コックさんと私

(特別寄稿・ブッシュ同人) 牧 恵 美 子


 きわめて不向な私に食糧係になれと、みんながのたまう、あーあどうなっても 知らないぞ。
 ヒマラヤ・ツクチェピーク、6920mの遠征計画は少しずつ進み、食糧も第1回・第2回と原案を出して、みんなで修正していった。
 カトマンズについた翌日、エクスプレスハウスの中庭ではじめてシェルパに会った。昨夜、先発の2人が口からあわをとばすようにして、サーダーとヨンデンさん(シェルパ)がすてきだと言っていたが、本当にサーダーはポーとみとれるほどすてきな人だった。
 そして、わがキッチスタッフはコックさんはアン・ノブル(サーダーの弟)26歳、キッチンボーイはビデンドラ26歳、彼はタマン族とのこと。
 メールランナーはサーダーのお父さんなので、私達も「おとうさん」と呼ぶことにする。
 キッチンスタッフは日本から送ったりカトマンズで購入した、調理道具や食料の整理をする。カトマンズでの買出しはコックきんが原案をつくってくれたが、米137kg、砂糖60kgと私たちの想像をはるかに越えた量で、一生に1度の大買物という感じであった。
ある日、私とコックさんが2人で買物に行った時、英語の苦手な私が(シェルパさんたちは英語がペラペラ)「え一と『時々』って何ていえぱいいのかな」とひとりごとを言うと、コックさんが「サムタイム」とひとこと、
「えー日本語もできるの?それなら早くそう言ってよ。」
 トレッキングに入ると、コックさんの優秀さにはびっくり、希望のメニューを伝えるとその通りにつくってくれる。日本隊の経験が多いアンさんは日本食から乾燥食品のことまでよく知っている。
 それにしても、あこがれのモーニングティーや上げ膳据え膳の生活はどうも腰がおちつかない。……貧乏性だなあ…。コックさんとビデンちゃんの他にキッチンポーターというメンバーが3人もあらわれて、食事の支度にたずさわっていた。辛いものの苦手な私達とは別に、シェルパ食もつくる。
 「今日のシェルパさんたちのメニューはなあに」と必ずのぞきに行く私。デュー口(イラクサヲ煮つめたもの、ドロっとしていて、そばがきにつけて食べる)やシャクパ(ぞうすいのような感じ)などのめずらしいものの時は必ずみんなでお相伴にあずかっていた。
 4/8・ヤクカルカ(3800m)へ登る。しかし、この日から連日悪天にみまわれてしまった。
 悪いことにキャラバン中から咳をしていだコックさんが血を吐いたとサーダーが言う。通訳の栗田さんがサーダーと話しあい、コックさんの下山はサーダーの判断にゆだねることにする。
アンさんがたおれている間、ビデンちゃんがとてもよくやってくれる。しかし、ビデンちゃんも、よくかわいていないマキのけむりで目を悪くしてしまった。
 悪条件の中でキッチンポーターのメンバ
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ーもよくやってくれる。
 4/14・悪天候に業を煮やした私たちは、隊員だけで強引に4260m地点にキャンブを進めた。ここは地形のせいか強風が常に通りぬける、トランシーバーもよく入らない。
 4/17・連日吹きあれていた雪がやみ、どんよりとした空のむこうからポツンと何かがやってきた。
 「サーダーだ!」
 「あれ、ポーターさんたちも次々と登って
  くる。」
 「そして、ピデンちゃんとアンきんも来るで
  はないか!」
 「もう大丈夫なの?」
 「元気になったの?」
 あっというまに私たちのテントのまわりは掘られてキッチンテント、シェルパ・ポーターのテントができた。時々黄色い雪がでてくるのが多少気になったが…
隊長と木村さんが下山し、4人になった私たちは少しさみしい。
 もう晴れることはないのではないかとみんな不安になる。どうしようもない気持で、料理中のコックさんのところへあそびに行くと、
 「アト サーティ デイ?」と明るい顔で言っ
  てくれる。
 「でも モンスーンが来ちゃうでしょ」と
  私。
 「ダイジョウブ メイビィ20 メイマデ オー
  ケー」と言ってくれた。
食料は足りるだろうか…
不安ばかりつのる。
 4/19・待ちに待った晴天。キッチンさんたちよりひと足先に4800mにキャンブを移す。近くに無名の5000m峰があり、Bush峰と名付けた。
4/23・めでたい私の誕生日に、私ははじめてBush峰に登った。
さっそくキッチンテントに入りこんで、「今日は私の誕生日」と言うと、コックさんが「ドウシテ早ク言ワナカッタ、ケーキヲ焼イタノニ」と言う。
 4/24・タバパスに隊員とサーダー、ヨンデンさんのみ入る。
 4/26・いよいよべ一ス入り。他の人たちはカロバニからダイレクトにべースに入ってきた。何日かぶりでキッチンさんに会うととてもうれしい。(でも、うれしがるのは私だけ。これで食当から解放されるという気持があるからか。)
 4/27・この日は停滞、サーダー、ヨンデンさん、お父さんで10畳ほどのダイニングキッテンをつくりはじめた。三方にベンチがあり、全員が入れるりっぱなイグルーのようなものである。大きなひらたい石を敷つめて出来上り。すばらしいべ一スキャンプだ。この夜は私たちの手料理をみんなに食べてもらった。
 4/28・べ一スキャンプ開き。赤青白黄色緑のラマの旗が大自然の中で美しい。昨日ヨンデンさんとお父さんがせっせと縫いつけてかかげたものだ。そのむこうにツクチェの頂がそびえている。
 登山の安全を願うヨンデンさんとお父さ
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んの読経の声が私たちの心の中にひろがっていく。ヒマラヤの中、澄みわたる5000mの大気と光が私たちをあたたかく包む。
最後にツクチェにむけてみんなでいっせいにマイタ(小麦粉)を投げる。
神聖な気持もつかの間、ア!と思ったらビデンちゃんにマイタをたっぷり顔になすられてしまった。クソォー油断大敵。いそいでしかえしをしようとしだら、ビデンちゃんはすばやく逃げてしまったので、そばにいたお父さんにしっかりなすりつけておいた。
 その日からC1へ荷上げ開始、C1まではポーターさんにも荷上げしてもらう。
 4/30・C1入りすることにし、サーダー、ヨンデンさんに必要なマサラ(香辛料)やトウガラシのつけもの、調理用具等の準備をキッチンさんにたのんでおく。私たちの体力では高所に10日が限度との判断で、もうB.Cにはもどらないつもりででかける。
 B.Cを出発する朝、みんなが見送ってくれる。今日も美しい空である。
 「行ってきます」と私。
 コックさん、ビデンちゃんと握手するとなんとなく心がひきしまる。
 5/1・C1は朝から雪。朝、タの定期交信は必ずコックさんがでてくる。私たちがいないのでB.Cはのんびりしているようだ。隊員が私のことをからかうので、サーダーも何をさっしてか「マキサン ドウゾ」なんてトランシーバーをさし出す。
 C2,C3は食料難。食べもののうらみはおそろしいというけれど、これは本当。あれが食べたかったとか、どうして○○を持っ
てこなかったかのかなどとしょっちゅう話題になり、食料係はとてもつらかった。
 C3で連日の疲労からかエベレストサミッターのサーダーが高山病になってしまった。私も頭痛がして何をするのもおっくうである。
 5/8・サーダーは下山。私たちとヨンデンさんはピークヘ向う。
 9:30発.遅すぎる感じだがせいいっぱいの行動だっだ。
 3:30.ピークはまだ遠い。
 4:40.ビバーク体制に入り、雪面の段差がうまくかぶっているところを少し堀りツエルトを張ってビバークした。 ここでは極度の食料不足、日帰りのつもりだったので1日分の行動食しかない。
 5/9・天気は下り坂なのだろう、9:30にビバーク地を出たが雲が多く気温も高い。気持はあせっても足が出ない。
 ピークについだのが2:30。
 元気になったサーダーと交信した時、登頂の喜びが胸にあふれた。これもみんなシェルパさんやポーターさんのおかげである。
 C3を目の前にして夜がせまり、風が強くなってしまった。暗い中やっとC3にたどりつく。
 5/10・C3.C2を撤収して下山していくとC1の上までポーターさんが3人迎えにきてくれていた。久しぶりに私の大好なローティ(ホットケーキのようなもの)とチャー(ミルクティー)を持ってきてくれた。これもみんなコックさんたちの心使い。
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 いよいよB.Cへ下山。サーダー、リエゾンオフィサー、コックさん、ビデンちゃんとお父さん、残りのポーターさんも出迎えてくれる。次々に固い握手をかわし、最高のしあわせという感じだった。
その夜はヨンデンさんも久しぶりにまともなものを食べられて、しあわせだったことだろう。お酒はなかっだが、コックさんがみごとなケーキを焼いてくれた。こんな不便なところでよくまあと思う。
我隊のコックさんの目慢話しはつきない。おまけにビデンちゃんが、アンさんに勝るとも劣らない腕前なので恐れいる。
 5/11・休養
 5/12・B.C撤収の日は朝から雪で私の心はよけいにさみしい。キッチンテントの撤収を見ながら楽しかった日々をふりかえっていた。
吹雪のためヤクルカヘ下山出来ずカロバニに泊る。
 5/13・翌日隊員のうち足のけがで私と、もう1名が雪盲のため停滞し、他の人たちはヤクルカヘ。  5/14・私たちもヤクルカヘ。
 雪でまっしろだつたヤクルカが美しい緑の草原となりニルギリがおどろくほどの高さでそびえていた。
 栗田さんがなめらかな英語でアンきんに問う.
「今回の遠征をあなたは楽しみましたか」そして、アンさんがひかえめに、でもはっきりと答えてくれた。
「ええ、とても。大きい隊ではポーター同士や時には隊員同士の争いもありますが、この隊では争いもなく、楽しい遠征でした。」と。
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