八海山

中村貞子     '86/10/09〜12


メンバー 田中(CL) 冨山 鈴木
      中村

 越後三山はCLの田中さん以外は皆はじめて。体育の日をはさんだ3連休に、夏の北ア以来の長い山行である。10/9夜、蕨駅でデリカを引取り関越自動車道をぬけ、六日町駅前の保健センターの駐車場を拝借。無断駐車ということを多少気にしつつ、 10日朝タクシーで登山口に向かうこととする。10日朝の六日町駅前は電車がついた途端登山者がドッと降り、ちょっとの油断の間にタクシー乗り場に行列ができてしまい、あげくにタクシーは殆ど来ない。ここで1時間近くロスをしてやっと8時過ぎに八海山屏風道2合目登山口までたどりつく。このタクシーの運転手さんは気がきいて、山口より先のガタガタ道をも入ってくれて、鳥居のある登山口まで足をのばしてくれたのだ。感謝!!
 登山道の入口にある看板を見ると八海山は結構ルートのたくさんある信仰の山である。ロープウエーを使うのかな、という甘い期待は既にきのうCLよりそんなものは使わずおもしろいルートを行くということを言い渡されていた。それが屏風道ルートである。
 “おもしろい"ということはおおむね、ちょっとスリルが味わえ、退屈せずに適度の緊張をもって行けるということだが、すなわち、時折思いがけない困難、またとんでもない疲れるコースという意味も含まれるのだ。
 少々そまつな鳥居の下で軽く朝食をとり、8時半すぎ出発。すぐ沢におり、渡渉となるのだが、ここにキッカイな道具がある。増水して渡れなくなった時用のカゴというか、空中箱ブランコかという様なものである。箱の中に一人入ってエッコラエッコラひもを引っ張ると対岸にたどりつくという寸法である。先発の二人組パーティが何やらそれで遊んでいる風だったので、おもしろ好きの善さんがやってみようと手をつけるが、向こうに行ったきりのカゴは引いてもビクともしない。何のことはない、向こう側でしっかりロックされている。これじゃイザという時どう――するんだ、という善さんのボヤキ。結局あきらめてしまった。あとの3人ははじめから黙殺。約1時間、チヂミザサやタデ、ミズヒキ等の山道を歩くと4合目に到着。
 ここの沢で千本槍小屋の状況がわからないので水を上げることにする。善さんのポリタンに水を張り用意周到、コピーの空き箱に入れて荷上げしようというコンタンであるが、「アレー、穴があいてる」という善さんの言葉に一同ボー然。小さな穴だが容赦なくもれてくる。救急バンソーコーをとりあえずはりつけ、ビニール袋を上にくるみ、さらにコピー箱につめ、悪戦苦闘の末何とかザックにつめこむ。咲き遅れたダイモンジソウが涼しげに岩かげで我々の騒ぎを見ている。
 4合目からはいよいよ屏風ルートの本番である。ようやくいわゆる“おもしろい”鎖場が表れたと思ったら、これが通常山道で鎖
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場アリという感じと全く違う。つまり、危ないところに数メートルついている鎖が、このルートはこれ全部鎖だらけなのである。梓の人間はだいたい鎖場大好きがそろっているのに、ここでは鎖がみえない山道になるとホッとする。なにせ一旦鎖が出たとなると見上げても見上げても、鎖の上が見えないのである。かくして腕を足をフルに使い、 四ツン這いの状態で昼過ぎ摩利支天通過。全く行けども行けども2本足でいける道に出ない感じだ。まさに新潟県人は回り道がきらい、直線的というルート。しかし、頂上は遠くとも、さすがにここまで来ると全山紅葉。天気おだやか。風もなく、夏と同じほどの大汗をかきながらも久しぶりの山の紅葉は唯一のなぐさみである。
 両側の切りおちた登山道の大きな杉の下でおヒルをとり、1:00過ぎあと2本くらいたてるといけるかなという気持で出発。相変わらずの直登ルートだが、やっと千本槍の小屋の目印である棒がみえてくる。だがこのあとがまた長い。ヒーヒーいいながら最後の長大な鎖場に力をふりしぼる。左はすっぱりと切れていてかなりいやな所である。こんなルートでも気楽なハイキング風の子供を連れた家族が3〜4組いた。ユルセン!!
 最後の鎖場からは15分位の尾根道歩きで千本槍小屋到着。小屋付近は大勢の人でにぎわっている。早速体が冷えないうちにと、ビールで乾杯。
 それにしても6gもの水を背負い、鎖をつかんで登らなかった、つまり全山岩登りを
してきた善さんはさすが!!(でも小屋で水はもらえたのでした。)
 2:40に小屋到着したがテント組もいそうだということで、早速小屋のオジさんに話し、小屋の前にテントを二つ張る。最後の鎖場はトップでがんばった私はついに睡眠不足と疲労で昼寝とあいなった。
 夕方は皆疲れているので、早目に宴会が始まる。冨山さんのおつまみと、今夜のメインディッシュは田中さん得意の水たき。この夜は7時に就寝。
 11日は天候不良、大雨ではないがイヤな感じの降りである。6:45にテント場を出て、またまた鎖場の続く中を7:00に不動岳、7:30に白川岳とすすむ。視界は悪く、ガスが風に吹き上げられると瞬間鮮やかな紅葉が浮かびあがる。登山者は皆完全武装で、この悪天の中の鎖はつらい。大日岳は天気がよければ食指をそそられる登りだが「悪天の時はまき道を」という看板に素直に従う。鎖場はこの大日で一応終わっているようだ。この頃になると雨は少しやんできて9:00五竜岳に到着。ここは当初の目標通り、これから中ノ岳を経て十字峡に下るか、それともここでおりるかの分岐点である。めざす中ノ岳へは長大で起伏のありそうなルートが横たわっている。ガスはあがってきたものの山頂付近はあやしげな雰囲気。と、そこに看板。「悪天時、疲労の時は阿寺山コースへ」。すかさず冨山さん、「ワシはこっちやでー」という一言でスンナリ阿寺山ルートをたどって下山ということにあいなった。
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 このルートはただ下るだけと何も期待していなかったのに、五竜からは気持のよい稜線漫歩ルート。ミネカエデの紅葉と、ガスのあがってきたあたりの風景は朝日の稜線をほうふつとさせなかなかのもの。神生の池、第3の池等、池塘の点在するめっけもののルートである。当初ルートとは格段に楽になったので、クサモミジの美しい場所でゆっくりと冨山さんはスケッチをはじめたり、ゴソゴソとクサモミジをわけいる人も。11時過ぎ阿寺山に到着し、少し下って昼食は八海山を眼前に、邪魔するものもない広々とした草原でゆっくりと。ここからは下る一方なのだ。天候は一向にはっきりとしないもののもう雨の心配はない。
 カメバヒキオコシが多くあらわれると間もなく蛇食(じゃばみ)清水という、誰かがいたらイヤガリそうな清水でくちびるをしめしさらに下る。時間はたっぷりあるのだがもう1泊里でテントを張るのはバカみたいだし、山の土の上で寝たいというので、テント場を探しつつ歩くのももうイヤになってきた頃(といってもまだ2時を回ったばかり)龍神の碑という何だかイワクありげな、イカガワしげな碑の前に出る。わきにはきれいな清水が流れ、少し広場みたいになっていてテント2張りは楽そうで、ここしかないと時間は少し早くはあるが、龍神様の場をお借りすることにする。
 その夜はお酒が少々足りなかったためか、メインディッシュの豚汁と山菜ゴハンと赤飯がすべてうれ、またまた8時頃には就寝。その夜は龍神様のたたりか皆悪夢に
うなされた由。私はうしろから誰かにポカリと頭を殴られ、何をスルとふりむきザマ足げにしようとしたらスーッと相手が消えて足が空をきったところで目を覚まし、同じ頃冨山さんも似たような夢を見ていたそうな。これはタタリじゃー。
 12日はくもり。6:45に出発してツリバナの赤い実のなっている山道を30分ばかり下ると車道に出る。ここから山口まではコンクリートの味気ない道なのだが両側の側溝にミゾソバとイカリソウがまじりあってえんえんと大群落をつくっている。先っちょをホンノリピンクに染めたミゾソバは朝日鉱泉小屋のまわりで見て以来、私の好きな花の一つである。地味な花なのにこれだけあると見事である。車道の先に広がる山の中の村の風景はちょっとヨーロッパ的でもある。キバナイカリソウがひと株だけめだたないようにピンクのイカリソウの群れの中に咲いていた。
 つまらない車道もこれで楽しみながら、あっという間に山口のバス停に到着。バスの時間もよく、タクシーの手配をする手間も省けて、六日町に8:20到着。保健センターのデリカくんはどうなったかな?。とみると“ここに駐車するときは許可が必要”というお願い書きがはさんであった。
 とにかく朝はまだ早い。例のごとくひと風呂あびたいということで、高速をのりすごし法師温泉までわざわざおもむくが、10時前のこと、大風呂は清掃中ということで断られ冨山さん憤慨。そこでひと足先の猿ケ京を探し、結局長生館という所の露天風呂
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へ。\500ナリ。猿ケ京ナンてとバカにしていたが、きれいな露天風呂で湯の温度もちょうどよい。旅館の裏手の長い階段をおりたところのそのお風呂は、手前に男子、奥に女子用があり、あれは男性が脱衣中に女子がそこ(通路なのだ)を通るようになっているのは女性にサービスしているつもりなのだろうか?。不可解である。この 風呂は女風呂が例のごとく小さめなのが気にいらないがあたりの景色とよくマッチしてわざとらしくなく、しかし小ぎれいで一人ゆったりと湯につかり、筋肉をほぐしているとしみじみ神経がときほぐされるような美湯であった。
 中ノ岳、十字峡はまたのルートとする。11:55関越突入,2:10蕨着。
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