後編

前編
(1)計画、そして利尻へ   大森武志
(2)利尻岳登山報告     高橋尚介
(3)利尻登山        橋元武雄
(4)姫沼からポン山へ    冨山八十八
(5)キャンプ場にベース設営 大森武志
(6)礼文島北部       後藤文明
後編
(7)香深井のひとと魚とタコ 橋元武雄
(8)礼文島南部の旅     中村貞子
(9)旅の打ち上げは宗谷岬で 大森武志
----------------------------------

*タイム記録と花の同定 橋元武雄*

                      Photo by Teiko Nakamura,syosuke Takahashi
                             ,Takeshi Omori & Fumiaki Gotoh
                             Sketch by Yasoya Tomiyama



 礼文島からの利尻富士(Tomi)

■平成17年(2005)6月12日〜16日
メンバー:大森武志、後藤文明、高橋尚介、冨山八十八、中村貞子、橋元武雄
 香深から礼文ハイヤーのジャンボハイヤーを呼び、船泊の入浴は割愛して一路香深井の 緑ヶ丘キャンプ場へ戻る。島の東海岸に沿って南下すると左手に利尻山が見え始めた。頂 上付近に雲がかかって全貌は見えないが、海面からスクッと立ち上がったような急峻な山 容は見事である。  昨日来話題になっていた、前回の橋元、大森、中村の礼文紀行の折にカレイを求めた漁 師を探してみようと橋元さんが言い始めた。ひとりで港に下りていく、残りは土山商店で 日本酒を一升購入してバスをキャンプ場まで回してもらった。 橋元さんは港に行ってみたが「最近は漁に出るものは少ないし、いま、魚がぜんぜん捕れ ない」とにべもない返事だった様子。ところが執念の賜物か前回の漁師とおぼしき老人に 出会ったという。大きなクロカレイを2尾700円でわけてもらい、今夜もまたまたウミニナ ともども海の幸に舌鼓を打ったものである。


   (7)香深井のひとと魚とタコについて      橋元武雄

6月14日 水曜日  スコトン岬からの帰途、今日も刺身が食べたいということで、土山商店で買い出しをす るみなと分かれて、浜辺に漁師を探した。しかし、簡単ではなかった。まず砂浜で仕事を していた男のひとに尋ねたが、最近は漁に出るものは少ないし、いま、魚がぜんぜん捕れ ないとのことだった。  道路へ戻って、土山商店の方へ行ってみる。その先に、この辺りで一番大きな港がある。 途中、クロネコの中継基地に年配のひとがいたので訊ねてみたが、近くに魚の加工所があ るので、そこで訊いてみたらという。加工所を訪ねたがだれもいない。事務所のドアを開 けて覗いていると、偶然、加工所のトラックが帰ってきて、こは訝しやという顔でこちら を見る。これこれと説明しても、ここには生魚などないと、けんもほろろ。次ぎに土山商 店を通過して、その先の港の様子を見る。港に打ち上げられた海草を片づけている漁師が いたので訊いてみた。今日の漁はとっくに終わっているので、明日の9時頃なら帰ってく る舟があるかもしれないという。その時間ではこちらがいない。なんとか情報をききだそ うとあれこれ話題を探る。しまいにはキャンプ場が有料なのはけしからん、公設ゴルフ場 が無料なんだから、キャンプ場も無料にすべきで、金などとるから人が来ないんだとはじ まった。  これ以上は無理と見きっての戻り道、今度は仮設の選挙事務所に人影があったので訪ね てみた。中年の女性で、親切にいろいろと話してくれる。浜のほうを指さして、あの小屋 に漁をしているひとがいるが、今はどうしているかわからないという。最後に、キャンプ 場入口の角にあるコンクリート工場で働くひとにあたったが、キョトンとした顔である。 どうもこのあたりは、数十メートル離れるとお互いに何をしているか知らないらしい。都 会並みの無関心である。  最後に、諦めて帰りかけると、さっきは無人だった小さな舟だまりに船が泊めてあり、 なかで白髪の漁師が網にかかった魚をはずしている。前回と同じ場所、多分、同じ漁師だ。 俄然、可能性が出てきた。船のもやってあるコンクリートのたたきを見ればイワナのよう なきれいな斑紋のある魚が放り投げてある。30cmもあろうか。それをカラスとカモメがつ つきまわしている。食い物を争うカモメの声には凄みがある。魚体は無傷だが目とエラが 喰い荒らされている。  近づいて挨拶し、この魚はなんですかと訊いてみた。アメマスだと答えが返ってきた。 いまどきにアメマスは不味くて喰えないという。鳥は最初に魚の目から喰うのだともいっ た。老漁師の手元をみると、網の中から恐ろしく不細工な魚が顔を出している。なんと言 ったらいいか、ウツボの顔が凸凹に膨らんで出っ歯になったような容貌である。オオカミ ウオだ。TVのドキュメントで何度かみたことがある。それ、なんていう魚ですかと訊い てみた。知らないね、こんな気持ちの悪い魚、見たことがないといって、苦労して網から 外して海へ投げた。あとで調べるとオオカミウオは日本では食用としないが、北欧では食 べるらしい。あまり、食指は動かないが。  さっそく本題にかかって、実はキャンプをしているのだが、このへんで捕れた魚はあり ませんかと訊いた。いとも無造作に、ああ、あるよ、生け簀に入れてあるから網の整理が 終わるまで待ってくれという。こうなったら、話しはついたようなものだ。雑談をしなが ら仕事の終わるのを待って、生け簀の引き上げを手伝い、大振りのクロガレイを2匹分け てもらった。〆て700円。マガレイもあったがやせていて刺身にはなりそうになかった。 昨日、香深の久保魚菜店で買ってきたクロガレイは2匹で600円だから、大きさを考える とだいたい同じ値段だ。5年前は一匹300円だったから、少し値上がりしたか。もっとも 正確に計量していないから、何とも言えない。千円札をわたしたが、釣りがないという。 それじゃ、釣りはいいというと、明日の朝4時頃に来られるか、そうすればタコをサービ スするという。4時はちょっと自信がなかったので、起きられたら来ると約して、クロガ レイ二匹を紐にぶらさげて意気揚々と引き上げた。

6月15日(水曜日) 晴れ  午前3時過ぎに目が覚める。北国の表はもう明るい。まだ早すぎるので、半頃までうと うとしてテントを出る。昨日の舟だまりへ近づくと、浜辺のあちこちで男達が作業をして いる。昼間は人影がないが、早朝にはそれなりにやることがあるのだろう。舟だまりには 船はなく、まだ朝霧が晴れない沖を見やると、一艘だけ舟が見える。あれが老人の舟に違 いない。しばらくひとり佇んでいると、漁師が2人訝しげに近づいてきた。当たり障りの ない話しでお茶を濁す。ここにいる理由は話さなかったが、素人への直売は自粛している なんてことだとまずいとおもったからだ。今年は、魚は捕れないが昆布が豊漁だそうだ。 舟だまりの海中を満たしている海草を指さして、これらはみんな昆布だ、うちらは、一回 ダシをとれば放ってしまうと豊富さを誇る。今日は波がほとんどなく、こういう静かなと きはウニが上がってくるのだといいながら、しゃがみ込んで腕を伸ばすと、大きなムラサ キウニをつかみ上げて、ばくっと割って、ほれといって、こちらへ差し出す。子供の頃に、 千葉の海でウニ捕りの経験があるから、よろこんで食べた。昨日、老漁師も話していたが、 今年のウニは味が薄く旨くないという。なるほど、その通りでウニのこってりした味わい はなく、海水のしょっぱさだけが残った。これで謎が解けた。昨日の鮑古潭の堤防に、明 らかに鳥がバフンウニをせせったあとと思われる殻が沢山おちていた。前回も同様な光景 を見て、どうやって鳥がウニを捕るのか謎だった。鳥が捕りに海に潜るのでなく、ウニの ほうから海面へ上がってくるのだ。この舟だまりでも、ムラサキウニのほかに、小さいが バフンウニも海草の上へ上がってきていた。

そうこうするうちに、老漁師の舟が帰ってきた。嬉しそうな顔で、タコが捕れたよといっ て、着船するなりタコを投げてよこした。船底に無造作に積まれている網をみると、豊漁 である。昨日の生け簀には、クロガレイと真ガレイの小さなのしかいなかったが、今日の 網には、多くのクロガレイに混じって、ひときわ大きなヒラメがいる。ヒラメがいるじゃ ない、それを分けてくれますかと訊くと、いいけど高いよという。浜値でキロ1500円だそ うだ。カレイの値段と桁が違うが、東京の天然ヒラメの値段からすれば激安だ。老漁師は、 手でヒラメを下げてみて、これは1キロ以上あるだろうという。高いものだからいいかげ んじゃまずいとつぶやいて、小屋まで秤を取りに行った。相当年代物の秤で、天皿はサビ が浮き、前面のガラスが汚れで曇っているが、それで計った。さっきから残っていた別の 漁師ものぞき込み、1.5キロか?いや2キロありそうだなあという。老眼のせいだけではな く、かすんでよく見えないのである。結局、3人の6つの眼の一致するところ、きっちり 2キロあった。3000円である。その結果に、老漁師、やや興奮ぎみであった。いま金はな いが、キャンプ場へ戻って取ってくるといえば、なら、自転車を貸すからそれで行けとい う。指さすところをみると、小屋の横に自転車が立てかけてあった。近づいてみると、車 体はサビサビでタイヤに空気は入っておらずぺちゃんこ。おまけに、乗ってみるとブレー キが付いていない。ハンドルに把手はあるがその先になにもない。登りはいいが下りは靴 のかかとで路面を擦ってブレーキをかけるしかない。まあ、歩くよりは速かろうと、それ に乗ってキャンプ場へ戻り、チャウを起こして金をもらった。キャンプ場の下り坂でこの 自転車に乗るのは無謀だから、公道へ出てから乗った。歩いていると気づかないが、この 道は海へ向かって相当な下りであって、海岸沿いの道路へぶつかるT字路では必死に足を 突っ張ることになった。舟だまりへ帰ると、さっきのタコの横に巨大なヒラメとマガレイ が2匹置いてあった。カレイはサービスだという。この老人、サービスという言葉が好き らしいが、なんとなく似合わない。昨日のマガレイと違って、肉の厚いしっかりした形を している。老漁師が用意してくれたビニール袋にヒラメとマガレイ二匹、こちらで持参し たビニール袋にタコを入れ、人気のない早朝のキャンプ場へ戻った。


  タコとマガレイとヒラメ(G)

この魚たち、まずは〆ねばならない。早朝から、ヒラメ、カレイの惨殺劇であった。とこ ろで、夕方までどうするか。冷蔵庫があるわけでない。冷水にさらしておくしかないが器 もない。2キロのヒラメが収まる容器など普通の家庭にもなかろう。おそらく我が家の流 しに置けば、このヒラメだけでいっぱいになってしまう。思案の末、炊事場の裏に放置し てあったバーベキュー用の横長のコンロをよく洗い、そこへビニール袋ごと入れて水を流 しっぱなしにすることにした。タコは別にステンの鍋に入れて蓋をして、重しの石を置き、 蓋へ水を流しておいた。あれこれ、魚とタコの保存方法を考えながら思いついたのだが、 はなから生け簀であずかってもらって、夕方取りに行けばよかったのだ。魚の鮮度からい っても、こちらの後処理の手間からいっても。まさに後の祭りである。開高健はこのよう な状況を好んでEsprit de l’escalierといった。訳せば「階段の機知」である。例えば、 だれかと話し終わって部屋を出て、外の階段へ足をかけたとたんに、気の利いた冗談を思 いつき、話しておけばよかったと悔やむような状況を指す。今日の食当の尚やんが起きて 支度を始めていたが、もう一休みしておこうと、テントへ入った。

 さて、朝飯も済んで、今日は、礼文島南部の、礼文林道から桃岩林道を経て知床までの 探訪である。出かける前に魚が心配だったので、炊事場へいった。そっと覗いてみたが、 魚もタコも無事のようだった。たまたま居合わせた、このテント場の主のような男(どこ にでも、その手のヤツが居るが)が、もの柔らかに問いかけてきた。この水は出しっぱな しですか、とね。蛇口を2つ占有しているので、気にはかかっていたのだ。きたかとは思 ったが、生魚を夕方まで保たすためやむをえないと答える。男はつづけて、ここの水道水 はポンプで汲みあげていて、タンクの容量もあまり大きくない。出しっぱなしだとタンク の蓄えがなくなるのでまずいという。あくまでも、もの柔らかに、そうおっしゃる。どう も話しをしているだけで、むかむかしてくる。誰に向かっても、まるで聖者が説教を垂れ るような厳かな口調なのだ。しかし、話しの内容は一聴だに価しないくだらない下世話の たぐいである。こういうのが怪しげな宗教でも興して教祖になるのだろう。もう無視する しかない。タコは小川のほうでなんとかなりそうだから、そちらへ移すことにした。ただ、 管理人が巡回にくれば水を止めてしまうのは必至だ。礼文林道へ出発するときに、チャウ に言い訳の文言を書いてもらい、缶ビール二本を添えて管理人室の前に置いておいた。



   (8)礼文島南部花の旅      中村貞子



6月15日(水曜日) 快晴

******************************************************* 出発(7:50) 林道入口(8:06) 元地出口まで7キロの標識。完全にガスが引いて青空が出る 舗装道路から砂利道へ 林道は、最初は平坦 ウダイカンバとハリギリが多い カエデは少なく、イタヤカエデのみが目立つ キャンプ場に咲いていたサクラソウモドキもある この辺りでコバイケイソウ に似た紫の花を見たと、あとで大森氏と尚やんがいう タカネシュロソウかと おもったが、コバイケイソウほど大きくはならない。大きさではタカネアオヤ ギソウだが、こちらの花は緑色だ 後で調べると、ホソバシュロソウというの があって、大きさはコバイケイソウ、花は紫褐色である。多分これだろう 宇遠内への道と分岐(8:16) 分岐のあと沢沿いの登りとなる 331mピークが林道右手に見え出す(8:22) 香深井3キロ、レブンウスユキソウ群生地3.2キロの標識(8:35) 人工造林帯(8:36) 樹林帯を出て、林の背丈が急に短くなる。 灌木帯から笹原へ(8:42) 雲はなく日差しがきつい 休憩(8:43〜53) 林道の横には先ほどからの331mピークの長い稜線が見え、背 後には二並山から礼文岳への稜線が見える フデリンドウ(タテヤマリンドウかと。ハルリンドウも似るが北海道にはない) 林道の登りが終わり利尻岳を遠望(8:59) 西側の日本海が見える(9:04) 起伏のほとんどない林道 礼文滝分岐(9:10) 香深井まで5キロ、元地まで3キロの標識 林道脇にマイヅルソウ、ツマトリソウ 元地灯台方面の断崖が遠望される(9:13) 御花畑 その1(9:17〜28)。眼下に元地港。 レブンウスユキソウ(まだ蕾)、ガンコウラン、スズラン(ギョウジャニンニ クと間違える)、シロヨモギ、ハクサンチドリ、ヒメスイバ、ミヤマキンバイ、 ミヤマキンポウゲ、イワツツジ(イワカガミかと)、ミヤマオダマキ、タカネ ナナカマド(5cmほどの樹高でもう開花)、ゴゼンタチバナ、イワベンケイ、 アカミノイヌツゲ、ダケカンバの幼生 268mピークへの分岐(左折して市街へ)(9:33) お魚を増やす植林運動の看板(9:36) ミヤマオダマキの大群落(9:40) 路面と笹藪の間の、土が露出した比較的新し いのり面にミヤマが大きな群落をなしている イタドリさえまだ20cmほどにし か伸びていない この草は、条件さえあえば相当強壮のようだ 御花畑 その2(9:44) レブンウスユキソウ群生地の看板、管理棟とトイレあ り 早すぎてレブンウスユキソウ(花期7、8月)自体はほとんど目立たなか った。前の御花畑より緑が深い。急斜面にあって、眼下に広大な海を臨む絶景 こういう光景はあまり経験がない 御花畑 その3(9:02〜10:22) こちらはカラフトハナシノブが優勢。まだ蕾だ がチシマフウロ、ハクサンイチゲも多い。シラゲキクバクワガタ(ミヤマクワ ガタに似る) 品のよい老人ご夫婦に道を譲ってもらう 道が狭く急登 このひと たちは、知床まで歩いた ご立派 香深・元地方面へ下る林道脇にレブンコザクラが多いが、時期的にはもう遅い (10:29) 香深・元地間の車道へ出る(10:40??) 桃岩林道入口(11:03)。途中ビールを冷や しに小沢に入ったため、みなからは遅れる 桃岩展望台で昼食(??〜12:45)展望台直下の砂礫地にレブンソウ。もう盛期は 過ぎている キンバイの谷(13:15前後) 最終ピーク手前の窪地状草原はキンバイ、キンポ ウゲの種類が多く、キンバイの谷というそうだ レブンキンバイソウ(シナノ キンバイに似るが花弁が複雑で色も緑がかる。日本ではここにしか咲かないそ うだ)、ミヤマキンポウゲ、ミヤマキンバイ(現地では間違ってタカネキンバ イと言った)、スズラン、クロユリ(相当背が高い)、オニシモツケの大群落 (未開花)、チシマワレモコウ(未開花、ワレモコウかと思っていたが、これ だろう)、コバイケイソウ 桃岩コース最終最高ピーク(13:37) 利尻からのフェリーで、こんな所へ登れ るのかと見えた断崖にいま立っている 元地灯台(13:55〜14:12) 南を眺めると島影がひとつ(後で調べると天売島だ ろう) べた凪で完全無風。カモメがはるか下を飛ぶ 知床への下りは利尻を真っ正面に見て、海に向かって広い草原を真っ直ぐ下り る 金華山の下りを、さらにスケールを増したような感じ 知床の町には旗がた なびいている 知床稲荷の祭日だった 知床バス停(14:42) 知床よりバス乗車(15:06) 香深バス停着(15:14) 香深からバス(15:29) 香深井の土山商店前バス下車(15:40) このバスはオンデマンド方式である キャンプ場帰着(16:00頃)             記録:橋元武雄 *******************************************************

天気:快晴  5年前にやり残した礼文島南部が実は花の浮島のメインルートであるということは大森 さんから聞いていた。きのうのスコトンはガスで、5年前の大展望をみながらの散策の再 現とはならなかったが、きょうは早朝のガスも上がり、出発の頃は青空が広がってきた。 緑が丘キャンプ地は礼文林道コースの入り口から5分くらい入ったところに位置している。  7時50分にキャンプ地を出て林道を右に進む。林道と言うくらいだから当然車は入れ るのだが、花の時期はタクシーも出来るだけ遠慮するように言われているそうだ。ハイカ ーの歩いている脇をバンバン車が通るのであれば、おちおち花見物もままならない。本土 からの多数のハイカーが安心して歩けるようにと配慮しているのであろう。観光がおおき な資源となっているこの島では当たり前の考え方だろうけど。  実際、われわれが歩いている間に観光客とおぼしきレンタカーが1台と、地元のおばさ んが運転する軽トラックが1台我々を追い越しただけであった。このおばさん達は途中で 車を止め、やおら着替えをしているところに追いついたので、軽く会釈するとにっこりと 微笑みを返してくれた。何をするのか聞こうかどうしようかと思いつつ通り過ぎると、し っかりと後藤さんがチェックしていたようだ。我々が利尻で堪能したササダケ採りに来て いたのだろう。手慣れた感じで笹に分け入った。


  後方は礼文のたおやかな山並み(N)

 広々とした日本海が見えてきた(G)

 キャンプ地から20分ほども歩くと西海岸8時間コースの起点となる香深井林道との分 岐になり、われわれは左に道を進む。車1台が通れるくらいの幅でわだちもそんなに深く なく、緩やかな登り道でのんびりと歩く。1時間ほども歩くと林を抜け、前方に日本海が 見えてきた。前述のおばさん達と会ったのはこのあたりの笹原だったか。  振り返ると後方に礼文岳を頂点とする礼文のたおやかな山並みがひろがっている。礼文 岳が490mで最高峰であるから他はみな200から300mほどの高さなのだが、そんな に標高が低いとは感じられない。きのうのスコトンへの道も両側に高山の花が咲き乱れ、 濃いガスにかこまれているととんでもない高山に来ているような感覚になったのであった。  礼文滝コースとの分岐を過ぎて少しすると左手にこんもりとした丘があって、道がつい ている。柵もあって、ここがレブンウスユキソウの群生地?と少しいぶかしく思いながら も登ってみる。すぐにそれらしき花があったけれど、まだ咲いているとは言い難く、しか もこれひとつしかなかった。他にも特にめぼしい花はない。我々の前に女性の二人連れが いるだけで他に人もいない。ここはいったいなに?利尻・礼文のツアー募集記事に「ハイ ジの丘・秘密の花園」を尋ねますなんてうたっているのがあったが、ここのことだろうか ??(のちにこれは勘違いで「ハイジの谷、秘密の花園」が正しいことがわかった。この 地は当然ながら全く別物。ハイジの谷は礼文滝コースに、秘密の花園は元地灯台から知床 に下る道を少し脇に入ったところだそうだ。)  この丘を降りてさらに歩いているとさきほどの二人連れが「すみませーん」と大声で後 方を歩いていたOJ達に声をかけている。何かと思ったら丘を降りたら方向がわからなくな って礼文滝への道を尋ねられたとのこと。わたしよりも方向音痴がいるなどとからかわれ、 心外。


  開花が遅れているレブンウスユキソウ(G)

 花の写真を狙う大森さん(N)

  ミヤマオダマキ(O)

 ミヤマキンポウゲ(O)

  抜けるような青空(N)

 ハクサンイチゲの群落(N)

 左手に三角山が見えてきた頃からがこのルートの核心部であろうか。気持ちよい青空の  下、ミヤマオダマキをはじめとする花の種類が増えてきた。レブンウスユキソウの群生地 はもうすぐだ。  残念ながらウスユキソウは今年開花が遅れているようで、群生地でもまったくみつけら れなかった。しかし抜けるような青空と透き通るような青の日本海を眼前に、あまり不満 の声は聞かれない。なぜならこの先続く道は礼文島に自生する花の大部分がこのコースで みられる、というハイライト部分なのだ。カラフトハナシノブ、ハクサンイチゲなどなど まさに百花繚乱の大群落を楽しみ、ゆっくりと写真など撮りながら歩いたので3時間弱で、 礼文林道の終点になり、車道に出た。コンクリートの照り返しが暑い。すぐに桃岩展望台 コースの入り口になるかと思っていたら道はドンドン下って、香深井の集落のすぐ上あた りまできてしまった。これではこのままおりてしまうのではと、不安になった頃ようやく バス道とT字路になり、右に桃岩への登りとなる。  すると、ここでぽん山の頂上にいた一人旅の若い兄ちゃんが下ってくるのとまた出会っ た。桃岩へは車道と、歩道と入り口が二カ所あり、後藤さんは車道を、残りは歩道にはい るがこちらは階段なので、車道の方が歩きやすかったかもしれない。  いずれ途中で合流して桃岩展望台に11時過ぎ到着。桃岩は歩いている途中から見ると 上がチョンととんがって桃の形に見えたが、展望台に来るとあまり感じなかった。

 桃岩と元地の漁港(Tomi)

 桃岩展望台から北方を望む(G)

 展望台から桃岩(N)


  桃岩のわきはまっすぐ海へ(G)

 利尻富士を背に宴会場設営(N)

  何ともいえず気分爽快(N)

 さあ、行動再開(O)

 展望台からは利尻富士がぽっかりと海に浮かんでいるのが間近に見える。最高の天気だ。 だいたい下部はガスがかかっていた利尻富士がきょうはくっきりとその全容をみせている。 ベンチもあり、下はたんぽぽの咲き乱れている草原。コの字型にベンチを占領してそのま んなかにつまみをだし、桃岩に来る途中の小沢で冷やされたOJ苦心の冷えたビールで乾杯。 うまい!!  周囲がいれかわりたちかわりのツアー客で少々うるさいけれども、この大きな眺望の真 ん中での宴会は何ともいえず気分爽快。こんな気分のよい場所もツアー客は早々と立ち去 る。我々はほぼ1時間半もこの絶景の中での宴席をすごし、12時半過ぎに行動再開。


  桃岩展望台コース(G)

 はるか元地港を望む(O)

  クロユリ(G)

 レブンキンバイソウ(G)

  お花畑の真ん中で(G)

 ポッコリとした桃岩(G)

 少し行ったところのお花畑にレブンソウが咲いていたのだが、柵があるために写真はよ くとれなかった。レブンソウはスコトンでみた同じ豆科のハマエンドウとよく似ているよ うに見えたが花は全体が濃い紫のようであった。  ほろ酔い機嫌でなおも花を眺め写真を撮り、海を眺め、利尻富士を正面に見据えながら、 1時間ほど歩くと元地灯台につき、しばし休憩。  冗談でこの灯台は今も使われているのかどうか話しに出たが、海上保安庁に確認すると 今も立派に働いている現役の灯台であった。  灯台からは40分ほどで知床の集落に到着。今日は天気がよいからいいけれど、もし悪 天であればここはどんなにか心細く寂しい村だろうか。道幅は狭く、家々の軒が重なり合 って、時代劇にでも出てくる寒村、漁村のような雰囲気。何故かどの家も玄関にピンクの 花をかたどった造花を飾っている。何かのお祭りの飾りなのだろうか。気がつかなかった が、知床稲荷の祭日であったようだ。  まっしろなオダマキが一軒の家の前にひとかたまりになって咲いている。わびしい村に 美しすぎる花々・・・なんちゃって。  なつかしい青森弁の運転手が「ここは知床ですか」と聞いてくる。マイクロバスで青森 からのツアー客を迎えに来たようだ。


  元地灯台から知床への途中から(G)

 知床の漁港(O)

  グンと聳え立つ利尻富士(O)

 今夜の宴会は盛り上がりそう(O)

 我々は予定通り15:05発、香深フェリーターミナル行のバスに乗り、15:25のバ スで病院前行きに乗り換えてキャンプ地に戻る。バスの中からまたまたぽん山の彼が歩い てくるのを見かける。これで3度目。狭いこの島で、いくところはだいたい同じだから何 回も同じ人にあっても不思議はない。  途中土山商店の前でおろしてもらって酒、ビール、牛乳を仕入れる。 今夜はOJが朝4時に起きて仕入れたひらめ、まがれい、たこでの大宴会が待っている。盛 り上がりそう。



   (9)旅の打ち上げは宗谷岬で      大森武志





6月16日(木曜日) 晴れ



*******************************************************

緑ヶ丘公園キャンプ場出発(7:52) 香深FT(8:03) 宅急便をペリカンで発送

香深よりフェリー乗船(8:32)。民宿の客引きというか見送りが妙にはしゃいで

見苦しい まるで、新人教育で洗脳された集団のようだ(チャウによれば、か

の有名な桃岩YHの連中だそうだ)

海上から利尻岳長官山遠望(9:44) 長官山は、登っていると山という感じはし

ないが、この辺りの海上から見ると正三角形の端正な山容を現す 

稚内でフェリー下船(10:39)

お昼の宴会用のカニを買う組と、レンタカー借りだし組に別れANAホテル前で合

流、途中のコンビニでビールとおむすびを買う(11:15)

宗谷岬 大岬旧海軍望楼の横の草地で宴会(11:56〜13:42)

稚内空港着(14:22) ANA574は機内の備品到着が遅れたとかで15分延発(15:15)

羽田で軽くビールを飲んで解散(18:00)

*******************************************************

 流氷とけて 春風吹いて  ハマナス咲いて カモメもないて  はるか沖ゆく連絡船の  煙もうれし 宗谷の岬  流氷とけて 春風吹いて  ハマナスゆれる 宗谷の岬  吉田弘作詞・船村徹作曲のこの歌が生まれたのは、田中内閣の列島改造計画に日本中が 沸き立っていた1974年のこと。以来、そののどかなメロディーとともに、宗谷岬のイメー ジが心のどこかに息づいていたのだろう。「礼文の帰りに宗谷岬に行ってみよう」とチャ ウから提案されたとき、一も二もなく賛同した。 ところが、飛行機の出発時問までに岬めぐりをできるバスの便はないという。タクシーは 高くつくからレンタカーを当たってみようということになり、チャウのリサーチの結果、 料金9000円ほどでトヨタ・タウンエース(Dエンジンの商用車)を予約できたのが6月1日。 旅の打ち上げは宗谷岬で、と決したのである。


  気持ちのよい朝、紅茶がうまい(N)

 さあ撤退、強い日差しでテントも乾いた(O)

  身軽になってフェリーに乗り込む(G)

 香深港出航(N)

  さよなら礼文、カモメのお見送り(G)

 よく日焼けしましたね(G)

 利尻・礼文花の旅も、今日が最終日。ゆうべは「OJ水産」調達のヒラメとタコの刺身、 マガレイの煮つけなどで豪華な食卓となったが、6人でかかっても食べきれない。残った ヒラメはオリーブオイルに浸けこんでクレイジーソルトをまぶし、タコは小さく刻んで甘 辛く炒めた(唐辛子たっぷり)。宗谷岬用のツマミである。7時半すぎにはテント撤収も 完了し、8時前に予約しておいたタクシーがきた。  香深港では大きな荷物をペリカン便に託し、全員が身軽になってフェリーに乗り込む。 岸壁には、例のユースホステルの連中。たった2人を見送るのに、10人以上の若いやつら が歌ったり踊ったり、大声でがなったり(アホか、こいつら)。やがて、出航。今日は波 が穏やかだから船を追走するイルカの群れが見られるかと思ったが、ついに姿を見ること はなかった。


  稚内でタラバを物色(G)

 日本最北のモニュメント(O)

 稚内フェリーターミナルに着くと、チャウとOJの2人はレンタカーを借りに行き、残る メンバーはタラバを仕入れに出かける。先回、ここで買った茄で上げタラバの味が忘れら れず、ぜひこいつを打ち上げのメインディッシュに、というわけだ。しかし、あのときの ような「ぶっとい脚」は見当たらず、ほどほどのところで妥協せざるをえない。途中のコ ンビニでビールやおにぎりを仕入れ、昼前には宗谷岬に着いた。

 北緯45度31分14秒。宗谷岬は、日本列島の北の果てだ。1808年、間宮林蔵(当時29歳) はここから樺太探検に船出し、その師、伊能忠敬は1800年(55歳)に、蝦夷地測量のため にこの地を訪れているという。岬には日本最北端のモニュメントや間宮林蔵の像があるが、 このメンバーはその手の観光施設には興味なし。記念撮影もそこそこに、宴会場探しが始 まった。  道を挟んだ小高い丘を登ってすぐの展望台(旧海軍望楼)の脇に、それはあった。目の 下は宗谷海峡。タンポポの咲きみだれる、ふわふわの草地である。タラバ、タコなどのツ マミ、ビールを真ん中に、全員車座になる。 いつものことだが、いったん宴会が始まれば1時間ぐらいでは収まらない。岬「めぐり」は あきらめて、時間ギリギリまで「草上の昼食」は続いた。


  サハリンも見えそう(N)

 そこなおなご、何をしておる?(G)

  旧海軍望楼あと(G)

 まどうかたなき「草上の昼食」(N)

  豪勢な昼食だ(G)

 そろそろ飛行機の時間かな(G)

 帰り道で給油して(使った軽油はわずか300円余り)、空港に着いたのが14時25分。飛行 機は15分遅れで、15時15分に稚内を飛び立つ。礼文に渡って以来、好天続きの旅だったが、 羽田に帰ると雨だった。

ホームへ ↑

inserted by FC2 system