“あてがいぶち”の山々

金谷一郎


 誰が始めたか、「十年一昔」とはよくぞ言ったものだ。「一昔」は『山家集』に初出散見されるようだから、相当に古く、人生わずか五十年以下の時代の産物ということになりそうだ。
 知命を目前に顧みるに、山歩き事始めは三十数年前になるから、これはもう遠い昔、いいことばかりが濾過されて際立つ“過ぎにし昔は懐かしきかな”の部類にすっぽりと入ってしまう。登った山は年三回としても百数回だから二百山には遠く及ばず、うち独行は数える程だから圧倒的に“あてがいぶち”の山々となる。逸脱は極力避け、ひたすら便乗すればいいのだから楽はこの上ないが、主体性はまるでない。食客もどきだから遠慮も出る。そのせいだけではないが、○○小屋だの△△岩だのといった途中の標識的地名はおろか、時として山名すら憶えていないこともある。だから、些細なことでもいい、何かが起こらないかぎり印象の焼き付けは薄くなる。土砂降りの中で悪戦の小半時後、得も言われぬ陽光の輝きが生み出す世界を垣間見た一切経山での経験は別格としても、買い忘れによる煙草の払底でもいい、鈍い先導者が起こした迷走の体験でも、昨今と異なり正真の土に張った幕舎でのとろりと落ちた葡萄酒の味のことであってもいい。かくして、みな遥か遠去かってしまったが、雌阿寒岳、一切経山、針ノ木岳、両神山、大菩薩嶺、それに槍ヶ岳や宮之浦岳などが今に蘇ってくる。
 登り時を得た山々にはいつも必ず強く弱
く陽が射していた。それに、適度な岩岩があって山行に抑揚をつけてもくれた。その中にあれば暗転、好転の揺さぶりもまた心地よい。あれは確か、茅ヶ岳巻き道に疲れて流汗淋漓、陽だまりの恰好の岩にぽつねんと座し、絶佳を掌中にして酒精を沁み込ませる。内面じわりと横溢、秘めやかに谺し呼応してくるものがある。風の戦ぎにすら脆い均衡ではあっても、そこには山ならではの醍醐味があり、かけがえのない静謐の瞬間がよぎる。
 三十数年ともなれば、変化の激しさ、失われたものの大きさにもまた気づかされる。飯盒炊爨は変哲もない鍋炊飯に変わり、薪は瓦斯などに、必需だった毛布は軽く温かい寝袋に取って代わった。数数の備品もより便利なものに様変わりした。だが、それと引き換えに野趣は確実に後退してしまった。いつしか取り込み、身についた飽食暖衣は抜きがたくまとわりつき、後戻りを許さない。野趣はますます遠去かる。さらなる利便の追求とその集積、加えて楽しみの無制限な拡大は、自然を壊し、地球を危うくするまでに至った。
 この二律背反には辛く堪(こた)えるものがある。だからといって、禁欲主義をとるわけにはいかない、人間本来無一物の境地に立てるわけでもない。かくなるうえは、新たに二百山を目標に、かつて一笑に付され一蹴された“飢餓山行”を“あてがいぶち山行”の合間に織り込み、実地に移すとでもするか。急激には変われないから、一日煙草三本、酒精三杯というように徐々に
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ゆっくりと……その向こうに何かが見えてくる予感があるのだが、こんなことでは甘い のだろうか。  (9・12)
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