中央アルプス 木曽駒から空木岳

冨山八十八     '85/11/02〜04


メンバー  大森 中村 冨山

 昼間の雨は夕方にはあがった。山は雪だろうと思われる。午後11時丸ビル前を大森さんの車で出発する。中央高速をスピードオーバーのアラームをききながらひたすらぶっ飛ばす。闇のなかに木曽駒や八ケ岳の黒いシルエットをみる頃、雲の切れ間に月があらわれた。
 午前1時半頃に駒ケ根大橋のそば、スカイバレーホテルの駐車場に着く。先着パーティーが車を停め、テントを張っていた。
 ワインを1本空けて車のなかで寝るがしんしんと冷える。羽毛服と半シュラをまとってようやく眠れたが、後の席でシュラフカバー1枚のチャウはなかなか眠れなかった様子である。
 7時に起きる。周囲は紅葉が美しい。チャウの焼おにぎりをご馳走になる。
 強力な田中、高橋両氏が来られず、メンバーは病上がりと、女と、年寄りということになったので極力荷物を減らすことにした。
 ピッケルはきのう大森さんが宝剱山荘へ電話したところ、雪ではなく雨が降っているとのことなので不要。アイゼンも不要。傘はもういらない。共同装備は小ブス1台、ガス1g、日本酒1.8g、ウイスキー720ml、小型カメラ1台。ツェルトをどうしようかと迷うが避難小屋に泊まれないときのために持って行くことにした。これが後で大変役に立つことになる。
 8時45分ホテル前からバスに乗った。とこ
ろがこのバス代がべらぼうに高くて、荷物代を含めて1人1,000円を越し、 これならタクシーの方が安い。
 シラビ平からロープウエイで一挙に千畳敷へ上る。見渡すかぎりの紅葉、黄葉である。
 終点の千畳敷駅の寒暖計は3度である。風が激しく寒い。目の前に千畳敷カールと宝剱がドーンとそり返って圧し、白っぽい岩肌の上に青空が鮮やかだ。山荘に入って朝食をとる。寒さに追われた観光客で混んでいる。
 山荘をでて千畳敷カールの稜線へ向かう。植物の枯れたカールは白灰色で、粉雪が石段の隅に溜っている。
 11時、ガスのなか稜線に着いた。右方の前岳が立派で駒ケ岳と間違いかける。天狗荘の前にザックをおき、空身で中岳を越して、だらだらと広い斜面の駒ケ岳(2,956m)に向かい、11時30分頂上に着いた。
 そこには石を積んだ玉垣に囲まれて立派なお社が鎮座していた。
 「やけに賽銭箱がでかいなあ」
 と大森さん。とりあえずお参りをする。玉垣の横にお地藏さんが目白押しに並んでいて、頂上の方向盤の向こうにもうひとつお社がある。ガスのなかで乳白色一色に閉ざされ、記念撮影をすませると早々に山頂を去った。帰途は中岳の右側を捲くルートをとり天狗小屋へ戻った。
 12時で、ちょっと腹に納めたり、小屋のなかをのぞいたりする。屋内の寒暖計はマイ
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ナス5度である。
 北風がまともに吹きつけ、目の前の宝剱岳にガスがからんで黒い岩峰が見えかくれする。この強い風ではいつかの5月にスキーにやってきた後藤、高橋、関根氏たちが宝剱小屋の軒下にテントを張り、雨に吹かれてズブ濡れになったという様子もよくわかる。
 宝剱の岩場は観光客が登っていたりするのでルートが混んでいるが、15分ほどでピークらしきところを通過すると人がいなくなった。
 岩場からひょいと出た眼の下に千畳敷山荘の赤屋根がすぐ下に見える。岩場に溜まった雪が凍って滑りやすい。強い風に身体をもっていかれそうになるが、しっかりた大きな金具の把手が打ち込んであるので助かる。木曽側へ削ぎ落ちた岩場の向こうに、極楽平の白い雪原がのびやかに拡がっている。
 午後1時極楽平を通過した。おっかない岩場からくるとここは正しく言葉通りの極楽平で、景色を眺める余裕もでてくる。右手に三ノ沢岳が雄大な姿をさらす。強い風をさけて稜線の影の雪の上で一服する。
 「ここは島田娘だな」
 地図をみて大森さんが確認する。山の名前としては変わっているが雪形からついた名前で、素朴で好ましい。坐った正面に御岳山がそびえている。頂上一帯は雪をかぶって梯形の山容が堂々としている。
 少し先の島田娘の鞍部に、おおきなキスリングをおいてワンゲルの一群が休んで
いる。かれらのヤッケが激しくはためいている。
 島田娘から濁沢大峰の取りつきまでは、ゆるやかな上り下りの稜線漫歩で左右の景色を楽しんだ。
 濁沢大峰ははじめ伊那側を登り、途中で稜線を越えて木曽側へ移る。頂上で1本立てる。宝剱岳の岩峰がその名の通り空に突きだし、左に木曽駒のなだらかな頂上が重なっている。
 にぎやかな6人パーティーが声高に喋りながら登ってきた。なんとカワチ山岳会である。言葉を交わすと、大阪から今朝いちばんの新幹線で名古屋に着き、中央道をバスでやってきたとこちらが尋ねもしないのに説明する。彼らと避難小屋で一緒になれば、いつかの白馬岳のときのように静けさはあきらめねばならないことになる。
 濁沢大峰(2,724m)の頂上からは岩稜となる。岩稜地帯を終わって急な下りとなり、今度は丹沢の表尾根を思わせる土の斜面の登りとなって桧尾岳(2,728m)のピークに着いた。
 そこから縦走路と直角に桧尾根が伊那谷へ伸び、その突端に避難小屋がぽつんと建っている。
 寒さと小屋の様子が気になるので早々に小屋へ向かう。縦走路から下ったところに元の小屋跡の石積みが残り、テントを張っているパーティーが2、3いた。
 右手に大田切本谷の深い切り込みをへだてて空木岳がそびえ、夕方近い斜光を浴び雄大な斜面に長いヒダが幾筋も深い
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影を刻んでいる。
 心配したカワチ山岳会の面面は幸いテントを張るようだ。小屋の入口は伊那谷に面していて、様子はいかにと恐る恐る戸を開けると、先住者は4人きりで充分にスペースがあるので安心する。4時5分の到着である。大森さんがそのまま水を汲みに出かけた。
 小屋の中は風が当たらないので助かると思ったものの身体から熱が去ると寒さが身にしみる。
 大森さんが震えながら戻ってきた。元の小屋跡から少し下った水場の水はちょろちょろで、待っている間にすっかり凍ってしまったとのことである。
 ともかく小ブスに火を点け、まずは熱燗で一杯。先住者たちは早々に簡単な食事を終えるとシラーフにくるまってしまった。まだ5時である。
 食当は大森さんでメインディッシュの水炊きをはじめる。入口の引き戸は十分に閉らないし、強風で小屋はガタガタ、バタバタ鳴り通しである。熱燗をいくら入れても温まらない。
 戸が開いて学生らしい5人パーティーがヘッドランプを点けて飛び込んできた。寒さにすっかり参っている。彼らのもたもたした食事の支度を眺めながらホットウイスキーを飲むも、一向に温まらない。
 小屋の外へ出ると星がチカチカまたたき、眼前の南アルプスの黒い稜線からまっ赤な月が昇ってきた。南アルプスと中央アルプスに囲まれ黒く沈んだ伊那谷の底に、
駒ケ根の町の灯火がボーッと拡がっている。8時に就寝した。
 早朝からの出発準備で騒がしい。われわれは今日は空木岳の避難小屋泊りなのでそう急ぐ旅でもない。ゆっくりと朝寝を楽しむ。
 6時半に起きると、最後となった学生のパーティーが出かけて行くところだった。素晴らしい快晴で空がまっ青である。眼の前に八ケ岳から甲斐駒、仙丈、北岳、間の岳、農鳥、塩見、荒川、赤石等が横一列に蒼いスカイラインを一杯に拡げている。振り返ると濁沢大峰の横に頭をだした宝剱から東川岳までの中央アルプスの東面が朝陽を浴びて金銅色に染った肌をさらけだし、隣の空木岳北面はまだ陽が射さず暗蒼色に静まりかえっている。
 小屋の戸を開け放ち、板の間まで射しこんだ朝陽のなかで朝食をとる。今日が「文化の日」であるためかラジオが越天楽をやっている。
 「オッ、お正月だね」
 外から戻ってきた大森さんが、そして
 「オトソ、オトソ」
 と叫ぶ。
 箏曲をききながら少々オミキをやり、戸口に拡がる南アルプスの峰々を地図と照し合わせたりする。
 8時50分に小屋を発った。桧尾岳から鞍部へ下り、大滝山(2,600m)への登りとなる。頂上附近に巨岩が直立しているのが面白い眺めだと思っていたら岩稜となる。
 岩稜地帯を越えて鞍部で一服する。
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 突然、小鳥の大群が伊那側から現われ、チュッ、チュッと無数の啼き声を発しながら、川の流れが岩で分れるように、立っているわれわれの間をぬって、次々と木曽側の斜面に沿って下降して行った。
 静けさがまた戻った。
 あまりに突然のことで3人とも声もたてられず茫然としてしまった。
 雀ぐらいの大きさで、何という鳥か知らないが渡り鳥であろう。彼らは山の斜面にそって這うように登ってきて、最低鞍部を選び、そこで出くわしたわれわれを一瞬の間に避け、われわれの肩から下のあたりを、山肌ぎりぎりに飛び去って行く、その神秘に感動した。「雁が腹摺り山」という名前の山がある。あれはいままで、雁も腹を摺るほどに高い山の意味だと思っていたが、そうではなくて、鳥が山肌ぎりぎりに越してゆく様子をいったものではなかろうか。
 熊沢岳(2,776m)に取りつく。岩が多くて面白い。要所要所にしっかりした把手がついている。
 熊沢岳は熊沢五峯といって、北から本谷山、伊那川岳、殿が岳、鞍が岳、本岳(東川岳)と名前がついているが、小ピークの登り下りでどれがどれだかわからない。
 きのうは三ノ沢岳に邪魔をされていた北アルプスが、三ノ沢岳と木曽駒岳の間に見えてきた。まっしろに雪をかぶったなだらかな乗鞍岳、その右に鋭くとがったものは何だろうと議論する。まるで槍ケ岳のように見えるが、位置からして北穂高岳らしい。御岳山の左側に遠くまっ白な形のよいの
は加賀の白山だろう。
 左手に伊那谷をへだてて南アルプス、右手後方に北アルプス、御岳、行く手に空木岳、それに頭を並べて南駒岳から中央アルプス南部の峰々が重なり、その先に恵那山がひと際どっしりと構えている。とにかくこの雄大な景色を満喫しないともったいないと、腰をすえた。
 長野、愛知、岐阜、富山、福井、静岡、山梨と7県に及ぶ山々を眺めていることになる。はるか西南方の山並につき出た形のよい山を、私は伊吹山だと主張したがみなの同意をえられなかった。とりわけ御岳山が間近にはっきりと見え、大森さんが昨夏大きな山崩れのあった大滝村はあの辺りだろうと指さす。
 東川岳を発ち、いよいよ木曽殿乗越の急降下と急登がはじまる。眼の前の空木岳までひとっ飛びの距離であるが、標高差160mを下り、今度は空木岳まで標高差350mを登り返すことになる。
 乗越にザックがきちんと5個並んでいてまるで人が寝ているように見える。先行した学生パーティーのものらしい。ジグザグの急坂を15分でたちまち乗越に到着した。ここの小屋はヘリポートを備えた立派なものである。
 木曽殿乗越という変った名前は治承4年(1180年)木曽義仲が木曽谷からここを越えて、伊那谷の平氏方、笠原平吾頼直に不意打をかけた故事に因んでいる。しかし、木曽谷からここへ至るルートはあるが、伊那側は切り削いだように大田切谷
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へ深く落ち込んでいる。
 空木岳の登りにかかる。見上げる稜線に白い岩が乱立していて、少し下ったところに巨岩があり、豆粒のような人影が認められる。とにかく急斜面をひたすら登ることになる。
 大森さんが学生たちのことを心配する。木曽殿乗越から木曽池の尻へ至る距離は結構あるし、途中尾根を二つ越さねばならない。日暮までに行きつけるか。
 稜線の岩場附近で上方に声がして、空身の学生たちがぽつり、ぽつりと姿を見せ、降りてきた。彼らと行きあってからひと登りで稜線の岩場に着いた。
 ところがここはまだ頂上ではない。さらに1時間を費やして岩をくぐったり、岩場の登りやトラバースを続け、砕石を散りばめた尾根筋に、屹立している白い岩が空木岳のピーク(2,864m)であった。時間はちょうど3時で、先着パーティーが2組休んでいた。
 頂上直下には駒峯山岳会のヒュッテが大田切本谷へせり出すように建っている。
 木曽側は急峻に落ち込み、雪がつけば油断がならない。反対に伊那側は緑の多いなだらかな斜面である。そのなかに目立つ白い岩は「駒石」であろう。そこから右へ下ったゆるやかな沢筋に避難小屋らしきものが望見される。
 ここから南へ礫混じりの尾根が赤伊那山、南駒ケ岳へと続いている。
 頂上の岩を背景に初めて3人揃って写真を撮ったが、後日現像するとフィルムが
終わっていて写っていなかった。
 2日間存分に眼を楽しませてくれた御岳、北アルプス、それに恵那山へ連なる中央アルプス南部の山々に名残を惜しんでから空木避難小屋へ下った。
 ガンコウランやコケモモなどがびっしり地面をおおい、やがて涸れ沢の岩をひろって下るうちに、小広い空木平に古ぼけた小屋があらわれた。午後4時である。
 小屋へ入ると先客が3人、薄暗い板の間にシュラーフにくるまっていた。小屋はかなり傷んでいる。屋根の一部がなく、窓のガラスも欠け、入口の戸は半分だけが立てかけたままである。詰めれば板の間に20人は入れそうだが雨でも降れば濡れてしまう。9月に行った朝日連峰の小屋とは大違いだなとこぼす。
 夕食は私の番だが、味噌で肉を包んできた豚汁がべらぼうに塩っぱいものとなるが、仕方なく我慢して食べてもらう。小屋のなかは戸外と変らない状態だから寒さがひどい。
 ここで大森さんが持参したツェルトが役に立った。ポールも張り綱もないが、寝るときはそれを張って中にもぐり込んだ。ツェルトのナイロンがぺちゃりと顔にまといついて気持が悪いが寒さは防げる。
 夜半小屋の外にでると一面霜でまっ白におおわれ浩々と照る月光に雪原のようである。

 5時半起床。7時15分に小屋を発つ。はい松や霜をおいた白樺が生える池山尾根
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から原生林に入り、快適に飛ばしながら、きのうからこの山の名前になっているウツギの木を探すが見当らない。
 帰って調べてみるともともとこの山は前駒ケ岳とよばれていたものが山麓にウツギの木が多いところから空木岳とよばれるようになったものらしい。
 梯子や桟道をかけた急な下りは「小地獄」らしい。正面に紫に煙る南アルプスが障壁となって立ちはだかり、そのスカイラインの高さが下りの高度の目安となる。
 岩っぽい下りを梯子やワイヤーで下り続け、日当りのよい小鞍部へ出て小憩とする。「大地獄」らしい。
 ここは南側は荒井沢、北側は大田切本谷へと切れ落ちている。大田切川を越して一面に黄葉した山腹が広がりその中にぽつんと発電所の白い建物が目立つ。山腹を切った道路に「しらび平」へのんびりと向かうバスが望見される。
 ここから路は尾根の北側へと移る。樹林越にこの2日間歩いた山々の連なりが明るい黄褐色の山肌をちらちら見せる。
 この3日間歩いたルートは、駒ケ根市を扇の要とし、中御所本谷と大田切本谷を両端として、宝剱岳から空木岳へ扇形に拡がっている。そのため大田切本谷に沿ったこの尾根からは宝剱岳から東川岳までの連なりが一望できるわけである。
 池山尾根から離れると小広く歩きやすい路となった。両側のから松林は、さっきまで完全に落葉していたものが、高度が下がるにつれて黄色い葉を止めている。

 登山路から少し下りた沢のほとりに池山小屋があった。小屋の外見はそう荒れていない。小屋の前の蛇口から豊かに水が流れだしている。
 快適な登山路は急下降となり、林道へでた。眼下にプールのように端正な長方形の大沼湖が見える。向かいの南アルプスのスカイラインは見上げる高さとなっている。登山路は林道を横切って直線的に下っており、いく度か林道を横切るうちに駒ケ根温泉の旅館街へ出た。11時50分大沼湖前のグランドホテルに着いた。
 ところで車は湖畔の駐車場に停めておけば往き帰りともに都合がよいことがわかった。
メンバー  大森 中村 冨山
期間    '85/11/02〜04
行程    1985年11月2日 7時起床。バス停8:45=しらび平ロープウエイ、千畳敷駅10:45−千畳敷カール稜線11:00−木曽駒ケ岳11:30−天狗山荘12:00〜12:15−宝剱岳12:30−極楽平13:00−島田娘13:20−濁沢大峰−桧尾岳15:55−桧尾避難小屋16:05
11月3日
桧尾小屋8:50−桧尾岳9:00−大滝山−鞍部10:00−熊沢岳11:15〜30−東川岳12:30〜13:00−木曽殿乗越13:15−空木避難小屋16:00
11月4日
起床5:30 空木小屋出発7:15ー池山小屋9:45〜10:15−大沼湖グランドホテル11:15−駐車場11:30
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