'89南アルプス山行記録

中村貞子     '89/08/09〜13


メンバー  冨山 橋元 中村
        亀村 田中 (斎藤)

8/9 20:30 集合
   21:00 丸の内 発
   23:50 広河原 着
 ひさしぶりの満点の星空。天の川を仰ぎながら就寝前の一杯。明日の天気も良さそう。

8/10 9:00 広河原 発 バス
   9:35 北沢峠
   11:30 大滝の頭
   12:00 馬の背ヒュッテ
       13:00まで大休止
   14:35 テント場
 仙丈岳頂上直下のテント場、水場とトイレから少しはずれて我々だけの別天地をこしらえる。若者が少なくなってきたとはいえ、さすがに真夏の南アルプス、テント場も若者で賑わっている。我々のお宿の周辺は、コケモモやキバナシャクナゲの咲き乱れるお花畑。静かで、そして涼しい。

8/11 7:00 テント場発
   7:25 仙丈岳頂上
   8:25 大仙丈
   14:35 両俣テント場
 快晴。仙丈頂上より、北アルプスは白馬から穂高連峰、乗鞍、中央アルプス御岳山。その奥には遠く白山、そして八ケ岳連峰。目を転ずれば北岳、富士山がひときわ大きく、そして甲斐駒が思いのほか低く見える。とにかく360度の大展望。今日の行
程はわりと楽だが、高山病気味。

8/12 6:50 発
   7:50 河原分岐(滝)
   10:40 中白根の頭
   12:20 肩の小屋 (13:00までパンとワイン)
   14:35 御池小屋
   16:30 広河原(テント場)
 肩の小屋附近にチョウノスケソウの小群落。北岳頂上を目前に、広河原への帰着時間の心配があったため、ピークハントはあきらめる。御池小屋付近は見るも無残な荒れ方。早々に立ち去る。広河原の指定のテント場はラッシュ。ビールがなかなか買えない。

8/13 11:00 広河原 発
   桃の木温泉 経由
   16:00 東京 着
 朝の暑いけれど、爽やかな陽差しを浴びながら大宴会。前夜の河原での宴会は皆んな疲れていたのか、メインディッシュまでたどりつかないという情けなさ。その分この朝の元気さはどうだ!。小屋の前のテーブルを占拠してたいへんな盛り上がり。これから登る人、下ってきた人があきれたような、羨ましいような顔で、朝から天麸羅の我々を横目で見てとおり過ぎる。
ハッハッハ!

行程    北沢峠−仙丈岳−両俣
      −北岳−広河原
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両俣小屋顛末記

 両俣の沢は、荒れている。小屋が半分流されるほどの昭和57年の台風のせいである。沢筋には、その時の夥しい量の流木が朽ち果て、白い残骸をそこここに晒している。彼らは私達がテントを張ったあたりで、まるで成仏したいと訴えているかのようでした。ここはひとつ、供養をしてやるのが山ヤの情け、とばかりに焚き火が始められたのであります。
 まだ陽の高い4:00頃でしたか・・・。仙丈頂上での大展望を満喫し、少し高山病気味で頭痛はあったものの、行程もそんなにきつくはなく、つめたいビールで喉をうるおし、つまみも食べてゴキゲンに盛り上がろうというところでした。 50m位離れた両俣小屋から若いアルバイト学生でしょうか、オズオズとやってきて、焚き火はしてくれるなという。但し、小屋の前ならいいという。何故なら管理できるから・・・。そう、小屋の前では何やらインディアンの三角小屋みたいなものを作り上げ、白幕を張ったその中で、何をかくそう、焚き火をしているのです。三角のてっぺんから青い煙が細々とたちのぼっています。私たちが仙丈から降りてきた時、小屋の人々と思われるのが喜々としてこのテントを作っていたのです。さすれば、あの火は小屋の連中・・・。だから完全にヤメロと言わず、小屋の前ならなどとぬかしおったのだ。
 わが梓のメンバーはすぐにこれを見抜


き、口ではハイハイ消えたらやめるなどど言いつつ、完璧に無視し、あろうことか、どんどん供養すべきオコツを運んで来る。火は、どんどん大きく、目立ってくるのだった。1時間くらいたつと、また例の坊やがやってきた。また言うかなーと思ったら『すみませんがテント代は支払い済んでいますか』と、いっそうオドオド。こちらは焚き火を囲んでの酒盛りで、だいぶメートルが上がっている。  『そんなもんが要るんかッ』
 という御大のダミ声、わけのわからないわめき声が飛び交うなか、田中リーダーから一人300円のテント料を受け取ると逃げるように帰っていく。小屋の前の焚き火は誕生日のパーティーだと素直に白状して・・・。
 酒宴はすすみ、ローストビーフならぬ味噌味ビーフなどで、皆気持ちよく、あたりも少し暮れなずんできた。最高の夏休みのひととき。御大は気持よさそうに焚き火のそばで寝込んでいると、そこにつかつか(まったくそういう足取りで)小屋の主とおぼしきおばさんが前掛け姿でやってくる(山と渓谷10月号によると、この女性は星さんという)。10メートル位手前から、焚き火は禁止です、とほとんど叫びながら。座った私と冨山さんの間に仁王立ちになって、何故言うことがきけないのかと怒る。さてこちらは管理とかいわれると、トタンにムッとくる人(わかりますね?仮にH氏として
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おこう)が、“ナニィーッ”となる。あーぁ、始まっちゃった。
 おばさんの言い分は建前と、抗しがたい正論。すなわち自分の管理している地域には自分の責任がある。故に国立公園内であるこの区域で焚き火などして、火事にでもなると自分の責任になるからやめて欲しい、云々。
 こちらは小屋の前で誕生祝の焚き火をしているのを知っているから、そういう無意味な正論を吐かれるとますますカッとくる。
 『山にまできて管理なんてされてたまるかッ!。俺達は自分の始末はちゃんと責任もってやってるんだ!』
 てな具合で、ついに大声の怒鳴りあいとなってしまった。
 それにしてもこのおばさんは、えらい。ずいぶんがんばる。もうすぐ消えるからとなだめても、そういう問題じゃない。と一喝。
 と、それまで寝ていた冨山さん、私の方にねぼけまなこで
『チャウ、ここ、どこや?』
『両俣』
『あー、そーか』てな会話の間も頭の上で怒鳴り合い、または論争の続行中。
 そうこうしているうちに冨山さんもだんだん話がのみこめてきて舌戦に加わってしまった。
 『オレラのザックみんなみてみぃー。ゴミばっかりや』
 と大見得をきる。この小屋では登山者のゴミをひきうけているので、置いていかないのは珍しいらしく、それを聞くとおばさん、
『そうですか、それは有難うございます』
結構冷静である。しかし、このての話はどっちもゆずらない、おまけに酔っ払いと管理人、話が長引く。冒頭の57年の台風の話は、おばさんがいかに自分の責任地域でおきたことに対処しなければならないかを長々と説明におよんだときの話なのです。
 “管理”と“昭和57年の台風”は、その後山行中のはやり言葉となる。そのうちおばさんも自分たちの焚き火が少し負い目だったのか、はたまた酔っ払い相手に疲れたのか、何時まで、と時間を区切ってならいい、というような方向に話はすすんでくる。結局8時までという許可を得たかたちで焚き火は続行。おばさんは一切の痕跡を残さぬよう、宣言(または、捨てゼリフ)を残して去っていった。
 この間、約30分。こっちはお酒もはいっていることだし、半分は宴会のイベントみたいだったけれど、おばさんの立場からすると随分と扱いにくい山ヤとみえたに違いない。その後は8時までは、お許しを得た焚き火を盛大に楽しみ、テントでの2次会は何故か文学論に発展してたいへん高尚に夜は更けていったのです。空にはやっと星もでそろってきたようでした。
 さて、翌日、またまた素晴らしい天気を約束されたかのように澄んだ 光が山の端にさしこんでいる。テントの前ではきのうの焚き火の残骸が黒々としている。しかし私が朝の儀式を済ませて戻ってみると、すーっかり、それこそ痕跡のカケラもみられない
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ほど見事に片付けられている。サッスガー。ああ言った手前、ケチのつけようもないほどにしとかないと・・・。男の意地かしら?。うどんの朝食を終え、いつもより更に念入りにテントの後を片付けて出発。
 小屋の前を通り掛かると、台所からおばさんが仕事をしながら私たちにニコヤカに
 『気をつけていってらっしゃーい』
 と言っている。小屋からトイレに行くため私たちに向かって歩いてきたアルバイトの坊やは、見て見ぬふりしてすれちがう。と、最後尾のH氏が
 『きのうはお騒がせ』と声をかけると、チラッとうわ目づかいにみてチョコンと頭をさげ
た(まだおびえてるのかしらん?)。
 小屋のおばさんは一番うしろの人物をみるとフッと引っ込んでしまったが
 『ちゃんと片付けたからねー、どーもお騒がせ』
 と声がかかると、出てきて笑顔で
 『はーい気をつけていってらっしゃーい』
 と言ってくれる。立ち直りの早いのがこのおばさんの長所ですね。敵ながらアッパレというところでしょうか。
 このあとは1時間の楽しい河原歩きと、北岳への地獄の急登が待っておったのでした。
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