待ちかねた都電荒川線のたび

 2003/06/17 橋元 武雄  2003/06/23 亀村  通

                  photo by kamemura & gotoh

 雑司が谷付近で

橋元 武雄
2003年6月14日 土曜日
曇り。湿度高く、ひどく蒸す。

今日は、待望の都電荒川線沿線探訪。
JR高田馬場ホームに、10時集合。
冨山、後藤、高橋、中村、亀村、橋元。金谷氏は自転車なので成り行きで、合流。
高田馬場駅の戸山側の出口を出て探訪を開始する。住民の体操スペースと、ホーム
レスのホームとの軋轢で新聞記事になった戸山公園を通り抜け、理工学部の前で明
治通りを渡り、大きな駐車場ビル(この駐車場のなかに学生のころによく昼食をと
ったレストランがあったが、今は見あたらない)の手前の道を下り箱根山を目指す。
箱根山周辺は、鬱蒼とした森林になっていて、昔の面影はない。学生のころの記憶
では、住宅街のなかに、突如飛び出した裸の丘だったような記憶がある。コンクリ
ートの側壁があり、そこがアップザイレンの練習場になっていた。このへんの記憶
は、戸山に親戚がいたという尚やんの記憶とも一致する。カメちゃんの資料では、
箱根山が山手線内の最高峰とあったが、山頂の標識では44.6m。愛宕山のほうが高
いのではと議論になる。しかし、こちらは山手の高台なのでベースがそもそも高い
のではないか。あとで調べると、愛宕山は25.64mで、遙かにこちらが高かった。看
板の解説によるともともとこの丘は、大名屋敷の築山だったそうだ。つまり、人工
の山だったわけだ。

早稲田大学キャンパス、大隈講堂を望む

演劇博物館
箱根山から箱根山通りを下り、文学部→正門→大隈公像→演劇博物館と巡って早稲
田から荒川線へ乗車。一日券は売り切れで、次に乗る電車で買うことになる(実は
これを数回繰り返し、全員の切符が揃うのは大分後になる)。

都電荒川線始発点早稲田

車内で
面影橋下車。水稲荷。なぜか、門前に徳川家所有の敷地と茶席がある。流鏑馬が恒
例とか。これもあとで調べると、この辺りが徳川御三卿清水家の下屋敷跡だったと
いう。また、なぜ“水”稲荷かは、近くを流れる神田川の鎮守かなどと適当な推測
をしていたが、これは境内に水量豊富な湧き水があったためという。

水稲荷境内

荒川線は運行距離のほぼ20%が路面
鬼子母神下車。鬼子母神ははじめてである。参道の突き当たりは、普通のビルが建
っていて、そこを左折すると、やっと神社本体が見える。ここで自転車の金谷氏と
合流。境内に大きなギンナンとボダイジュがあり、結構にぎわっている。時分だっ
たので昼食の店を探したがなかなか適当なところがなく、諦めるかっこうで、都電
鬼子母神駅横の寿司屋へ入り、全員チラシ。われわれが口開けで、空調を入れてく
れたのはいいが、黒い煤がテーブルに降ってきて閉口した。今年はじめてクーラー
を点けたのではないか。ここで、金谷氏より、杓子山の怪我でおりた保険金の余録
3万円なりの寄付がある。

江戸家猫八さん

文豪夏目漱石
雑司ヶ谷墓地。カメちゃんが管理事務所で案内図を入手し、江戸屋猫八、夏目漱石、
六代目菊五郎、小泉八雲、永井荷風などの墓を見る。金谷氏は、寿司ではもの足り
ないとひとり先行し、墓地周辺のトンカツ屋へ駆け込んだ模様。健啖、恐るべし。
まして、この旅の最後がウナギやであることを熟知せる痛風持ちとあっては………、
われ弁ぜんと欲するに、すでにその言を忘ずるの態。

飛鳥山。まず音無親水公園を目指す。飛鳥山の駅からそのまま明治通り沿いに下れ
ばよかったものを、正確な位置がわからず、横断橋を渡って飛鳥山公園へ入ってし
まったので、王子の駅まで大回りする羽目になった(あの辺りの明治通りは横断で
きない)。石神井川の地下トンネル化で残った河川敷を親水公園としたものだそう
だ。河川敷といっても、相当深くえぐれているので、巨大な塹壕のように見える。
親水公園の名にふさわしく、親子連れが水遊びをしていた。こんなところに、こん
な公園があったとは、何度となく近くを通っていて気付かなかった。後藤さんによ
ると、都市公園100選に選ばれているという。親水公園から都電飛鳥山駅へ戻る
途中で、明治通りを疾駆する金谷氏と邂逅。

子供はすっぽんぽんで水遊び

橋のしたが公園である
栄町。東京書籍の東書文庫を訪ねたが、土日は休館。このまま三ノ輪橋までいって
は早すぎるので、飛鳥山の3つの博物館へ引き返すことになる。都電栄町駅の近く
でJRを越えて、明治通りと反対側から飛鳥山へ登る。結構な標高差である。しかし、
博物館はすべて有料だというので却下。公開されている渋沢栄一の旧居の一部を見
物。公園からは飛鳥山北東面の散策路を王子駅方面へ下り、都電の栄町へ戻る。

あとは一路、三ノ輪橋へ。携帯の連絡では、金谷氏はすでに到着している模様。

三ノ輪橋から、永井荷風の歌碑と花魁の投げ込み寺、浄閑寺。ここで金谷氏に合流。
小塚原回向院。吉展ちゃん地藏、鼠小僧次郎吉の墓。小塚原刑場跡と首切り地藏な
どをみて、尾花へ。

久しぶりだったが、尾花二代目三姉妹は、白髪は大分増えたが健在のようだった(
ひとり見えなかったような気もするが)。ウナギ自体の質はいうまでもないが、タ
レのほどよさ、焼きの冴え、やはり尾花のウナギは旨い。ウナギと寿司は、誰が何
といっても東京に限る。

おおきなのれんの尾花

追い込みの大きな座敷は下町風
南千住の駅を越え、泪橋交差点を渡って、山谷の喫茶店バッハ。ここは尾花の帰り
に何度か寄ったことがある。往時の山谷は、立ち入るのに勇気が要ったが、いまは
その面影もない。コーヒーは許せるが、女店員がうるさい。昔はこんなのは居なか
った。金谷氏が少し大きな声を出すと頭ごなしに注意された。静かな店で、声が響
いたのは確かだが、ものには言いようがある。

バッハを出てそのまま浅草まで歩く。南千住の駅から、山谷の通りをまっすぐ行っ
て、どんと突き当たると言問橋だ。最後の〆に神谷バーへ行ったが満員。OJの提案
で松風へ(この店は、まったく酒が飲めなかったころから知っていた有名な店だが)。
これが大失敗。いちいち客の様子を見ながら、酒を出すの出さないの、ビールは何
本までのと、ろくなつまみもないくせに、つべこべやかましいことおびただしい。
せっかく、上野からタクシーを飛ばしてきた大森氏が合流したというのに、あまり
の小うるささに辟易して店を出て、そのまま解散となった。大森氏には気の毒なこ
とだった。

バッハといい松風といい、下町の気さくな人情が、今となっては余計なお節介に堕
しているのが残念。その点、尾花のさり気ない客あしらいは、救いではあったが。

  亀村  通 都電に乗って早稲田から三ノ輪橋まで東京の町並みを探索しようというテーマを、 与えられてもう数年経つ。ここ2年ばかり、皆に会う度に冗談半分本気半分(たぶ ん)でプレッシャーをかけられていた。今回やっとそれが実現し、正直ホッとして いるところである。  6月14日(土)10:00JR山手線高田馬場駅プラットフォームに集合、金谷さんは自 転車で「つかず離れず参加」するという。入梅後はじめての週末になる今日、天気 予報では雨は夜まで降らないというがとにかく蒸し暑い。じっとしていても首筋が 汗でじっとりしてくる。

明治通りを横切って

箱根山山頂の見晴らしは良くない
 まずは高田馬場駅から戸山方面へ歩き出す。目的地は都区内最高峰(山手線内最
高峰という説もあり)と言われている「箱根山」の登頂だ。ホームレスのホーム(
?)、青いビニールシートの仮設住宅が立ち並ぶ戸山公園大久保地区を抜けて明治
通りをクロスする。公園の右手は早稲田の理工学部で、必然的に橋元さんが先頭で
ガイドするかたちになる。霞ヶ関ビルが出来るまで、理工の校舎が日本一の高層ビ
ルであったとは橋元さんの説明ではじめて知った。箱根山はうっそうとした木々に
全体が覆われていて、高橋さんや橋元さんの抱いていた昔のイメージとは随分と違
うらしい。昔はもっと木が少なく明るい山であったようだ。頂上には標高44.6Mと
彫られた石と北を示す石が三角点の横に埋め込まれている。冨山さんが言い出した
この箱根山より愛宕山のほうが高いだろうと言う説に、皆大いに心を惑わすが、こ
のあたりの山の手ほうが海に近い愛宕山より標高が高いのでは?ということで一応
落ち着く。結果として橋元さんが調べてくれたのだが愛宕山は25M程度で箱根山の
ほうがはるかに(!?)高かった。
 箱根山から、ものの10分もかからず早稲田大学に着く。大隈重信像の手前を右折
すると演劇博物館の前に出る。今日はここには寄らない。そのまま都電の停留所へ
向かう。都電の中で1日乗車券を購入しようとするが、我々の前の団体が買ってい
るうちに売り切れてしまい、ワンマンカーの運転手は不機嫌に次の車内で買ってく
れと言う。あとから分かったが運転手は一人5枚までしか1日乗車券は持っていない
のだそうだ。このあと乗車のたび何度か買い足しをして全員の券が揃った。
 早稲田から一つ目の駅面影橋で下車、水稲荷神社に向かう。早稲田から続く小高
い森の中にある。立派なお稲荷さんで、本殿の前には口に巻物と玉を銜えた怖い顔
の狛犬ならぬコマ狐が守っている。ここは江戸時代には幕府の馬場が設けられてい
て流鏑馬が催されたと言う。堀部安兵衛が「高田の馬場はまだかぁー」と目指した
のはここだそうな。

金谷さんさんと合流

ここの鬼子母神さんの"鬼"の字には角が無い
 次の降車は鬼子母神。ここで自転車の金谷さんに合流。金谷さんはサンダル履き
で自転車のペダルをこいでいるけどあれはインド流なのであろうか。都内とは思え
ない立派なケヤキ並木の突き当たりにある鬼子母神の境内もまた、東京の中心とは
思えないこれも立派なイチョウの大木がある。お参りする人も多い。ここで昼食と
言う事になり、散々探した結果、駅前の寿司屋のチラシ寿司ランチ700円に落ち着く。
シメの「尾花のうなぎ」をひかえた昼食としては丁度いい量と味。チラシ寿司を食
べながら頭の片隅では蒲焼を思い浮かべて、期待に胸をふくらませた。
 食後金谷さんと別れ、隣の雑司が谷で降りると自転車で先行した金谷さんにまた
会った。これからとんかつを食すというからすごい。かなり広い雑司が谷霊園を、
管理事務所で手に入れた地図(協力費として100円取られた)を片手に有名人の墓ウ
ォッチで歩き回る。昼食にビールを飲んだ後、暑い中墓地をブラブラ歩きしたので
変なだるさが残る。園内は色々有名な人やユニークな墓石などあって面白いと言え
ば面白いが、他人の墓を見て回るのもそのうち厭きてしまった。

飛鳥山付近

途中でまた金谷さんとすれ違う
 次は、飛鳥山で下車。後藤さんのお勧めで飛鳥山公園の明治通りをはさんで反対
側にある音無親水公園に行く。石神井川の治水工事で、もうちょうのように主流か
ら外れたところを公園にしたのだそうで、旧川床に人工的に流したせせらぎに、何
組かの子連れ家族が水遊びを楽しんでいる。なかなかいいところだ。ここからだと
王子駅前の停留所のほうが近いが、そうすると飛鳥山王子間の都電に乗らないこと
になり「全線制覇」とはならなくなるので飛鳥山まで戻る。途中でまた金谷さんと
すれ違う。

図書館東書文庫

飛鳥山のあじさい
 僕のたっての希望で、王子駅前の次の栄町で降り日本で最初にできたと言う教科
書の図書館東書文庫に行く。これは東京書籍構内にある民営の図書館だ。昔の教科
書類が見られるのを楽しみにしていたのだが(多分僕だけ)土日は休館とのこと。
残念。他では撮らなかった記念写真を行きもしないここでのみ撮る。これから先は
三ノ輪橋までどこにも降りず直行の計画だったので時間にまだ余裕があるので飛鳥
山公園に戻る事にした。飛鳥山の停留所から栄町までは、四角形の三辺をコの字状
に線路は走っている。したがってもう一辺を京浜東北線と新幹線の橋を渡ってまっ
すぐ歩けば飛鳥山公園は結構近いのだ。

旧渋沢栄一邸

同庭園
 再度飛鳥山公園、旧渋沢栄一邸、青淵文庫などタダのところだけ見学。すぐそば
の紙の博物館やいわゆる飛鳥山3つの博物館行きは却下となった。ここから飛鳥山
の停留所は近いのだが、何のこだわりか再度栄町の駅までとってかえす。これで、
区間をダブって乗ることもないわけだ。
 栄町からは一気に三ノ輪橋まで向かう。金谷さんの携帯に電話をしたら、すでに
三ノ輪の喫茶店でティータイムだと言う。都電終点の三ノ輪橋はJR常磐線の南千住
と三河島の中間にある下町だ。都電に乗り合わせた短パン・ランニングにセッタ姿
のじいさんがいた。ビニール傘に高級チョコ「ゴデュバ」の紙袋をぶら下げて紙パ
ックの清酒をストローで飲んでいて、何とも存在感があるじいさんであったが、三
ノ輪橋で降りたあとホームのすぐ横にあるお稲荷さんか何かに水をかけて拝んでい
る。わが道を行く下町のいなせなじいさんで、僕と共にその存在に注目していた中
村さんと目配せしあって喜んだ。

都電三ノ輪橋

新吉原総霊塔
 浄閑寺は別名投げ込み寺という。安政の大地震の際、大門を閉ざされて逃げ場を
失って焼死した吉原の遊女たちが、投げ込み同然に葬られた事からその名がついた
そうな。この寺には吉原の供養搭の他に永井荷風の文学碑や三遊亭歌笑塚などの史
跡がある。ここでまたまた先回りしていた金谷さんと再会。
 うなぎへの高まる期待をむねに、尾花の前を通り過ぎて回向院へ向かう。その際
ちょっと中をうかがうと法事らしい客が数人見受けられるだけだ。時間はまだ5時
前で、中村さんによると5時を過ぎるとどっと混んで待たせられるという(実際こ
の日もそうで僕らが食べ終わって店を出る頃は随分と行列が出来ていた)。
 回向院は尾花の数軒先で南千住駅前に立地する。常磐線の線路を隔てて向こう側
が小塚原刑場跡で、ここには花崗岩を組み合わせた首切り地蔵がある。回向院は小
塚原で処刑された人々を葬った寺で、吉田松陰や鼠小僧次郎吉の墓がある。中村さ
んによると鼠小僧の墓は両国の回向院にもあってそちらのほうが立派だから、こち
らはそれが分骨されたものだろうとの説。

小塚原回向院
 

鼠小僧、直侍、高橋お伝、腕の森三郎の墓
あとの二人は実在の人物?
 さて、いよいよ本日のクライマックス「尾花のうなぎ」に乗り込む。この店は常
磐線の南千住をでるとすぐに上野方面に向かって右側に見える。僕は20数年毎日の
ように通勤電車からこの店を眺めていたが、今日始めてここの有名なうなぎとご対
面できると言うわけだ。橋元さんや中村さんは何度も足を運んでいると言う。中庭
をつっきりおおきなのれんをくぐると左手が調理場、中央から右が大広間の座敷に
なっている。中村さんが慣れたもので、まずは人数分のうな重を手配の後に、ビー
ルから始まり鯉の洗い、うざく、うまきと次々に注文をする。うな重があがるまで
小一時間かかるのでそれまではこれで一杯やるわけだ。当然ビールのあとは銚子で
ある。金谷さんは冷酒を所望する。つまみも銚子もあらかた無くなりそうな頃良い
ところで待望のうな重登場。肝吸いも抜かりなく注文してある。蒲焼としては比較
的サッパリしているが、口の中でとろけるような柔らかさは何ともいえない食感だ。
ボリュームも申し分なく、充分に満足のいくものであった。
 尾花をでると雨がぱらついてきた。しかし時間はまだ早い。予定通り南千住で解
散、のはずもなく、橋元さんが尾花のあとに時々立ち寄ると言う山谷近くのバッハ
という喫茶店まで遠征する。今は随分少なくなったが、一杯ずつサイフォンで淹れ
るコーヒー専門の喫茶店でコーヒーはもちろんだが自家製ケーキもうまい。BGM
は当然バッハ。
 これで解散ともいかず、やはり(当初からこうなるのかなぁとは覚悟していたが)
浅草で電気ブランをやろうということになり、神谷バーに向かう。結局は三ノ輪橋
から南千住経由浅草までずっと歩く事になるわけだ。さすが山の会だけのことはあ
る。さて、浅草に着いたものの、土曜日の夜だけあって神谷バーは満席で待っても
すぐに空きそうもない。橋元さんが昔から知っている松風という飲み屋で打ち上げ
となる。大森さんが仕事帰りに駆けつけてくれたが、なんだか店員がこうるさい店
で、僕が例によって居眠りをしたもので、もう酒は全員に出さないと言う。今日一
日の疲れもあってか、最後はあまり意気があがらないうちにお開きとなった。後藤
さんは翌日より東北の旅に出るというのに、とうとう最後まで付き合った。明日朝
は4時起きだと言う。
 荒川線の旅は、普段の生活ではわざわざ訪れる事のない東京の名所や旧跡をまわ
る旅だ。まだまだいって見たいところもあり、都電利用しなくともこれからも個人
的に続けたい小旅行だと思った。足は金谷さんのように自転車を利用するのもなか
なかよさそうなので、今度は僕もそうしてみようと思った。ところで、後日の梓HP
への書き込みによると鈴木さんはお昼頃大塚駅で我々を待ち伏せしていたようだ。
それならそれで電話をくれればよかったのにいかにも鈴木さんらしい。山道と違っ
て東京ではそう簡単に遭遇する事は出来ないと思う。

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