平標から万太郎

高橋尚介     '86/11/03〜05


メンバー  鈴木 田中 中村
       亀村 高橋

 人気のない土樽駅は谷川山塊の懐深くひっそりと佇んでいた。見上げる山巓には新雪が輝いているが、かえってそれが谷々を暗くしている。車を駅前の空き地に駐車して荷を担ぐ。毛渡沢に沿った林道を1時間ばかり辿ることになるが、入口で東京電力の敷地に入り込んでしまい、途中で道がなくなってしまう。戻るのも癪なので、広い沢を横切って対岸の林道に出た。途中薮漕ぎがあったりして、ブーブー文句が出る。林道は紅葉も終わりに近く、一陣の風に枯葉が舞落ちてくる。1時間半ほどで群大のヒュッテに着いた。ヒュッテは小高いところに建っているが、木々に埋もれている。沢には朽ちた吊橋が架かり、踏み板が風に揺れている。危険なため、針金を張って通行止めにしているようだが、ハイカーが二人下ってきて、吊橋をヒョコヒョコ渡ってくる。我々一行も足場を選びながら渡る。
 ここからは登山道となる。水が浸み出て、グチャグチャとぬかるんで歩きにくい小径である。小径は沢に沿って続いている。時間も4時を過ぎ、そろそろテントサイトを探さなければならない。しばらくして、明るい河原に出る。ちょうど2張りのテントを張れる場所をみつけて、今宵のねぐらとする。山行中最も楽しい時間がはじまる。オジさん差し入れの銘酒『八海山』はまたたくまに一行の胃袋に収まってしまい、中村
さんの手料理に舌鼓をうつ。星が瞬いている。明日の好天は期待できないのか。
 翌日は曇天のもと、7時過ぎ荷をまとめ出発する。渡渉点まで20分程度だった。こんなに近いのなら昨日のうちにここまできておけばよかった。しかし、テン場らしき所がみつからなかったので、正解だったのかも…。水筒に水を詰め、いきなり急な登りにかかる。どんどん高度を稼ぐが、ムダな部分を一切取除いたかのような一直線の登りには閉口する。1時間半ほどでようやく矢場の頭に着く。この辺りから雪が現れ始め、やがて雪道になる。平標から元橋に下るというアラインゲンガーが我々を追い越していく。今朝土樽をたってきたということだから、かなりの健脚だ。尾根筋に出たため、西ゼンの三ノ字滝やナメがよく見える。明るい沢なので一度トライしてみたくなった。
 雪の量も徐々に増えてきたため、スパッツを着ける。ガスの中から人声が聞える。平標の頂上らしいが見通しが利かない。一瞬ガスが途切れ、頂上に2、3人の登山者が見えたが、再びガスに消えた。最後は膝までのラッセルで頂上にとび出した。5時間もかかってしまった。頂上に着くや白いベールが取り去られ、大展望が開けた。
 これからむかう仙ノ倉が眼前にデンと腰を据えている。平標小屋のむこうには大源太山から三国峠に連なる山並み、苗場山等の眺めを満喫する。何時までも動きたくない腰を上げ、仙ノ倉に向う。平標の登りで疲れた体にはなんでもない登りも応え
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る。仙ノ倉の肩辺りで、右手の鋭いピラミダルなピークが迫ってくる。縦走路から外れているような位置にあるため、どこだろうと話し合っているうちに、仙ノ倉の頂上に着いた。
 先程のピークは『エビス大黒の頭』だった。頂上から一気に下るとドラム罐を横たえた避難小屋に着く。風が強くなり、風を避けて避難小屋を背にして、これから取りつく『エビス大黒の頭』を溜め息まじりに眺める。結局体力の限界に鞭打って登ることになる。最近の体力の衰えは如何ともしがたい。きつい登りを越して毛渡沢乗越に向かって下る。今日の予定は避難小屋だが、最後の登りには自信がない。  さらに稜線には予想に反して雪が少なく、水の心配もある。稜線は馬の背状で適当なテントサイトはみつからない。元気な田中さんが乗越の状態を偵察に出る。雪がないとのことで、若干引きかえして、熊笹の上をテント場とする。稜線上で風が強く、ピッケルで固定しても風が変わるとひっくり返ってしまう。1日の最も楽しいはずの時間も疲れすぎると酒が進まず、いまひとつ盛り上がりに欠ける。早々に宴会を切り上げてシュラフに潜り込む。風が夜中煩くテントを叩い
ていた。
 夜が明けても相変わらず風とガスが続いていた。狭いテントのなかで身支度を済ませ、7時荷を担ぐ。越路避難小屋には35分で着いてしまった。風が冷たく、風上側の半身を凍えさせる。万太郎の頂上も全く視界が利かず、早々に頂上を後にする。縦走路から別れて、重太郎新道を一気に下る。風は未だ続いているが、風下側に下っているため、比較的楽になる。ガスも上部だけで、下るに連れて視界が開けてくる。ドロドロのクサった道となり、スベリ易く、スパッツもドロだらけになってしまう。ひたすら下って、疎林帯に変わる尾根筋を離れ、下に見える土樽の部落に向かって下っていく。
 やがて林道に出て、アスファルトの道をてくてく歩く。関越道は大渋滞しているのが見える。遅れ気味の亀チャンを待って土樽駅に着いたのは正午前だった。我々が車の側で着替えをしているとき、駅に上り列車が停まった。水上行きの鈍行だ。新幹線が開通してから、上野行きの鈍行がめっきり少なくなって、国鉄を利用する機会も少なくなった。渋滞の関越道を避けて、帰路についた。
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