奥秩父:笠取山

後藤 文明  2000年11月7日


2000(h12).11.3-4
奥秩父:笠取山・和名倉山
参加:鈴木、高橋、大森、中村、田中、亀村、後藤

 by zenzo suzuki
秋たけなわの11月3日と4日にどこかへ山行をという声に、それならばと計画の
名乗り上げたのが鈴木善さんである。
東京多摩川の源流にちかい山梨県の一ノ瀬のキャンプ場を足がかりに奥秩父山
系の笠取山・和名倉山・将監峠などに登ったらと「横着プラン」を掲示板に載
せた。
ご本人はお流れではないかという気持ちが半分、であったが意外に一時は参加
9名の名乗りがあった。
橋元さんが入院療養中の母上の具合が芳しくなく参加できなくなり、金谷さん
も残念ながら不参となったが7名の大所帯。
11月3日、降雨確率20ないし30%の天気予報にもめげず4日(土)は好天との見通
しで午前11時立川駅南口に集合、集合場所について「立川か青梅か」と掲示板
上でサンザン議論されたが、なんだか問題の焦点が明らかでないまま「立川南
口のスーパーかデパートかの大きな駐車場」にと決定した。
リーダーである鈴木さんが立川南口にデリカ(公用車)をまわし、南口は再開発
の波に昔の面影なく、気を揉みながら路上駐車となったが、みな早めに現れ、
最後に遅参した後藤が11時10分に来て顔ぶれが揃った。
目の前のスーパーで食材を購入、駅前の「天や」で昼食後目的地へスタート。
途中たいして渋滞にもあわず、立川の新興宗教「真如苑」の盛況に「あずさ教」
をチャウ教祖と田中副教祖でやったら金が集まるのではないかとか、またまた
大常木谷の入口さがしの話題などを退屈しのぎにしているうち「一ノ瀬高原キ
ャンプ場」なるところに到着した。キャンプ場使用料1名1000円、車一台の駐
車500円でしめて7500円になる。
ならばバンガローを、ということで9400円の余り美しくない1棟を借りることに
した。
早速おつまみやらトン汁やらを作り始めたが、善さんは焚き火に執着して橋元
宅から積んでもらった薪で火遊びを始めた。(途中で求めた薪は結局持ち帰り
となって餅つき用となる・金1000円)
たそがれ始めた5時過ぎからバンガロー内で宴会を開始。
酔わないうちにと、梓20周年記念のTシャツの打合せを行い、杢グレーとモス
グリーンの2着ずつ、梓関係の方々に1着贈呈として、デザインは中村さんに任
せることに決定。
話題はアッチコッチと飛んでいたが、かってはよく歌も出たっけという話から
善さん得意の「シーハイルの歌」になった。ところが尚介さんが「あれツ、芸
者ワルツみたい」と言い出した。早速大森さんが歌いだす。
読者のみなさんもやってみて・・・・
(芸者ワルツの節で)♪♪岩木のおろしが 吹くなら吹けよ
               山から山へと われらは走る
             昨日はぼんじゅね 今日またあじゃら
               煙たてつつ  おおシーハイル♪♪
ハイではつぎに
(シーハイルの歌の節で)♪♪あなたのリードで 島田もゆれる
                チークダンスの 悩ましさ
              みだれる裾も はずかし嬉し
               芸者ワルツは  おもいでワルツ♪♪
さすがの大森さんもこちらはちょっと難しい。

大森さんが、明日は好天も期待されるし将監峠から和名倉山までゆくからと同
行者を募ったが中村さん、田中さんが行きたいような行きたくないような調子
でおわった。
夜半すぎ星降る夜空から寒気が降りてきて、寒さに慣れていない体には堪えた。
翌朝5時30分大森さんが起き出して、正6時には1人で和名倉山に向かって出発。
のこる6名はゆっくり朝食をすませ、黒槐尾根から笠取山を目指した。
雲ひとつない快晴のなか午前8時発、小川をわたる近道をたどるが田中さんが
来ない。「この道は違う、小川の右手を登るのが正しい」という。全員が素直
に従う。
だって、入口で用心深く地図を読む田中さんは何故か信頼できそうだから。
昨夜は氷点下だったのだろう、霜がまだ白く草木の葉に乗って朝の日差しがき
らきら光っていた。
車道を少し行くと右手に立派な案内板があり、そこから山道が始まっていた。
登り始めると何台ものバスが登ってくるが、「多摩川源流の旅」なるものであ
る。このさき笠取山の下にに水神社が祭ってあり、ここを「水干」という。
山道をたどるとさわらの林に入るが、足元には絨毯のように黄色いカラマツの
落ち葉が敷き詰まっている。見上げれば斜面の上には背の高い唐松林が青い空
をバックに続いていた。やがて高度も増して奥多摩湖方面も見渡せるようにな
るとイッポン立てるには格好の休憩場があった。
遠い山間には真っ白な雲海がびっしりとへばりつき、対照的に黒味がかった山
々が印象的である。南方にはピラミッド型の黒川鶏冠山が望め、その右方には
黒く冨士が聳えていた。
緩やかな山道をゆっくり登ってゆく、だんだん落葉樹の森になり、カサコソと
落ち葉を踏みつつ進む。
ヒットチンドが満ち満ちた山の匂いがする。これぞ体にいい森林浴である。
午前10時ころ秩父縦走路にぶつかり、2度めの休憩をとる。
ここから西へしばらくすると「水干」であった、昔東京府が水道水源を守る水
神社をたてたところで、ここで水が干上がる「多摩川源流」である。
ぽたぽたと落ちる水滴をコップにとって飲んでみると、なにかありがたく旨い。

 多摩川最源流(水干)と上方に水神社
水神社の上は急な崖でこれを巻くように笠取山に向かうがなかなかきつい。こ
の行程中ではじめての急登である。
到着は出発から3時間10分、午前11時10分であった。
山頂は狭く、痩せた尾根がいくつかの小さな峯を連ねて伸びていた。今日は山
は快晴、どこまでもどこまでも見渡せる。甲斐駒、千丈、北岳からミナミも手
が届きそう。
どんどん空身ひとがやってくるが、これが並大抵の人数ではない。「多摩川源
流の旅」参加のお客さんであった。
こんなところではゆっくり宴も張れないと、また縦走路にもどり沢の出合いの
道端でやっと昼食とした。
奥多摩駅周辺の酒屋で仕入れたワインは酷いもの、赤は「軽味」とあるがまっ
たくこれが軽すぎ、白は「イッタイこれなんじゃい」というシロモノ。もうあ
の酒屋は使わない。
最初奥秩父縦走路を東に将監峠経由で帰るつもりであったが時間切れとなり、
結局同じ道を一ノ瀬に戻った。
一ノ瀬着午後3時、ところが大森さんが3時25分帰ってきた。
いあやーびっくり。聞けばゆっくりした休憩もなしで歩き続けたそうな。詳し
くは自身の山行記をご覧下さい。



 小常木谷の出合い
帰途、小常木谷出合いを懐かしく見物、丹波で料金600円也の風呂にはいり、
一路青梅にむかった。
ところが奥多摩湖畔の熱海あたりから渋滞が始まりノロノロ・ピタリ・のろの
ろ・ぴたりはとうとう奥多摩氷川まで続いた。。
原因は奥多摩駅付近の氷川橋際の左から日原街道が合する信号であった。
まったく車の合流のない赤信号で空しく停まる、前の車は疾走して見えなくな
るが後には7キロの車の列が続いている。
なんと馬鹿馬鹿しい。
ついでに、青梅の中華屋でありついた夕飯はひどいもの、なにか一回食事の楽
しみを失った感じ。
でもなにかと面白かった山行ではあった。


目次へ ↑

inserted by FC2 system