屋久島宮之浦岳縦走

中村 貞子    '02/02/20  Photo:Toru Kamemura


2002年2月14日〜17日
参加メンバー:高橋(CL)、橋元、田中、亀村、中村、金谷

2月14日(木) 晴れ
羽田8:30発、鹿児島着10:30
鹿児島13:00発、屋久島13:40着

紀元杉上16:20発-淀川登山口16:30着
-淀川小屋17:10着(歩程50分)
-1-



なんだかんだで、なにやら一抹の不安はあったものの、天気予報は土曜日までは晴れである。金谷氏のみ失業保険認定日のため後発となり、5名で8時半の鹿児島行き飛行機に乗る。屋久島行きの飛行機は回数券なので、ばらしてホルダーが無いと無効となるため、鹿児島で空港係員が出迎えてくれている。飛行機の中で「高橋尚介様、カウンターまでお立ち寄りください」というアナウンスがあったのはこのためである。
出迎えてくれたのは純朴そうな可愛らしい女性。5名そろったところで屋久島行き飛行機のカウンターまで案内してくれる。CLはいたくこの女性が気に入ったらしい。金谷氏も出迎えてくれるというので、ひと目でそれとわかる風貌をしっかりと伝えておく。OJと私は九州がはじ
鹿児島空港から屋久島へ
めて。他も鹿児島ははじめてと、全員初体験の土地である。外に出てみると頬をなでる風はすでに春の気配だ。ソテツの植え込みが南国を感じさせる。 次の飛行機は1時なので、空港の中で昼ごはん。「米米麦麦」というこのあたりのチェーン店らしき店で食事とする。早速ビールとつまみを注文、ここにきたら薩摩揚げと頼むが、おいしいのだけれど甘すぎる。カツ丼も極甘である。こちら文化圏はすべて甘い味付けが当たり前のようである。
屋久島空港到着
屋久島行きの飛行機はYS11。昔の秋田行きはこの機種であった。プロペラ機に乗るのは何年ぶりだろうか。席が左側だったので、桜島上空で荒々しい山肌と、火口から立ち上る薄い煙もよく見えた。30分のフライトで、屋久島到着。
-2-



うっかり忘れていたがタクシー発車寸前に空港でガスを買わなければいけないことを思い出し、6個購入してからスーパーに向かう。ここも利尻と同様に、周りは海なのに、魚類にみるべきものはない。それぞれ食当が材料を吟味し、なんとか食糧調達完了。
そこから予約していたタクシーで淀川登山口へ向かうが、事前情報では積雪のため登山口までは行けないらしい。屋久杉ランドまでは間違いなく行けると言うことであったがそこから登山口までは相当歩くことになってしまう。不安だったが、無線で確認してもらうと昼に紀元杉までは行けたらしいので、ともかく行けるところまで行ってもらうことにする。確かに紀元杉までは道の脇に雪をよせていて、観光客が車で入ってきているが、
登山口の手前で下ろされる
その先は除雪されていない。5〜10センチくらい積もっているだろうか、がんばって少しでも先にと動かしてくれたが、ノーマルタイヤでは限界である。ここからは登山口まで15分くらいということなので、屋久杉ランドから歩くことを考えたら御の字である。登ってくる途中、道路上に屋久ざるが何匹か現れた。普通の猿とくらべると小型である。
スパッツをつけて歩き出すと10分ほどで登山口に到着。広場と立派なトイレがある。入り口看板から木製の階段を上って登山開始。多雨によって流され、登山者に踏まれたもろい表土の登山道は要所要所に木道や、階段が整備されていてとても歩きやすい。
淀川登山口
もみ、つが、杉の巨木に、シャクナゲ、ユズリハ、アセビ。杉に巻き付き、絞め
-3-



殺しの木の異名のあるヤマグルマなど、興味深い植生の中、雪を踏みしめて進む。このあたりのシャクナゲは高木である。
軽いアップダウンで、小屋に予定どおり40分で到着。しっかりとした作りの小屋で、小屋の前の広場は雪にうまっているがテント場のようである。水場も小屋のすぐそばにあり清らかな水がとうとうと流れている。
今夜の泊まりは我々しかいないようだ。
冷えることが予想されるため2階を使うことにしてさっそくビールで乾杯から宴会が始まる。
かろうじてまだ明るいうちに、金谷さんがちょうど1時間遅れの6時10分に到着。登山道入り口で階段につまづいて転んでしたたかにすねをぶつけてきたそうな。ま、それでもいちおう無事に全員がそろったので、またまた乾杯となる。
今晩の食当は田中さんでキムチ鍋。つまみ担当のカメちゃんが作ってくれたれんこんの明太子あえが絶品であった。同宿者がいないためもあってか、しんしんと冷えてくる。ガスをつけてもあたたまらない。今晩は寒くて寝られるだろうか。持ってきた衣類全部を身につけて寝ることにする。小屋の外の広場に出ると、ちょうど上の空が開いている。人工の光の一切ない洋上のアルプスでみる夜空は星で埋め尽くされているのだった。
2月15日(金) 晴れ
5時15分起床
7:30淀川小屋発-9:15花之江河着9:30発-9:50黒味岳分岐-10:15投石平-12:35宮之浦岳頂上着
13:30頂上発-13:50焼野三叉路-14:10平石平-15:10第2展望台-15:35第1展望台-15:50新高塚小屋着(歩程8時間20分)

7時出発の予定が30分ほど遅れる。CL食当でかにぞうすいを食べ、きょうのコースは長いと覚悟して身支度をする。きょうも日差しが雪に映えてまぶしいくらいの青空である。
縦走出発、小屋の裏の鉄橋
小屋を出てすぐ淀川にかかる鉄橋を渡るとすぐに急登となるが、思ったよりも長くは続かない。雪は先週かなり降ったらしく、スパッツがないと相当に濡れそう
-4-



である。深いところでは1mくらいはあるだろうか、ときどき踏み抜いて膝のあたりまでもぐったりもする。足下は真冬なのにあたりの森は青々とした照葉樹や広葉樹で、落葉している木は所々にしかない不思議な風景である。
わずかに落葉している木々の中で特に目に付くのは赤茶色のつやつやした樹肌のヒメシャラである。まだら模様があるのでリョウブかと思ったが博士からヒメシャラであるといわれて、なるほどとナットク。都会でもよく見られるナツツバキによく似た樹肌の木だが、そのイメージとはかけはなれた巨木なので、最初はいったいなんだかわからなかった。 黒っぽい樹肌の木の多い森のなかで、点在するヒメシャラは派手な存在となっている。樹肌の赤茶色の色味は気温が低くなるにつれて色が濃くなるというのをあとで知った。きっとこの時期いちばん色が濃かったのだろう。
それにしてもあちらこちらに見える切り株はすっかり苔むし、シャクナゲやヤマグルマ、サクラツツジなどが着生している。途中で折れた灰色の立ち枯れたようにみえる杉は屋久杉枯存木と呼ばれ、実はわずかに残る樹皮から新しい枝を出して生きているのだそうだ。登山道は要所要所に木道や階段が整備されていて登りやすく、木道のない所も雪で巨木の根のあいだが埋まっているせいで歩きやすい。雪は適度に締まっていてアイゼンはいらない程度の堅さである。このコース
は最も人気のあるコースということだが、最盛期に、雨の中を歩くとなると巨木の根をまたいで歩くかなりきびしいルートになるのではないだろうか。
稜線に出るとあたりの山々は花崗岩が所々に露出して、なぜかみなてっぺんにおもしろい形の岩をいただいている。かまぼこ?豆腐?はたまた食パンを切ったような形の岩がのっかっているのは高盤岳。展望台があったらしいが気がつかずに通り過ぎてしまった。
小花之江河をすぎて、花之江河に着くと正面に黒味岳がどっしりとかまえている。夏であればここはコケの緑と水に屋久杉の映える美しい湿原となるのであろうが、今はすっかり雪に覆われている。
花之江河
黒味岳の東山腹をトラバースし、投石湿原から投石平にむかうとやっと宮之浦岳が見えてくる。このあたりの山は緑の山
-5-



腹や山頂に、白いまるっこい花崗岩があちらこちらにへばりついている。神様がえいえいとあちこちに石を投げたように見えるからこのような名がついたのだろうか。
シャクナゲやヤクザサの間をなおも進んでいるとキーンと鋭い鳴き声がする。何の鳥かと思ったら屋久鹿である。右手上の斜面を大きな花崗岩に向かって登っている。白いハート形のお尻が見える。登山道の雪の上は鹿の足跡だらけで、人の足跡よりも多いのだからどこで鹿にあっても不思議はないのだが、目の前に現れたのははじめてであった。
北アルプス縦走のような山並み
投石平あたりから少しガスがわいてきて雲が流れてくる。ぽつぽつと来る気配もあって、少しあせるが、またすぐに日が差してきた。山頂に近づくにつれて不安
定になってきたが天気は基本的にはよい。なんとか降らないでと念じる。何を勘違いしたか、今回は山では雨は降らないと思いこんで雨具を持ってきていないのだ。(大ひんしゅく)頂上に着く頃はまた青空が戻ってきたので、とりあえずは一安心。
宮之浦岳1等三角点は山頂の大岩の下にある。2m弱の大岩の上に立つと360度の展望があるはずなのだが、まわりをぐるりと囲んでいるはずの海まではガスでみえない。しかし眼前にそびえている永田岳からあたりの山々が、すべて見下ろせる。そう、今、私は洋上のアルプスのてっぺんに立っているのだ。
登っている間も誰にも会わず、頂上も我々しかいなかったが、やがて反対方向から来た関西弁の二人連れと、単独行者で、合計9人になった。
下りはしょっぱいかもしれないとCLが言うので、少し自重したらと思ったが誰も言うことを聞かない。これ以上はかけないというくらい汗だくだくでふらふらとたどりついた金谷さんも、ひーこら登ってきたCLも躊躇無くワインで乾杯ということになる。風もなく時折日が差す好天の中、2本のボトルを空けて皆ご機嫌となる。
登山道のところどころに強風に注意という看板が立っていたところをみると、佐多岬も開聞岳も見えないけれども、きょうのこの天気はラッキーというべきであろう。
-6-



宮之浦岳山頂
落ち行く先は?しばしの休息をとるタリバン兵となぞの日本人女性
単独行の若い男は一人背を向けて風景に見入っている。関西弁の二人はにぎやかにしゃべりながらラーメンをすすっている。そのうち単独行氏はスノーシューを
とりだして、来た方向に下っていった。
我々も1時間ほど頂上で過ごしてから、念のためアイゼンをつけて下ることにする。今回はいらないだろうとは思ったけれど、4本爪の簡易アイゼンを購入してきたので、せっかくだからとつけてみた。
岩稜を下るとすぐにまたヤクザサとシャクナゲの尾根になり、永田岳分岐を右に平石へとたどる。下りは絶対に強いCLが遅れるので珍しいと思ったら頂上でのワインが強力に効いたようであった。
登山道は雪に埋まっているが凍ってはいないので、古いタイプのアイゼンをはいたカメちゃんは間に雪が着いてだんご(秋田弁ではごっこと言う)になり、歩きにくそうである。結果的にアイゼンは不要であった。
新高塚小屋の周囲は最近作られたらしい木製のテラスになっていて、水場、トイレへと導いているが、雪がところどころに積もっている。ここも我々が最初に到着したが、あとから関西弁の二人連れが来て話を聞いたところによるとそれぞれ単独行が知り合ったそうで、きょうは高塚小屋へ荷物をデポしてあるので戻ると言うことである。ひとりは大阪から自転車で来たそうだ。若くなければできないと一同感心する。
スノーシューで下った単独行氏は、我々より先に頂上を出ていたが、あとから小屋に戻ってきた。今宵の同宿者なのに彼は2階の向かい側に陣取って、一言も口をきかない。今晩は昨日よりも少しは
-7-




16日今日も快晴、8時30新高塚小屋を出発

寒さがゆるんでいるのか、食事中に寒さを全く感じない。今夜はOJのカレーと、カメちゃんのつまみである。金谷さん持参のオックステールもつまみに出たので、それを暖めた汁をカレーのベースに使い、さらに封を開けたばかりの七味ひとかん分をぶち込んだせいか、市販のカレールーで簡便に作ったものでも味が数段改善されたものに仕上がった。
アルコールが入ると歩行中は青息吐息でも、みんな生き返る。
余るのではないかと心配されたカレーも明日の朝食に利用できるだけを残してすべて平らげる。
今宵は8時就寝。昨日ほど寒くないのでよく寝られそうである。夜1時半頃目が覚めてトイレにいくと、淀川小屋よりも開けた空はまた満天の星なのだった。

2月16日(土) 晴れ
8:30新高塚小屋発-8:50高塚小屋着9:10発 -10:00縄文杉着10:30発-11:30ウィルソン株着 12:10発-12:35トロッコ道-13:35三代杉 -14:25小杉谷学校跡-15:05荒川林道終点着 (歩程6時間30分)

6時15分に起床。今朝は食当なので、紅茶を沸かし、きのうの残りのカレーでカレーラーメンを作る。だいたい買ってきた食材はほぼ使い尽くしたようだ。
CLがトイレに出て行くと下から「鹿がいる!」と声をかけるので窓を開けてみ
屋久鹿があそびにきた
ると小屋のすぐ下で、牡鹿がこちらを見上げてじっとしている。エサをねだっているふうでもないが、まったく人間を恐れない。じっと、同じポーズでこちらをみている。餌付けされてしまったのだろうか。結局我々が出発するまでいたが、最後に一緒に写真を撮ろうとしたら逃げ てしまった。猿も小型だったが、鹿もずいぶん小型である。屋久島は植物は大きくなるのになぜ、動物は小さいのだろうか。
20分ほどで高塚小屋に着くと、ここでも林の中に2頭の屋久鹿がいた。高塚小屋は石を積み重ねた作りで20人くらいは泊まれるだろうかという小さな小屋である。
ここから縄文杉まではアップダウンの繰り返しで1時間もかからない。突然りっ
-8-

ぱな展望台が現れ、ひときわ威厳のある縄文杉が見えてくる。
今まで巨木を見慣れてきた目にもこいつは格の違いを見せつけるという風で鎮座ましましている。まだ時間が早いので、誰もいないだろうと思ったのに一人だけ
縄文杉
静かにこの古代の木と対話している先客がいる。
そこにどやどやと6人もきたので、彼にはさぞかし迷惑であったろう。縄文杉の根本は植生再生のため養生され、近くには寄れないが展望台から十分に観察できる。かなり広い展望台に写真の撮影スポットの指定まであるところを見ると最盛期にはよほど、混雑するのであろうか。静寂な雰囲気の中で朝日を浴びてそびえ立つ古代杉と対面できたのは幸福であった。灰褐色のごつこつした肌に若い枝がたくさん出ていて、樹齢7000年とも2000年とも言われるこの木はいまだ生命力旺盛のようである
ここからは携帯もつながるというので、地図に載っている民宿にかたっぱしから予約の電話するが、満室やら、夕食が出ないやらで、なかなかみつからない。そこで、金谷さんの知り合いにどこかお願いしようと言うことになり、電話をすると運良くつながり、下に降りてから確認することになった。
展望台の階段は、所々凍り付いていて危ないので注意しながら降りる。夫婦杉、大王杉など大株歩道と呼ばれている道を下っていく。
ウィルソン株までは8割方木道と階段で整備されているが、傾斜は急で、これがなかったら、浸食のためにひどく歩きにくくつらい道であろう。
ウィルソン株の一帯はまっすぐな若い杉が茂っている。株の中は畳10畳以上も
-9-



あるだろうか、木霊神社がまつられ、その脇から清水がこんこんと湧き出している。この株の中で湧き出し、伏流水にな
ウイルソン株
ウイルソン株の内部
っているのでこの株の裏側に回るとウィルソン株の水源地につきトイレは絶対厳禁の看板が立っている。
屋久島はどこでも清い水が湧き出していて水に不自由はないが、株の中でこのように流れている水はなにやらありがたく、水筒に詰めて持ち帰ることにする。
ここで大休止してから翁杉を右に見てしばらく下るとトロッコ道に出る。出発前ネットで調べていたらこのトロッコ道が長くてうんざりするとさんざん書いてあったので、しっかりその覚悟で歩き出す。
静かな森の中で小憩
振り返ると見える山は翁岳だろうか。
不規則な枕木の間をあるくのはさぞかし疲れるだろうと思っていたが、軌道の間に板を敷いてあるので、思ったより歩きやすい。
-10-



安房川をわたるトロッコ道

作業員の乗ってきた機関車
気温も上がって、薫風を受けながら歩いている5月の山のようなさわやかな感じ
である。2時間半の行程のうち、半分以上は板が敷かれている。安房川を渡るトロッコ道はこの板がなかったらかなりの恐怖であろう。
途中、幌付きのトロッコがあったり、最初に牽引していたらしい機関車の朽ちた残骸があったりするのを横目に、ただただレールの間を進む。1時間ほどで三代杉に着く。切り株更新で現在のびている杉が3代目なので、三代杉と呼ばれているのだ。カメちゃんはこのあたりで、今までとりためた貴重な写真がそろそろ満杯となったためスマートメディアを交換し、あらたに撮りはじめたのだが・・・・・
昭和45年まで、最盛期には500人以上の人々が生活を営んでいた小杉谷の集落、学校跡、営林署事業所跡などを過ぎると、もうトロッコ道の終わりは近い。 トロッコ道終点の荒川分かれでお願いしていた民宿の場所を確認してから予約していたタクシーに乗りこむ。金谷さんの知り合いは屋久杉自然館の館長さんである。途中たちよって、ご挨拶だけと思ったらご丁寧に館長さんが案内してくださり、興味深いお話を伺うことができた。
江戸時代に5割から7割も伐採したのに、この森が再生されているのはたまたま真っ直ぐのびた杉だけを切ってうまく間引き状態になったからということ。
よって今、巨木として残っているのは役立たずの杉であり、今みられる屋久杉の
-11-




多くは伐採跡に育った江戸時代生まれの小杉と呼ばれる大群であること。
あんな巨木をどうやって運んだのか疑問に思っていたら、運び出すのにその場で平板と呼ばれる短冊形の屋根材にして、背負って運んだこと。
平板は米のかわりの年貢として納められたこと。などなど。
また、ウィルソン株を元にCGでウィルソン杉の再現ビデオなどもあり、短い時間で今まで歩いてきた森で感じた不思議が少し解明されたのでした。
紹介された民宿は自然館から近い安房のはずれにある「杉の里」という民宿であった。花好きの主人らしく玄関先や海側の庭に花がいっぱい植えられている。
なにはともあれまず乾杯
とりあえず、一休みとビールで乾杯してしばらくしてから、カメラをいじってい
この時、まだカメちゃんは紛失事件に気づかずに・・・
たカメちゃんが突然奇声を発する。な、なんと、撮りためた最初のスマートメディアがケースの中に見あたらないと言うのだ。シャツのポケット、ズボンのポケット、あらゆる所をさがすが無い。彼は確かにビニールケースに入れてからカメラケースのポケットに入れたというのだ。しかし、そう簡単に落ちるものだろうか?現に今までそんなことは一度もないと、カメちゃんも言う。
可能性として自然館で落としたか、タクシーの中かと、電話で確かめるがやはり、どこにもみあたらないという返事がかえってくる。そうなると、入れ替えた所で落としたとしか考えられない。
三代杉か、トロッコ道のどこかに梓の屋久島の思い出がさみしく横たわっている
-12-




のであろうか・・・・
しかし、残りのメンバーに写真をみせてあげられないのが残念であるが無いものはしょうがない。山の神様がきっと置いてってと頼んだのでしょう。
夕食はかんぱちの刺身、トビウオのからあげなど、まあまあのものであるが、日本酒をたのんだらめずらしがられた。このあたりはすっかり焼酎文化圏なのであった。


2月17日(日)
朝から雨でときおり土砂降り。木が風でわさわさと揺れている。きょうはもう、いくら降っても関係なし。これが屋久島かと余裕の気分である。
今頃の雨は粒が小さいからなんてことないけど、夏の雨は傘が壊れるくらい降るので、そういう時は家を出ないに限るというご主人の話。民宿の玄関の前は道路をはさんで柑橘類の畑が広がっている。たんかん、ぽんかん、はっさく、ひゅうがなつなど、種類が豊富だ。
民宿でも袋にたくさんつまった自家製たんかんを100円で売っていた。
山に入る前にスーパーで買ったたんかんは、登山中ののどをうるおしてくれた。小さくて皮が固くてみてくれはよくないが、実はぎっしりとしていて甘く、おいしかった。
高速船トッピーは10時20分に屋久島
高速船トーッピー船中にて

鹿児島港到着
を出て午後1時に鹿児島到着。途中本州最南端の佐多岬を回り込んで錦江湾に入っていく。
-13-



誰もが不案内のため鹿児島駅と書いたバスに乗るが、どうやら鹿児島駅からきたバスであったらしく、途中で降りて西鹿児島駅まで歩く。空港行きのバスは西鹿児島駅から出るはずなので、そこに荷物を預けて食事をすることになった。CLとカメちゃんは一つ前の便なので、あまり時間がない。駅の近辺でトンカツやをさがし、全員で〆の小宴会となる。
客はみな地元の人のようだ。出されたトンカツも値段の割にけっこうなボリュームで、肉もまあ合格ではあったが、つまみで頼んだ冷や奴にかけたしょうゆの甘いこと!
とんかつはトンカツソースが甘いからまだ許せるけれど、冷や奴に甘いしょうゆはなんとも気味の悪い味になる。
残りの4人は二人を送り出してから仙巌公園へ。この公園は桜島を借景にした、雄大な島津の別邸跡である。雨は上がっていたがもう4時も近くなっていたので、観光客もまばらで静かで広大な庭園は寒緋桜、梅がまっさかりで、さすがに季節が早い。
江戸彼岸と似た元旦桜もちらほら咲きだし、じょうびたき、きせきれい、うぐいすなど小鳥がにぎやかにさえずっている。
5時20分で尚古館が終わったため、まだ早いからとのんびりお茶を飲んで駅に
戻ると、空港行きのバスは18時50分が最終で、前の35分の便にちょうど間にあう。まだ1時間くらい余裕があったので、空港で軽くビールで乾杯し、さらに日本酒を頼むと、愛想も何もないウエイトレスが日本酒はきれているという。これには一同唖然とする。
このようなところで日本酒を切らしていていいものか!? すべてが甘い食べ物と、アルコールは焼酎があたりまえという風土にカルチャーショックを受けた旅でもあった。
宮之浦岳は全山シャクナゲに覆われているようなものなので、花の時はどんなにすばらしいかと思うが、今回のように静かな山を経験してしまうときっと想像を絶する混みようなのだろう。淀川小屋も新高塚小屋も、トイレはたったひとつしかない。最盛期は横になって寝られないほどにもなるというから、ぞっとする。しかもその頃はほとんど晴天は望めないのだ。今回は奇跡の晴天3日間であったが、花はオオゴカヨウオウレンが下りのコケ道にあっただけである。屋久島ですべて満足できる旅はタイミングがむずかしい。しかし、もう2日くらい島に滞在してメインコースをはずした山歩きや、ゆっくり屋久杉ランドなどを散策するのもよいかもしれない。     了
-13-
下って2月21日午後9時すぎ、金谷さんからスマートメディアが見つかった、すでに手元にあり翌日亀村さん宛て郵送するとの知らせがあった。
事実は、亀村さんが屋久杉自然館見学の折に落としたものらしく、職員の岡田久美さんが拾得して送ってくれたものであった。
一同、すでに山中で山の神様への捧げ物として静かに巨大な杉に見守られつつ土に埋もれてゆくものと思っていた。何千年も人の生活を見つめてきた森の精が自然館に届けてきたものと信じて感謝しよう。

ホームへ ↑

inserted by FC2 system