岩をかむ激流を20キロメートル ー黒部・上ノ廊下遡行

橋元武雄     '81/08/07〜12


メンバー 橋元・(井上)

 今年の夏山は、一緒に登ってくれる相棒が見つからず、大分難産だった。山行を共にするというのは、ただの遊びであってもなかなか面倒な所があって、まずメンバーシップがあることはもちろんだが、会社の休暇スケジュールや、興味のある山域、登山技術のレベルと体力など多くの点で一致を見なければならない。
 今回のもくろみは、山行形態からいうと、「沢登り」に属している。これは日本に固有の登山方法で渓谷を遡行しつつ、その源となる山域の頂上ないし稜線にまで到達しようというものである。川が流れているだけで、特に登山道や標識がある訳ではないから、すべて地図と磁石をたよりに、ルートを探していかなければならない。
 黒部川の上の廊下は、黒四ダムの上流部にあって特に両岸が狭まり、絶壁の間を急流が白く泡をかんでいるような部分である。これが20キロ程続く。今回の相棒は僕より大分若く、今年で30才になったばかりの男で、これまで何回もザイルを組んでいるので気心は知れているし登山技術も判っている。しかしなにせ泳げないという大欠陥があって、これが大分ひっかかる。
 大糸線の信濃大町で降り、黒四ダムに向う。ダムまでは一般登山者や、観光客と一緒でにぎやかだが、ダムから上流に向かうと人気はぐっと少くなる。初日は遡行といっても黒四ダムの人口湖のへりにつけられた登山道を行くだけで何の面白味もな
い。快調に飛ばし、途中にある平ノ渡しの渡船の時間も都合よく行って、本日の露営予定地の東沢出合には昼前に着いた。
 そこにある奥黒部ヒュッテに入谷届けを出し、沢筋の様子を聞く。昨日からずっと雨で水嵩が増しているので今日はやめた方がいいということだった。しかし昼食を済ませた頃には雨もやみ、明るくなったので、即入谷する。

     ◆100mもの高まきも◆

 さすが名にしおう上の廊下、入ったとたんに腰まで水につかる渡渉である.谷の入口のあたりは、幅も広いし、さしたることもないだろうというあまい予想はみごとに裏切られた。早々にガントレを地下足袋に履き代え、気持を引きしめる。流れが速いので腰以上まで水がくると身が持ち上げられてしまう。仕方ないので高まき作戦に切替える。これは、川通しで遡行できなくなった時に両岸のいずれか登り易い個所を選んでバイパスすることだが、だいたいそんな所は急峻な岩壁や草付きであるから、5m遡行不能な個所があるために高さ100mを越える高まきをすることなど希ではない。
 そんなことで、水の少ない時なら30分でいける所を3時間程かけて下の黒ビンガという大岩壁を望む河原に到達する。
 今日の露営地はここだ。雨の後で湿ってはいるが流木は豊冨にある。たった2人でキャンプファイアを焚く。タ方から夜半にかけては沢筋に下降気流が集まる。これが
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沢風となって焚火の煙は、はるか下流まで運ばれてゆく。深い谷底から見あげる星一杯の夜空は、明るい炎に輝らされてまぶしげだった。
 第2日目、恐らく今日はルート中で最も困難な部分の遡行である。山屋の言葉で「核心部」などと呼ぶ。朝一番から腰までドボンと浸って川の中を歩く。真夏とはいえ標高2000mを越す山中でしかも今年は冷夏である。朝の気温も高が知れようというもの。水の冷たさに2人とも震えあがる。渡渉は腰から腹、腹から胸までと、どんどん難しくなる。胸までつかるともうザックが浮きだすのが感じられるし、体温の消耗も腰まで水に浸るのとは比べものにならないほど激しい。水から出てもしばらくは身の震えが止まらない。両岸から流れ込む支流の沢の出合では所によっては7mに達する残雪が崖のようにそびえている。濡れた身でそんな所を通ってごらんなさい。どんな気分のすることか。

     ◆急流に飛びこむ◆

 今思い返して一番難しかったのは上ノ黒ビンガの上手の廊下だった。水深があって、渡渉できないままに左岸沿いに何回か首まで浸る遡行があって、ついに左岸からせり出してきた岸壁に行手をはばまれてしまった。水深は相当にあるし、泳いで遡れる流速ではなかった。もちろん高まきも不可能なつるつるの岩である.
 方法は一つ、水面直下に広いバンドをも
っている対岸に泳いで渡ることだ。相棒に確保を頼んでザイルを着け、岸から水中に下りた。また胸まで浸る。強い流れの勢いに耐えて歩ける所まで流心に向かって進む。そのあたりの水底に大きな石があった。それに登ると水深は膝程になった。その石を足場にし、急流に飛込みがむしゃらに泳いだ。頭からしたたる水がきれて目が見えるようになるまでの間にもどんどん流されている。やっと見えるようになった所で眼前にバンドが見えたが、握まる所がない。やっと手がかりを得ても水の勢に負けて滑ってしまう。2,3回そんなことを繰返してもうだめかと諦めかけた所でやっと手がかりを得てバンドに立ち上ることができた。確保できる安全な足場のある所を選んでから相棒に飛込むよう合図を送る、
 いくら水泳が達者な人でもこの深々とした青い急流を前にすればたじろがざるを得ないだろう。彼の心中は察するに余りある。先程の大きな石の上に立った彼の顔は紙のように白い。しばし逡巡の時が流れたが、時間が経つほど体温が奪われて条件は悪くなる。彼も意を決し、一瞬、身をおどらせた。水中から彼の頭が出た所でザイルがピーンと張る。その力で僕の身が50cmばかり立ったままツッーと持っていかれる。危くこちらも引きずり込まれそうになったが、かろうじてこらえて引きあげることができた。こんなに苦労して渡ったというのにそこから50mも行かないうちにまた泳いで左岸に戻るはめになった。とまあこんな調子でドボン、ドボンを繰返すというのが
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この上ノ廊下の特色といえばいえる。
 第3日目には、黒部川の河原を通って高天原へ行く登山道に合流した。さらに上流に進み、赤木沢という誠に美渓というにたるみごとな沢を詰める。その途中で1泊して、またも天をこがす大焚火で沢の中での最後の露営を飾った。
 最終日は、さらに縦走して笠ケ岳にまで向かう予定だったが天気がおもわしくなく、一気に黒部五郎、三俣蓮華、双六を越え、11時間程の強行軍で岐阜県の新穂高温泉に降り1泊した。宿の前の河原にある露





















天風呂でビールを一杯やりながら、上ノ廊下の苦労話に時を忘れる。風呂から上れは膳には山海の珍味。4日もインスタント食品ばかりだったのだ。何だってすばらしい御馳走にみえる。
 行程としては第1日、第2日が各9時間、第3日が8時間、第4日が11時間、1日の休息平均3回、特に第3日目などは午前中休み無しで飛ばしたから僕としても近頃にない充実した行程であった。読んで下さった諸君には山の楽しさと苦しさがお判り頂けましたか。
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