皇海山への想い

鈴木善三     '85/12/**


メンバー  鈴木

 あれは確か58年3月の連休の時、高橋・田中・鈴木の三人で皇海山をめざした。たまたま前日が雪であったが、当日はすばらしい天気であった。銀山平の橋のたもとに車を止めて歩き出すと、すぐに土砂崩れで道がふさがれていて、最初から苦労をさせられた。その日は、1日中ラッセルなどで疲れはてて庚申山荘に着いたのは夕方になっていた。
 翌日もルートがわからず、道標を探しながら、あっちに行き、こっちに行き、こんな所にこんな厳しい山があるとは知らず、ザイルを出したりして、苦労して庚申山頂に着いたのは、昼頃になっていた。庚申山手前では、今日登って来たパーティーに追いつかれてしまった。あんなに難しいところをどうしてこんなに速くあるけるのか不思議に思った。庚申山で大休止して彼らに先に行ってもらうつもりでいると、彼らも少し先で休みを入れ、どうも先に進む気はなさそうである。高橋さんの、今日は皇海山は無理だろうのとの一言で、庚申山にテン張ることにする。この様なことはいつでもすぐ決まる。
 今日は行けるとこまで行ってみようとのことで、すぐにテントを張り、充分休んで、出かける準備ができても、彼らはまだ動こうとしない。しかたなくわれわれは先に行くことにする。はじめは下りでよかったが、すぐにラッセルになり、苦労していると話し声が聞こえてくる。彼らがついて来ているの
だ。相馬岳まで行き、このところで引き返すことにして、一休みしていると彼らがきて、一言「もう終わりですか?」この言葉に高橋さんが頭にきてしまった。もちろん自分もきたが、田中さんは何とも思っていなかったようだ。テントに帰ってから、酒を飲みながら彼らに憤慨である。翌日は、帰るだけである。昨日あれほど苦労して登った所は嘘のようである。たんなる普通の山道であった。
 そんな苦労して、失敗した皇海山だが、翌年12月、高橋さんと六林班から行くことになった。このときも途中の道が悪かったり、分らなくなって薮こぎしたりで時間がかかり、翌日に六林班まで行って引き返すはめになってしまった。こうなると皇海山への思いはつのってくる。今度は、田中さんと2月に入る。最初の時なぜあれほど苦労させられたのか?この時は、当日に相馬岳の先まで入り、翌日皇海までとなった。ところが翌日は4時までに家に帰らねばならなかったので、また地藏岳の先までしか入れず引き返すことになった。
 要するにわたしは皇海山を3度めざして3度失敗したのである。こうなると皇海山への思いはますますつのり、いずれはと機会を待っていた。今年の10月、山に行きたくて目標を探していると、高橋さんが皇海にすればと薦めてくれた。しかし、雪のない皇海山に興味はわかない。11月になり同行者が誰もいない時、また思い出して一人で行ってみようと思ったが、前日になって天気が悪く、その気も失せてしまい、何処
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にも行かず2日間テレビの番人をしてしまった。その数日後、田中さんより電話があり、後藤さんたちが皇海山に行ってきたとのこと。善さんたちがあんなところでなぜ苦労したかわからないと言っていたという。それはわれわれ当人にもわからない。しかし、雪のない皇海山なら日帰りだよね、などといって話は終わった。
 12月になり、田中さんが仕事の都合で山に行かれなくなり、また一人ぼっちになり、何処に行こうかあれこれ考えて、奥白根にでも入ってみようかと思っていたが、前日食料を買っている時、皇海山を思い出した。今なら雪もあるぞと、急遽皇海山に入ることにする。
 朝早く家を出て、ゲートの前に着いたのは7:40だった。支度をして歩き出すとすぐに、土木工事の作業車が来て乗せてくれた。登山道も整備されて、きれいな道になっている。庚申山荘少し手前から雪道になった。ずいぶんはかどる。庚申山も無事通過し、この調子なら11:00に鋸、12:00に皇海山かと読んだ。しかし、地藏で11:00を過ぎてしまった。 鋸岳は眼前にあり、すぐに着くと思った。しかし、名前のとおり鋸岳であった。庚申山からは一つの山にしか見えないが、六峰からなり、大変な凸凹である。今日は雪が少なく、無事通過したが、そうでなければ相当苦労しそうである。今まで思っていたよりずっと厳しく、また面白い山である。
 白山で11:30。 この頃になると皇海山は2時ころになるかと思いはじめた。鋸岳は
手のとどく所にあるが、なかなか着かない。やっと着いたのは11:50になっていた。 疲れた。次は鋸の下りである。これがまたものすごい角度で落ちている。両側に木があるので下りられるが、雪が多くなればザイルがなければ無理だろう。
 皇海山の登りは、雪も深くなりルートもはっきりせず、苦しめられながらも13:05に着く。 何とはじめての時から5年掛かって、やっと頂に立つことができた。うれしかった。天気予報では、午後からくずれるとのことだったが、最高の天気だ。一休みしてから引き返す。帰りを思うとうんざりする。鋸岳を登れるだろうか?。心配するほどでもなく無事登った。下りより楽だった。鋸岳からの帰りは、朝の車の中で、六林班経由の方が楽だと聞いていたのと、来るとき怖かったので、六林班に廻る。
 所々に吹きたまりがあり、腰までもぐる。六林班に着いたのが15:00。六林班からの道は、高橋さんとのときのように荒れてなく、整備されてとても歩きやすい。しかし、距離がある。ものすごく遠い。一所懸命歩くが、なかなか庚申山荘に着かない。かろうじて明るいうちに着くことができた。
 途中、カモシカがずいぶん迎えてくれた。カモシカはひとが近付くと、別の場所にいるカモシカが一鳴きする。すると、その合図で、前方のカモシカが逃げるのである。山の明るさは、目になれる。庚申山荘を出る時は、町では暗くなっている時間である。一ノ鳥居は17:25に通過。 朝の車のひとが「帰りに会ったら乗っけてやるからな」と言
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ってたが、とてもそんな時間ではない。もう真っ暗だ。
 昔、橋元さんに連れられてバットレスに行った帰り、広河原から夜叉神峠まで歩いたけれども、その時、自分だけが灯りを点けて歩いた。途中で電池切れして不便を感じた。あの時の教訓で電池に気を使うようになり、今日もゲートまでは2、3回点けただけで歩いた。ゲート前に着いたのが17:45。 星空がとてもきれいだ。しかし、ゆっくり見ているゆとりもなく、すぐに家にむかう。
 家に帰ったのは21:40だった。 今日の山行を振り返ってみると、天候にめぐまれ、
積雪量も膝下くらいで、ラッセルも皇海山の登りの所だけ。また、ルート間違いも鋸岳と皇海山との鞍部で、道標が左向きについていて、間違ってしまったが、時間のロスは5〜10分ほどですんだと思う。ずいぶん長い年かかって、やっと登ったが、満足である。田中さんの仕事の都合で単独行になったが、また、高橋さんが“裏切者”と言ったが、何はともあれ大満足である。今年、9月に10日間程入院生活したので、少し心配していたが、大丈夫らしい。また同じような条件のとき、味わいながら入れる機会があることを願い、皇海山を想う。
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