伝説の双六谷

        橋元 武雄 1974年8月3日(土)〜8月9日(金)

                         Photo by Takeshi Omori



  さて、この先どうなることか

双六谷遡行(黒部五郎―薬師岳―五色ヶ原―一乗越―黒部ダム)
メンバー 大森、橋元

 あの頃はまだそれほど山慣れていない。OJが30才、大森氏は辛うじ
て20代であった。二人ではじめての大きな山行だった。
冠松次郎や遠山品右衛門などの伝説的な名前が、山岳誌の記事にしょっ
ちゅう登場していた。“双六谷”という響きは、それだけに夢をかき立
てるものがあった。
双六谷は、金木戸川の支流で、双六小屋の前の草原が源流になる。だが
沢としては面白くないという。一般には、双六谷遡行というと、別の支
流、三俣蓮華へ突き上げる九朗右衛門谷を意味する。それに、何たって
“冠松次郎の双六谷”である。金木戸谷なんて、変な名前じゃカッコが
着かない(最近の地図では下流は双六川になっている)。

 われわれは、夜行の寝台車で上野を出発した。といっても、切符があ
るわけではなく、勝手に寝台車に潜り込んで座席の間で寝ていた。当然、
車掌が来て注意をされたが、車輌はがら空きで席が空いているのは明白。
大分、待たされたが、結局は、切符を買って寝台席が決まった。それか
ら安心して宴会が始まって、たしか翌日は二日酔いで頭痛がひどかった
記憶がある。どうやって、双六谷の入口へアプローチしたか、いまは定
かでない。なにしろ、余分な食料と酒を山のようにザックに押し込み、
よたよたの状態で沢に入った。最初の薮のへつりではザックに引かれて
落ちそうになった。食料は、相当量が残ったはずである。たしか、1キ
ロほどのベーコンのブロックはついに最後まで手を付けなかったのでは
かったか。
 なにはともあれ、われながら悪筆の手帳のメモをもとに、双六紀行を
復元してみた。それにしても、文章が稚拙で汗顔しきり。)

8月4日(日)
広河原林道分岐 8:15〜9:40(朝食と仮眠)
小倉谷出合 11:00〜12:00
一泊目 15:30
(後記:単調な河原歩きだったか、通過点を記するだけで、
                初日はほとんどメモがない。)

 双六谷の入口
 

 初日の幕営地にて おれは火付け泥棒の末裔だ、
 この谷は薪にことかかない

河原は狭く、焚き火でテントが焦げそう


8月5日(月)
出発 7:00
打込谷 10:15〜10:35
日景十根の上の河原 11:30〜13:00(昼食)
二泊目 17:00

  出発後15分ほどで、沢は完全な廊下状になる。右岸を巻くが、この高巻は150mほど 追い上げられ、かなり厳しい。岩屏風の上部を迂回するようにして濃い薮を漕ぐ。途 中、10mほど赤土のむきだしの斜面があり、一本立てる(後記:このときだったか、 おびただしい数のトンボが双六谷の上空を埋め尽くしていた。あれほどの数のトンボ はあれ以来見たことがない)。そこからさらに高巻くと明瞭な踏み跡が現れるが、そ れも小尾根をひとつ越えると曖昧になる。やがて、笹藪の斜面になり、そこをトラバ ース気味に漕ぐ。眼下に小さな河原が見えてきたので、その河原を目指して降り立つ。 約2時間に及ぶ高巻であった。打込谷の出合の少し前から、巨大な岩が多くなってく る。打込谷から本流を左に取る。すぐに大きな滝があり、この辺りから沢は核心部に 入る。日景十根をすぎたあたりはやや広い河原があり昼食とする。


 沢登りにこの大荷物なんたって後半の縱走用に
 山靴も入っていた


 この日、昼過ぎ初めて正面に双六の姿を見る
 

おもに右岸をたどって遡行するが、やが て岩の表を流れる小さな沢を越えた直後、 小さな瀞が現れてストップをかけられる。 深くて渡渉はできないので、左岸を高巻 くが、それが終わると、また次の瀞が行 く手をはばんでいる。やむをえず、急な 薮を高巻いた。ほぼ登り切ったかと思わ れた辺りで、岩壁に完全に行く手をさえ ぎられる。その下手に小さな沢が滝をな していたので、そこを下る。ここで渡渉 すると、あとはなんなく進めた。途中で、 30分ほど雨宿りをしたが、やがてセンズ 谷の一本手前の沢が右岸から流れ込む辺 りの対岸で本日の打ち止めとする。


8月6日(火)
出発 7:55
下抜戸沢 9:30
金ちぢみの悪場 12:00
三俣蓮華の隣に黒部五郎をはじめて遠望 12:30
双六谷分岐(これより蓮華谷) 12:50〜1:10
九朗右衛門谷出合(蓮華谷分岐) 2:10〜2:30
三泊目(九朗右衛門谷河床) 5:15

(後記:大半は、広い河原を、ときどき渡渉を繰り返しながら、ときに
は巨岩に這い登りながらの行程だったと思う。難関は、この日最後の、
本流から九朗右衛門谷への入口だった。メモもそこしか書いてない。九
朗右衛門谷の出合は、滝になっていてすんなりは入れず、蓮華谷へ入り
込んで草付きを高巻いて入ったのだが、そのときのルートファインディ
ングで大分冷や汗をかいた。)


 九朗右衛門谷は入口が滝で、
 この右を大巻する


 
 

九朗右衛門谷の出合をやり過ごして、しばらく蓮華谷を登ったところで、右岸からほ んの凹みほどの枯沢が入っていたが、これは小さすぎるしやや急だったので、さらに 先に進む。やがて雪渓の名残があって、ややゆくと谷は急に狭くなって数段の滝を懸 けている。最奥の滝が難しそうだったのでためらったが、やってみることにした。こ れが大失敗で、滝壺の右手を高巻くつもりで、ザックを下ろしてザイルを担いで岩を 登ったのはいいが、上部は逆層で確保しようにもスタンスがない。これ以上は、三道 具がないとやれそうにない。どうやら、先ほどの枯沢が本命だったらしいと気付いた。 下降も難しかったので、やむをえず下流にトラバースして、下の大森と連絡してザッ クを一旦吊り上げ、また下手へ下ろした。そして、自分も下りて辛うじて窮地を脱し た(4:00)(後記:何をしてるんだか、今となってはよくわからない?)。

とって返して一休みしてから枯沢に取り付いたが、これが結構面倒で、ルートを誤っ たかと思った。一歩滑ると、眼下の蓮華谷までまっさかさまである。ようやく急斜面 を抜けると、今度は笹の薮こぎが待っていた。左上へ向かってトラバースすると、ま た枯沢が一本あって、そこから獣道が延びていた。シカの糞があちこちに山をなして いた。獣道にそって下り気味に進むと、またまた枯沢が現れる。この枯沢に沿って松 の根だらけの尾根をよじる。5:00になったので、なにはともあれ一休みすることにし た。ここで地図を出してみたが、間違っているようには思えない。ふと見ると、この 枯沢の先に大きなガレがある。空身でそのガレまで下り、そこからさらにトラバース してやっと沢筋を見いだすことができた。やれやれである(後記:どうも描写があい まいで申し訳ない。本人にもようわからん)。

ようよう九朗右衛門谷の河床にたどり着き。やれやれである。


 九朗右衛門の幕営地。疲れて顔がむくんでいる。
 ええっ、そんなことないって。いや、今と比べてはいけない。


8月7日(水)
出発 6:00
黒部乗越(黒部五郎小屋泊) 12:00

(後記:ここからさきは、時刻だけしかメモしてない。
            思い出せる範囲で記してみよう。)


 幕営地を出発

 

  九朗右衛門谷は、滑滝の連続でさして難しかった記憶はない。ただ、終着が黒部五 郎の小屋の天場へ出るので、沢の最後がキジ場と化していたのが残念だった。

当然幕営の予定だったが、小屋を目の当たりにしてみるとその気が失せ、小屋泊まり。 それも食事付きにして、おかずが小屋の周囲で採取したと思われる葉っぱの天ぷらだ ったように憶えている。今では考えられないが、この季節で宿泊客はほんの数人程度 だったと思う。われわれしかいない二階で、二人して双六谷遡行の記録を声に出して、 誇らしげに確認しあった。

8月8日(木)
出発 5:00
11:00 太郎兵衛平
3:00 薬師小屋泊

  実は、同じ小屋に単独行の女性がいたらしい。そのときは気付かなかった。そのあ との、裏銀座の長いコースを、その女性と抜きつ抜かれつする間に、いつか話をする ようになった。彼女は、東芝府中工場に勤めているとのことで、どこかの山岳会に属 しているようだった。ずいぶん自慢げに記録を付けてたね、と彼女に皮肉られたもの だ。階下でもよく聞こえたのだろう。



 黒部五郎のカールにて


 黒部五郎のカールから見る槍方面

 同じく薬師方向

太郎兵衛平では大休止のはずだが、それにしても薬師小屋3時とはずいぶんノンビリ だった。

8月9日(金)
出発 5:00
五色ヶ原幕営 15:30

早朝に出発し、歩いているうちにご来光があった。縦走路を歩いていて、ご来光など、 このときがはじめてかもしれない。まあ、そのあともめったにないが。


 薬師岳山頂にて


 五色ヶ原より来し方を望む。左に長く裾野を引く
 黒部五郎。双六谷はその向側の山裾を流れる

 五色ヶ原の天場にて、なんだかみんな楽しそう
 

幕営した五色ヶ原は、荒れ果た裸地と化していた。ここで、例の彼女と、周辺にいた 単独行の二人が集まってきて、わいわいと話していたのが、この写真である。


8月10日(土)
出発 6:00
黒部ダム 12:40

あとは、記録も記憶もない。では、この辺で。

*皆さんのコメント  (この数年後に現梓のメンバーを含め「兎」の山行で九朗右衛門谷を遡行した  ことがあった。) 田中さん:双六谷へ行ったのは1979年8月11日〜15日です。      私達はは8月11日(土)夜10時30分に新宿に集合し、翌朝、皆さんと      合流しました。メンバーは冨山、後藤、斉藤、武田、樋口(先発)      鈴木、水谷、井上、田中(後発)以上9名だったと思います。 後藤さん:双六谷へ行ったのはいつだったかしら。      冨山さんほか1・2人と私は早朝に新宿をたって、松本から長躯タク      シーで安房峠をこえて神岡方面へ向かい双六川をさかのぼってもらっ      た。タクシーを捨てて、たしか打込谷出合までいって幕営したのでは      ないか。      途中でへびに出会いみな逃げたが私だけがとりのこされ、へびも驚い      たのだろうこれに追いかけられて大騒動をした。      その深夜に後続隊がついて翌朝の出発そうそう冨山さんが流されそう      になる事件があった。      大高巻きをした記憶があるが、橋元さんの記録と一致する。      第2泊目善さんと井上さんがいわな釣りに挑戦するが釣果はなっかた。      蓮華谷に入ったのはその次の日か?      早朝、谷の水はつめたい。ひざから腿へ、金冷やしはぞっとするが、      腹までつかれば腹が据わる。高巻きならず水流に入り、足がたたない      ので泳ぐ、はじめてザックが浮きになる事を経験する。(紫色のザッ      クの初おろしだったと思うが、皆にいやらしいと言われる、最近のカ      ラーフルさは想像もつかなかった)      ルートファインディングをする善さんのあとをついてゆくと、はるか      前方で「ダメ」の合図が出るので引き返してほかのルートを探りなが      ら遡行する。やがてほっとできる地点で前方を見れば、すでに善さん      は「ダメ」なルートをそのまま進んで一休み。すなはち「私以外はダ      メ」ということ。      九朗右衛門谷に入口を右から高巻くのが曖昧で、斉藤リーダーが苦労      していた。谷は軽快に遡行できた、途中であと少しといったら誰かが      どうして?低潅木になり森林限界も近いからと言ったら、このころは      こんな事で感心された。黒部乗越には早めの時刻に到着した。      元気の良い若い人たちは黒部五郎岳に登ったものだった。      翌朝田中さんほか1人がゴミを担いで一足早く下山を急いだ。      残る者ははるかに連なる山脈の最南端にぴょんとそびえて見える笠ヶ      岳を目指した。      三股蓮華から双六へ、右から緩やかにあがってくる谷を「双六谷」と      言ったら善さんが「ちがう」、これでビール1本せしめたっけ。      それからさらに笠ヶ岳まで長かった。弓折岳や抜戸岳を過ぎると冨山      さんが「弓が折れたの、戸が抜けたのと、名前がけしからん」と大憤      慨でした。もうメンバーの行動食も底をつき、冨山さんの粉末オレン      ジジュースが助かったっけ。      笠の小屋は新穂高温泉から登ってきた登山者で満員、せまい2段棚の      小屋で「サロメチール」を1本全部塗ったかと思うようなやつが居て      辟易。もちろんプーチンは怒鳴ってしまった。 冨山さん:メモか写真をと半日探したが見つからず、記憶の断片を。      ・幕営地へ向かう山路に大きいヤマカガシがとぐろを巻いていた。わ      われは避けたが、そいつが後藤さんに後から迫った。重いザックを背      負った後藤さんが狭い路をぐるぐる逃げる。蛇もその後をぐるぐる追      う。後藤さんがルートを変えてやっと蛇から逃れた。      ・双六谷はのっけから腰まで浸かって横断、対岸にとりついた。      ・あの大高巻きには消耗した。本谷でこのような大高巻きが2回ほど      あったのでは?      ・ルート偵察の善さん、井上さんが両岸に分かれて進む。そして先の      方で両手で丸をつくる。どちらを行けばいいのか。この敏捷にルート      を分かれて先行する様が猟犬のポインターのよう。尻尾を振る代わり      にご両人は手を振っている。 幕営地で善さん、斉藤さん、井上さんが      岩魚釣にでかけた。われわれは焚き火をして釣果を待つ。1匹だけ釣れ      たのを全員で一口ずつ食べたのが美味。      ・私は2回落ちた。1回目、岩にしがみつく手が水の冷たさに痺れる。      もう限界と思ったとき、誰かが水に入って助けてくれた。2回目、流さ      れたようで視界に水面が上下する。ザックが浮いて邪魔。斉藤さんが助      てけくれた。      ・九郎右衛門谷への高巻きでくたびれた。斉藤さんが荷物を、といっ      てくれるが一番重いのは私自身の身体なのだ。      ・沢の詰め、徐々に沢が狭まり、両側に花が咲く光景には感動した。      ・翌日の笠への道はつらかった。つい愚痴が出て、岩の名前まで腹が      つ立。      ・笠の小屋での後藤さんのサロメチール男への怒りは面目躍如。      ・笠からの北アの夕景。槍と小槍がくっきりと。後藤さんに賭けに負け      た善さんのビールはここで払われたのか。      ・翌日の笠からの下りはあっけないほど早かった。苦労した山がどんど      ん高度を下げていく。ヤマよサヨナラ、ゴキゲンよろしゅう。 鈴木さん:僕たちは、水谷さんと井上さんと3人(?)で朝みんなに合流してその      まま橋の下からいきなり水の中に入り(確か臍まではいかなかった)強      に烈冷たかったことを覚えています。証拠は何処にもないし誰も見てい      なかったが、僕はあのとき2尾釣り上げたんです。糸が切れて逃げて行      ったんです。覚えているんだから……信用しないでしょう……      あのときは、斉藤さんか井上さんが1尾大きなのを釣り上げてそれをみ      んなで食べたっけ。      翌日の朝食は田中さんのハンバーグとスパゲティーだった。      あれ以降、甲子温泉で田中さんにだまされてまた一本とられてそれ以後      ビールの賭けはやめました。

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