美しい。 名前のように砂浜に生える。 ハマハコベ ハマベンケイと共生することが多い。葉がハコベ似てやや厚い。 レブンソウ、チシマゲンゲ これらはよく似た紫の豆科の花。花が上向きか下向きかで区別するそうだが、 現地ではまだ礼文の花の本がなかったのでわからなかった。 カンチコーゾリナ 山に多いタカネコーゾリナの親戚。毛深く大振りのニガナといったところか。

        エゾカンゾウ
スコトン岬への散策路は、起伏に富んでいる。前半はゴロタの浜と呼ばれる海岸通しだ から平坦だが、やがて道は海を離れ、まずゴロタ岬への急登が始まる。 今日は山登りの予定はなかったと大森氏にいわせるほどの登りである。この急登が終わ ると、なだらかな草原(ここもお花畑だ)へ出てゴロタ岬が見えてくる。道は、自然が 作り上げた曲折する崖線の縁に沿って進む。

      礼文島最北端スコトン岬(かなたにサハリンが・・・・見えない)
ゴロタ岬からの景観は見事だった。山の絶景は何度も経験しているが、海の絶景にはあ まり免疫がない。岬だから当然海に向かって突き出しているが、周囲の柵を乗り越えて その突端に立つとたっぷり高度感がある。この高度は、さっきの急登で稼いだものだ。 切り立った崖の突端ということもあって、巨大な軍艦の舳先に立っているような感じを 抱かせる。周囲の海は北国の空を映してか、わずかに暗い藍色である。行く手はるかに 目的地スコトン岬が見え、その手前の崖には柱状節理が克明に見える。 風は息継ぎなく一定に吹いてる。われわれは日常的に経験する風は、絶えず強弱がある が、それがまったくない。図鑑を開くとページがビビーッと鳴り続ける。こういう風に 出会うと地球の回転を間接的に感じる気がするがオーバーだろうか。 ゴロタ岬から見下ろすスコトン岬は、遙か先である。それもいったん海岸まで下って、 また登り返すのだ。岬の先端に小さく土産物屋と車が何台か見える。岬へ続く長い稜線 をバスがトコトコと走っている。背景は北海道側の海と空しかないから、何だかバスが ゆっくりと飛んでいる様に見える。例えば、山で縱走しているときに、大空をバックに 隣の稜線をバスが走ってたらこんな感じかと思わせる、不思議な光景だった(ぼくは一 瞬、池澤夏樹の『マシアス・ギリの失脚』を思い浮かべたのであった。知らないだろう なあ)。 スコトン岬へ着いたのは丁度昼時だった。ビールと丼飯でもあればの期待は見事に裏切 られた。ビールはあったのだが、食い物が悲惨を極めた。ジャガイモに甘ったるい衣を 付けて揚げるなどという、軽蔑すべき食い物しかないのだ。それにことごとく高い。北 端の岬は、味覚の果てる所でもあるのか。昨夜の残りの酒と肴を持参しなかったのを悔 やむことしきりである。 帰りのバスは、土産物屋の前から出る。ひたすら不味くて高価なつまみと酒を飲んでも、 まだ大分時間があったので海へ下りることにした(ただし、目の前にトド島があるから でもないだろうがトド肉大和煮の缶詰1000円也は、値段を別にすればまあまあだっ た)。展望台の先端から海岸へ下る道が付いていて、無人だが簡単な船着き場がある。 その岩場で、大森氏がウミニナ(ぼくはシッタカ)と呼んだ小さな貝を拾う。大森氏曰 く“梓は転んでもただでは起きない”。まったく、この土地の味というべきものに見放 された、せめてもの逆襲である。わずかな時間だが3人では食べ飽きるほどの数が採れ た。 午後とどう過ごすかいろいろ案があったが、「船泊」にある銭湯に入ることが最優先と なった。こういうスケジュールの決め方は、大森氏の特技、独壇場である。気持ちの良 いほどてきぱきと段取りがついて行く。ぼくとチャウは、参考意見を述べるに過ぎない。 十二ヶ岳のときに、ぼくが力任せに何かをねじ切ったかなにかしたときに、“俺は力は ないんだよなあ”といったが、あれは言外に“しかし、知恵はある”といいたかったに 違いない。 北端の地のせいではないだろうが、いやに突っ張った茶パツの運転手の運転するバスに 乗って、船泊の少し手前のその手前の久種(クシュ)湖でバスを降り、湖の周辺を散策 する。この湖畔に素晴らしい野営場があった。台所、寝具が備わったロッジと、設備は マットだけのバンガローと、オートキャンプの可能な広い敷地がある。設備はすべてぴ かぴかの新品だ。しかし、そこにはテントが1張りだけ。いっそ、こっちへ引っ越すか と話しが出たほどだった。しかし、オートバイ族があれほど緑が丘の小さな野営場に集 まるのは、それなりに利点があるのだろう。たしかに、数日を過ごすとなれば、このだ だっ広い空間より、あのこぢんまりした谷間のほうが居心地が良かろう。 船泊の町まで歩いて、数軒のスーパーを冷やかし、最後の店で夕食の買い物をする。こ の店は、今までの中では一番品数が多かったかもしれない。ここで利尻と礼文について の花の本を買ったが、ほとんど後の祭りというやつだ(しかし、この紀行をつけている 時点では非常に役立っている)。最後に4時から開く町営の銭湯に入ってさっぱりして 帰途についた。スコトンのトイレが日本最北なら、ここは銭湯の最北だろう。 香深井でバスを下り、土山商店でビールを仕入れ、その向かいの藤井豆腐店で豆腐を仕 入れ、キャンプ場へ向かう。 ぶらぶら国道を歩いているうちに、前方の船着き場へ小さな漁船が入ってくるのが見え る。そのとき、ピコンとひらめくものがあった。あの船の漁師から直接魚が買えないか なあなどと冗談のつもりだったが、そこからコマである。 実行してみる気になったのだ。野営場への近道を調べてみるという大森氏と別れ、財布 係のチャウを連れてその船着き場へ向かった。だんだん近づいていくうち期待は失望に 変わった。いまどき漁から戻る船などないのだ。多分、定置網の巡回にでもいっていた のだろう。船には何も乗っていない。途中から引き返そうかとも思ったが、ダメもとで 聞くだけ聞いてみた。“近くでキャンプしてるんですが、何か夕飯のおかずになる魚あ りませんか”。そうしたらである。いかにも木訥な感じの漁師のおじさんが、ふっと足 下を指して“カレイならあるよ”との返事。なるほど、海に沈めた生け簀のなかに、5 匹ほどのカレイが泳いでいる。おずおす“分けてほしいんですけど、いくらくらいです か”。“キロ300円”。おお安い。“じゃあ、その大きいのください”。するとオジ サン、すぐ逃げるからなあといながら、大振りのカレイを生け簀から掴んで、岩だらけ の浜にばさっと投げた。カレイ君、気絶。というわけで、大きな生きたカレイが300 円で手に入ったのである。この辺りの店に鮮魚がないわけである。農村に八百屋がない のと同じだ。

      漁師から直に仕入れたカレイ。
      上方のポリ袋はスコトン岬で採取したウミニナ(シッタカ)
テント場に先に帰っていた大森氏に、買い物袋を広げてみせる。大森氏、“せっかくビ ールを飲もうと思っていたのに”と、わざと迷惑顔をして見せる。“面倒なら煮付けで もいいよ”というと、“意地でもそんなことしないって分かっていってるんだろう”と、 予想通りの応えが返ってきた。確かに菜切り包丁で生きたカレイを捌くのはたいていの ことでない。初日にエゾメバルを雑ぱくに捌いたときとは別人の様に、このカレイ見事 に5枚におろされたのであった。 自分たちで採った貝と、偶然手に入れたキトキトのカレイの刺身。最後にやっと、念願 の地元の美味いものにありついた。宴会が盛り上がったのは言うまでもない。 1999年6月22日 火曜日 快晴。 昨日予定した通り、朝4時に、ぼくが“飯だあ”と起床。異様にハイである。後が怖い。 例によって起きるまでぐずぐずするだろうとの、大森氏の予想を見事に裏切って早起き してしまった。朝飯は、野菜、豚肉たっぷりのソース焼きそば。山のような量をビール で流し込んで、2日間世話になった緑が丘野営場を後にする。 一番のバスで香深フェリーターミナルへ。いままでの島内の閑散とした雰囲気とは違い、 何区組もの団体客でにぎわっている。胸に付けたワッペンだけでも、4種類くらいあっ たろうか。たかだか2時間弱の航海だが、仰々しくテープを張って、別れの準備をいて いる若者たちもいる。利尻、礼文、稚内間のフェリーは、どうやら同じタイプのものが 少なくも3隻あるらし。相当な大型船で、車両の積載口へは観光バスが何台も吸い込ま れていく。この巨大な図体を、ほんの数メートルの誤差で操船する技には感動してしま う。出航するのは比較的簡単そうだが、停泊するときは、狭い埠頭の定位置にピタリと 横付けするのだから。一昨日と同様に後部甲板の風通しのよい席に陣取る。出帆の汽笛 が鳴ると、先ほどのテープの連中だろうか、港側になる左舷で一声に手拍子を打って別 れの歌を歌い出した。それに、引かれるようにぞろぞろと見物が集まってくる。ひとし きりは走って、お別れ騒動が鎮まった頃に、右舷後方の海が波立って一群のウミネコが 乱舞しているのが見え出す。魚群だ。漁師に知らせてやりたいものだななどと考えてい るうち、またも歓声があがった。今度はイルカだと叫んで右舷に人が集まりだした。早 速近寄ってみると、3匹のイルカが船に併走しながら、ジャンプしている。さきほどの 魚群を食べ飽きて、通りがかりのフェリーと遊ぶつもりだったのだろうか。すぐに消え てしまったが、水族館以外でイルカを見たのははじめてで、上階のデッキにいたチャウ も、見た見たと飛んできた。残念ながら、大森氏は撮影できなかったようだ。 イルカの見送りを受けて、だんだんと遠ざかる利尻と礼文を眺め、残りの酒で軽く一杯。 旅の最後の余韻をたっぷりと堪能できた。これが飛行機だったら、あっけなく都会へ連 れ戻されたことだろう。 稚内からは途中、2度の休憩だけでひたすら長距離バスの旅である。 大半は寝こけていた。せっかく北海道の景色を楽しもうと思っていたが、目覚めたのは札 幌近辺。東京近郊の夕方の渋滞と何の変わりもなかった。 最後に、札幌ターミナルでバスを下りたところで、オジサンの航空券紛失事件が起きたが、 これも大森氏の適切な手配と、バス会社の迅速な対処で解決。ことなきを得たのだった。
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