小谷温泉紀行・なぜ雨飾山紀行ではないかについて

橋元 武雄    '02/07/15


2002年7月13日〜14日
参加メンバー:冨山、後藤、鈴木、関根、金谷、亀村、橋元

2月14日(木) 晴れ
2002年7月13日 土曜日
曇り。東京駅9時集合。

久々の東京駅で、予測を誤り20分ほど遅れる。全員すでに集合。丸ビルは工事真っ盛りで駐車できず、少し皇居寄りで乗車。
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 カメちゃんの運転で出発。中央高速は相変わらずの渋滞。大月を抜けるまでに2時間以上かかる。しかし、久しぶりに会ったせいか車中の会話も途切れず、パソコンに、デジカメにとにぎやかである。昼も過ぎたので途中のサービスエリアで食事をとの声も出たが、関根さんから、アルコールのない食事なんてと、ルイ14世のようなお言葉があり却下、豊科で下りて出口近くのトンカツ屋で昼食。このころから、本格的に降り出す。

 JR白馬駅の先のスーパーで食材を仕入れる。といっても、メインは後藤さんがあらかじめ用意してくれているので、生鮮食品と明日の朝・行動食のみ。ただ、見るべき魚はなく、今回は刺身なしとなった。

 激しい雨の中を、小谷温泉山田旅館着は、4時半頃か。敷地の奥に新しいコンクリートの建物があるが、残りの建物全体は鍵型の二階屋(一部三階?)で、古くからの湯治宿の風情がそのまま残っている。たしかに来た記憶があるので、早速浴槽を見たが間違いないようだった。関根さんもこの宿は、憶えているという。帰って日誌を調べると、山田旅館は、平成1年4月8日に、岩岳岳友荘にスキーで来ていて雨に降られ、関根、高橋、池田、矢崎のメンバーで訪れてい
た。そのあと、別の温泉へハシゴをしている。

 ほとんどが食事付きの客で、自炊はわれわれだけらしい。後藤さんの手料理で宴会。冨山さんのトーンが一段あがったところで、後藤さん得意のペペロンチーノで締めとなる。全員食欲旺盛。またたくまに、大皿二皿のスパゲッティが空となる。翌日、タイジンは、“ワシャ、そんなソバ、喰うてないぜ”、とおっしゃった。
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2002年7月14日 日曜日
青空の見える曇り。
 朝、7時過ぎに、朝食の案内で目覚めた。夜中は相当な降りだったが、天気は、まあまあにあがっている。しかし、酒が相当残っている(残っているとは、体内にも、またビンの中にも)。このメンバーで2升用意した酒の半分しか空いていないのは寂しい(もちろんビールはたっぷり、ウイスキーも十分あったにしてもだ)。善さんは、二日酔いだとは言いながら、しっかり出発の支度を終えている。しかし、ほかに出かけようというメンバーがいない。さすがの善さんも、1人だけで雨飾はいやだとうことで、山は中止になった。この宿、近頃珍しくチェックアウトなどというけちなものがない。心配して後藤さんが女将にたずねると、一部屋だけならごゆっくりどうぞとのこと(今回2部屋使っていた)。のんび朝食というか、昨夜のつまみの残りなどを摘んで、めいめい軽くビール、酒などをたしなみ出発。

 来るときに話題になった、小谷温泉から笹ヶ峰へ抜ける林道をたどる。延々の山道だったが、往来する車は少なく、一部舗装もされ、鮮やかな緑の中を楽しめるドライブだった。途中、何年か前に夏合宿をしたキャンプ場に寄る。あのときの雑踏は嘘のようで、駐車場はガラガラ、芝生にテントの影もなかった。小谷温泉→妙高国際ゲレンデ入口までで2時間といったところか

 黒姫で評判の藤村という、生意気なそば屋に喧嘩を売ろうと探したが、はたせず。やたらに電柱看板の目立つそば屋があったのでそこにする。そのそば屋は、黒姫から妙高へ抜ける、スノーシェードの坂の上にあり、来がけにすでに気づいていた。ソバについては、コメントしないが、切り口は新鮮で歯ごたえのあるものだった。ただ、大森氏が常々言っているように、田舎のソバはどんなによくても、ツユが締まらない。その通りだった。

 黒姫の新しい小屋をちょっと覗いてみた。新しくなってから、ぼくは数度使っているが、梓のひとははじめて見たのだろう。あの当時は懐かしいが、もう戻る気はない。古い小屋は、ほとんど放置されていたものを、使えるような状態に戻したとう自負があったが、人手のかから
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ない最新設備の小屋ではその意味もない。名村さんご当人はいたって気さくで、おおらかなひとなのだが、お金持ちの取り巻きには、それなりの人間どもがいて、そいつらと顔を合わせるのが嫌になったのだ。

 行き止まりだった、小屋の下の路は、長野へ続く県道へ抜けていた。そのまま、県道で長野へ出るつもりだったが、また善光寺はなかろう、まだ時間があるので、別所温泉の寺社建築を見てみようと後藤さんの提案があった(ぼくははじめてだが、梓では行ったことがあるはずだ)。

目標が決まると、すぐに県道を左折して牟礼で18号へ出る。信州中野から高速へ乗って、坂城で下り、別所温泉を目指す。途中、行く手に山襞に抱かれた町並みが見える。多分、これだろうと見当を着けたが、間違いなかった。

 別所温泉では、安楽寺と北向き観音を見学した。安楽寺は、まだ咲いていない蓮池を右に見ての参道を過ぎ、駐車場手前を右へ曲がると、正面に階段と山門が見える。まず端正なたたずまいで、第一印象は合格である。山門を入ると、庭の中央にある大きなコウヤマキの姿に視線が釘付けになる。樹高15メートルもあるだろうか。美しく円錐形に刈り込まれた姿は、寺院内の他の樹木を圧している。こんなに大きいコウヤマキは見たこ
とがない。それに相当な樹齢だろうが、木に勢いがあって若々しい。

 善さん“これ、どうやって刈り込むんだろう”、関根さん“脚立だろう”などと、無責任な会話が飛び交う。そんなに長い脚立はなかろうし、サッカーの中継で使う、クレーン車くらいは必要に思えた。

 入場料100円なりの八角形の三重搭(国宝)は、カメちゃんによると典型的な禅宗の建築様式だそうだ。八角形のプランはいかにも珍しい。それに、なにより、檜皮葺の屋根の曲線が見事だった。普通の塔なら、側面がせいぜい二つしか見えないが、八角形だからい庇の描く曲線が軽快なリズムで見渡せる。三重の塔ではあるが、最下層に裳階(裳層)と呼ばれる、屋根もどきのものがあるので、四重の塔に見える。裳階の建築上の意義
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について、いささかの議論があったが結論はでなかった。帰宅後調べてみたが、まだ十分な説明のある資料に行き当たっていない(調査、継続中)。

 次に、北向き観音を訪ねる。こちらは安楽寺に比してぐっと世俗的になるが、境内の樹齢を経たカツラの木が名物だそうだ。なるほど、一見して古木である。カツラは水辺に多く生えて、すらりと姿のよい木だが、この木はすでに頂上部が折れてなく、ずんぐりとして、コブなどもあちこちに膨らんでいる。ここに祀られる愛染明王とこのカツラから、温泉に投宿中だった川口松太郎が想を得て、『愛染かつら』を書いた、というのがウリである。それに関係して林立する芸能人の碑に混ざって、芭蕉の句碑までがあった。芭蕉も、ここでは、いささか居心地が悪そうである。

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 当然、最後は、どこで締めようかということになる。まだ、いずれの面々も、昼のソバのつまみにとった天ぷらが胃にもたれているので、関根さんの提案で、デリカをいったんらくだ坂へ戻し、タクシーで蕨の駅前へ繰り出して、駅前の数回行ったことのある飲み屋(ここは魚が合格)で一杯と言うことになった。しかし、予想外の渋滞で時間をくい、ついに空腹のまま南浦和で解散となってしまったのは、悔やんでも悔やみきれない。近々、下界でオフをとなったことは、いうまでもない。
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