庚申山

橋元武雄     '88/11/12〜13


メンバー  冨山 後藤 中村
        亀村 橋元 (金谷)

11月12日 快晴。
 今日と明日で、足尾山塊の庚申山に登る。  蕨に集合してタクシーでラクダ坂まで来た冨山、後藤、金谷、中村が先に到着し、自分の車で来る亀が20分ほど遅れる。うちの前の十字路でひなたぼっこをしながら待つ。
 日光で高速を下り、駅の近くで食料と酒の仕入れ。夕食は冨山さん担当で野菜スープ。朝食はチャウの担当でニラうどん。明日の昼のおかず用に野菜イタメなど。酒は、新酒の赤ワイン2本(金谷亭提供のボルドーが別に1本)。酒1升(さらに後藤さん提供の八海山吟醸が1升)。ビールは1g3本。500_g5本。金谷亭のウイスキーは例によって個人消費用。
 いろは坂の手前で中禅寺湖に向かう道と分かれると、行き交う車の数はだいぶ少なくなる。紅葉の山道を快適に飛ばしたいところだが、デリカに6人を乗せて登り道ではそうもいかない。のんびりとドライブして銀山平に着く。
 銀山平の公園入口に、「庚申山荘の利用者は届け出ること」と大書してある。面倒だからそのまま行ってしまうかとも考えたが、念のためカメが管理事務所とおぼしき建物に届けにいった。なんと1人1500円なりの使用料が要るらしい。カメは、いったん金を取りに戻って、また事務所に出かけたが、それからいっこうに帰って来ない。
後藤さんが様子をみにいって、クスクス笑いながら帰ってきた。あの温厚なカメが管理人と喧嘩をしているという。管理人の態度があまりに横柄で、あまつさえカメに向って“そんなのに限って山で落ちるんだ”と暴言を吐いたというのである。
 連絡先の電話を記入しようかすまいか迷ったところ、くだんのごとく罵られたという。本人の立腹はわかるが、聞いているほうは可笑しくてしかたがない。忿懣やるかたないカメをなだめてすかして、とにかく車で入れるところまで入る。歩いたら30分もかかりそうなほど行ったところに進入禁止のゲートがあった。その前の駐車スペースに車を止める。ちょうど頃合だったので昼食にする。
 しばらく車道を歩くと終点に、一の鳥居がある。そこから“ふれあいの道”と称するよく手入れされた山道が始まる。石積みや丸太組の階段、立派な橋、そこここの休息用ベンチ、要所要所の説明板と、いたれりつくせりである。喘ぐような急傾斜や、歩きにくい所はほとんどない。途中、“孝子の別れ”という巨石群の下で休息する。歩けば汗をかき、休めばたちまちその汗が冷たくなる。
 焼失した猿田彦神社跡を通ると、じきに庚申山荘に着く。神社跡のあたりから、昨日降ったらしい新雪が出てくる。といっても2〜3センチ。のんびりペースで歩いて、駐車した場所から2時間である。尚やんらが泊まったという旧庚申山荘がすぐ西側の林のなかに建っている。
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 山荘の周りに高、中学生らしき10名前後のグループが幕営しているが、小屋には誰もいない。建築後まだ2、3年しか経っていないらしいログハウス風の2階建で、無人小屋とは思えない立派なものである。1階は玄関の左に広い食堂、右に管理人室、奥に宿泊室が3室と炊事場、2階はぶち抜きの広い宿泊室である。ただちに1500円の料金を納得する。
 1階の宿泊室のうち2部屋に、何とか建設の作業員用と張り紙がある。近くで土木工事があるらしい。それで納得した。小屋の直前から何だかディーゼル発電機のような音が聞こえて、無人のはずなのにと不思議だったが、電動工具の音だったのだろう。
 山荘は広々としたクマザサの傾斜地の中央にある。山荘の北面は、庚申信仰の淵源と推察される絶壁が建物を守る屏風のように聳え、南面はさえぎるものもなく開けている。この山荘のベランダに立てば、連合艦隊の旗艦のブリッジに佇む司令官の心持である。
 非常に気分を良くして、宴会の支度にかかる。ぼくが肴担当だったので、久しぶりに豚の角煮を作ってきた。失敗作に近かったが、もっぱらアルコールと蛋白質を栄養源にしている金谷亭が大量に平らげてくれた。まだ、3時を少し回ったくらいに始まった宴会は、途中で工事のおじさんたちが帰って来たり、暗闇の林の中に目だけ光る鹿が出てきたり、という間奏曲を交えて、深夜まで延々と続いた。朝の早い工事の
おじさんたちには迷惑だったかもしれない。この宴会には、いかにも梓らしい落ちがあって、最後になって肝心の主食を用意することに誰も気が回らなかったことが判明した。しかし、豊富な肴と冨山さん担当の野菜スープがあったので、たとえ主食があっても誰もそこまで到達しなかったかもしれない。

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庚申(かのとさる)信仰の由来は、登ってくる途中で、後藤さんに聞いたが、荒神信仰(“こうしん”と“こうじん”)との関係が気になったので、帰ってから調べてみた。
 庚申信仰は、道教の祭が日本の神道や仏教と融合したものらしい。道教では、ひとの体内にいるという三尸(さんし)虫という3匹の虫が、庚申の日の深夜、睡眠中に体を出て、そのひとの罪科を天帝に告げに行くと信じられている。それを妨げるために、庚申の日は、徹夜をする習わしがあり、それが日本の習俗に取り込まれたそうな。なお、“尸”には、屍の意味もあるが、神の寄り代という意味もある。
 天台宗の教えにある「耳は人の非を聞かず、目は人の非を見ず、口は人の過を言わず」を、三猿「見ざる言わざる聞かざる」に例えることから、三猿を三尸虫に当てる。そのため、庚申塚には上部に青面金剛、下部に三猿が彫られるという。
 青面金剛が彫られるのは、この金剛の顔が青く猿に似ているからであり、神道で
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は、猿田彦が祭られる。いずれも共通項は猿である。庚申(かのとさる)の“申”からの発想だろう。
 荒神信仰の方は三宝荒神の略で、竃神、地主神、山の神様などとされる。性格が激しくたたりやすいのでよく祭られるらしい(カカアを山の神というのは、そのためだったのか。知らなかったなァー)。結局、荒神は庚申とは音が似ているだけで、何の関係もなかった。

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 山荘の玄関の正面に、コウシンソウの写真が掛けてある。名前だけで実物はお目にかかったことはないが、後で調べて見るとタヌキモ科の食虫植物で、ムシトリスミレの近縁。それを小型にしたような草だった。その気になって探せば、山荘の周辺で枯れかけた葉ぐらいは見つかったかもしれない。成育地は北関東となっているので、足尾山塊の特産らしい。

11月13日 快晴、のち曇り。
 久しぶりの二日酔い。尚やんが来ないから酒を飲み過ぎてしまった。いれば足りなくなって、二日酔いになんかならなかったろうに。不惑半ばに及んで、運転免許など取ろうとするから、いけない。チャウのニラうどんを食べてから、2階に寝袋を持って上がって、日の差し込む窓ぎわでごろ寝をする。山に登る気分ではなかったが、みんなが庚申山まではなんとか行こうというの
で、二日酔いにもめげず、ワインを2本もって出かけた。
 山頂までのコースは、垂壁の弱点を縫って付けられている。「初の門」「胎内くぐり」などいかにも信仰の山らしいハイライトがある。しかし、わざわざいわくありげな場所を通過させるために、いかずもがなの遠回りをさせていると思わせる所なきにしもあらずである。
 登山道を通すため、岩壁を洞窟状に穿ったところでは、天井から大きなツララが何本も下がっていた。そのような場所では、路面が凍結して滑りやすい。
 登山道のあちこちに工事用の資材が置いてある。これから取り付ける梯や鎖、それに見どころを示す銘板などである。よく見てゆくと、工事予定箇所に、どんな設備をするかペンキでメモしてある。そのうち資材を背負った若い作業員に追い付かれてしまった。われわれが道をゆずろうとすると、ちょうどそこが資材を下ろす場所だったらしく、結局、われわれが先に行くことになった。
 壁を登り終わると、林の中を緩やかに起伏する小径になる。10分も行かずに、山頂である。ガイドにあるとおり山頂は視界が悪いので、そのちょっと先まで足をのばす。皇海山へ向かってコースが急な下りにかかる直前に、少し開けた場所がある。南は樹木に遮られているが、北は開けて、皇海山や白根がよく見える。足もとは新雪で真白だ。ワインを抜くには絶好の場所だ。
 すべての飲み物と食物はカメが背負って
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きたのだが、ザックを開けたカメが奇声を発した。持ってきたバターが融け出して、ザックじゅうがべとべとになっている。この寒いのにカメの背中は余程発熱量が多いらしい。管理人のことといい、このバターといい、今回カメはついていない。
 まず、金谷亭差し入れのボルドーを開け、冨山さんのフランスパンとペッパーチーズで乾杯する。昨夜は、いささか匂が鼻についたサッポロの新酒も、山頂の寒さで気にならない。宴会の途中で、急に日が陰り出した。そうなると、とたんに冷え込んできて、いたたまれない。早々に引き上げることにする。
 登りに出合った作業員は、すでに新しい梯を架け終わっていた。われわれが使い染めである。礼をいって通してもらう。彼の話では、われわれが登って来たルート以外に、御山巡りというコースがあるらしい。是非行ってみろと勧められる。彼の話でなるほどと合点がいったことがある。登りの途中でしっかり踏まれた山道が、頂上とは別の方向に分岐していた。別の登路があるのかと気になっていたが、あれが御山巡りの入口だったのだ。3分の2ほど下ったところで、その分岐に出会う。
 ちょうど登って来た人に聞いたところでは、御山巡りをすると、同じ道を下るより大分余分に時間がかかるという。それに、金谷亭は登りに見たツララがどうしても欲しいから同じ道を下りたいという。もとより水割りのためだ。みんなで迷っているところで、先程の作業員が下ってきて、時間は20
分ほど余分にかかるが、同じ道を下るより楽なくらいだという。それに途中にいくつも見どころがあるともいう。彼の言葉で御山巡りに一決する。
 いざ実際に行ってみると、このルート、そんなに簡単なものではない。途中で、山荘に泊まっていた人達も含めて、数人の作業員がルートの整備をしていた。鎖を付けたり、鋼鉄の枠組みに板を渡して桟道を掛けたり、歩きやすいように様々な工事がされている。しかし、これが自然状態だったら、とてもまともに歩ける道ではない。クライミング・ルートの取り付きへのアプローチ程度の難しさはあるだろう。進むほどにきめ細かなルート工作には感心した。さきほどの若い作業員が、執拗に御山巡りを勧めるとおもったら、自分達の仕事ぶりを見て欲しかったのだ。いや、それほどここのルート整備は徹底していた。あまり有名な山ではないし、それほど訪れるひとも多くはないだろうに、何処がこれほどの予算を投じて工事をするのか、不思議なほどである。
 御山巡りは、庚申山の垂壁の中央部をトラバースしながら、岩場を登ったり下りたりの、結構楽しめるコースだった。途中に眼鏡岩という、ほんとに眼鏡のように2ヵ所に穴の空いた岩もあった。かつての滝谷のメガネ岩(ぼくが最初に滝谷にいったときには、崩壊して残骸ばかりだった)もさぞかし、このような姿だったろうと思われた。
 岩壁の奇観を満喫して、猿田彦神社跡に下りると、静かなるべき山中にただなら
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ぬ騒音がする。オートバイである。こんな山奥まで2台のオートバイが入っている。山は登山者だけのものではないとはわかりながらも愉快ではない。いやな感じをいだきながら、だんだん二人のライダーに近付いてゆく。
 山道の急な箇所を何度かトライして失敗し、結局登り切れなかった一人が、道を外れて横手の草の斜面を登りだした。モータが唸って、車輪が空転する。とたんに草は擦り切れ、土が舞い上がる。タイヤの跡は、緑の斜面に無残な掻き傷になって残る。人間がただ歩くだけでも、自然を破壊するというのに、何という暴逆だろうか。これを見たとたんに、ついに自制心を失って怒鳴ってしまった。
しかし、この二人は意外に素直で、すぐに登るのを中止して、通りすぎるわれわれにしきりに陳謝していた。ほんとに済まないと感じたのか、多勢に不勢とみてあやまっておくのが無難と判断したのかはわからないが。
 帰りに、彼らの登ってきた跡をみて、やはりオートバイが入るのはまずいと感じた。いたるところに、車輪で抉られた跡があ
る。タイヤに引っ掛けられて、石畳は浮き上がったり、反転したりしている。人が歩くだけを考えて作られた道に、ああした機械を通すと、予想外に大きい被害がでる。
 帰路は前回の女峰山で味をしめた「魚要」のゆばそばをめざす。しかし、簡単に問屋が卸さない。肝心の店は日曜だというのに休み。駅の近くに車を置いて、看板にゆばそばのメニューのある店に入ろうとしたら、これがまったく論外な店。では、後藤さんのいったことのある金谷ホテルの下の売店のそばやならよかろうと戻ると、もう閉店。やむなく前回不評の「後藤そば屋」に落着いた。
 その間、東武日光駅と神橋のあいだを何度も往復させられたカメは、ゆばそばには興味がないと、とみにご機嫌が悪い。意外なことに、後藤そばやのメニューにゆばそばが載っていた。店員の話しでは、客からゆばそばがないかとよく訊ねられるので、最近レパートリーに入れたとか。さっそく全員ゆばそば。しかし、ゆばの作りは手のこんでいるものの、そばやつゆに難があり、合格点には達しなかった。やはりゆばそばは、魚要に限る。
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