吾妻連峰縦走

橋元武雄     '88/10/08〜10


メンバー  冨山 後藤 鈴木
        田中夫妻 亀村 橋元

10月8日 曇り。
 朝、8時前に善さんとカメがワーゲンで到着。2人がうちでお茶(カメはビール)を飲んでいる間に、8時すぎ、冨山、後藤、田中夫妻がタクシーで到着。連休初日の土曜日だというのにさしたる渋滞もなく、11時半頃に新幹線福島駅前に到着。デリカはここで捨てる。JRで福島、福島から天元台に行って、そこから縦走して浄土平に抜け、また福島に戻る予定である。3日も駐車するから料金もばかにならない。最初に駅前の民間駐車場で訊くと、3日で5000円だという。ためらう素振りを見せると3500円にまけるといった。次の公営駐車場は、1日2700円。続けて置いてもまけないという。論外だ。もっと安いところはないかと駅周辺を一周り探したが、結局なし。最初の駐車場に戻ることになった。運転していたカメが「やっぱり、三五でたのみますわ」と駐車場の親父さんに声をかけると、福島弁で「やっぱり、そだべ」といってにやりと笑った。
 福島から米沢まで、運賃より高い特急料金を払わされる。普通列車は乗ろうにも通勤時間以外にはない。効率的に収益を上げるためのJRの策略であることは明白。まあ、赤字の責任を追及するなら、この程度のしわよせは我慢すべきか。思いもかけず特急自由席は満員。福島駅で買った駅弁を、混雑するデッキでみんなで立ち喰
いする羽目になった。御飯は極上だったが、おかずがやたらに甘くて閉口した。
 40分程で米沢につく。皆が駅前のスーパーで買物をしている間に、ぼくと善さんが荷物の番をする。関東から北上するにつれて天気はよくなり、ここでは汗ばむくらいの好天気である。バスを待っていると時間が無駄なので、全員で乗れるジャンボ・タクシーを手配できるか調べてみる。公衆電話に掲示のあるタクシー会社すべてに電話したがジャンボはすべて出払っていた。あきらめかけたときに、善さんが駅で客待ちのタクシーに声をかけた。運転手が無線で調べると、どうやらジャンボがあるらしい。そのタクシー会社にはぼくも電話したのに断られた。不審には思ったが、あればそれに越したことはない。
 東屋、中屋、西屋と3軒仲よく並ぶ白布高湯の温泉宿を過ぎて国道を左折し、天元台へのロープウエイ乗場に着く。しかし、駅の入口に「登山用リフトは整備のため運休」とある。作戦失敗である。そんなこともあるかもしれないとカメと話してはいたが、紅葉の見頃の連休だからまさかと思っていた。杞憂が的中してしまった。しかし、この期に及んでコースの変更はできない。とりあえずロープウエイに乗る。
 わずかな人数しか乗っていないのに、やけに甲高い案内嬢のアナウンスにうんざりしながら天元台の駅につく。観光案内によれば、“天元”とは、碁盤の中心の黒星のことで、万物成育の元を意味するのだそうだ。このゲレンデは、ぼくが初めてスキーを
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したところである。昭和47年頃の正月だったか。スキーを教えてくれたひとは厳しかった。ロープウエイ駅の近くの雪原で雪上歩行とキックターンを少しやると、すぐにリフトに乗せられた。さぞ緊張したと思うが憶えていない。最初のリフトを降りてすぐのところに、手頃な斜面があり、そこでプルークを教わる。プルークではとても止まる訳のない急な斜面で、止まるまで練習しろというのだ。あとは、1日中独りでその斜面を登ってはプルーク、登ってはプルークの繰り返しだった。夕方になると迎えにきてくれたが、滑って降りるのはまだ無理だというので、下りのリフトに乗せられた。下りのリフトに乗るのが恥ずかしいという感覚はまったくなかった。なにしろ、やたらに寒かったのが記憶にある。まだ大山や丹沢をうろちょろしている頃だから、冬山の寒さなど知らなかった。
 不幸中の幸いというか、3本あるリフトのうち一番下のリフトだけは動いていた。そのリフト沿いのゲレンデがグラススキー用になっているからだ。ゲレンデを滑降しているというより横断しているといったほうが相応しいグラススキーヤーが4、5人見える。スピードスケートのブレードより多少長いくらいのキャタピラの着いた靴で草付きの斜面を滑る。スキーのように滑らかにはいかないのだろう。転倒してオデコを芝にこすりでもしたら、擦り傷の血と草の汁がいり混じってだんだらの赤緑になるか、などと馬鹿なことを考えた。滑ることよりも、ファッションでグラススキーをやっている風
情の若者が多かった。
 リフト乗場でゲレンデの終点まで歩いてどのくらいかかるか訊くと、2時間半だという。予定していた明月荘にはとてもたどり着けそうにない。久しぶりに雪のないリフトに乗る。リフト下の草地に生えるめぼしい植物には案内板が立っているが、種類は少なく同じ植物の繰り返しが多い。ノリウツギやミヤマハンノキの案内板ばかりが何度も出てくる。
 搬器も懸かっていない2番目のリフトを横目にゲレンデを歩き出す。昔を思い出して見渡すと、どうも2番目のリフト乗場の傾斜がかってプルークを練習した場所ではないかと思われる。他に該当する地形がない。もっとも、近頃はブルトーザーで地形を変えてしまうからあてにならないが。
 どう考えても上まで2時間半もかかるとは思えない。結局、頑張って登って1時間程度だった。ぼくが張り切って先に登ってしまったので、ペースを乱された冨山、後藤両大人には非常な不評を買ったようだった。冨山さんや後藤さんは、9月第1週にこのコースを計画し、雨でやられてこの辺り(中大巓)一周でお茶を濁している。そのときの冨山さんの偵察によると、カモシカ展望台と天狗岩の間の鞍部に水場があり、近くにビバークできる空き地があるという。そこを今夜の幕営地とすることになる。ゲレンデの上部辺りから雲の中に入ったせいで、視界はさっぱりである。
 目的の水場は、踏荒らされた高層湿原の縁にあった。こんな山中にブルトーザー
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が置き去りにされている。こんなところでいったい何の工事をするのか。ブルはすでに一部解体されている。ヘリででも下ろすのだろう。ブルの近くに飯場代わりの常設テントが2張りある。ひとはいないが、空き缶や生活用品が散乱している。山には不似合のスラムのような光景だった。しかし、他に適当な場所もないので、飯場のテントの近くに幕営する。テントの中に入って、一杯やればどこにいようと天国である。今晩は、田中夫妻の水炊き。

10月9日 曇り。
 今日は、人形石、藤十郎、東大巓と稜線を縦走し、大倉新道から谷地平に下る。この谷地平が今日の目玉で良いところらしい。谷地平からまた登り返して、姥ガ原に出て浄土平へ下る。まだ、今日の宿泊地は未定である。ガスがかかって視界はよくないが、雨にならないだけましというところか。
 人形石までは緩やかな登り、そこから先、東大巓までもだらだらした登り下りの繰り返しである。潅木帯と高層湿原が交互に現れる東北地方の山の典型的なスタイルだ。  昨日は、われわれの近くに1パーティ幕営していただけで、静かなものだったが、今日はそうでもない。反対方向に縦走して来るパーティが結構多い。時間からして、ほとんどが明月荘に泊まったのだろう。とすれば相当な混雑だったはず。予定外とはいえ、昨日の選択は幸運だったのかもしれない。
 東大巓は鼻歌のでるようなのんびりした縦走だったが、大倉新道がいけなかった。通るひとが多くないのか、両側の薮が道を覆って下がよく見えない。しかも、その道たるや赤土が抉れて深い溝になっている。このところ太平洋側の東北地方はやたらに雨が多かったから、両側から水が沁み出し、川底のようになっている。それが沢とからんでいるからますます始末が悪い。多少の変化はあるにしても、この調子で延々2時間以上も続く。
 大倉新道を下りかけたところで、薮に入るといやに臭い。冨山さんの後に、後藤さんとぼくが歩いていた。二人でしばらく話し合っていたが、これはきっと昨日の納豆の残りのごみを冨山さんが背負っているのだろうと、勝手に決めてしまった。そんな匂だった。しかし、これはとんだ濡れ衣のようだった。善さんや田中の言うことには、獣の匂ではないかという。言われてみれば納得がゆく。とくに匂のきついところが何箇所かあった。あの辺りの山道が獣道に使われているのか、それとも並行して獣道が走っているのだろう。シカかカモシカだろう。そういえば、双六谷の分岐で道に迷ったとき、獣道を辿って助かったことがあったが、あのときもいやに臭かったことを思いだした。
 谷地平は、西を東大巓・中吾妻山、北を烏帽子・家形山、東を一切経山・東吾妻山に囲まれている。それらの馬蹄形をなす山波から流れる出る沢が、ここ谷地平に集中して大倉川となり、唯一開けた南に向か
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って流れ出る。コンパクトな尾瀬といった趣の湿原である。なるほど山中の別天地ではあるが、あの悪路を2時間以上もかけてくるほどのものかどうか。
 まだ今夜の宿が決まっていない。谷地平には避難小屋があり、テン場には事欠かない。予想外に長い時間歩いて来から、できればここで泊まりたかった。しかし、ここで泊まってしまうと酒が足りない。日本酒1升とウイスキー少々しかない。鳩首合議の結果、これはどうにでも酒を補給できるところまで歩かなければなるまいということになる。こと酒に関しては、梓は抜群のねばりをみせる。途中でみた避難小屋も予想どおり汚れていて、使う気にならなかった。
 谷地平から稜線への登りは、大倉新道ほどの悪路ではなかった。しかし、いつ果てるともしれないだらだら登りが続く。コースの詰めの段階で、楽観的予測でいつもわれわれを煙に巻く善さんさえ“まだまだ先がありそうだ”と言い出すほどだった。それでも途中1本でこのコースを抜け姥ヶ原へ出る。
 谷地平が鍋底にあって、囲い込まれているような地形だとすれば、姥ヶ原はなだらかな稜線に展開する解放的な高層湿原である。なかなか気分がよろしい。これで天気がよければ言うことなしだが。
 姥ヶ原は木道が整備されているが、そのすぐ横に幅3〜4m、深さ2mほどの大きな溝が並行して走っている。はじめ気付かなかったが、どうもこれは山道のなれの果てらしい。湿原の草や木を登山靴が踏み
にじり、むきだしになった赤土が風雨に剥がされ、傷口を拡大したのだ。赤土の下が岩石帯になっていると浸食はそこである程度食い止められるのだが、赤土の層が厚ければ厚いだけ深く広い溝ができる。人間が歩きにくくなったので、遅ればせながら作ったのがこの木道だろう。しかし自然保護の観点からも木道は重要な働きをする。先手を打たなければ。荒廃はまたたくまにやってくるが、復元には気の遠くなるような時間がかかる。
 姥ヶ原の左下には山上の湖といったたたずまいの鎌沼が見える。浄土平への下りは、よく整備された広い山道である。浄土平には磐梯吾妻スカイラインが走っているから、ドライブに来たひとでも気軽に登って来られる。それは、近くの一切経山や吾妻小富士にも共通する。夕方近くなって、ガスが濃くなり、雨もぱらついてきたので、視界が悪く、周辺の地形がさっぱりつかめない。1本の木もないかのような岩だらけの一切経山だけはかろうじてわかったが、これから下りる浄土平や近くの吾妻小富士はガスの底で皆目見当がつかない。ただ、車の走る音だけが聞えてくる。
 ガスの中を何も見えないまま磐梯吾妻スカイラインを横断して、兎平のキャンプ場へ向かう。キャンプ場受け付けの吾妻小屋で、1人100円の幕営料を払う。小屋の前でビールで乾杯。それに加えてワンカップ10本とビール7本を買う。この小屋は年季の入った木造で、小屋の人達も当たりがいい。空いているときなら、泊まっても
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よさそうだ。
 ここのキャンプ場は、なかなかのものである。キャンプファイアや催しもののできる広場を中心に、4〜5張りのスペースの小さなサイトが、樹影の濃い林のなかに散在している。キャンプ場全体の面積は相当なものだろうが、木々にさえぎられ全容は一望できない。個々のサイトは互に樹木の壁に遮られ、森の中の個室の風情である。水場、トイレも完備している。しかし、いかんせん大人数の学生らしき団体が広場とその周辺のめぼしいところを占領していて、騒然としている。なかなか良い幕営地が見つからなかった。広いキャンプ場のあちこちをカメと一緒に見て回ったが、結局最初に見つけたトイレの近くの小広場が良いということになった。トイレは何箇所かにあるので、学生たちもここまではやってこない。
 リフトが運休のあおりで、昨日は明月荘まで到達せず、おかげで今日の行程は9時間に達した。しかし、気温が低かったせいもあってバテたひとはいなかった。田中の奥さんもほとんど疲れた顔をみせず、立派なものである。酒も肴も豊富である。メインは後藤さんのクリオコワ。食当の後藤さんが、今晩は味噌汁とオコワだけ、といったので、ビーブー文句をいったのだが、これが予想外の美味だった。クリもモチゴメも本物で、みんなでむさぼるようにたいらげてしまった。これにブタのショウガ焼があればゆうことはない。もちつきのときはモチゴメを一晩水に付けて置くから、その場で
洗って少し水に浸けたくらいで大丈夫かなとおもったが、案じることはなかった。せいろで蒸すのではなく鍋で煮るときは、そんなに長く水に浸けておく必要はないのだ。

10月10日 快晴、後曇り。
朝、目が覚めると、久しぶりの快晴である。昨夜、一時雨がぱらつき風が強まったが、弱い前線が通過したのだろう。力はないけど透明な朝日を一杯に受けて、みんな御機嫌。今日は温泉に入って帰るだけだ。昨夜飲み残した日本酒をお燗して朝酒。冨山さんは、朝酒をやると、なぜか正月気分になるらしい。そういえば、今年の草津でも、最終日の朝、一杯やって2度目の正月気分だと言っていたっけ。まして、今日の朝食は雑煮である。
 ほろ酔いでテントをたたみ、浄土平のバス停に向かう。途中の木造の遊歩道の脇に、クロマメノキの標識が立っているが、昨日から善さんと議論しているのだが、これとクロウスゴの違いがどうも釈然としない。クロマメノキ、クロウスゴ、スノキ、オオバスノキ、ウスノキ、ヒメウスノキなど似たような種の相違を克明に比較対照したメモを一覧表にしてきたのだが、それでもわからない。これはまた将来の課題に残ってしまった。
 レストハウスでバスの時間を調べると、午後までない。まだ8時前だったか。後藤さんがタクシーを手配して、信夫高湯の玉子湯でひと風呂浴びて帰ることになった。タクシーを待つあいだ、レストランでまた
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一杯やったのは言うまでもない。早朝で、閑散としていたレストハウスも、迎えのタクシーが来るころには、大勢の観光客で結構混み合ってきた。スカイラインの車の行き来も頻繁である。駐車場もほぼ満杯。やっと連休であることを思い出した。
 玉子湯は地名ではなく、この旅館の固有名詞になっているらしい。外見は何の変哲もない大きな旅館だ。磐梯吾妻スカイラインと並行して流れる谷川に挟まれて、細長いコンクリートの建屋が何棟か連なっている。
 建屋の奥の河原に古びた木造の浴室棟が独立してある。この小屋の脇で湧き出し
ている源泉を“玉子湯”というらしい。かすかに白濁した硫黄泉がこんこんと湧き出している。その湧き出し口の上には、小さな社のような上屋をかけてある。玉子湯の浴槽は男女別になっているが、仕切りは簾を懸けてあるだけである。谷川に沿って下手には、最近の温泉ブームで新築したらしい露天風呂もある。風情は玉子湯におよばないが、これはこれで広々としてよい。両方の風呂を梯して硫黄の匂を満喫する。後藤さんは、収容人数が一番多かったから選んだだけといっていたが、選択は成功だったようだ。
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