そして、誰もいなくなった

橋元武雄     '92/11/19


 山とスキーの仲間3人(池田、中村、橋元)で、この8月に宝台樹に入校し、40代後半としてはわりに熱心にスクールに通っていた。しかし、まず池田さんが右肩脱臼で、次に中村さんが右膝前十字靭帯断裂と半月板損傷でリタイアし、ぼくだけが残った。生徒仲間では、サバイバル・ゲームをやっている3人として有名だったらしい。そして最後に残ったぼくも、冬季の休校を目前にしてついに敗退してしまった。マザーグースの説話ではないが、
 “そして、誰もいなくなった...”
のである。そこで、最後の1人がいなくなった事の顛末を、ここでお話ししてみようと思う。
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 11月19日(木)。
東京からずっとどんよりとした空模様だったが、藤原湖へのトンネルを越えると雲の切れ間が広がり、一転して信じられないような好天になった。もう今期のスクールも残り少ないので“ラッキー”の気分である。前回、はじめて第7から5本も飛べて、気分は盛り上がっている。
 今日のインストラクターは白石夫妻と白井さん。
 いままでジョギングシューズを履いていたが、今日ははじめて山靴を履いて飛ぶことにする。霜が降りて地面がぬかり、運動靴では靴の中まで濡れてしまうからだ。しかし、山靴は重すぎるのが少し気になる(やはりこの選択は失敗だった)。衝撃吸収用
の下敷をいつもの靴から外して山靴に入れた。

「まずはツリラン」

 最初は第7のTOまで登ったが、上空は南東風2m程度のフォローで、第7側からの吹き上げがまったくなかった。これでは青木沢ゲレンデを飛んだほうがよいということになり。青木沢ゲレンデ上部に戻る。
 白井さんが着地点から指示を出す。白石春雄さんがまずデモ・フライト。数人飛んだあとぼくが出る。尾根越しの風は立ち上げには快適だが、いったん飛び出すとほとんど上昇気流はない。白井さんの指示で、ゲレンデ左側のラインリフトを越えて1回S字を切ると急速に下降し、ほとんどリフトを越えられない高度まで下がる。後で聞くと、白井さんの指示は、リフトと唐松林の間を細かいS字を切って下ろそうとしたらしい。しかし、右回転してリフトに向った時点で、下からの指示が途絶えてしまった(トランシーバがトラブッタらしい)。このままではリフトの架線に正面衝突しかねない。依然として指示はない。リフト直前で、白石さんの肉声で“リフトは越えるな”と聞こえたのであわてて左に旋回した。そのまま唐松林のなかに突入。唐松と唐松の間の潅木に足から突っ込んで、跳ね返るように地上に落下した。水平速度は相当あったが、潅木のたわみで緩衝され、地上の深い枯草の上に落下してことなきを得た。身体は地上にあるが、機体の一部が唐松の枝にか
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かってしまった。はじめてのツリラン(ツ リー・ランディング)というやつである。白石さんとベテランの生徒に助けてもらい機体を唐松から外す。幸い機体にも異常はなかった。

「そして事故」

 青木沢下部で機体を畳んでいると風向きが変り、第7に移ることになった。  第7からは、青木沢を飛ばなかった2人の生徒が最初に出て、4人目くらいに飛び出す。気流は安定している。白井さんからの指示で細かいターンを繰り返えす。けっこうリズムに乗って、気分よく第6のゲレンデへ向かう。最後のターンで、指示と反対に第6の奥へ向かってしまった。先週、はじめて第7から飛んだときは、風の具合で第6の奥まで回り込んでから着地点へ戻った。この記憶が鮮明で、無意識に山側へ回ってしまったのだ。動物行動学でいう“摺り込み:インプリント”である。現状の判断よりも、過去の記憶に頼ったことになる。
 もうランディング地点へ旋回できる高度はなかったので、そのまま第6中間の斜面に向かってやや深い角度で着地する。足が地面に着いたとたんに、右足に激しい痛みが走って転倒した。アッ!やってしまったと思ったが、もう遅い。池田さん、中村さんのことが脳裏をかすめる。
 靴を脱いで足をさすってみる。山靴のへりのあたりの筋肉が強い圧迫を受けたために、へりの形を残してそのまま凹んでい
る。骨の形状は変化してはいないので、とりあえず骨折はなさそうだ。足首も動くし、指も動く。あとから考えてみれば、山靴の右側の先端が地面にひっかかったが、着地速度が相当あったので、姿勢を立て直せなくて、そのまま前倒したのだろう。山靴の足首の部分が硬かったので、そのへりが挺になってよけい強い力が足首にかかったのかもしれない。山靴で飛んだのは失敗だった。つくづく悔やまれる。
 そうこうしているうちにベーシックを担当していた白石夫人が様子を見にきてくれた。機体は彼女に運んでもらって、あとは自力で下りたが結構な痛みだ。第7中段で練習していた生徒に機体を畳んでもらい、昼休みにはいるベーシックの生徒とそのまま事務所へ下りた。マスタークラスは風が安定しているので、昼抜きで3時頃まで飛ぶとか。
 デリカに積んでおいたバッグから湿布を出して貼った。白石夫人は、それでは生ぬるいというので、ビニールの買物袋一杯の氷を階下から取ってきてくれた。それに片足を突っ込んで様子を見る。しばらくして足をだすと、足首が巨大なまんじゅうでも貼りつけたように膨らんでいる。これは決定的にだめだ。今シーズンはもう飛べない。冷やせるだけ冷やして医者に見せるしかない。民宿《すぎな》の予約は取り消すにしても、どうやって帰るかが問題だ。この足でデリカを運転しなければならない。
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「ちょっとお勉強」

 午後のスクールのあいだ、足を冷やしながら、家の近所のセブンイレブンで買ってきた鮭弁当を食べたり、白井さんのインストラクター用の航空力学のテキストなどを読んで過ごす。久しぶりのお勉強は面白かった。揚力理論、つまりなぜ空気より重いものが空を飛べるかの理屈が2つ紹介されていた。
 その1は、クッタ・ジューコフスキーの揚力理論で、これは単純で美しい。しかし、適用範囲は狭そうだ。その2は、翼による流線の偏向を揚力の原因とみなす理論で、ベルヌーイの定理を適用している。ベルヌーイの定理そのものは、エネルギー保存則から導出するが、これは物理ではよく使う手法だ。よく使うというよりもっとも原理的な手法だ。
 この本の内容は、いわば実生活での憲法みないなものでパラグライダーの操作には何の役にも立たない。パラグライダーの場合、翼の形状の変化で主な操作を行なうのだから、それが特性曲線にどのような影響を及ぼすかを知ることが重要だろう。白井さんに読めといわれて読んだ『HANG GLIDING TECHNIQUES』には特性曲線の読み方や対気速度との関係は詳しく説明されていたが、翼の変形との関係は触れられていなかった。もっとも、特性曲線は、軸対称の静的なキャノピーを仮定しないと意味がないから、翼の変形と飛行特性を関係付けるグラフはおそらく曲線でなく曲
面になってしまうかもしれない。
 怪我によるやむをえない暇つぶしのおかげで航空力学の基本的な部分はほとんど読み終った。理屈はすんなり分かるが、パラグライダーのうまいへたには何の関係もない。実技は時間をかけて体に沁み込ませるしかない。
 内出血のせいで貧血が起きたようで、視界が欠落しモアレ斑のようなものがギラギラ見える。それにしても、時々悔しさがこみ上げてくる。あの靴さえ履かなかったらと。
 やがて、マスタークラスの生徒も戻り、こもごも遅い食事を始めた。前回ぼくが最初に第7を飛んだときのリーダー格の生徒がいろいろ気を使ってくれた。彼もパラグライダーで捻挫したことがあり、そのときの経験ではテーピングをしたら楽だったという。事務所にあった薬箱からテープを探して、あぶなっかしげだったがテーピングをしてくれた。これで助かった。テーピングというのは、見かけによらず強力なサポートになるのだ。何とか運転ができそうである。
 患部を徹底的に冷やす。ときどき全身に寒気がするので、そのつど足をだして室温に戻しては、また冷やす。結局、5時間ほども冷やしたろうか、おどろくほど腫れは引いた。捻挫の初期治療の重要さがよくわかった。白石夫人に感謝。このときは捻挫だけと思っていたが、帰宅後医者に見てもらったら腓骨(下肢の2本の骨の細いほう)が骨折していた。
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「怪我した足で車を運転する方法」

 夕方5時を過ぎて事務所の片付けが始まるまでねばってデリカに乗る。アクセルは問題ないが、ブレーキが問題だ。痛みでしっかり踏めない。危険だ。操作しやすいように座席の位置を前に出したが、これは失敗だった。足先がアクセルに近すぎて少しでも足を下ろすとペダルを押してしまう。このため常時右足を持上げていなければならず、とても長続きしない。スクールを出てすぐに道端に車を寄せ、今度はできるだけ座席を後に引いて、右足のかかとを床に置けるようにした。これで大分楽になった。ブレーキは、できるだけシフトダウンしてエンジンブレーキを使い、最後に右足のかかと全体をブレーキに預けるようにするとよいことが分かった。それでも急ブレーキには間に合わないので、いざとなったら左足を使うしかない。
幸いにそういう事態にはならなかったが、後を走る車からはどうもブレーキのタイミングがおかしいドライバーだと思われたろう。こちらは、それどころではないのだ。許してもらおう。
 高速道路では当然ながら慎重に運転し、なるべく車間距離を空けて走行車線を走る。そのうちだんだん慣れてくると、追い越しもできるようになり、前の車があまりカッタルいと時々追い越したりして所沢まで着いた。高速はほとんどシフト(左足)だけで問題はないが、所沢をでると早速混雑した一般道にはいる。ここは頻繁にブレーキが必要になる。しかし、さきほどのテクニックを駆使してことなく帰宅することができた。

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 これでサバイバル・ゲームの最後の1人の話はおしまいである。
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