荒船山・御座山 ―― 冨山さん復帰記念山行 橋元武雄

(付録)出発までのひと騒動 後藤

1997年10月10日−11日


1997年10月10日 土曜日
雲の多い晴れ。
南浦和8時集合。
冨山、後藤、鈴木、金谷、高橋、池田、大森、田中、亀村、中村。

電話の呼び出し音の最後の数回で目覚めると、8時半近く。記憶にない大遅刻。あわて
て飛び起きてデリカを走らせると、途中までカメ車が出迎えに来るところにばったり。
いや面目もなし。

産業道路から、17号経由。本庄児玉で関越へ。下仁田で高速を下りる。荒船不動から
艫岩へ。荒舟山というのは、南米のオリノコ川上流のロライマ山地のようで、いったん
上まで上がってしまうとあとはほとんど起伏がない。これなら復帰初回の冨山さんにも
手頃だろう。艫岩の絶壁より下を見下ろすと、今登ってきた内山峠の車道が延々と見え
る。遥か道を隔てて反対側の山塊のなかに、今日これから向かう内山牧場の幕営地を望
む。
内山牧場のオートキャンプ場泊。
結構もりあがったらしいが、悪寒がして先に寝てしまった。

1997年10月11日日曜日
風やや強く、曇りがち。
御座山。

小振りながら精悍な岩峰。ピリッと締まった登高。見事な紅葉。風があったので山頂直
前の小屋裏で宴会。ビール6本、ワイン3本、日本酒4合がまたたくまに空く。

全員満足の態。温泉を模索するも、いずれも高すぎて、時間もなく断念。小諸で後藤さ
んの情報による佐久のそば屋へ。コイを一匹あらいにしてもらう。ソバ打場の乱雑さが
気になったが、案の定、その場で打ちはするもののさっぱり旨味のない固いだけのそば
だった。やはり冨山さんの復帰祝いは、塩原の旭亭でなくてはならない。トンカツをつ
まみに一杯やって、鰻重で〆るのだ。

(付録)出発までのひと騒動 後藤

10日から11日にかけて、「冨山さん復帰記念山行」と銘打って西上州「荒船山」と「御 座山」へ行った。 参加メンバーは冨山、鈴木、金谷、橋元、高橋、池田、大森、中村、田中、亀村、後藤の11 名という大所帯。 南浦和午前8時集合だったが池田さんが7時30分ごろ到着、8時を過ぎても現れないのが金 谷さん、冨山さん、橋元さんで、金やんは常習なので心配はしない、タンクはすこし遅れ ると言っていたそうでこれも心配なし、おじさんは多分渋滞の影響で間もなく来るだろう と言うことで待っていた。 8時20分ころ金やん到着、8時40分になってもあとの二人が現れない、タンクは電話で自宅 は出ていることは判ったが、おじさんは電話に出ない。 いくら渋滞とはいっても時間が経過しすぎているので、事故ったのではないかとて、カメ チャンの車で亀チャン、大森さん、後藤が様子を見に出かけた。 しばらくして、前方からデリカが来タ、来タ、運転台のおじさんはにこにこしている、大 森さん曰く「仕事が入ったな、やっと電送して、車をもってきた、デリカは善さんにたの む、もどってこれからまた仕事!というのだろう」とて。 ところで、おじさんのデリカの飛ばすこと、南浦和東口方面へビュンビュン、(集合場所 は西口だ)たしかにJRをくぐる道路がある・・・・ところが(工事中でダメ)、すぐ脇 の駐車場をグワーンとUターンして、またビュンビュン、カメチャンも追いかけるのに必 死。やっと集合場所の西口へ、そのころにはタンクは到着済み。 すでに時間は9時をまわっていた。 おじさんに、こもごも「どうしたの」と問えば「・・・・寝坊・・ン」と、「集合時間過 ぎて目が覚めたのハジメテ・・・」だと、電話したけど出なかったよといえば「知ってた、 それどこじゃなかった」だって。 そのうえタンクは「一時間まちごうた」・・・・。 やれやれ、梓はゴアンタイである。 関越高速下りは大渋滞で17号線沿いをあっちへ、こっちへ、本庄児玉からやっと高速へ、 それでもなんとか「荒船山」には登った。 紅葉が始まり、山頂の艫岩の大絶壁上からの眺望も楽しみ、同夜は「内山牧場」で天張り、 楽しき月の夜も更けていった。 冨山さんの歌も出たのでぼちぼち本番復帰も可能でしょうか。

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