本杉小屋にて

橋元武雄     '93/01/21〜24


01月21日 晴れ
今夜から梓スキー行、栂池本杉小屋。
冨山、関根、大森。

気象庁が、暖冬へ予報の修正をしたとでていた。

車が入ってくるのを見て寝たはずのおやじさんが、また起きてくる。冨山さんがいたので話し相手ができたと思ったらしい。自分の敷地に旅館協会がかってに看板を立て、撤去するよう申入れたが、聞かないのでそれを引き抜いてしまい、相手ともめているとか。そのうち、おやじさんが、どこかに電話をかけて誰かを呼んでいる。夜中の12時近くでもあるし、まさか来ないと思っていたら、白髪でやはり関西弁の男がやってきた。これが鈴木のケンさんで、われわれは初見参。石川県の白山下の番屋の子孫と称し、豪快に飲み食いまた喋る。白馬グランドホテルの従業員でプロのインストラクターだという。

01月22日 曇り
鈴木のケンさんに振り回されて、今朝は二日酔い。
前回岩岳に整備にだしたままのサロモンを取りに行き、ついでに八方で滑ることになる。午前中はガスが晴れなかったが、黒菱まで上がったら上が明るかったので、思い切って上がった。兎平から上は、一部だが青空がのぞいていた。1ケルまで上がって、山頂の儀。
この周囲だけは晴れている。109でプレ食事をしていたが、大森氏がそばを喰いたいといいだした。それなら、下まで降りて鈴木のケンさんお薦めの鯉屋でそばということになった。

そばはあまり感心しなかったが、鯉こくはいけた。午後は軽く流してぼくだけ車に戻る。長く滑ると、骨折の後遺症でくるぶしの辺りが痛くなる。みんなの滑り終わるまでの時間つぶしに、駐車場から歩いて咲花までいってみた。いつだったか、いまはなくなった兎平の東急の山小屋に1週間ほど泊ってスキー三昧をしていたとき、スクールのインストラクターが連れて行ってくれたペンションも見つかった。多分あの紅花だろう。

おやじさんは約束どおりアンコウ鍋をだしてくれた。きっと関根さんが児童書を送った礼のつもりだろう。ある程度捌いてあったのでわからなかったが小さなアンコウ1匹丸々ということだった。奥さんは気味悪がって手をださない。代って大森氏が捌いた。この鍋は美味。アン肝は好きだが、アンコウそのものはあまり旨いと思ったことはなかったが、これは違う。

01月23日 晴れ
朝の7時半に善さんを迎えに森上まで行く。今日は、栂池。大森氏が帰る。

夕方鈴木のケンさんがまた登場。昨夜の
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残りのアンコウ鍋を台所で立ち喰いしている。昨夜おやじさんが“アンコウ鍋だから、明日も来い”と鈴木のケンさんを呼んでいた。さすがに今夜は、現れないと思っていたが来た。話を聞くと、ホテルの従業員が寝てから来たらしい。ひとしきり食べ終わると、今度はわれわれの夕食に参加しまた怪気炎をあげて、一方的に喋る。この男だけは、おやじさんと対等にやりあっている。おやじさんも大分酔い、いつものように、果てしなく風呂敷が広がる。蓮華温泉へのツアーの話をしたら、3月の末にガイドをするとかで、また話が大きくなってしまった。おやじさんだけならともかく、あまり大勢では気が進まない。善さんは参加するつもりらしい。

01月24日 曇り、雪がちらちら
佐野坂。鹿島槍の第10ペアの終点で山頂の儀。関根さんが“怪我をしたからといって、自分を甘やかしてはいけない”と、そそのかすので、第10の急斜面を思い切って滑ってみた。意外にも下までノンストップで滑れた。固い緩斜面のほうがくるぶしは痛む。とくに後傾すると痛むことがわかっ
てきた。

鹿島槍で昼食をとった帰りも、青木湖第3リフトの横の急斜面を善さんと2人で降りる。冨山、関根さんらは1つ鹿島寄りの斜面を降りる。この崖に近い斜面も結構、滑れて満足した。荒療治がかえって効くようだ。冨山さんはこの下りで参ってしまい、口数が少なくなった。夏山の剣の帰りに入った店の近くのとんかつ屋に入る。関根さんは風邪で不調。冨山さんも疲労で食欲なし。ぼくと善さんがとんかつを食べたが、あまり感心はしない。

高速はほとんど渋滞はなく、驚いたことに首都高の案内にも渋滞表示がまったくない。9時に東京駅に着く。

01月25日 雨
スキー行の日誌をつけている最中に本杉の奥さんから電話が入り、善さんの定期が風呂場に落ちていたと知らせてくれた。善さんの定期騒動は、那須についでこれで2回目だ。
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