西穂高から奥穂高 ―― 梓夏山山行 齋藤 修

1997年8月29日−31日


 28日 西穂高山荘
  29日  穂高岳山荘
リーダー:大森
参 加 者:鈴木・橋元・中村・亀村・齋藤
 8月中旬に予定していた穂高縦走が、日程変更の上無事完了した。理由は参加者不足
  から、多くの参加者を集め楽しく行きたいという意向で変更したのだが、天候が心配
  された。結果は、快調に行程を消化することができ、大成功裏に終えることができた。

 東京駅早朝集合となり、遅れてはなるまいと始発電車で余裕を持って向かう。すると、
  明治屋は跡形もなく、丸ビルの雰囲気も違う。そのうえ、予定時刻10分前となって
  も、まだ仲間の姿が確認できない。やや心配していると中村女史が現れた。やはり、
  出口が変化していたので多少苦労したようだ。梓の場合、集合時間・場所をまちがえ
  る場合がよくあるが、今回はそうではなかったようなので、ひとまず安心した。
  その後は、鈴木・大森・亀村氏の到着でメンバーが揃う。最後は、公用車となった。
  荷物も各自ほとんどないので、簡単に積み入れ出発となる。平日の道路なので混雑を
  心配したが、渋滞もなく快適に進む。途中で亀村さんが運転を代わり、沢渡には11時
  前につくことが出来た。途中、食物・ビールの調達をしたが、この道沿いもコンビニ
  が増え新島々近辺でもローソン・セブンイレブンがある(たぶんあったのだろうが、
  今回再確認できた)。
 第1駐車場がいっぱいなので、第2駐車場に停める。6人の参加なのでタクシーは効
  率が悪く利用できない。したがって、バス停に近い駐車場所を確保する。身支度を整
  え、沢渡のバス停から乗り込む(往復の方が安いということなので、観光客が持つよ
  うな絵入りの乗車券となった)。今回は、リーダーと会計を大森さんが一手に引き受
  けているので実に細かである。バスの運転手は、いろいろと解説話をしながらすすむ。
  後藤さんが運転手になるとこうなるのかと思うほど、よくしゃべりながらの運転であ
  る (しかしなかなか要点を得た説明ではあった)。そういえば、以前は冬場は何度も
  沢渡から歩いたものだと思いだす。
  安房峠のトンネル工事で、完全に変貌してしまった中ノ湯を横目に釜トンネルをすぎ、
  帝国ホテル前で下車する。西穂高岳へは、ここから下りた方が距離を稼げる。いざ出
  発となったとき、バス停横の石上に1眼レフのカメラがある。大森さんの物かと思う
  と、軽量化の折りこのような物は持ってきていないという。大声を出し、廻りの人に
  確認するが応答がない。このまま持っていって所有物にしようという思いに負けず、
  帝国ホテルに拾得物として預けることにした。
 夏も終わりだというのになかなかの観光客が歩いている。梓川を渡り、遊歩道を外れ
  た社で昼食をとる。トイレからもどった亀村さんの話によると、「カメラを落とした
  夫婦連れらしい人に会いお礼を言われた」ということである。どうやら拾得者はこの
  時点で亀村さんになったようだ。西穂高方面に向かったというので再会した際のお礼
  を楽しみに出発する(生ビールの一杯は最低あるだろうと思いながら歩く)。
 いよいよ登りが始まる。樹林帯ののんびりとした登りから、傾斜が高まり、沢沿いの
  道を汗を出しながら登る。確か3年ほど前、後藤・中村両氏・英彦と歩いてるのだが、
  最初のうちは道をほとんど思い出せない(アズサハイマーの伝染力は大変なものだ)。
  次第に記憶を取り戻すが、テキトウなことを言う私の発言は、メンバーの信頼を失い
  つつありほとんど説得力がない。私の記憶通り、50分ほど登ると水が流れているとこ
  ろにでる。同様の男女交えた年配者のグループが休憩している。「もう少し行くとも
  っと快適な水場がある」という私の発言をやや信用していただき、もうひと踏ん張り
  する。しかしなかなかない。冷たい雰囲気を感じるが途中より先頭にでて水場を発見
  し面目を保つ。
  十分に体内に水を補給し、先を急ぐ。稜線めいたところに出ると霞沢岳が前方に確認
  できる。前回は確かこの辺で、八右衛門沢で苦闘している大森・橋元パーティーと交
  信した記憶がある。向きをかえ15分ほど登ると「天命水」と書かれた水場に出る、多少
  でている程度で当てにはならない(よどんでいて飲む気にはとてもならない)。ここか
  らは、樹林帯の蛇行する道を登りつめる。初日であることと、早朝の疲れがでて来る
  ところである。先程のパーティーを抜き返す。亀村さんの話によるとそのうちの2名
  がカメラを落とした人だそうだ。しかし、亀村さんを見ても何も反応しない(生ビー
  ルが遠のいていく)。最近は、礼儀をわきまえない登山者(人間?)が増えてきている
  嘆かわしい。改めて観察すると、男女入り交ざった変なグループである(こちらもそ
  うであろうか。このままどうゆう訳か奥穂まで同行程をたどることになる)。
 休憩のあと、残り1/3の行程を頑張る。単調な樹林帯を抜けると、湿地帯のような窪
  地を抜けトリカブトの群落するお花畑を抜ける。ここを登りきると主稜に着ける。
  もう少しであるが、快適な姿で小屋に着きたいため、この分岐で休息をとる。やや傾
  斜が緩くなった稜線を、お花畑(時期が遅くあまり花はない)を抜け程なく西穂高山荘
  に着く。
 さっそく宿泊の手続きを大森さんがする。予約をしっかりしていたせいか、6畳の個
  室をあてがわれ快適な環境を確保する。身支度を整えると、屋外での宴会となる。こ
  のあたりから雲の動きが早くなり、やや肌寒くなる。明日の行程を雲行きと相談しな
  がら乾杯する。つまみは、大森・橋元両氏が準備することになっていたので楽しみに
  していた。のどの渇きにビールが進む。生の枝豆をゆでるが塩が不足している。無言
  で立ち上がった橋元氏が数分後、ビニール袋に塩を調達してきた(なんとフロントで
  無償で快く分けてくれたそうである−小屋代を払っても良いような気になってきた)。
  やはり、生の枝豆はおいしい。あっと言う間になくなっていく。宴会を予想し、食事
  を18時30分にしてもらったために、時間はたっぷりとある。ビールから日本酒に変わ
  る。寒さにまけ内に入ったが、宴会は継続する。私は、この辺ですっかり出来上がり、
  満腹・満酔状態。夕食になるが、満たされてしまっている。どうにかお腹に納めたよ
  うに記憶している。ちなみにメニューは、チキンかつ・サラダ・佃煮類だと思う。
 疲れも手伝いだいぶ眠たくなってきた。誰とはなしに布団を整え始める。この瞬間に
  寝息を立てているのは、もちろん亀村さんである。いつもながらネムップリが良い。
  ここで元気になったのは橋元・鈴木さん、急にビールを開け始める。1・2杯飲んだ
  のは記憶にあるが、私はいつの間にか寝込んでいた(あとで聞いたのだが、橋元さん
  はビールを手に持ったまま寝ていたそうだ。よくこぼさなかったものだ。酒への執着
  心というものはすごいものがある)。とにかく本日の宴会は終了したようだ。飲んだア
  ルコールは、ビール(500ml)9本・酒(2g強)で終了した。
 夜中に、熊(亀村さん)が歩く音とともに全員が一度起きる。トイレに行ったようだが、
  どういう訳かみんなが起きた。外を見ると満天の星空、どうやら明日は期待できる。
  数分でもとのように静まり、いびきが鳴り始める。

 翌朝は、梓初の早朝発となり、朝食もとらず4時半起床5時出発となる。天気は上々
  大森さんの先導により、緊張した面もちで出発となる。しかし、中村さんがいない、
  実は少しでも距離を稼ごうと、もう歩き出していたのである(さすがベテランはする
  ことが違う?)。20分ほど登ると丸山という小高い場所に出る。こんな所にも、寒い
  なか山に邪魔されながら登る日の出を待っている人が数名いる。ここを『ゴトウ限界』
  と名づけさせていただいた。前回いっしょに来た時、天候が良いこととお酒の誘惑に
  負けこの辺で後藤さんが自主的にリタイアしたのである。丸山を少し抜けたハイ松の
  中に『プーチャンテラス』といわれる快適な場所がある(詳細は本人にたずねられた
  い)。中村さんを追いかけるがなかなか追いつかない。大森さんの「休憩をとるぞ」
  の声でやっと合流し休息がとれた。日も登り始め、焼け岳や笠が岳の頂が照らされは
  じめてきた。
 独標までひと息なので、十分に英気を養う。他の登山者も2・3パーティーなので、
  鎖場も渋滞なし(前回来たときは、団体が50人ほどいていやになった)。数分で独標の
  上に立つ。眺めは十分。前方に前穂高から本日のコースが絵のようにつながっている。
  間近には、ゴツゴツした岩峰が並んでいる。あれを1つ1つ乗り越していかなければ
  ならない。休憩はとらず先に進む。下降すると年輩の女性づれが急降下の岩稜に手を
  焼いている。どく気もなさそうだ。
 一汗かき、体調も良くなってきた。前方に見える岩稜をめざす。40分ほどで到着する。
  頂上には「ピラミッドフェイス」と書かれた標識がある。どうやら、西穂高は先らしい。
  見ると、前方にやや高い岩稜が堂々とそびえ立っている。一息入れてから再度挑戦で
  ある。気を取り直し進む。途中でヤニ元気な青年が、軽装で走るように抜いていった
  (私にもああいう時代があったのかなあと思うと複雑な気持ちとなる)。一気に行くの
  も野暮なので、途中の岩影で朝食を兼ねた休憩をとる。ここで、途中何度か顔を合わ
  せた夫婦に抜かれる。奥さんが小型のキスリングを背負われるように背負っていたの
  で、大森さんが丁寧に背負いやすく直してあげた(意外にも女性には年齢に関係なく、
  親切なようである)。しばらくキスリング談義をしたあと出発となる(暇になるとすぐ
  に始まる昔話)。
 きつい登りを我慢すると、西穂高岳の頂上に立てた。意外と長かった。しかし、コー
  スタイムよりは相当早いので満足する。もっと広い所かと思ったらさほどでもない
  (槍の頂上程度である)。ここからは、西穂高山荘の西側半分がみえる。山荘のロープ
  ーウェイ側から確認していれば、西穂高が見えていたことに気づく。昨日、東側のテ
  ラスで宴会をしていたので、丸山に邪魔され見落としていたのだ。これからの山稜に
  期待を弾まし、大休止をとる。天候には恵まれ、遠くは立山・槍が岳を始め360度の
  展望が確保されている。ここで今まで掌握した山々の確認をし、訂正をした。笠が岳
  の奥が御岳と思っていたが、実は「白山」である事を確認(考えて見ればだいぶ方向が
  違うのだが)。前方にも岩稜がはっきり見れるが、起伏が入り乱れているのでなかな
  か掌握できない(一番解りやすいと思っていた「ジャンダルム」が認定できない)。行っ
  て見れば解るだろうと言うことで落ち着いた。先程の青年が、「ジャンダルム」まで行
  って来るといい残し、我々より先に山稜に入っていった。
 リーダーのゼルブストの準備の指示で、身を固めるが、1人逆に軽装になったメンバ
  ーがいる。半袖・半ズボン姿の橋元オジさんである。先程の青年に刺激されたのだろ
  うか、元気づいている。これより、クライマー5名・ハイカー1名の変則構成になる。
 今までしっかりしていた岩稜が、この先からガラガラしはじめる。慎重な行動が必要
  になる(まだ歩きにくいだけで危険なところはない)。西穂高から見るとあまり起伏が
  ないように見えたが、なかなかのアップダウンがよぎなくされる。赤岩岳の登りも一
  汗かかせてくれる。ピークらしくない頂上で休憩を取り、間の岳へむかう。またも急
  降下・急登の繰り返しである。しかし、やや岩が落ち着いてきた。この辺から、メン
  バーをリーダーの大森さんに任せ、鈴木・橋元・齋藤が道を外れ、岩稜歩きを楽しみ
  出す。どうやら頑張り、間の岳へ着いたのは9時になっていた。最初快適に飛ばして
  いたので、昼過ぎには奥穂などと思っていたがかなわぬ夢となる(たぶんわたしだけ
  が勝手にそう思っていただけであろうが)。 
  とにかく下って登らなければ先には進まない。天狗の頭(山頂の標識は「天狗岳」とな
  っていた)への登りは、なかなかのものである。しかし岩がもろく歩きにくい。道を
  探し、鎖場を利用しながらの登降となる。やや疲れてきているので、慎重に行動する。
  この辺から奥穂高から来るパーティーと出会う(結構いるものだ)。ここでも橋元・齋
  藤は岩稜歩きを楽しむ(大森さんに申し訳ない)。さほど広くないが、ジャンダルムか
  ら奥穂高まで間近に確認できる素敵なところである。やや雲が出て来たのが残念だが、
  これ以上の贅沢は言えない。十分な休息をとる。
 間近に見えるジャンダルムだが、ここからは今日の最大の下降が待っている。天狗の
  コルまでは、飛騨側(このルートはほとんど飛騨側についている)にコースがとられて
  いる。落石に注意し慎重な行動をとる。ぐっと高度を下げていく。天狗のコルには、
  壊れてしまった避難小屋があった。10年ほど前に来たときは、まだどうにか使える雰
  囲気はあったが、今はだだの風よけになっているにすぎない。右に岳沢に行くルート
  を見送り、這松尾根ノ頭への急登が開始する。ここでも橋元さんとリッヂ上の岩稜散
  歩をさせていただく。岩にとりつくと、早いリズムで登ってしまうが、体力が伴わず
  息切れを生じてしまう。昔の思い出を大切にしつつ楽しませていただく。凸峰・畳岩
  尾根の頭を上下しながら快適に抜け、コブ尾根の頭を越えて、ちょうどお昼にジャン
  ダルムの下につくことが出来た。当然、ジャンダルムを見ながらの大休止となる。要
  所要所で出てくる中村さんのオレンジがおいしい。それに加え、荷物のないように見
  える鈴木さんのザックから時々果物の缶詰がてでくる。これがまたおいしい。
 岳沢側に巻き道のルートがあるが、見る限り足場が不明瞭で切り立っている。ルート
  選びをしながらの休息となる。ここは、なかなかの広場で快適なところである。ジャ
  ンダルム越しに、馬の背のリッヂ・ガラガラとした奥穂高が間近に望まれる。リーダ
  ーの大森さんがルートファインディングをしながらトップを切る。やや飛騨側から巻
  き、少し登ると岳沢側のルートに戻れる。見事な判断。かぶっているように見えた箇
  所は、行ってみると一応足場がある。今度は鈴木・橋元さんがいない。ロバの耳近く
  で待つとジャンダルムの上から残置ザイルを利用して、鈴木さんが直登ルートを下り
  て来る。いやはや軽快である。ハイカー橋元氏は大事をとり、少し遅れて我々と同じ
  ルートを歩いてきた。 
  ここまで来るといよいよ奥穂高は目の前である。ロバの耳へ行くやせた尾根を下りる
  と5人ほどのパーティーがザイルを出して、馬の背を登っている。年輩の男性がリー
  ダーのようだ。我々に「初心者がいるからザイルを出している」と説明するが、途中
  1カ所もとっていないうえに上でビレーしている青年が小さな石にいわいているだけ
  のお粗末な物。まして、ザイルにゼルブストに着けているカラビナを通しているだけ、
  何を考えているのか解らなかった。待つのも何か口出ししそうなので、間に入り抜け
  させてもらった。馬の背(ナイフリッジ)の上に着くと、奥穂から様子を見に来たとい
  う親父が、声を上げて観戦していた(なにやら不思議な人が増えてきているようだ)。
  しかし、青年達はとても礼儀正しく気持ちがよい4人であった。仕事上若者とつきあ
  うが、最近このような青年が少なくなってきているように日常考えている。しっかり
  とした、リーダーに巡り合わせてあげたかったなどと勝手な感想を抱いた。この先は、
  5分ほどで奥穂高の社のある山頂に着ける。西穂高山荘をでて8時間40分。ちょうど
  標準的な勤務時間で終了することができた。

  今日、はじめてのお酒(ビール)を飲もうと準備する。すると、橋元さんから「待て」
  の声。どうやら保冷パックと瞬間保冷材を持ってきたようである。やおら冷やし始め
  るが、使用方法を理解していないのでなかなか冷えない。やっと理解でき冷やし頃合
  いをみて乾杯となる(どうせなら途中で冷やし始めればよいのに忘れていたらしい)。
  ありがたく頂戴したあとは、ワインやらありたけのお酒で宴会を仕始める。中村さん
  が、頭が痛くなり始め横になっている以外は皆元気である。頂上からの展望をつまみ
  にビール3本・ワイン1本があく。これ以上飲み過ぎると下りが心配なので穂高山荘
  にむけ下山する。
 この行程は、おまけだと思っていたが、疲れた足と酔ったからだには、多少の負担を
  強いられる。なにやら山荘前では、大宴会を我々より先にはじめているグループがお
  り、盛りあがっている。雲が出てきたので、声を頼りに下りていく。山荘では相部屋
  は詰め込みと聞き、酔っぱらって気が大きくなっていることもあり迷わず個室を所望
  する(個室料1万円も取る)。雨漏りもし(スーパーでくれる袋のような物が天井から
  下がり水をうけている)、
 昨日より悪い部屋だが、寝具は気持ちがよい。高山病にやられた中村女史を残し、山
  荘前で宴会の準備をする。
 今日は、酒はないが橋元さん持参の「牛肉の味噌漬け」「枝豆」が残してある。高いビ
  ール(750円)を買い求め、正式な乾杯となる。中村さんには申し訳ないが実においしい。
  この日のお酒・つまみは、各自持参となっていたが、持参が少なかったようで特に日
  本酒は皆無である。当然、普段は飲まないワンカップも購入する。会計の大森さんが
  予算オーバーだといいながらうれしそうな顔をして手に入れてきた。
 枝豆をゆで、そのあと牛肉の登場である。さっと茹でることにした。この辺から私の
  頭の後ろで、おばさん2人が我々の宴会の実況放送を始める(とにかく、何か私たちが
  するたびに解説を仕始める。よほど暇らしい)。茹でるとすぐになくなる肉は、とにか
  くおいしかった。担いできた橋元さんに感謝しながら堪能する。皆の箸がとまりはじ
  めたので、橋元さんの了解をえて、私の後ろの解説者に2切れほど進呈すると、やっ
  と静かになった。
  夜に向かうにつれて天候も回復し、展望も開けてきた。時間にまかせて酒宴を開くが、
  量は進まないものだ。大森さん持参のウイスキーと亀村さん持参のシェリー酒がまだ
  残っている。時間になったので、夕食になる。この日は、豚カツ(あげる臭いで勝手に
  判断していただけなのだが)と決めていた橋元さんは「じゃがいもコロッケ」に化けた
  夕食を見て、『こんなゴミみたいな飯食えるか』と大声で雄叫びをあげる。一応自己
  反省したみたいでその場は難なく終えたが、私もそうだが、宴会で腹は十分満ち足り
  ていたゆえのお遊びであろう。
 夕食後は、また布団の準備をし休息態勢に入る。しかし、元気な大森さんは、小屋主
  催の夜の夕べに参加し研鑽を深めている。私は、すいすいと睡魔に負けていってしま
  った。

  翌朝は、8時ぎりぎりまで粘ってゆっくりおりる約束だった。しかし、小屋全体が4
  時過ぎから騒がしくなり、そうは行かなくなった。しょうがなく久しぶりにご来光を
  拝みに行くが、雲が多く出るのが遅い。寒いので小屋の中から拝ませてもらう。外を
  見ると大森さんが寒い中カメラを持って立っている。山行の度に以前の大森さんのイ
  メージが変化していく。朝食は涸沢でという事になり、なんと6時前の出発となる。
 意外と下りにくい「ザイテングラード」を一気に下り、涸沢小屋のテラスでビールを
  飲みながらの朝食をとる。このあたりから中村さんが元気を取りもどしはじめた。
  穂高に囲まれカールでの食事は、気持ちが良かった。最近はすっかり、テントの数が
  減ってしまった涸沢を下る。穂高が望める最後の地点で一同、今度いつ来れるかとブ
  ツブツ言いながら写真に納まる。本谷橋のあたりは、道が流されており、雰囲気が変
  わっていた。橋も架け替えられており、今までのイメージではない。人も多く、休憩
  できる雰囲気ではないので先を急ぐ。
 次第に屏風岩が迫ってくる。橋元さんに以前登ったコースなどを説明してもらうが、
  かすかな記憶があるだけで、思い出せない。当然記録も着けていない。がむしゃらに
  登っていた頃の自分を反省する。ただ解るのは、連れていってもらったコースは特に
  記憶がなくなっていることである。傾斜が緩くなった道を急ぐと横尾まで一気に下っ
  てしまった。このころから鈴木さんは、一人先行しはじめる。横尾橋のたもとで、カ
  メラを構えて待っていてくれた。
 ここからは、かって知ったる道。早いの、遅いのの声が飛び交う中、なかなかのペー
  スで時折バラバラになりながら、河童橋をめざす。最後はどういう訳か、6人がきち
  んと合流して、今回の終了点河童橋に無事着けた。掛け替えられた河童橋にも興味が
  あったが、外見からすると、何も変わっていないような気がした(鈴木さんは何メー
  トルか長くなったといっていたが)。しかし、多くの観光客が梓川の中まで入り、バ
  ーベーキューでもしそうな雰囲気がイヤに見えた。今回の3日間の行程の全容が見え
  たので、岩稜を全員で確認する。当然、意見が食い違いまとまらない。途中拾った観
  光客用のパンフレットに的確な山並みの記載があったので、それで納得して、バスタ
  ーミナルへ向かい、バスに乗車し沢渡のデリカに着いた。

  当初より私は、「白骨温泉」を切望していたため、大森さんに了承してもらっていた。
  確か、公共の露天風呂が出来入浴できるようになったと何かの記事で読んだことがあ
  り、本でも確認しておいた。着替えを手に、白骨温泉に向かう。以前は、かなり荒れ
  た道のイメージがあったが、この温泉ブームのせいか、道がだいぶ整備されつつあっ
  た。突然蜂が、窓から侵入し私の背中を刺すアクシデント以外は何事もなく着くこと
  ができた。公衆露天風呂は、多くの人でいっぱいだったので、泡ノ湯方面に向かい入
  浴できる宿を探す。泡ノ湯は、時間切れで入れず、偶然車を止めた宿できくと、500
  円で入浴させてくれるというので早速決定する。小さいが露天風呂もあり山の汗を流
  すのには、十分であった(やっぱり温泉は白く濁っているのに限る)。
  体をきれいにし気持ちよくなれば、酒宴の番である。この辺には、あまり良い場所が
  ないとわかっているが、皆の鼻を頼りに沿道に気をはらう。新島々あたりで新道が開
  かれており、その脇に「手打ちそば」とかかげられた幟が目に付き、一応観察をする。
  店構えに負けて入店となる。手打ち台に粉などまかれ、なかなか雰囲気はよいが、客
  がいない。とにかくビールを頼む。カウンター越しになにやら饒舌ではあるが、いっ
  ていることがあまりはっきりしない男が注文を取る。しだいにいやな雰囲気がでてき
  た。やはりビールがでてくるまでひとしきりかかる。漬け物や突出しを食べながら、
  のどを潤す。これからが大変であった。注文を何度も繰り返す割には、なかなかでて
  こない、うどん粉をあげたような天ぷら、厚手の歯ごたえのある凍った馬刺がでてき
  た頃には、メンバーの面々の顔色が変化している。橋元氏は、酔ってもいないのに顔
  を赤らめおたけびをあげる。これ以上押さえきれないと思ったところに、酒の後に頼
  んだそばが早くもでてくる始末、泥試合となる。運転を引き受けた私は、最期まで見
  届ける勇気がないので、先に店を出た。しかし、あきれすぎて、あまりもめ事が起き
  ず終わったようである。唯一の成果は、盛りあがらなかったため、費用は抑えられた
  ようである。
 悪いことは早く忘れるべく松本をさる。最初は快適に走った中央道も、途中より大渋
  滞となり、以外に時間がかかってしまった。すべて良いことばかりでは終わらせてく
  れない。全員無事に、帰れたことを喜ぶべきであろう。誤差はあったが、大森さんが
  当初予定した時刻に東京駅に着くことができた。
 別れる姿を見ると、数名足が自分の意志のなすままに動かないようである。とにかく、
  自分の力では歩んでいる。またの山行を約束し別れた。

コースタイム
28日 上高地帝国ホテル11:45−11:55西穂高登山口12:30−15:40西穂高山荘
     18:30宴会の儀終了
29日 西穂高山荘5:05−独標6:40−7:40西穂高岳8:00−9:00間ノ岳9:10
     −9:50天狗岳10:15−12:00ジャンダルム直下12:20−ジャンダルム12:30
     −13:00馬ノ背13:20−13:45奥穂高14:55−穂高岳山荘15:40
30日 穂高岳山荘5:45−6:50涸沢小屋7:45−10:00横尾10:20−11:00徳沢園11:15
     −11:55明神12:05−上高地バスターミナル12:45

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