白山縦走 今まで見たことのない規模のお花畑

中 村 貞 子     '01/07/29



白山縦走
2001年7月18日〜22日
         大森、橋元、中村

7月18日22時15分京王八王子発夜行高速バスは、定時に出発。
OJと私は夜行高速バスは初体験である。座席は普通二人づつ4人が一列のところ、3人が一列で、しかも二人分もそれぞれ独立しているうえに、さらに前後に少しずれているので、圧迫感がない。シートはもちろんリクライニングで、完全に寝ていくための仕様になっているのに感心。トイレ、お茶・コーヒーのサービスはあたりまえのようである。
私の座席は1-Aで、いの一番に予約されたものである。この座席は前が広いので、足を伸ばせて快適であった。そのせいかよく眠っていたらしい。ふと目が覚めてカーテンを少し開けて外を見ると、止まっていたバスが動き出そうとするところであった。尾張一宮のサービスエリアに止まっていたらしい。時計を見ると2時過ぎだったろうか。乗務員の交代でところどころで、止まるという説明は事前にあった。だから走っていなくても特に不審には思わなかった。
それからまたよく寝ていたらしい。朝方夢うつつに乗務員が何か言っているような気がする。「北陸道・・・・後続のバ
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ス・・・事故・・・横転・・」などのことばがとぎれとぎれに聞こえる。
あれー?このバスは2台で走っていたんだっけ?あとのバスが事故を起こした・・?なんて考えていたが、また寝込んだらしい。しかし、明るくなって、朝6時頃にやっと目が覚めたらとんでもない事態になっていた。
北陸道でダンプが横転の交通事故発生のため2時間近くどこかで足止めされていたらしく、その時やっと、北陸道を降りるところであった。乗務員が金沢6時半着が大幅に遅れて8時頃になる模様と説明している。
金沢から別当出合いまでのバスは金沢6時40分発である。間に合わないのは明白、しかもそのあとのバスは12時過ぎ。とても今日の予定を消化できない。乗務員と相談の結果、小松で下車してタクシーに乗ることになるが、もう一人白山に行く人と乗務員が話をつけてくれて相乗りで行くことにする。無駄な出費は少しでも少ない方がよろしい。
このおじさんは京王線の同じ車両に乗っていたおじさんである。われわれより10歳くらいは年上の感じ。しかも荷物が小さい。おじさんは食料を持っていないと言うことで、途中サンクスを見つけて買い物。この人は順調にバスで行くとなると、こんな時間はなかったということを認識しているんだろうか?タクシーで行くことになってこの人は相当ラッキーだったのではない
だろうか。
途中、一向一揆の村や、手取り川ダムなどを通過していく。
7時過ぎにバスが小松に着くあたりではときどき土砂降りの雨だったのが、タクシーに乗っているあいだに、だんだん晴れてきて、別当出合いにつく頃は青空が広がってきた。一人あたま4600円也。バスより1500円くらい高くつくのだろうが、楽に行くことはできた。



別当出合いには5-6パーティ、20人弱くらいの人しかいない。OJによると、こんなに人のいない別当出合いははじめてとのこと。いつも人でワンワンしているそうな。これも一日前倒しにした大森さんのアイデア勝ち。静かな山旅の始まりの予感である。

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7月19日
(曇り時々晴れ、時々にわか雨)
別当出合発 9:20
別当坂分岐 12:10
殿ヶ池避難小屋 12:40
     13:00発
馬のたてがみ 13:30
蛇塚     13:50
黒ぽこ岩   14:20
室堂 15:00
いままで梓が2回来たときは砂防新道を使っている。今回は縦走なので室堂まで30分ほど余計に時間はかかるが、南竜ヶ馬場への砂防新道を右に見て観光新道ルートをとる。
ブナ林の間を登ってしばらくいくと砂防工事用の車道を横断する。最初からしっかりと高度をあげていく急登がつづく。このあたりではあまり花は咲いていなくてマイヅルソウ、ゴゼンタチバナなどははっぱのみ。
天候は青空が広がっているがところどころ黒っぽい雲が流れていてすこし不安定である。案の定12時を過ぎると時々大粒の雨がぱらぱらとくる。しかし、長続きしないので、雨具を出す必要はない。殿が池避難小屋寸前でもぱらぱらときたが、運良くそれ以上は降らなかった。
このあたりから、やっと花がでてくる。ニッコウキスゲ、ミヤマキンポウゲ、ミヤマコウゾリナ、イブキトラノオ・・・など、いまがいちばん花をみるのにいい季節といった感じで咲き乱れている。クロユリやハクサンコザクラも室堂近くに
なると現れてきた。
普通に山道を歩いていてこんなにたくさんの花々に出会うのはやはりめずらしい。白山は花の山である。ここから先はほんとのお花畑のはずだから、期待が高まる。



登りの道もところどころ急な登りがあるが、全体によく整備されていて歩きやすい。階段状になっているところも、きちんと石が敷かれていて雨で流されないようになっている。タクシーで小松から来る途中、手取り川ダムというロックフィルダムを通ってきたが、このダムの石の積み方は整然として城の石垣のようであった。その精神がこの山道にいかされているという結論に達する。
馬のたてがみと名付けられたやせ尾根を通過し、蛇塚をへて黒ぽこ岩に着く。ここは砂防新道との合流点である。たてがみだから、背よりも細いという意味合いが込められているのであろうか。それに
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しては、それほどのやせ尾根という気はしなかった。
時々雲の合間に白山御前峰のすがたと、室堂センターが望めるところまでたどりついた。まもなく現れた水屋尻雪渓を左に20分ほど進むと室堂センターに到着。あたりはガスっているが、そんなに気温は低くない。このあたりはタンポポが目に付くが、これはタカネタンポポとでもいうのであろうか。色が濃くてしっかりしている。
受付で申し込みをすませ、御前荘という建物に案内される。小屋は一人4400円。室堂センタ(センターではない)本体は工事中なので、客は全員素泊まりである。御前荘の隣がプレハブの自炊小屋になっており、その先に水場がある。
とにかく寝る場所を確保して、さっそく自炊小屋に移動し、冷やして置いたビールで乾杯。まず、中村持参のとりのからあげ(信濃町駅内リトルマーメイドにて購入)、枝豆、OJ自家製らっきょうなどをつまみにビールがすすむ。とにかくのどが渇いているので、うまい。今回はロング缶6本、日本酒1升をOJが背負いあげている。人心地ついてから、しいたけ、きゅうり、みょうがのあえもの、肉じゃがへ。この肉じゃがはコンビーフのためなんとも珍妙なしろものであるが、肉じゃがと思わなければそれなりの味である。今回は献立いっさい大森さんが引き受けてくれたので、文句は言えない。感謝していただくのみ。こちらは共同装備はほとんど背負っていないし、立場は
弱いのである。
ずいぶん宴が進んだ頃、5時過ぎであろうか、例のおじさんがやっと、受付をすませて御前荘に案内されて来たのをみかけてOJが窓を開けて声をかけるがこっちを、認識していないようだったとのこと。あとになって自炊小屋に現れて、一人黙々といろいろ取り出して食べていた。
さて、大勢の人が集まる場所であるから、いろいろな人がいる。我々は入り口近くのテーブルに陣取っていて、ビールを暖まらないように少量の水につけたまま袋にいれて、階段のポールにかけておいたら、その中にたばこの吸い殻をすてるふとどきな輩がいた。信じられない行為である。さらに、真ん中あたりで、フライパンでもうもうと煙を立てながら焼き肉をはじめたグループがいて、においと煙が充満してくる。みんなが窓を開けて迷惑そうにみていたら、やおらOJが立ち上がり、注意をしに行く。しかし、たばこを捨てた 野郎は特定できずに、泣き寝入り。
そんなこんなで、ゆっくり時を過ごし、大森氏は缶チューハイでごきげん、つまみでみんなおなかいっぱいになって、肉じゃがどまりのまま、7時過ぎに自炊小屋を引き上げる。一部屋40人くらいは入っていたと思うが、全員8時前には寝ていた。
久々の本格的な山のせいか、体は疲れているはずなのに、夜ねられなくて何度も外のトイレに起きる。つらい。バスであ
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んなによく寝られたのに、何故横になって寝られないのか、謎である。室堂は夕方から濃い霧に覆われていて、10時頃は霧の中をトイレの棟に行っていたのが、12時過ぎには満天の星空。天の川を挟んで白鳥座だけ識別できた。明日の好天を確信する。
部屋のドアは開けると静かにやってもガラガラと音を立て、おまけに外の引き戸も立て付けが悪くてうるさい。結局自分も含めて何人も夜トイレに行くたびに音で目が覚めるという状況であった。少し寝られたのは3時過ぎくらいだろうか。

7月20日(晴れ)
室堂発 7:00
青石  7:15
高天原 7:25
頂上  7:45
    8:10発
小池巡り分岐 8:50
花の松原 10:00
北弥陀ヶ原 10:50
地獄のぞき 12:30
ウグイス平 12:50
間名古の頭 13:35
三俣峠   13:40
ごま平避難小屋 14:50
5時過ぎ起床。我々が起きたときはすでに全員起きていて同じ部屋では一番遅い。皆ご来光ねらいで、早いのだろうか。自炊小屋もがらがらである。おじやの朝食で、7時出発。
室堂センタをでると奥宮参道となって、見事な石畳になっている。このあたりはチングルマとクロユリが群生地。クロユリなどは他の山ではめずらしい花と思っていたが、ここでは当たり前にどこにでもある。ゴゼンタチバナが梓ではトミヤマソウと呼ばれる由来となった御前峰への登山道は工事のため閉鎖されていて、左に撒くルートとなる。


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晴れているが、御前峰頂上ではすこし雲がわいてきていてあまり遠くまではみえない。しかし、頂上も適度な人数で、ゆったりとしている。剣が峰、大汝峰の峰々、点在する池、雪渓のある風景は天上の別天地という感じで、ここが信仰の山となったのもわかる気がする。しばし、満喫してからお池巡りコースをたどり、大汝峰の岩間温泉などへ行く分岐点から中宮道へとはいる。
このルートはあまり人のはいらないルートらしく、途中花の松原まで空身で往復という年輩の一団と会ったきりであった。ルートの踏みあとはあるが、あまり歩かれていないせいか、登山道に草が生えていてその上を歩くことになる。しかし、この草は高山植物である。マイズルソウなどが登山道まではえていて、どうしても踏んでしまうのだ。
そこまで足をのばす人が最近多いというその名も美しい「花の松原」は思ったほどではなかったが、それは今まで見てきた花から想像すると、いかばかりか・・・と勝手に過大な期待を抱いていたせいである。
振り返れば青空に大汝峰、剣が峰がそびえ立ち、所々に残った雪渓がまぶしく目に映る。
ふつうのレベルで言えば咲いている花の名を書き連ねるのもたいへんなお花畑である。しかし、途中であったおじさんたちがいっていたサンカヨウやエンレイソウなどはもう花は終わっていた。今年はどこでもそうだが、少し花が早いらし
い。




お花松原を過ぎて北弥陀ヶ原につくと、池塘が点在するここはさらにみごとなハクサンコザクラの大群生地であり、アオノツガザクラ、クロユリ、ハクサンチドリなどが咲き乱れるまさに天上の弥陀ヶ原という趣である。今まで見たことのない規模のお花畑である。大森さんはデジカメで撮影に余念がない。もし、次にくることがあった
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ら、ここまで空身で往復する価値があるなどという話になる。





この快適な草原歩きを過ぎ、地図をみながら、ごま平避難小屋はもうすぐだなどと、甘い見通しをしていたら、そこか
らが遠かった。特に激しいわけではないが、アップダウンの繰り返しで、地獄のぞきと呼ばれるところにたどり着いたのはコースタイムよりだいぶ遅れていた。白山の裏側?は赤茶けたガレ場になっていて地獄谷とよばれているらしい。 今まで歩いた緑の深い山とは全く別の印象である。
このあたりだったか、ハクサンオミナエシをみつけたOJが大森さんに写真を撮るよう促すと、すごい形相でうぇーっという。どうやら相当ばてているようだ。今回荷物が重いし、膝の怪我をしてからろくに運動もしていないので、やや心配をしていた大森氏であった。
ここからさらに2時間以上かかって、うんざりする頃なんの予告もナシに突然小屋の横に出る。狭い尾根に建っているので、小屋の前はスペースが無く、たとえ小屋が満杯でテントを張ろうにもやっと一張り張れるくらいだ。我々が到着するとすでに若者グループ5-6人が小屋の前で宴会をしている。水場は近くて水量も豊富。
冷たい水でタオルを濡らし、顔や体を拭いてさっぱりとする。今日は天気もよく気温も高かったので、冷え冷えのビールが飲みたーーーい!
小屋は新築でまだ木の香りがするが、トイレが室内のため、ちょっと匂う。作りは八甲田の仙人岱の小屋によく似ていてまだ新しいせいもあるがきれいに使われているようだ。外では飲み食いするスペースがないので、外の若者たちに断って
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下に寝させてもらうことにして、中で3時過ぎから宴会を始める。ばてた体に冷たいビールがしみる。飲んでも飲んでも水分が体に吸い取られる感じである。
しばらくして我々と抜きつ抜かれつしていた男女二人が到着し、下に同宿となる。小屋の寸前で休憩していたその二人は我々が通り過ぎたときに、この花なんでしょう?と聞かれてハクサンチドリの変形?などと答えていたのを気にしていたOJが辞典で確認してニョホウチドリと判明。
この二人は長野からきたそうで、きかれるとめんどくさいから、夫婦ということにしているそうな。
今宵の我々のメニューは定番、味噌肉煮である。その前に枝豆をゆでておすそわけし、さらに肉をあげたら大感激された。今回OJはひとなつこい。きょうはお肉のあとの煮汁でにゅうめんである。しかし、煮汁にそのままそうめんをいれて煮るので、粉くさい。ニラうどんだとあまり感じないのにどうしてだろうか。残りの味噌としょうゆで味をたしていただく。
満腹のまま、OJは善さんのように即身成仏と化し、ひっぱたいても起きない。どうにかこうにか片づけて7時頃就寝。
大森さんも私もそろそろ足がばりばり状態になってきて、動きが怪しい。
7時近くに男二人のパーティが寝にくる。彼らは5時過ぎに室堂から着いて外で食事をしていたのだ。OJはそれすら
気がつかないほど、寝こけていたのであった。



7月21日(晴れ時々曇り)
ごま平避難小屋 発 6:20
滝ヶ岳  8:00
シナノキ平避難小屋 9:10
トチノキ坂 10:20
中宮登山口 13:00
中宮温泉 13:10
     14:50発わらじ号
金沢着  17:20
  発  22:50急行能登
またまた朝一番最後である。まだ暗いうちからばたばたと食事して全員が5時半前に出ていってしまった。朝食はラーメン。最後なので、少しきれいにしよう
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と、OJはぞうきんがけをはじめる。ほうきがないので、たたきにごみを落とすだけしかできなかったが、小屋のノートに大森さんがその旨コメントを残す。
長野の二人連れは水場から分岐する北縦走路へ下るといっていた。コースタイムで10時間である。
小屋からは下る一方かと思ったがそうでもない。 カエデ坂からみごとなブナ林である。途中、小屋の名前の由来かと思われる立派なシナノキがあった。そこからシナノキ平避難小屋迄の間にサンカヨウの大群落。花は終わっているが、紫の実がたわわに実って見事である。
シナノキ避難小屋は古くて中もあまり整理されていないが、ごま平避難小屋よりもかなり広い。あたりはブナの林である。
中宮温泉まではコースタイムで6時間だから足を心配したが、下る一方でもなく具合よく軽い登りがあって、道も整備されており思ったよりも楽だったのだが、突然その状況が変わるのであった。トラバースのところがガレて道があぶない。かと思えば石畳み、かと思えば草が生い茂って、道がみえないほどになっていたりする。
歩いている途中5回ほどマムシと遭遇し、OJはひやひやである。2回目にあったマムシは鎌首をもたげて舌をヒュルヒュルとこちらを威嚇するので、前に進めず、大森さんが私のストックで、追い払う。
マムシにあったのは初めてである。どれ
もあまり大きくなかったので、恐怖心はなかった。はじめてといえば、道ばたに朱もあざやかな毒々しいきのこを数個発見。これは昨年富士山で食べたタマゴダケだったので、とって帰れないのが残念であった。
地図を見ると清浄坂はひどい急坂かとおもわれたが、そうでもない。しかし、一部背丈ほどのくさこぎで、前は見えない、足下もよく見えないという状況が20分ほど続き、蒸されてばてて休憩する。しかしわりと直ぐ下に中宮温泉らしき建物が見えて、え?もうついたの?ときつねにつままれたような感じだったが、結局、休憩地点より10分で中宮道登山口に到着する。
そこから温泉街まではコンクリートの下り坂で最後のだめ押し。いちばんこたえた。バス停のあたりでうろうろしていたら、白山登ったんですかと声をかけられ、どっかお風呂ないですかと聞くとクロユリ荘が村営だからいいですよとすすめられる。少し坂を上って一軒だけ離れたクロユリ荘にいくと、そのおじさんが受付に座っているのであった。すすめるわけだ。
蒸されて全身が汗くさい。温泉でさっぱりしてあがってビールを飲んでいたらにわか雨にふられてしばしの待ちとなる。バス停に置いてきたザックは水浸しかと心配したが、わりと直ぐにあがって、日が差してきた。
バス停脇の茶屋で持ち歩いてきたアボガドをたべ、ビール、そばを注文する。
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そばつゆが薄くて底が透けてみえる。このあたりではこれがそばつゆなのであろうか。別に味がないわけではないが、そうめんのつゆのようである。
バス時間が調べてきたのと違って、きょうから運行開始という観光コースを巡るわらじ号で金沢へ出ることになる。
一向一揆の鳥越村、一億円のトイレなど、途中まで小松からタクシーで来たときと同じ道をたどる。観光地を巡って行くバスなので、一億円のトイレでも休憩し、せっかくなので、利用させていただく。たしかにきれいで豪華ではあるが、何故これで1億円もかかるのか、理解できない。
5時半頃金沢到着。待合室で相撲をみながら精算し、電車の時間までの過ごし方について協議となる。
大森さんがネットで知った金沢の医者ご推薦の富山のキトキトの店は電話で問い合わせたら満杯ということで、金沢の浜長という料亭風の店に行くこととする。小部屋に通されてコースを頼む。前菜、向こう付け、煮物、焼き物、揚げ物、食事、デザートのコースである。お刺身についていたエビは甘エビと思っていたけ
ど、しろえびなのだろうか。酒は万歳楽。なかなか飲み口のよいお酒であった。料理のレベルはなかなかだが値段もよい。なにせ、医者のご推薦である。通常梓では決して行かないタイプの店ではあるが、たまには山の帰りの贅沢もゆるされるであろう。 目の前にちまちまと運ばれる料理ではOJは食った気がしない、とはいいつつ、 けっこう満腹になる。

電車は11時近くなので時間が有り余ると思っていたらそうでもなく、7時頃からゆっくりと飲んで食べて、9時半頃金沢駅に戻る。1時間ほど余裕があるが、ホームの様子を見ると自由席に人の来る気配がない。指定券を買っていたが、結局がらがらの自由席で4人分をひとりで使って寝ていくことにする。急行とは言いながら車両は昔の特急列車なので、きれいで余裕がある。
3人ともそれぞれよく寝て21日6時過ぎに赤羽にてOJ下車。上野に着くと朝から暑い。
山の涼しさがなつかしいが、久々の縦走を無事に終えた達成感を胸にそれぞれに家路につくのであった。   了
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