越後・親知らず 2002/05/17  後藤 文明


平成14年5月13日〜15日
13日早朝、東京を出て、一路中央道を西へ。甲府盆地へ出たら晴れていたが山々は雲の中。
豊科で一般道へ、後立山連峰が次々と・・。常念岳は雲を纏いながら穏やかな印象、大天
井はどっしり、有明山は黒々と特徴のある姿で奥に燕、餓鬼岳がでかい。蓮華に爺そのむ
こうに鹿島槍。途中橋元さんに電話でうまい店を尋ねるが、結局JR信濃大町駅前通り大町
郵便局となりの「こばやし」でそばを食う。そばはいけるがメニューは寂しくてんぷらも
書いてない、店に聞くと暇なときならてんぷらは出します、と。構えはよいがあずさ向き
ではない。仁科三湖を過ぎると白馬連峰。
ところで上の写真で「代掻き馬」「乗鞍のニワトリ」がわかりますか?
鬼無里村の水芭蕉は見ごろでした。
小谷温泉の山田旅館は湯治場の雰囲気充分、古い木造三階立ての2階五番の部屋は天井が
2メートルほど、だがなんと12畳半の広さでゆったりとした気分。風呂は内風呂がオスス
メ見晴らしはないがグー、湯上り気分はホカホカ・すべすべ。食事はきれいな新館大広間
で旧舘宿泊全員で、でもカラオケ演芸会はない、食い物は満足。素泊まり4000円炊事場あ
り、みんなで雨飾山再訪もいいのではないかしら。

 鬼無里の水芭蕉

 小谷温泉
14日は親知らず、たしかに天下の険ではあったでしょう。 ウエストンが話を聞いてここまで足を伸ばして、その感想を「日本アルプス-登山と探検」 に書いているとか。過日、橋元さんが芭蕉が金沢の十日の滞在のあと小松でのことを書い ていたが、それよりさかのぼる市振でのことを思い今回足を伸ばしてみた。 市振は関所のあった場所、山と海との間に長細く開けた集落で路も狭く蛇行している。 ********************************************************************** 奥の細道・市振「今日は親しらず・子知らず・犬もどり・駒返しなどと言う、北国一の難 所を越えてつかれ侍れば・・・(新潟の二人の遊女が一生のことと伊勢参宮に向かう途中、 芭蕉、曽良と同宿した、つらい境遇と前世の業をなげく女らの話を聞きながら芭蕉は寝込 んでしまう。翌朝旅の心細さから遊女たちは僧形の芭蕉に同行を頼むが)・・・不便の事 には侍れども、我われは所々にてとどまる方おほし。只人の行くにまかせて行くべし。神 明の加護かならず恙なかるべしと言捨て出つつ、哀さしばらくやまざりけらし。」   一屋に遊女もねたり萩と月 **********************************************************************

親知らず(岸壁のすそが昔の道)

市振にある芭蕉の句碑(ひとつやに・・)
海上に作られた親知らずICから高速道で上越市に、新潟県を横断して同夜は小出の奥の湯 之谷温泉泊。 15日はなつかしい越後湯沢に向かう、途中「西国寺」という内部が彫刻だらけのお堂のあ る寺院を訪ねる。湯沢ではそばの「しんばし」にゆくが定休日、駅近くの中野屋でへぎそ ばを喰って夕刻帰宅。   おわり

2億数千万円の鉄骨の屋根

なかなか迫力あり
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