奥秩父・和名倉山

大森 武志  2000年11月7日



2000年11月4日
秩父・三峰方面からながめる和名倉山(2036m)は堂々たる独立峰の観を呈し、
ある種の風格さえ感じられる。先年、秩父御嶽山山頂から和名倉の山容に接し
て以来、この山は懸案の一つとなった。

4日午前6時、一ノ瀬高原キャンプ場を出発。善さんが車で、三ノ瀬の登山道入
り口まで送ってくれた。きょうは梓の仲間(後藤・鈴木・高橋・中村・田中・
亀村)と別れ、久々の単独行である。
道は落ち葉の降り積もった林道で、歩きやすい。10分足らずで車止めのゲート
を通過。やがて牛王院下で七ツ石尾根への道を分けるが、将監峠を見たかった
ので、そのまま林道を行くことにする。さらに歩くこと1時間あまり。クヌギや
ナラの落ち葉がカラマツの絨毯に変わり、将監峠到着。快晴無風。空はどこま
でも青く、まったくの静寂。鳥の声さえ聞こえない。
 山ノ神土で縦走路と別れた途端、藪こぎが始まった。腰、ときには胸まであ
るクマザサの中を、やみくもに進む。山腹をたどる踏み跡はまだ年月を経てい
ないらしく、足元が危うい。しかし30分ほどで尾根筋に出ると明瞭な山道にな
り、急に視界が開けてきた。振り返ると、奥秩父主稜線の向こうに富士が雄大
な姿を見せている。
 将監峠から1時間半。ようやく東仙波のピーク(2003m)に達した。見下ろせ
ば、北西方向に豆焼沢や水晶谷。東に目を転じれば、雲取から三峰に連なる山
々。あたりは一面、紅葉の錦である。ここからは稜線どおしに北上するが、う
っかりすると道を見失ってしまう。指導標や案内板はほとんどなく、ところど
ころに残る赤布やテープだけが頼りだ。
 川又への分岐を過ぎ、千代蔵休ン場と呼ばれる地点で向きを西に変えると、
15分あまりで山頂に着いた。山頂は樹林に囲まれた6畳敷ほどの薄暗い「空き
地」で、展望はまったくない。将監峠から和名倉山まで、標高差はわずか200m。
その間、4つのピークを越え、約3時間をかけて登ってきたことになる。
 少し戻った草原状の斜面で休憩。この周辺には、大きな木が見当たらない
(昭和30年代の伐採と山火事で荒廃したままらしい)。材木の搬出に使ったで
あろう錆びついたワイヤーなども放置され、著しく興趣がそがれる。日本200名
山の一つとされるが、これが、あの和名倉山なのか。もっとも、奥秩父の支尾
根の末端に位置するこの山は、三峰側が顔で、登ってきたのは背中、あるいは
裏側といえるのかもしれない。スフィンクスを尻尾のほうから登り、顔は見な
かったというわけだ(三峰側からの登山道は廃道になり、通行禁止)。
 ともあれ、帰りを急ごう。笠取山に登った梓の仲間と、将監峠あたりで会え
るかもしれない。

三ノ瀬登山口6:10→将監峠7:45→東仙波9:30→和名倉山11:10→東仙波
12:40→将監峠14:15一ノ瀬キャンプ場15:30
(このコースタイムは、かなりハイピッチで歩き、休みは90分に1本というペー
ス。往復9時間は相当きつい)
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