冨士外輪山・鬼ケ岳 ジンクスは破れなかった!

後 藤 文 明     '01/04/01



 昨年12月に50周年記念の「陽だまり山行」以来山に登っていない。
首を突っ込んでいる友人の会社が新ビルを建設中で、その業務に追われて運動不足である。梓の仲間も皆多忙で3月ほど仲間での山行がない。そこへ田中誠氏が(めずらしく?)企画を立てて呼びかけたのにもろ手を挙げたのが冨山と後藤であった。
最初は山中湖から杓子山という計画であったが自動車道が延びて30分ほどで頂上に着いてしまうのでいくらなんでもと、取りやめ。目的地は冨士外輪山の西湖畔の根場から鍵掛峠経由で王岳(1623M)に変えた。
鍵掛峠から根場への下りは、1999年6月5〜6日に毛無山、十二ケ岳から節刀ガ岳、鬼ケ岳を経由ののち使った道である。王岳まではやや遠く日の短い季節なので後藤の提案で峠から西に向かわず、東へ鬼ケ岳までということにした。
この鬼ケ岳の頂上には橋元武雄氏命名になる「◯ンポコ岩」が屹立しているので「面白いよ」ということになった。
後藤の記憶では西湖畔の根場からすこし車が入ったような気がしたが田中リーダーは愛車を汚したくないのか湖畔の駐車場に入れてしまった。午前10時をすこし廻っていたように思うが、久しぶりの入山に冨山氏も嬉しそう。10分も歩いたら眼前に大きなコンクリートの堰堤の下に出た。「嘆きの壁」の如き大きさであるが、ここから山道となっていた。
杉桧の植林地の中は残雪が凍っていて歩きにくい。途中からは冨山、後藤は軽アイゼンをつけて快適に登っていった。
途中から快晴の空をバックに西風を受けて雲を生産し続けている富士山が雄大である。

田中リーダーはぐんぐん飛ばして登ってゆく、あとを追って二人が頑張っていたが、後藤が不信を抱いた。どうも顕著ではないが尾根すじの道のような感じである。鍵掛峠へは割りに深く食い込んだ谷筋を降りてきたような気がする。それでも大きな不審も抱かず2時間ほど少憩一度のみで登っていった。
積雪量も増え冬山の楽しい登攀を満喫していたが、やはりどうも様子がおかしく、リーダーに地図を見せてほしいと申し出た。出してきたのは「ブルーガイド」である。要するに「絵地図」ほど酷くはないが略図であった。どうみても登っている道は書かれていない。
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谷を隔てて主脈とおぼしきところに大きな岩が見えるが、それが鬼ケ岳であるらしい。ところがそれは左手すなはち西に望めるではないか。要するにT字の下からーの部分の右へまっすぐ登っていたことになる。
マタマタ「入口」を間違えた!!・・・・「ジンクスは破られなかった」わけである。
リーダーいわく「イヤー、富山さんと後藤さんじゃなにを言われるか」。
いえいえ、格段に面白いというコースでもなかったのでこんな話題が楽しい思い出になってくれれば結構ではないか。
もちろん「◯ンポコ岩」はまだ遠く、衆議一決陽だまりの雪の上で宴会とは相成ったのでありました。ビールもワインもリーダーさんが担ぎ挙げてくれたことを報告しておく。
天気予報とおりに前線が接近、雲が出て気温が下がってきた。
頂上は行かなかったが満足感を覚えながら下りにかかったのであった。
帰途、河口湖で一杯。冨山氏の報告は・・・・・
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昨日、西湖のほとりの鬼が岳へ、後藤さん、マコトさんと行ってきました。残雪を踏んでの春山が、厳しい寒さと凍結した雪道、冨士にも始終東側に西からの烈風に吹きつけられる雲がひっついている有様でした。しかし久々の山に満足しました。
帰途,後藤さんの記憶を辿っての河口湖の蕎麦屋「ヤブ」は、カツ煮よし、おでんよし、豆腐よし、漬物よしで、ついつい酒量が弾みました。すべて文句無しの梓向き。唯一イカンのは最後にとった蕎麦でした。
それにまたまた語り草がありましたが、その辺は後藤さんの山行報告に任せましょう。乞うご期待ヘ、ヘ、ヘ、
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「ヤブ」では梓風おしゃべりが際限なくつづき、満たされた気分で中央高速を一路戻ったのであった。

   3月10日 晴れのち曇り時々小雪
   参加:田中、冨山、後藤
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