甘利山と桃の木鉱泉

橋元武雄     '84/05/19〜20


 人の付き合いというのは、不思議なものだ。友達になろうとしてもなれるわけではないのに、思いも掛けない人と、思いも掛けない友達付き合いをするようになる。たとえば、今の梓の仲間にしても、そうだ。学校とか、会社などの、普通の社会的な付き合いの、枠組みを外れたところで、とても楽しい仲間ができる。梓の以外でも、僕がよく付き合っている仲間というと、本職とは関係ない(なっかったと言うべきか)物書き、編集者、デザイナーといったグループがある。
 つい先ごろ、11年勤めた会社を辞めたが、その後も時には会って酒でも飲みたい人といえば、わずかしかいない。仲間になるということと、共に多くの時間を過ごしたということは、ほとんど関係がないもののようだ。
 そうした付き合い方をしている人の1人が、TBS.Bの小鍋さんである。僕があの会社にいた頃は、ほとんどお互いに口をきいたこともなかった。その人が、ある山行に大森が誘ったのをきっかけに、付き合うようになった。今では、山とは別に、和泉流の狂現の会を共に観賞し、そのあとで、その日の演目の出来映えをつまみに、一杯やるのを楽しみにしている。,br>  そう、仲間に共通している点というと、例外なく飲ん兵衛だということかな。

 狂言が終わって、いつものとおり水道橋の行きつけの飲み屋で一杯やっているときに、山の話しが出た。久しぶりに、どこか
に連れて行けという話しだ。それも、小鍋さんが、というのではなく、やはりTBS.Bの人で、横張さんという人が、どうしても夜叉神峠に行きたいと言っているという話しだった。横張さんは、僕があの会社に居たころに、席がすぐ近くにあったので、よく知っている。出版社には珍しく、「古武士のような」という形容が実に相応しいような、男っぽい風貌の人である。
 山に関してはまったく経験がないという。ただ夜叉神という言葉の響きに惚込んで、行きたくなったということらしい。なるほどなぁーと思った。あの人の、トツトツとした口調で、<ヤシャジーン>と言っているのが耳の奥に響くような気がした。
 それに僕もまだ夜叉神には行ったことがない。
 そんな成り行きで今回の山行は計画されたのだが、この文の題名から分かるように、結局は夜叉神峠には行かなったのである。

 5月19日

 集合は午前7時、中央線三鷹駅である。そこからぼくの車で行く。参加者は小鍋、横張、後藤、金谷とぼくの5人の予定である。ただし、金谷亭は、今日の夕方に塩山で拾うことになっている。行程は、夜叉神だけでは、物足りなかろうというので、今日じゅうに甲斐駒の山麓にオマケのようにへばりついている甘利山を登って、南アの麓にある桃ノ木鉱泉で一泊して汗を流し、明
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日を夜叉神に充てようという計画である。
 もっともこの計画は、この山行に参加したいなどと言いながら、直前になって一水会の乾徳山山行の方に鞍替えしてしまった大森の発案である。その計画は、直接に大森から聞いたのではなく、後藤さんからの又聞きである。口のうまい後藤さんが仲介しただけに、ただ右から左に話しを伝えるというだけではない。
 大森は、電話で後藤さんと話しながら、
 「われながらうまい計画である」
と自画自賛していたという、おまけの話題がちゃんと付いている。いかにも段取屋の大森らしい。
 早朝で道がすいていたのでぼくが三鷹に一番乗りした。2番手は後藤さんである。そして、予定の時間を少し遅れて小鍋さんが到着。
 さて最後に主役の登場を待つばかりと思いきや、出発を前にこの山行の主旨はあえなく崩壊する。小鍋さん、開口一番、
 「横張りさんが仕事の都合で急に参加できなくなった」
というのである。
 聞いてがっかり。そんなことなら、もっと面白い山がいくらもある。
 とはいえ、いまさら何処に行きたいとも思い浮かばず。いわんや、中止するなどは論外である。桃ノ木鉱泉は予約してあるし、金谷亭も後から来ることである。ただ決行あるのみ。

 甘利山は、新緑というにはまだ早く、目を
慰めるほどの花もなっかったが、ゴールデン・ウイークを過ぎた静かな山はそれなりに味わい深かった。

 予定どおり塩山の駅前で金谷亭を拾って、桃ノ木鉱泉に夕刻到着。  ぼくにとっては何度目かの馴染みの温泉で、ゆっくりと体をほぐせば、後は飲ムッキャない。

 酒の話題に、珍しくぼくの運転の話しが出た。

 小鍋さんの言うには
 「ぼくにはよく分からないけど、橋元君はなかなか運転がウマイんじゃない」  それを聞いて、橋元君、多少慌てました。もともと自動車なんて、無いと不便だからしょうがなくて持ってるんだくらいに思っているし、運転というのはどうも好きになれない。したがって、下手の横好きではなくて、嫌いの横下手程度に、自分の運転技量を位置付けていたものですから。しかし、そう言われると悪い気はしません。
 そこで、橋元君テレ隠しにいわく
 「ぼくの運転は、上手というんじゃなくて、ただ丁寧なだけですよ。運転が荒いと、自分でも車に酔う方だから」

 こんなたあいもない会話を交わしながらも、酔っぱらって混濁した意識の中で何となく嫌な予感がした。虫の知らせというやつか。何でこんなときにめったに出ない車の運転の話しが出るのか。
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5月20日

 昨日はどんよりとした天気だったが、今日は朝から雨模様である。横張さんの参加もなっかったことだし、この雨の中をあえて夜叉神に登りたいという酔狂な者はいない。
 そこでひらめくのは一水会のこと。ここと乾徳山は、甲府盆地を斜めに横切ればすぐである。大森もいるし、冨山さんも尚やんもいる。吉祥寺に電話だ。あちらと合流して、そばでも食ってから帰ろうと衆議一決。

 多少昨日の酒の残りを感じつつ、桃ノ木鉱泉を後にする。
 そして、事故はその直後に起きた。

 桃ノ木から芦安までの山道は急で狭い。右は山、左は谷である。下りに向かって道が右側にくの字に曲がっている所で、ちょうど下からオートバイが登って来た。それが乗用車であれば、当然その手前で止まってやり過ごすところだった。相手がオートバイならすれ違いができる。
 できるだけ左に寄ってすれ違った。いまや善さんの愛車となっているワーゲンから、この車に換えて、左側の感覚がどうもいまひとつ把かみきれていない感じがすることがよくあったので、このときも練習のつもりでできるだけシビアーに左に寄った。
 はじめ、ガッツンときて、それからガガッーと大きな音がした。そして、車は左に大きく傾きながらゴトゴトと大きな音を立て
ながら走り続けた。これはパンクだなと思った。  後ろの座席で
 「どうした!」
と誰かが言っている。
 「パンクらしい」
と返事をしたが、ここで止まるわけにはいかない。道をふさいでしまう。
 右前方に待避場が見えたので、そこまではなんとか車を走らせた。
 車を左に寄せ、降りてみて吃驚した。何としたこと、パンクなどというなまやさしいものではない。左のタイヤが2本ともにバーストしていたのである。タイヤの横腹にポッカリと大穴が開いている。この車のタイヤはチューブレスだからこれで一貫の終わりだ。
 最初の音からして車体を傷めてしまったのでは、という恐れが強かったのだが車体は無傷だった。車体に傷を付けずタイヤだけを、しかも、2本もやっちまうなんて、「どうして?」という感じである。
 どうもガッツンという音はホイールの金属の縁に、ガードレールの支柱を埋め込んであるコンクリートの基部が衝突したときのものらしい。その基部の鋭角な部分にタイヤのせりだした腹を擦ったのだ
 1本のパンクなら替えのタイヤがある。しかし2本いっぺんではお手あげだ。どうしよう、吉祥寺どころではない。下手をすれば車をここに置いて帰るはめにもなりかねない。胸の奥に重たい鉛の塊がズーンと入り込んだような、息苦しさを覚えた。
 とにかく救援を頼む他はない。芦安まで
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歩いて、JAFに電話でもするか、などと思いめぐらせながら、ふと後ろを見ると、1日に数本しかないはずの山梨交通の定期バスが止まってこちらの様子をうかがっている。いつからそこに止まっていたのか、動転していたので気が付かなかったが、これは、不幸中の幸いである。
 さっそくバスに飛び乗って、運転手さんに事情を話すと、専門の修理工場はないが芦安のガソリンスタンドならなんとかなるだろうという。とにかくそこまで乗せていってもらうことにする。
 4駆のデリカのタイヤは特殊なので、三菱のディーラーかタイヤの専門店以外にあるとは考えられない。スタンドの小父さんと話すまではあまり希望を持っていなかった。しかし「餅屋は餅屋」、タイヤの種類は違ってもサイズが同じなら、前輪どうし、後輪どうしを同じにしておけば、とりあえず走るにはさしつかえないという。
 小父さんが、とにかく実物を見たいというので、スタンドの車で現場に戻った。このサイズのタイヤならスタンドの近くのタクシー会社にありそうだという。ヤレヤレなんとか車を置いて行かずにすみそうだと安堵する。
 親切な小父さんが中古のタイヤを借に行っている間、時間つぶしに散歩にでた。金谷亭は車の中で寝ているという。そのころには雨もあがっていて、ぶらぶらと、谷川
の向側にある遊歩道まで散策した。気の良い人のやることはえてして迅速ではない。大分時間はかかるものと覚悟していたが、思いもかけず速かった。左岸の急な登り坂の途中から、木の間越に対岸の車の見える所に出ると、もう小父さんの車が止まっている。やれ嬉しや、と早速取って返した。
 車まで戻ると、もうタイヤの交換はほとんど終わっていた。しかし、金谷亭の姿が見えない。どうしたのかといぶかっていると、車の中で人影が動いた。小父さんが仕事をしている間じゅう寝ていたものらしい。いつものことだが、この男のすることはどうしてこう面白いのだろう。他の人がやれば悪く取られるようなことでも、この男がやるとそこはかとないおかしみがにじみだしてくる。不思議な人である。
 残ったデリカの2本のタイヤを前輪に付け、中古のラジアル・タイヤを後輪に着けて何とか窮地は脱した。タイヤは保証金を置いて、後で宅急便で返送することで話しがついた。
 これでどうやら吉祥寺に行って大森たちと会えそうである。

 冨山さんに倣って教訓:群馬県には草津があるように、山梨県には芦安村がある。

メンバー:後藤、橋元、(小鍋、金谷)
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