'89夏山 仙丈〜北岳

橋元武雄     '89/08/09〜12


メンバー  冨山 田中 中村
        亀村 橋元
       (斎藤:日本紅茶)

8月9日 晴れ。
 3時すぎから大急ぎで夏山山行の準備。20時30分東京駅集合。冨山さんが少し遅れ、9時頃の出発。ぼくは寝不足で亀に運転をたのむ。広河原着、深夜12時頃。駐車場のわきの斜面に幕営。尚やんの計画では北荒川岳まで足を延し、熊ノ平で幕営の計画だったが、帰りの林道歩きを嫌ってこれは中止(本当は第2班が車で迎えに来る予定だったが2班が消滅してしまった)。北沢峠から仙丈岳、野呂川二俣、北岳に変更する。

8月10日 晴れ。
 広河原9時のマイクロバスで北沢峠に向う。ぼくは北沢峠も仙丈もはじめてである。峠をゆっくりみている暇はなかったが、なかなか雰囲気のよいところだ。針葉樹林帯の下に生えるセリバシオガマ(芹葉塩竃)の名前が思い出せず、最初からチャウに1本取られてしまった。道すがら擦れ違う登山者はほとんど中高年の男女が多く、わけても女性が多い。最近は縦走の山では20前後の人の姿が非常に少なくなった。われわれも例外ではないが、人口の高齢化は山では一足先に進んでいる。
 今日の行程は短いので、馬の背小屋でビールで乾杯。無人の仙丈小屋の上部のカールのモレーンの窪地内で幕営する。ど
うもここは幕営地ではないようだったが、指定区域の条件があまりよくなかったので、区域外で張ってしまった。夜半風が出たので、判断は正解だったが、多少やましくもあった。後で二股小屋の管理人から聞いたが、ここは馬の背小屋の管理下にあって、本来なら管理費を取りに下から登って来るらしい。
 ビール2gと酒1升、ウイスキー1本が今夜の割り当てである。食当は冨山さんで、メンタイキュウリ、塩タラのマヨネーズ和えなど様々なつまみがでて、最後に野菜シチューとレトルト米。

8月11日 晴れ。
 ここのカールは、涸沢とは比べようもないが、こじんまりとして気持の良いところだった、と思いながら仙丈の幕営地を出発する。
 早朝の仙丈の山頂からは、ここに連なる南アはもとより、北ア、中ア、木曽駒ケ岳、富士山、八ケ岳(雲海からわずかに赤岳とおぼしき山頂)など、どこを見渡しても山、また山である。今日は、仙丈から仙塩尾根(大仙丈、伊奈荒倉、横岳)を下降し、野呂川越から二股に下る。仙塩尾根は実に長大で、あまりに高度を下げるから、仙丈あたりから見ると、何だか完全に野呂川まで下り切ってしまうようにも見える。
 大仙丈の周辺がお花畑が多く、ヤツガタケタンポポ(八ケ岳蒲公英)やキンロバイ(金露梅)など、よそではあまり見かけない高山植物があった。さらに下るとシシウド
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(獅子独活)、マルバダケブキ(丸葉岳蕗)、ハクサンフウロ(白山風露)、タカネグンナイフウロ(高嶺群内風露)などの湿地性のお花畑がある。
 野呂川越から二股までの下降は予想より歩きやすく、思ったより楽に野呂川の河原に降り立った。幕営地は小屋の周辺一体で、広々としている。乾燥した川砂の敷地だから最高の条件である。今夜の割り当ては、ビール3gとウイスキー1本、酒1升、プラス昨夜の残りの酒が少々。食当はぼくで、枝豆、焼茄子のつまみに、味噌漬け牛のボイルドビーフ。それに野菜の味噌汁とレトルト米。
 焚き火のことで、小屋の管理人の小母さんと一悶着あった。小屋の前のインディアン風のテント(後日C.W.ニコルの番組を見ていたら、彼も野尻湖畔の自分の土地にこの形式のテントを常設してあって、これを北米の平原インディアンは“ティピィ”と呼ぶことを知った)で煙が上がったので、こちらも焚き火を始めたのだが、気の弱そうな手伝いのぼうやがやって来て、小屋の周辺以外は焚き火は禁止だという。そのまま聞き流して、焚き火を続けた。そのうち女主人がやってきて、すぐに止めてくれという。こちらはそのころには相当酒も回っていて、小屋の人間は焚き火をしているくせに、こっちはだめとは聞こえないと、相当感情的に怒鳴り返したが、なかなかの女丈夫で淡々として反論する。侃侃諤諤やりあったが、お互に論旨は支離滅裂で、ここで書いてみても読むに耐える文章にならな
い。結局、数十分揉み合ったすえ、あと1時間ほどで終了し、後始末を間違いなくすることを条件に、強引に焚き火を続けることになった。
 ぼくと女主人が喧嘩している真横で悠然とうたた寝をしていた冨山さんは、途中から目覚めてぼくたちの論争にチャチャを入れていたが、そのうちだんだん盛り上がってきて、最後には完全にハイ。近頃の若いものは喧嘩の仕方を知らんと、こちらがお小言を喰ってしまう始末。焚き火を終わってテントに入ってからは、十八番の箱根八里の高唱に始まって、今世紀前半の意識の流れをテーマにした文学論に及び、プルーストやらジョイスやらと談論風発の張切りよう。明日が心配である。

8月12日 晴れ。
 冨山さんは、予想どおりひどい二日酔い。昨夜の元気はどこへやら、“わしゃ行かんで”とひっくり返っている。ぼくも相当酒が残っている。早速、みんなで昨夜の焚き火の後片付け。ほとんど痕跡なきまできれいにする。
 出掛けに、昨夜の狼藉を詫びるつもりで管理人に声をかける。機嫌よく、気を付けてと笑顔で送ってくれる。山奥の小屋を一人で取り仕切っているだけあってなかなかの器量だ。1時間ほどの野呂川左股の河原歩きの後、北岳への急登にかかる。それも3時間近く延々と続く急登である。冨山さんは気の毒なほど気息奄々である。ほとんど重病人が登山をしているようなも
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のだが、いつものことで2時間ほどで回復し、こんどは高山病に変わる。いずれにしても苦しそうなことに変わりないが、驚異的な精神力で登り通す。ガッツの冨山の面目躍如である。
 北岳山頂は時間がないのであきらめて、二股からのコースが縦走路に合流する地点の岩石地帯のお花畑をしばらく眺める。チシマアマナ(千島甘菜)、チョウノスケソウ(長之助草)、ヒメクワガタ(姫鍬形)、ミヤマムラサキ(深山紫)などが珍しいところか。しかし、チョウノスケソウを除いては、いずれも1株程度しかみかけなかった。肩の小屋でビールで乾杯。何故か馬の背が600円で、ここが500円である。お花畑、草滑り、御池小屋を経て広河原に下る。お花畑から先はガスがかかる。御池小屋周辺の荒廃は目に余る。大樺沢二股を幕営禁止にしたので、バットレス登攀の基地になったためかもしれない。
 広河原の幕営地はほぼ満員で、都会なみの雑踏で、うんざりしたが移動する気力もないので、前面にトイレ、側面を洗い場に囲まれた劣悪な条件でテントを張る。とりあえず村営小屋でビールを買って乾杯しようと、小屋に入って見ると、何とジョッキの生ビールがあるらしい。しかし、今晩は満員で外部に販売する余裕はないとすげない返事。自動販売機のビールは売切れで、倉庫から取り出したばかりのあまり冷えていない缶ビールで乾杯する。昨日までの山中の乾杯とは一味違う苦みがある。
 夕食は河原ですることにした。発泡スチ
ロールの箱につめて車の下に置いておいたテンプラ用の野菜を取りに駐車場に行く。幸い腐ってはいなかったのでほっとする。今夜の割り当ては、ウイスキー1本、初日の残りの酒しかないが、全員疲労しているのでこれで十分と読んだ。今夜の食当も冨山さんで、ハモ皮のキュウリもみ、なすとキュウリもみなどのつまみで、メインはテンプラ。しかし、そこまで到達しないで、ソーメンだけで済ましてしまった。みんな食い気よりも眠気が先に立ってしまったのだ。

8月13日 晴れ。
 早立ちの人々の立てるもの音をききながら、ゆっくり眠る。疲れているせいか、あるいは無事夏の山行を終えた安堵感からか、雑音もさほど気にならない。
 われわれが起きたころには、縦走者の大半は出発したあとで、残っているのはサマーキャンプに来ているらしい家族連れがほとんど。小屋の前のテーブルが空いていたので、それを占拠して朝食の準備をする。昨日は、小屋が混みすぎていて自動販売機のビールしかなかったが、今朝はジョッキの生ビールも売ってくれるとのことで、早速乾杯。昨夜し残したテンプラが朝食のメイン。揚げるのはもちろんチャウ。だんだん日差しのきつくなる太陽も、ちょうど2本のウラジロモミの木陰になって、快適な朝食になる。チャウが最後のかきあげのときに、コッヘルをひっくり返して、いつぞやの谷川の二の舞になるところだったが、ズボンに少し油がかかった程度で事なきを得
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る。朝食は、カメちゃんのうどんでしめる。
 桃の木温泉(亀村説によると、温泉の基準温度が10度下がったので、ここは鉱泉から温泉に格上げされたそうだ)で汗をながし、前庭でビールを飲んでほぼ予定の行動を終える。因みに、田中がシンシュウナデシコ(信州撫子)を田中澄江さんから教えてもらったのは、ここの河原だったそうである。今回、印象的だったのは、カメが
連れてきた斎藤君で、はじめての山だったらしいが、まったくバテることもなく、てきぱきとよく動き感心した。
 結局、今回の酒の総量は、酒3升、1l缶ビール8本、350_g缶ビール24本、ジョッキ6杯、ビンビール3本、ウイスキー3本であった。そのうち自分たちで担いだのは、酒2升、ビール1g缶5本、ウイスキー2本である。
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