会津田代山と帝釈山

冨山八十八     '85/06/08〜09


メンバー 橋元(CL) 鈴木 高橋 亀村
       冨山

 会津田代山に花を見に行くことになった。
 この山のことは白籏史郎の「尾瀬」(大和書房)で知った。

 −−この平ヶ岳とまことに似た雰囲気の山が会津田代山である。尾瀬の中心から遠くはなれ、アプローチも長くて、なかなか訪れることができないが、それだけに静かで、心の安らぎをあたえてくれる。標高1,926.3メートルの三角点があるが、じっさいの山頂はもっと高く、南方に盛り上がっている。
 この山は名がしめすとおり、山頂一帯が広大な傾斜湿原で形成されて大きくひろがり、池塘や水流がある。尾瀬中心部のアヤメ平に似ているが、それよりもはるかに規模が大きく、平ヶ岳を凌駕するといってよい。
(略)
 5月下旬から7月上旬までが、この会津田代山のもっとも美しいシーズンで、山頂一帯の湿原や小田代と呼ばれる湯の花側山腹の湿原にはたくさんの花が咲き、長いアプローチに疲れた登山者をなぐさめてくれるが、そうした意味でこの山は、会津駒ヶ岳や平ヶ岳におとらぬ魅力を私たちに投げかけてくれる。(「会津駒ヶ岳と周辺の山々)−−

 おじさんが地元の福島県舘岩村の役場へ花の様子を問合せた所、6月9日の日 曜日が田代山の山開きで、花の咲き具合もよく、記念品も用意しているからぜひいらっしゃいとのことである。
 そこで6月8日(土)の午後4時半に蕨駅前をデリカで発った。日光市内から霧降高原を越えて黒部ダムのある青柳へ出た。
 このコースを採ったのは、この朝奥日光から加仁湯へ向かった後藤、田中夫妻からおじさん宅へ電話があり、このコースが道もよく、時間もかからないからとの知らせがあったからである。
 「さすが万事行き届いた後藤さん」
 と尚介さんはまた本醸造の酒をあける。
 田代スーパー林道に入ると地道となる。薄暮のなか行く手左側に黒い山波が連なる。たぶんあれが田代山だろう、ということになる。左手のすっかり暗くなった谷間に見えがくれする灯火は川俣温泉らしい。
 6時30分、ヘッドライトに照らされて「田代山登山口」と書かれた木片があわわれた。車外へ出てみたがどうも様子がおかしい。林道をさらに30分ばかり下ると  「田代山開き」
 と横幕の張られた休憩小屋があらわれた。
 登り口の猿倉口である。前方はるか下方にちらつく灯火は湯の花温泉のものらしい。テントを張って、おじさん準備のカツオ、ハマチ、シマアジ、甘エビを大皿に山盛りにし、本醸造をやる。厚切りのカツオにニンニクのスライスをのせて口いっぱい
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頬張る。
 刺身だけで満腹となり、カメちゃんがダウン。尚介さんがダウンで、11時に全員就寝した。

 小鳥の喧しい啼き声で目が覚める。カメちゃんらしい巨体が私を踏みつけたが、まだ4時半なのでそのまま眠りこむ。
 次にバスの音やら大勢の人の声、足音で目が覚めた。
 入口に寝ていた善さんがテントから首をだし
 「こりゃ大変だ」
 と叫ぶ。
 山開きで続々と人が集まってくる様子だ。テントの隣の休憩小屋では机や椅子をガチャガチャと運んでいる。それに後藤さんまねるところとそっくりの福島弁がさかんに行き交う。
 こうなると寝てもいられず、起きだして朝食の準備にかかった。村役場の女性がテントをのぞきこみ、
 「何人ですか」
 と袋に入った舘岩村の観光ガイド地図をくれた。
 食当はカメちゃん。ベーコンに完熟トマト、それにまたニンニクをたっぷりと放りこんだいためものにフランスパンである。
 さきほどから小雨のなか山開きの儀式が始まっていた。ハンドマイクを通して祝詞やら玉串の奉呈が行われている。それを横目にテントを出て、祭壇裏から湯岐川を渡り、枝沢沿いに登る。
 30分ほどで登山路へ出た。ひっきりなしの人の群れで、きびすを接して登ることになる。わがパーティは昨夜のニンニクと本醸造、それに今朝またたっぷりとニンニクをいただいているので、汗とともに強力な臭いをあたりに発散している。
 登山路の両側には白桧を主とした樹木が生い繁り、そのなかにドウダンツツジの高い木が、とき色の小袋ににた房をたわわに咲かせていた。
 やっとドウダンツツジの花にめぐり会えた。
 毎冬恒例の北八ヶ岳ソフィアヒュッテの往き帰りに、天然記念物指定のドウダンツツジの群落地を過ぎるうち、いつか花の咲く頃にと、昨年の6月大森さんの快気祝いに梓全員で訪れたのだったが、時期が早くて期待の花は見られなかった。
 道ばたの白い花は「ツルマイソウ」とこれは尚介さんが即座に断定した。ゴウヨウツツジの白い花。それにカエデも薄紅色の羽毛のような花をつけている。
 急坂がゆるやかになり、樹林が切れて湿原へ出た。
 小田代である。木道が一本通っている。湿原の周囲は高い樹林に囲まれ、田代のなかにもところどころ高い樹林の小群落があり、暗く狭い感じである。
 湿原一面を濃い緑のモウセンゴケがおおい、そのなかに小粒の紅玉をまき散らしたようなのはヒメシャクナゲであった。
 「小さくても立派な多年生の木なんだから...」
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 おじさんが説明している。
 人の波に急かされてゆっくり花を眺めていることもできずに15分ほどで小田代を過ぎた。
 また急な登りとなる。20分ほどで突然樹林が切れ、開けた湿原へとび出した。
 田代山々頂の第一湿原である。広々とした湿原に木道が一本ガスのなかに消えている。
 足元の湿原には一面のモウセンゴケの緑のなかに、チングルマの白、ヒメシャクナゲの赤が見事なコントラストをなしている。
 ヒメシャクナゲの花には私ははじめてお目にかかった。4、5センチの針のような緑の木茎からピンクの長い花茎がのび、その先にぷくんとわずかに数ミリのピンクの壷状の花をつけている。
 シャクナゲと言えばいつか奥秩父での石楠花林のヤブコギ以来、私のこの花への印象は一変した。
 大森さんをリーダーに笛吹川東沢を詰めての帰途、木賊山から鶏冠尾根を下ろうとして路に迷い。石楠花の群生する斜面をしゃにむに下った。
 弾力のある石楠花の枝はハイマツ以上に厄介で、枝を拡げた木によじ登り、全身の力で枝の反撥を押えて花々の上を越え、手放すとバッシと身体をたたかれながら、また次の木の枝を掴んでよじ登る。このきりのないアルバイトの連続で散々に体力を消耗させられた。
 見かけの花の可憐さとはちがう粘り強い枝の反撥力に、優しさにかくされた佳人の
怖さを感じた。
 この4月に室生寺を訪ねたときもちょうど石楠花の花盛りだった。山でお目にかかるのとはちがい、手入れの行き届いた石楠花は大形で豪華な花弁をつけ、それだけ妖艶で、触れれば火傷をしそうな美しさの反面、造花に惑わされているような実体感のなさを感じた。
 しかしここに咲く、わずかな微風にもゆれるヒメシャクナゲは、なんと清楚で、だますことを知らない可憐さをもち、しかも剛毅さを秘めていることか。
 ガスが流れ、10メートルも離れると人影がガスにとけこむ。木道の右手に弘法池が薄墨の景色のなかで鈍く光っている。
 木賊方面へ別れるT字路に、舘岩村の男女の職員が雨具で身を固め寒さに震えながら立っていて、
 「記念品です」
 とバッジとゴミ袋を手渡してくれた。
 バッジは田代山を彫った図に「田代山開き、1985,6」
と記されていた。
 ネズコの矯木が湿原のなかへ半島状に張りだしていて、そこの1箇所にハクサンシャクナゲの鮮やかな白い花が目立つ。
 このあたりから第二湿原となる。周囲を壁のようにとり囲む樹林がガスのなかにほのかな影となって認められる。湿原にはイワカガミの桃色の花が群れている。
 ガスでかすんだ湿原に点々と鮮やかな白が一直線に連なっている。御影石の標石で眼のきく人が「十条製紙」とその石に
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印されているのを読んだ。
 前方にぼんやりと樹林帯の影が横たわり、湿原の終わりを思わせる。第三湿原で、その樹林帯の入口に水バショウが2株花をつけていた。
 人の声がさわがしい。太子堂とよばれる小屋があり、なかには可愛らしい石仏がまつられていた。
 人をさけて太子堂を越し、帝釈山への路を進んで休む。ここまで来ると人もいない。残雪がところどころに固まってた。
 下生えのなかにシダににた葉から1本茎が伸び、その先に白い釣鐘状の花が咲いている植物があった。
 「オサバグサだろう」
 とおじさんがいう。
 「オサバグサ、オサバグサ」
 少し下の方でこの植物の説明板を見つけて尚介さんが叫んでいる。
 説明板には「オサバグサ、ケシ科」とあった。おじさんも本では見知っていたが実物を見るのはこれがはじめてだとのことであった。しばらくはオサバグサの群落が続く。
 路はどんどん下る。雨は降っていないようだが、木に身体がふれるたびにパラパラと雨滴がふりかかる。
 「木雨だ」
 とおじさんがいっている。木の葉に霧がたまって水滴となり、それがゆすられて雨滴のように落ちるからだ。
 カメの木が白い花を咲かせている。
 さきに行ったカメちゃんが立っていて、こ
の先で尚介さんがキジ打ち中ということで、ストップをくらった。足元をみるとショウジョウバカマが咲いていた。
 田代山と帝釈山の最低鞍部に沢が流れていて、黒花のエンレイ草が数本咲いていた。
 帝釈山への登りとなる。雪笹がいちめんに群生しているのに出会った。お昼用にちょっと採って行くことにする。
 やがて樹林が切れて稜線へでた。手をかけた岩のそばに赤い大きな石楠花のつぼみを見つけた。緑のなかにたったひとつ鮮やかな赤が印象的である。
 稜線の細い踏み跡に帝釈山々頂の三角点があった。そこを過ぎると踏み跡も草におおわれて定かではない。細い稜線に腰を下ろし、各自1缶持参したビールで乾杯する。

 谷をへだてて真向いの台倉山がガスのなかから姿を現した。樹林でおおわれた黒い斜面に残雪が点々と白く残り羊の群れのようだ。
 地図によれば稜線のこの路をたどれば黒岩山で、尾瀬から鬼怒沼山にかけて扇状に拡がるルートに出会い、さらに尾瀬まで抜けられる。しかし路はすぐ先ですっかり雑木におおわれて荒れている。
 おじさんはどっかりと座りこみ、シナ鍋をかざして早速途中で採ってきた雪笹を油でいためる。
 「山のアスパラ」と名付けたそうだが、口にほうり込むとほのかな甘みがあってアス
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パラ以上においしい。たちまち平らげて次は野菜いためとなる。
 昨夜は刺身だけで満腹となったので、メインディッシュの野菜いための材料とシナ鍋を背負ってきたのだった。
 野菜いためには善さん持参の「我孫子の地ウイスキー」がよく似あう。
 いつの間にかまたガスが出てきて向かいの台倉山は姿を消してしまった。
 登ってきた路を引き返す。田代山への登りにシラネアオイの紫が雨に打たれていた。再び田代山へ戻ると午前中あふれていた人影はなく、湿原は日を受けた明るいガスに包まれ、音のない世界となり、前を行く人影がにじんで次々とガスにとけ込んで行く。なんだか夢のなかで歩いているような風景である。
 白籏史郎は平ヶ岳におとらぬ魅力というが、あの平ヶ岳の広々とした感じはない。ガスのなかの湿原は幻想の世界である。それに数々の可憐な花々。ここへはもう一
度みんなで来ようと話しながら猿倉口へ戻った。

 カメちゃんがテントの口をあけて
 「ワァーッ」と叫ぶ。
 昨夜と今朝の充分なニンニクでテントのなかへ顔をつっこむと目が痛い。
 帰りは湯西川温泉でひと浴びする積りで寄るが、コンクリートの建物ばかり。おまけに平家祭りでどこも満員とか。温泉はあきらめて変に山家風のソバ屋に寄って帰った。

期間   '85/06/08〜09
行程   6月8日
蕨駅前 16:30 = 猿倉登山口 19:00
6月9日
猿倉登山口 8:20 − 太子堂 10:40
− 帝釈山 11:30 〜 12:40
−田代山13:45 − 猿倉口 14:50
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