白山縦走 山行記録補足

橋 元 武 雄     '01/08/07


白山山行、適当録----写真なしの記録など誰も読まないのではと恐れつつ

今回、大森氏とチャウにつきあって、3度目の白山ということだったが、この山は何度訪れても飽きることがない。3回目とはいっても、前2回とは山頂部分を除いて別ルートをたどっているので、ほとんどはじめてのようなものだ。チャウの記録を前提に、気づいたこと、記憶に残っていることを補足したいと思う。

観光新道とササユリ
前2回は、いずれも南龍ヶ馬場に幕営したので往復ともに砂防新道を取らざるをえなかったが、今回は室堂の宿坊泊まりとなるので観光新道を登ることにした。しょっ端から2時間ほどは急登が続いてい、あとは見晴らしのいい尾根道になる。ガイドには、主に下りに使われるとあるが、たしかに登りには砂防新道の方が楽だ。ここでの話題は、ピンクの可憐なユリ。はたして、これがヒメサユリかササユリかが問題になった。大森氏曰く、これはヒメサユリではない、ヒメサユリは去年の飯豊でさんざん見たが印象
が違うという。重荷の急登で苦しかったので写真も撮らず、図鑑も出さなかったので、うやむやになってしまっが、後で調べてみるとヒメサユリは、新潟、福島、山形の県の県境付近でしか自生していない。状況証拠からして、これはササユリということになる。昔、後藤さんのつてで泊まった奥只見叶津番屋の周囲にもヒメサユリが咲いていた。場所は福島ではあるが、あれは自生ではないかもしれない。

弥陀ヶ原
弥陀ヶ原は、観光新道と砂防新道が合流する黒ボコ岩辺りから室堂直下までに広がる広大なお花畑である。前2回は、南龍ヶ馬場を基点として、御前峰の周回コースをたどったので、ここを斜めに横切って南龍ヶ馬場へ戻っている。したがって、弥陀ヶ原の主要部は通っていない。アオノツガザクラが一面に敷き詰められたように咲いていて、チングルマ、クロユリ、イワカガミなどが多く見られた。

これは縱走が終わってからの結論だが、白山の花を楽しむのは、やはり南龍ヶ馬
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場から室堂、御前峰、御池巡りの周遊コースが一番かもしれない。とくに、南龍ヶ馬場から室堂への展望歩道周辺の花の多様さに比べると、今回のコースはやや単調に思えた。

室堂
室堂は、室堂センターを中心に統一されたデザインの宿泊施設が何棟か配され、落ち着いた風情の所だったが、残念ながら全体が工事中で殺風景なプレハブが多く建っていた。前回、室堂センターの周辺を飾るように咲いていたミヤマアワガエリが、工事のあおりで埃をかぶりすっかり雑草同然になっていた。室堂センター周辺では、それと並んで多かったヤマガラシも数が減っているように見える。相当大規模な工事なので、室堂周辺の植物への影響が心配である。翌日、御前峰への登山道へ向かいながら、この周囲のお花畑を見てあまりのクロユリの多さに驚く。前2回のときは、これほど多かった憶えがない。時期のせいか、当たり年なのかわからない。

お花松原
チャウの文章にもあるように、中宮温泉までの長い縱走は避けて、ここまで室堂から往復でくる登山者が多いらしい。最盛期には遅すぎたようだが、なるほどそれだけの価値はあるお花畑だ。弥陀ヶ原と同様に、お花畑全体をアオノツガザクラの薄緑の群落が覆っていて、そこにミヤマキンポウゲの黄色とハクサンコザク
ラのピンクがちりばめられている。少し早いと、チングルマの白が基調となるかもしれない。植物のないところは、黒っぽく細かい砂礫が顔を出して、全体に乾燥性の植物が多いのだが、ダケカンバやミヤマハンノキに覆われた湿地には、キヌガサソウ、サンカヨウなどの湿性の植物も散在している。こうだとはっきり言いにくいのだが、これまで見たいくつかのお花畑とはやや様子を異にしている。それにしても"お花松原"とはよい響きだ。もちろん松原とはハイマツを指すものと思われる。訪れる登山者も少ないのだろう、自然を奪還するかのように踏み跡にまで高山植物が進出していた。

北弥陀ヶ原
お花松原を過ぎると藪の多い登山道がしばらく続く。そろそろうんざりというころに、最初の湿原と池溏が現れる。われわれはこの湿原で休んだが、灌木帯に区切られて次々と3つの湿原が連なり、最後に広大な草原がある。最後の草原が北弥陀ヶ原らしいのだが、印象としてはその前の湿原を含めたセットで北弥陀ヶ原と呼びたくなる。湿原の風景としては、尾瀬の裏燧林道の田代群が一番だと思っているが、ここもなかなかのものだ。とくに藪っぽい山道が続いたあとで、こういう場所に出るとほっとする。どうせ室堂から往復するなら、ここまで来たいものである。ここもアオノツガザクラが多いが、ハクサンコザクラの群落も負けていない。わずかながらイワイチョウやミ
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ツガシワの白い花も見られた。

ここで面白い発見をした。背中に黄色い花粉を背負ったハチを何匹か見かけたので、マルハナバチの仲間かなあなどと見ていたら、まったく違っていた。ハエだったのだ。ハエの背中にも毛が生えているが、そこにクロユリの花粉が付いていたのでハチと間違えたのだった。"クロユリは恋の花"なんぞという歌でこの花を知ったひとはがっかりするだろうが、この花は実に嫌な臭いがする。このハエを見て、やっと納得がいった。臭いでハエを誘き寄せて花粉の媒介に利用しているのだ。蜜の場合と違って、この臭いがハエにとって実益があるのかどうか謎である。あるいは、ハエはクロユリにだまされているだけなのかもしれない。大森氏が、菊田一夫はいい加減な歌詞を作りおったと言うのももっともである。

ゴマ平への道
北弥陀ヶ原から先は藪山といっていいかもしれない。中宮温泉コースがひとの少ない訳もわからないではない。現に、歩きながらももう一度来たいとは思えない。まあ、秋の紅葉時なら味わいがあるかもしれないが。

途中、地獄覗きという場所がある。ここは、白山の全容を裏側から仰ぎ見るポイントなのだ。もう大分下っているので、御前峰の山頂----つい先ほど、そこに座ってこの辺りを見下ろしていたのだ----
は遙かな高みに遠ざかっている。裏から見た白山の表情は一変し、ちょうど北アの硫黄尾根のように荒涼として、赤くガレた岩肌がむき出しになっている。それを地獄と見立てたのだろう。

地獄覗きを過ぎると鶯平という草原を通るが、ここで真新しいクマの糞をみた。ほんとに、1時間も経っていないのではないかという湯気の出そうなやつだった。気休めに大声を出したのは言うまでもない。

この藪っぽい縦走路で気づいたことは、一定の種類の植物の大群落が目立ったことだ。もっとも優勢なのはマイヅルソウであった。ほとんど、切れることなく山道の両側を埋め尽くしている。それに、タカネコウゾリナ、ゴゼンタチバナ、タカネニガナ、サンカヨウなどの群落が交互に現れてくる。普通の登山道で見かける群落とスケールが違う。ということは、もともと高山植物の群落というものは、この程度の規模が普通なのだろう。登山者の多いところでは、群落そのものが衰退して、ちっぽけなものしか目にしていないのかもしれない。

ゴマ平から中宮温泉
ゴマ平の避難小屋は真新しいとはいえ、あまりにサイトがせせこましく、それにトイレ臭に悩まされたこともあって印象はよくない。ところで、不思議だったのはここを境に、虫が少なくなったこと
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だ。それまで少しでも休むと、この高度では珍しい蚊が一斉によってきて、ひどく鬱陶しい思いをした。しかし、この小屋でも、そこから下部の縦走路でもほとんど蚊は現れなかった。それと、縦走路の風情も変わる。藪っぽい印象から、整備されたほどほどの歩きやすい山道になり、突然石畳が出てきたりする。
しかし、油断は禁物。山道は、尾根筋では安定しているが、斜面に付けられた個所では外傾が強まってひどく歩きにくく、林の途切れたところでは、強い日差しで草が繁茂して道を見失うほどになる。特に最後の止めともいえるのは、もう少しで登山口へたどり着く前の草原だった。多分、かって山道は森の中を通っていただろう。しかし、伐採したのか災害にあってのことか、数百メートルに渡って高木が途絶えている個所があった。ひとの丈を越す雑草が登山道を塞ぎ、そのうえ真夏の真昼の太陽が頭上から降り注ぐ。蒸し殺されるのではないかと思うほどの熱気に恐ろしさを覚えたほどだった。

下山して中宮温泉で汗を流し、バス停前
の土産物屋兼そば屋で一杯やっているときにチャウが聞いた話では、あの草原は地元のひとが草刈りをすることになっているらしいのだ。しかし、少し時期が早かったのか、人手が集まらなかったのか、手入れが遅れているとのことだった。普通の山道であんなにひどい藪にあったことはない。

この土産物屋のおばさんは、チャウも負けそうな色白の美人であった。あまり慣れていないらしい宅急便を託し、山から下ろしたゴミを捨ててもらい、今日から初運行という定期観光バス『白山わらじ号』が本当に来るのか確認をしてもらい、乗車券まで発行(これがおばさんの手書きである。なかなか達筆)してもらってと、普通なら嫌な顔をされそうなほどいろいろ頼んだのに、最後にバスが到着すると見送りに出てくれた。出発時刻まで大分間があるというのに、いつまでもバスの外に佇んでいる。あまりに申し訳ないので、バスの中から会釈して引き取ってもらった。観光地とはいいながら、まだ人情が色濃く残っているのである。
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