下北半島・津軽半島の旅レポート

            2003/06/26 後藤 文明




2003年6月15日(日曜日)〜20日(金曜日)
「待ちかねた都電荒川線のたび」の翌早朝、青森下北半島と津軽半島を訪ねるたび
に出るメンバーが中央線阿佐ヶ谷駅に集まった。私の学生時代の先輩とその娘の嫁
ぎ先の義父、そして私の3人である。
貯金の旅(郵便局めぐり)を趣味とする先輩とは、ここ数年関東甲信越一円5回、
近畿中部2回、紀州から四国・九州・山陰の大旅行1回、東北1回と今度で10回
目の旅となる。(だが利用してきたニッサンセレナも排ガス規制で今年9月いっぱ
いで廃車となるので今度が最後かもしれない)
今回のたびは梅雨時期とあって、雨も覚悟であったが出掛けに都内ですこしと、途
中5日目に高速道の山間部でザーっときた程度で幸運であった。

第1日:
外環道大泉から東北道へ、梅雨前線による雨も北上するにつれ止んできた。同日は
盛岡まで、市内の報恩禅寺を訪れ五百羅漢像を見る。同夜は30kほど西へ入った
国見温泉泊、国見温泉は盛岡ICから秋田新幹線沿いの田沢湖に通じる国道46号線
雫石町の先である。ここはまだ残雪を見せる秋田駒ケ岳の麓にあって神秘的な緑色
の温泉である。おおらかな尾根続きの高台に位置してすこぶる眺めがよい。すこし
寒さを覚えるひんやりとした大気の中で野趣豊かな露天風呂に入ると、いっそうは
るばる来たという旅情を感じる。1人2600円寝具200円の素泊まり、すき焼きにビー
ルがうまい。ところで、先輩はかの義父さんには「シンチャン」とよばれ、義父を
「うめさん」と呼んでいてすこぶる懇意である。おもしろいのは「シンチャン」の
娘と「うめさん」は不仲で、その夜私は「うめさん」に嫁の悪口を聞かされたのだ
った。(以後文中はシンチャンとうめさんで説明したい)

第2日:
午前7時30分発。盛岡へ戻る国道46号を途中で小岩井農場へ向かう道へ左折。小
岩井農場は広大である。観光施設は早朝なのでまだ起きていないので小岩井牛乳は
飲めなかった。滝沢ICから東北道に乗り、安代JCTは右へ八戸まで。通行の車
も少なくセレナ商用車で120KMのスピードも気にならない。今日は三沢、六ヶ
所村から東通村へ下北太平洋側本州最北東端の尻屋崎を目指し、さらにむつ市で恐
山を訪ねて陸奥湾にそって西へ国の天然記念物北限のニホンザルの生息地脇野沢村
までという長丁場である。
三沢空港さきの小川原湖をすぎて六ヶ所村に入ると人家も少なく原生地の中に広い
道路が通じ、原発や処理施設の大きな看板や、建設関係者の宿泊宿がたまにあるだ
け。(宿泊宿といっても大きな宿舎のようなもので地元資本が建てたものか、だだ
っ広い敷地に2階建ての鉄骨アパートが何棟もあり、周りには乗用車だけが駐車し
ていて、人影はまったく無い)突然に現れて驚かされたのはたくさんの発電用の風
車!、原発に揺れる村が電力エネルギーを風力発電に頼っているというこの大きな
落差であった。
昼食はやっとあらわれた食堂、客は近隣の小さな企業に勤めるおじさんが数名、な
かには弁当持参でヤサイラーメンをとっている人も。注文のカレーライスは昔の学
食のそれ、フライ定食は冷凍フライ、でも添えてある蕗の煮付けは店のカーチャン
が摘んできたものだろう、蕗の香りがよい。事実店の土間ではおばあちゃんが野蒜
のようなものを始末していた。
本州最北東端の尻屋崎は、林や草におおわれたなだらかな起伏の丘陵を走り続けて
やっと着く牧歌的な風景の場所である。途中ゲートがあり電動であけて入るように
なっているが、これは岬周辺に放牧されている寒立馬の保護のもの。突端に真っ白
な背の低い灯台があり周辺の草地には可憐な黄色い花が一面に咲いていた。土産物
屋も閉じてここですれ違ったのはツーリングの青年一人であった。
イタコの口寄せの恐山、遠くからもよくわかる円錐形の釜臥山をはじめとする外輪
山に取り囲まれた宇曽利山湖畔にあるのが霊場恐山である。今の時期周囲の山々は
滴る緑で埋め尽くされていて、その中にコバルト色の湖と境内の白々とした岩や砂、
漂う強い硫黄のにおいはこの世とあの世の境目を思わせる。見回せば亜硫酸にも強
い草木もあり、お堂や地蔵・観音などの石像、遠くには建築中の大きな伽藍も在る
のだが、なぜかセルロイドの風車が風に回っているカサカサという音を聞いている
と、大地以外何も無く、無限の荒涼が広がっているだけのように想われた。
宿泊は脇野沢村ユースホステル。他の客はツーリングの名古屋の青年と日本語専攻
のアメリカの学生夫婦、話が弾んで10時過ぎたらしかられた。

第3日:
今日は脇野沢村から北、下北半島大間崎への途中に「仏が浦」という名勝があるの
で遊覧船で観光を考えたが、時節はずれでウイークデーとあって船が出ない。やむ
なくむつ市へもどり、一路青森を目指した。途中陸奥湾に突き出した夏泊半島に入
り夏泊崎にゆく。浅虫温泉郵便局で記念貯金をしたら押してくれたゴム印に「♨ど
さ?ゆさ!浅虫郵便局」とあった。
ちょうど青森に着いたら正午、車を観光物産館アスパムの駐車場にいれて、橋元さ
んに教わったすしや「一八」に電話をいれた。「もしもし、いまアスパムの前にい
るのだが」「ハイ、まっすぐ大通りをくると左に”ザルスィキホテル”さんがあり
ます、うちはそのはす前です」「エッ”ザルスィキホテル”?」「そうです」・・
・・「ええ!どうでもイイヤ、ナントカナルベシ」とて歩き出した。しばし・・あ
ったあった”JALシティホテル”があった。なんと左側にはそのホテルより大き
な看板の「一八すし」がある。ここのすしは旨い、定食に追加も握ってもらって、
特に旬のシャコは絶品で生まれて初めて。長谷川板前さんはいちばんえらいらしい、
池田さんの名前で話が通じてちょっとしたおまけもあり。
満足したおなかを撫ぜながらアスパムに戻ろうとしたら、うめさんがシンチャンに
「あの三角の建物はどこかで見たことがある」「うめさんは記憶がいいからナ、ど
こで?」「うーん、確か青森だったように思う」・・・うめさんは74歳で痩身45kg、
相当に耳が遠い、車の運転大好きなひとである。ときどき携帯でEメールを発信す
る。たびたび電話が入るが応対はあーとで。どうも卓球クラブの女友達らしい。ア
スパムから何か送っていた。
市内、棟方志功記念館はこじんまりした感じのよい美術館であった。「大和し美し」
「釈迦十大弟子」などを鑑賞。三内丸山遺跡にも回る。
今夜は八甲田にむかう国道103号を行き、雲谷(もや)ユースホステル泊。築3
年目で清潔であった。主人は50代の男で、一人で切り回しているらしいが、食事は
洗練されていてなかなかのもの。ただしアイルランド好きで癖があり、多分あずさ
の面々も食事はグー、主人はブーと来るだろう。

第4日:
津軽半島の陸奥湾沿いの国道280号線を北上、蟹田町から山間部にはいり青函ト
ンネルにつながる津軽海峡線や津軽線とクロスしながら津軽海峡側に出て海沿いに
細い道路を竜飛崎に、今度は日本海側を南下して小泊、十三湖、金木町を経て五所
川原市に至った。
まず、東北本線終点の青森駅へ、青函連絡船青森発最終便となった八甲田丸を見る。
岸壁からこの鉄道連絡線の博物館を見ていると突然そばの歌碑から音楽が流れ始め
た。「上野発の夜行列車降りたときから、青森駅は雪の中・・・」しばしは鑑賞し
ていたら、かのうめさん手で調子を取り始めたが、2番「ごらんあれが竜飛崎・・」
となったら歩き出して調子をとって忘我の様子。なんだかこちらがばつが悪くなっ
てしまった。
下北半島と、津軽半島。冬になれば同じように雪と風にさらされ厳しい土地なのだ
ろうが、6月ころはなんとなく津軽のほうが穏やかでゆたかなひとの生活が感じら
れる。ただ青森県で見てきた家々は全てトタン葺きで瓦がのっているのは神社仏閣
だけである。気候条件によるものなのか、もともと近在に生産地が無いためか、は
たまた歴史的な経済状況に基するのかわからないが。
本州最北端の竜飛崎は小高いが、海にとんがって突き出しているのではなく先端に
小山があるという地形、それが内陸に一度高度を下げ、また盛り上がっている。高
度を下げたところに青函トンネルの本州側基地がある。また盛り上がった山には11
基の風力発電風車がありすばらし景観になっている。これで3000戸の消費電力を賄
えるとのこと。
ここから小泊までの竜泊ラインと名づけられているドライブウエイは、日本海を望
んで高度がありヘアピンカーブが続きすこぶる眺めがよい。
市浦村にはしじみで有名な十三湖がある、国道沿いに奈良屋というしじみ料理を食
べさせる店がある。曰く、しじみ尽くし、しじみラーメンなど。ここではしじみ釜
飯700円なりを食す。売店の大振りのしじみ1キロ1900円とは相当なもの。4月
10日が解禁日というので、冬の営業はどうなっているのか聞いてみたら漁民が養
殖で供給してくるので年中メニューは同じだそうだ。店のまえの湖では潮干狩りな
らぬしじみ狩りをやっている人がいるが、300円でとり放題だがあまり得ではな
いという。金木町、太宰治の生家で大資産家だった島津家の旧邸宅「斜陽館」にゆ
く。向かいの津軽三味線会館では丁度演奏を聴くことが出来た。
五所川原市に「音次郎温泉」なるところがあることをインターネットで調べておい
たので、今夜はそこに泊まろうと昼間から組合に何度か電話をしたが、留守で埒が
明かない。そこでシンチャンが市観光課に電話で尋ねて一軒を紹介されていた。訪
ねてゆくとそれは所謂「駅前旅館」で温泉などは無く部屋も3人別々、内部は異様
な臭いが満ちている。しかも2食つき7000円。
シンチャンは怒って観光課に文句をつけたが、相手は平身低頭するばかりでなんの
解決にもならない。オヤジにキャンセルを申し出たら簡単にOK。
私は大きな駅前交番に駆け込んで事情を説明して、当方の希望を告げた。交番には
警官が2名いたがすこし若年の、といっても40代のひとがえらく親切で2人で相談
していたが、「本官に任せてください、熱い風呂でいいですか、混じりのない温泉
は熱いです。」「もしもし、駅前交番の大黒屋ですが、いつもお世話になっとりま
す。いま県外のお客さんがいい温泉を尋ねておられるのですが、今晩どうかね。あ
そうそれでは幾らからあるの・・・」「すいません、代わります・・」とこれは私。
実に詳細な案内図を書いてくれて、大黒屋警官は表まで出て丁寧に車を送り敬礼し
てくれました。
この宿、五所川原駅前から約30分のむしおくり温泉なるところで、富士見ランドホ
テルという。一泊二食9200円で立派な旅館、温泉は酸ヶ湯や浅虫など有名なところ
と県内名物温泉となっていて温泉よし、料理は今回の旅の宿で最高、さらに東京在
住というおかみが挨拶に来てお銚子3本サービス。大黒屋さんアリガトウ。

第5日:
昨夜の宿は国道101号線沿いなので、現在の東北道終点青森よりひとつ手前の浪
岡ICに向かう。
相談の末岩手県南部の北上市まで行き、この近郊の「後藤郵便局」を目指す。一般
道を南下して一ノ関から中尊寺・毛越寺をかすめ、厳美渓を見て栗駒の温湯(ぬる
ゆ)まで。
今回の旅はシンチャンとうめさんが交代で運転、私がナビという事になるが、うめ
さんは日を追って疲労しているのか、助手席にいて怖い。一般道のカーブでも速度
を落とさない。右折して右折で目的地にゆくが折り返して次に平気で右折する。ハ
ンドルに建設機械についているパワーステアリングのノブのような物が取り付けて
あるが、急カーブで手を引っ掛けて舗装帯から飛び出したりする。
101号から浪岡ICへの標識が出て、シンチャンと私が大声で「左へ高速ですね」
と会話するからわかっていると思っていると、左へ入らずに101号をまっすぐ。
私いささか寿命が縮まった。
北上市から約30KM後藤簡易郵便局、局長の奥さんは「家の長男は文明といいます、
高校教師で嫁は高校時代の友達なので(ブンチャン)と呼ぶんですよ」。ちなみに
この近郊の東和村に谷内郵便局というのがあって、チナミさんが行ったところ大い
に歓待してくれ、招き入れてお茶を出し記念品もくれたとか。ただしタニナイ郵便
局と呼ぶ。(後藤郵便局談、谷内郵便局はご当地ではタンナイという)後藤郵便局
では記念に、とティッシュをくれた。
このあと岩瀬村なるところの「鬼の館」を見学。ここの民俗行事にちなんで創られ
たものだがどうということも無い。同館でたまたまやっていた「あっぱへのレクイ
エム」という児玉晃・児玉智江二人展がなかなかのもの、そう有名な人ではないが、
晃の亡き母の肖像画は母への愛情、いとおしさ、尊敬がよみとれ佳作であった。
国道4号線にもどったら「砂場」で修行をしてノレンを許された店に出会った。ラ
ーメン、かつどんもやるそばやだが、時分どきであったのでたいそうの混雑であっ
た。大盛り700円ではつゆもこんな物かというところだが意外にそばは良かった。
中尊寺簡易郵便局と毛越寺そばの平泉局に寄って厳美渓にむかう。途中の達谷窟(
たっこくのいわや)は岩屋そのものを堂にした舞台造りの毘沙門堂で不思議な雰囲
気のところ。厳美渓は川が岩を角ばった形に浸食した国天然記念物。
ここから温湯まで山中のドライブ栗駒町を経て目的地到着は午後5時になっていた。

第6日:
午前8時温湯温泉佐藤旅館発〜午後2時阿佐ヶ谷帰着。

全行程2200km、寄った郵便局32局、今回カメラを忘れたので写真はなし。
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