三ツドッケ(天目山)、蕎麦粒山

大森 武志    '02/08/28



  蕎麦粒山から下る防火帯 1999年5月・photo by Kamemura
2002年8月25日
メンバー:鈴木、大森
  奥多摩駅に降りて東日原行きのバスに乗ったら、善さんが改札口を出てくるのが見えた。暑い盛りに奥多摩の尾根歩きという、あまり気の進まない計画だったはずだが、やはり「歩きたい虫」が騒いでいたのだろう。
  今年はまだ1回も沢に行っていないので、なんとかこの土日にと思っていたのだが、土曜日は関東甲信すべからく雨という天気予報にだまされて計画中止。せめて日曜、日帰りの奥多摩でお茶を濁そうとなった次第。同行者はあるまいと思い、行き先と乗る電車の時間だけを連絡ボードに掲示しておいたのだ。
  終点の東日原でバスを降り、すぐに歩きはじめる(10:00)。このコースは、5月にも計画している。そのときのメンバーは田中、金谷、大森の3人で、三ツドッケの避難小屋の前で飯を食っている(正確にはビールを飲んでいる)うちに雷を伴った大雨に襲われた。小屋に入って金ヤンのジョニ赤をチビチビやりながら様子をうかがうも雨のやむ気配なく、そのうちにいい具合に出来上がって、もと来た道を引き返したのである。
  歩き始めは奥多摩の山の例に漏れず、
スギやヒノキの植林帯をぬって進む。しかし、やがて標高1000mを超えるあたりから様相は一変。クヌギ、ナラ、カエデなどにおおわれた、さわやかな尾根歩きになる。しかも、このヨコスズ尾根にはいくつかのピークがある(もちろん横鈴山もある)のだが、ことごとく巻き道がついている。そのため傾斜はなだらかで、実に快適なルートである。
  11:40、三ツドッケの避難小屋に着いた。整理の行き届いたきれいな小屋で、15人は泊まれそうだ。しばし休憩の後、三ツドッケ(1576m・天目山とも呼ばれている)に向かう。三ツドッケのドッケとは、とがった峰といった意味らしい(そういえば芋の木ドッケというのもあるが、芋の木って何のこと?)。
  道は小屋の裏手から始まるが、いきなりのヤブこぎだ(縦走路はピークを巻いている)。背丈以上もあるスズタケをかき分け、くもの巣と格闘しながら頂上を目指す。頂上着12:15。3ツのドッケといっても、明瞭なピークが連なっているわけではない。頂上もヤブにおおわれ、かろうじて南面の一角だけが切り開かれている。正面に雲取山が見えるはずだが、全容は雲の中だ。
  帰りに、岩稜を巻こうとして失敗し
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た。踏み跡と見えたのが、どうやら獣道だったらしい。強引に突っ切って何とか登山道にたどり着いてみると、そこは小屋も水場も通り過ぎた地点だった。あたりに多いカラマツは植えたものか自生していたのか、善さんが疑問を投げかけていたが、新井信太郎編「雲取山の歩き方」の中に答えがあった。
  明治34年、東京市は山梨県から多摩川の水源地を買い取った。その面積4万8766ヘクタール。三ツドッケ、酉谷山から雲取、飛竜、笠取、さらには柳沢峠、大菩薩、三頭山までをも含む広大な領域だ。当時、一面のススキの原だった山稜に、大正末から昭和5、6年にかけてカラマツの苗を植えていったのだという。
  やがて、道は二つに分かれる。右は蕎麦粒山、左は仙元峠に通じると道標は示しているが、左の道は尾根通しの上り坂で、右は平坦な巻き道だ。尾根のテッペンが峠とは、いささか妙ではないか。地図を見ると、「峠」から秩父方向に仙元尾根が「下って」いる。もっとも、「峠まで登って」確かめたわけではないが……。
  蕎麦粒山(1473m)到着13:30。ここがなぜソバツブなのかはわからないが、
ゆかしい響きではある。前に後藤さんと来た(川乗橋から登った)ときと同様、頂上の岩に腰掛けて遅い昼飯(ビール)にする。善さんは、長尾谷をつめてきたという2人連れに、沢の様子を聞いている。
  蕎麦粒山からは、防火帯であろうか、幅20〜30mほどに切り開かれた気持ちのいい道を進む。両脇にはカエデも多く、秋はきっといいだろうなぁ。踊平では木々の間から、すぐ下まで迫った真新しい(たぶん意味のない)林道が見えた。百尋の滝の側を通って川乗橋に通じているはずだが、今日は鳩ノ巣駅まで歩く予定。地図によれば、まだ3時間はかかる。
  川苔山を右に見て、道は緩やかに下っていく。舟井戸で本仁田山へ登る道を右に分け、3つ4つの支尾根を回り込むと大根の山ノ神で、本仁田山から下ってくる道と合流する。そこから30分足らずで、鳩ノ巣の駅に着いた(17:15)。電車を1本やり過ごし、駅前の屋台のような店で乾杯。生ビール(枝豆つき)500円。ヤキトリ1本100円。ほかには、ツマミも酒もない。おかげで、ほどほどに切り上げることができた。
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(附)
1999年5月ふと思い立ったように大森さんから誘いがあり亀村、後藤の3人で、
奥多摩蕎麦粒山へ行った。今回の大森さんの文中”切り開かれた気持ちのい
い道”は写真の通りであるが、前回も、”秋はきっといいだろうなぁ”と語
りあった。
いつのことだったか鈴木、橋元、大森、後藤が川苔谷逆川の遡行をおえて鳩
ノ巣駅前の売店で休んだ。暮れなずむ山の景色に見とれ、何本も電車をやり
過ごしながら心行くまで飲んだっけ。(後藤はその店にメットを忘れその後
沢登はしていない)                                        編集子
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