秩父御岳山

後藤 文明    '02/03/24



2002年3月23日
参加メンバー:冨山、鈴木、金谷、高橋、大森、中村、後藤

今年は記録的に春のおとずれが早かった。お彼岸の最中というのに東京は桜が満開である。
3月23日(土)デリカを駆って出かけたが、この日は最後の寒波の南下で南浦和を出るころはどんよりと曇り寒々とした景色が流れていく。
最初の目的地は群馬の上牧温泉にちかい吾妻耶山であったが、立案者の大森さんが「こんな天気では気温も低くあまり楽しくないだろう」ということで第2案の秩父御嶽山に向かった。寄居から長瀞、秩父と桜が満開で梅や桃、れんぎょうも咲いていて桃源郷のようである。
11時30分、村営大滝温泉の駐車場に車を入れて早速、落合の普寛神社わきから庵の沢沿いに登りだす。このコースは急登の道でなかなかきつい、途中林道工事で分断された登山道をたどるとまたまた杉林の急なのぼりだ。ワラビ平とよばれる狭い暗部に出ると展望がひらけて両神山や双子山が指呼のさきであった。
10分ほどのロープも張られた足場の悪い急な尾根道をたどるとあっけなく御岳山頂に飛び出した。ちょうど午後2時であった。頂上は狭く石造りの社があり1081メートルの3等三角点が認められた。この山は普寛行者が開いたもので、普寛は秩父大滝村の生まれ、木曾の御岳の王滝口開山の祖だそうだ。
狛犬のある静かな鳥居前の石段を占領して遅い昼の大休止とする。99年2月に大森、亀村、斉藤の3人が雪のあるこの山をやったことがあったが、そのときの写真に写っていた鮮やかな赤い奉納の旗も今は風雨にさらされて寂しい景色である。金谷さん差し入れのワインなどで穏やかに射し掛ける日差しを楽しんだ。が、とうとう南下してきた寒波がやってきて突然の北風が吹き始め、山頂の宴どころではなく早々に撤退ということにする。
下山は登路とはべつの南麓の強石に下る道をたどるがしばらくは足元の悪い細い尾根であある。やがてだらだらとした暗い杉林を下ると休憩所があり、ここから地図で確認して強石への道を分けてもとの落合に直接下ることにする。しばらくで林道に出て、いくつかショートカットの下山道をひろうとすぐに落合であった。
途中、上空にヘリコプターがホバリングしている。何かと思えば、落合の登山口には救急車、消防車とパトカーも2台止まっているが人影はない。地元の人に様子を聞くと400メートルほど登ったところで年配の女性が歩けなくなっているという。われわれが頂上直下ですれちがった中に相当年配の女性がいたようで、何か怪我でもしたのだろう、大事でなけ
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ればよいが。
われわれは無事下山を普寛行者を祀った普寛神社に感謝したものだった。
さて、大滝温泉・游湯館へむかい一汗流そうとしたところがなんと閉館時間は午後5時までだという、すでに今は5時10分過ぎ。やむなく車を両神村に走らせ両神温泉に入ることとなった。
帰途花園の蕎麦屋で一杯やるが。終わればなんと午後9時になっていて、冨山さんなどは家が遠隔地なのできがきではない。優秀ドライバーの鈴木善さんは花園インターから一路所沢もすぎ南浦和にちかい文蔵三丁目を左折、JR南浦和前に9時50分到着という離れ業をやったのだった。
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Photos by Zenzo Suzuki

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