本杉小屋スキーツアー後 唐松岳独り山行

河 崎 研 二     '94/12/31〜'95/01/03


 12月31日の朝に梓の皆と別れ、高橋さん(日本紅茶)の車にて八方尾根の基部の適当な所で降ろしてもらう。高橋さんは今夜から別口のスキーツアーらしい。別れた後暫くジャンプの練習見物。
 今日はリフトとゴンドラで行ける所まで行き、いい場所でテントを張って今夜から荒れるらしい山の様子をみる。スキーウェア等不要の物を宅急便にて送り、ゴンドラで入山!!。既にかなり雪が降っている。八方池山荘に着いた時には視界もだいぶ悪くなっていた。
 小屋のすぐ上にテントが二張り。その横にピッケル一本でテン場を切ろうとしていると、隣人が出てきて手伝ってくれた。お陰でかなり立派なブロック壁付きテン場が切れた。
 この日の晩からが大変だった。5時頃からかなり大量の雪が降りはじめ、8時にテントラッセル。カップ麺を食べて一服したのがまずかった。夜中の12時過ぎまで寝入ってしまった。起きると辺りがいやに静かだ。風もない。なんとテントが完全に埋まっている。幸いにも湿気の少ない雪で、内側から正拳突きをくらわすうちに入り口を開ける余裕がでてきた。何にしてもテントの中に雪が入らないように注意して、なんとか脱出。吹雪の中で格闘すること約1時間半。後は朝までシュラフに入れなかった。
 元旦はホワイトアウト。雪は小降りになり、少し余裕ができた。ラッセルを完璧にしておく。小屋に居たパーティが2〜3組テントを張る。視界は殆んど無くアタックは無
理。
 9時過ぎ辺りから風がでてきた。降雪と風は常にあるが、この風は尋常ではない。一応は補強してあるテントだが殆どつぶれんばかりだ。変形に変形を重ねたテントの中で手足と首で必死に抵抗する。晩の7時頃まで吹き荒れたこの風は二張りのテントの住人を小屋に追い返し、一張りのテントの外張をビリビリに破り、ついでに小屋の屋根の一部を吹き飛ばして去った。
 僕はこの間の排泄を全てテント内にて済ませた。高度の技術を必要としたが100%完璧にいった訳では無いとだけいっておこう。ちなみに他のテントの人達は必死に我慢したという。
 夜半からは確実に晴れてきた。ラジオも2日の好天をいう。初めてシュラフにゆっくり入った。とても充実した気分である。独りながら志気が高まるのを実感。
 はたして快晴の朝がやってきた。風はあるが他にケチのつけようがない。テン場切りを手伝ってくれた岡山の青年と住所交換と握手をかわし、彼は下山僕は唐松へ。途中風のひどい所が度々あったが体調も良く、休憩なしで3時間かからず登頂。下りは空腹の為吐き気さえ覚えながらテン場に戻った。
 荷をまとめ、取りあえず小屋に入った。食事がしたかったが食堂が休みでしかたなくココアを飲む。無事下山することを本杉のお母さんに報告。登山届も出しているので取りあえず警察にもTEL、愛想が悪くて気分を壊す。
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 デカザックを背負って八方を滑り降りるのは心配だったが、一度も転倒することなく下山。人の注目を浴びているのが快感であった。温泉にて汗を流し、歩いて白馬駅へ。松本にて夜中の1:05まで時間を潰す事になったがその間3軒の食堂をハシゴし た。店が閉まってからは冷えて寒気がし、鼻水が出てきて困った。だが久々の松本はとても懐かしい。  名古屋には3日の早朝に着いた。正月の駅はとても静かで清々しい空気に溢れている。95年はこうしてはじまった。 
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