北アルプス西銀座

−−北の俣岳・黒部五郎岳・双六岳縦走 後藤

Mon, 16 Aug 1999


北アルプス・西銀座ダイヤモンドコース
平成11年8月7日(土曜日)〜10日(火曜日)
羽田〜戸山空港〜折立〜太郎平(泊)〜北の俣岳〜黒部五郎岳〜五郎平(泊)
〜三俣蓮華岳〜双六岳〜鏡平(泊)〜新穂高温泉
メンバー:リーダー田中誠、高橋尚介、金谷一郎、後藤文明
(10日西穂高登山の冨山八十八と合流、新穂高温泉泊)
第1日:(8月7日)
* 登山ナイフ全日空機離陸を遅らす事。
(羽田にて)
早朝6時30分羽田空港、 慣れぬ場所での集合のため4人が揃うのに手間取る。搭乗手続
きが済んだのは離陸予定時刻の6時55分にあと5分というギリギリの事態となった。
手荷物預かりは締め切られていて搭乗機入口で預けてくれという、大慌てで危険物チェ
ックのゲートに向かうとここも混雑していていくつもの列に分かれて順番を待つが気は
せくが作業はのんびりやっているように見えて落ち着かない。
わたしの前の若いママさんは提示を求められた搭乗券を子供に渡して見せようとしてい
る、係りのオネエチャンはニコニコと世辞を云いながらやっているので捗らない。「*
*便ご搭乗のお客様アー」とむこうの方で背の高い若い男性が声をあげる、我々は「ト
ヤマだよー」と叫ぶが、「ワカヤマでございます」だって。
どうやら尚介さんを残して無事通過したのだが、当のご本人はまんまる顔のオネエチャ
ンにつかまって何やらもめているのだ。
「モーやんなっちゃうな」「申し訳ございません」「ザックの一番下なんだよ」「お預
かりして富山でお返しいたします」「飛行機でちゃうな」「ただ今お預り書をお作りし
ます」……。ザックの中身を全部おっぽりだし、またパッキングのし直し、尚介さんは
オピネルを取り上げられてしまったのだ。
4人は23番乗場へ駆けつけた、今度はプーチン(こと後藤文明)の登山用ステッキを
荷物の中に入れろという、本人のは小振りのザックで入らない、田中さんの大きなザッ
クに突っ込み、そろって飛行機に駆け込む…むつけきひげ面と白髪狼と現代版ザビエル
と水戸老公の出来損ないが最後部客席に落ち着いて、ヤットコ富山第1便が離陸したの
は定刻を遅れること20分、午前7時15分であった。
事の発端はオネエチャンがやさしげな声で「ザックにナイフはございますか」と尋ねら
れた尚介さん、「ハイ」と答えた為だとのこと。誰でも持っているのに…。
(1999年7月23日全日空機ハイジャック事件があり、機長が殺害されるという痛
ましい事件があった)

*金谷酒店開店の事。
( 富山空港〜折立〜太郎平へ)
搭乗便は定刻の7時55分に富山空港に到着、予約してあったタクシーが迎えに出てい
てすぐに折立に向かう。
車の前方には立山連峰が晴れた朝空をバックに見渡せるが、ひときわ劔岳が大きくてこ
れぞ連峰の盟主という印象である。車は山間部に入って富山地方鉄道有峰口まで行かず
に手前で林道小口川線に入って行く。通常ルートの有峰口からの林道和田川ルートはず
っと距離が短いが土砂災害のため今年まで通行不可となっている。
細く長いがよく舗装された林道を、時々前方のカーブから相当なスピードで回り込んで
くる大きなトロリーにヒヤットさせられながら、運転手君も「もう飽きた」というころ、
2時間もかけて水面も美しい有峰湖に着いた。また少し登り返してマイカー駐車の長い
列に驚きながら折立登山口に到着。
(ちなみに、タクシー代19,920円と林道通行料1,800円)
折立休憩所の前には真っ黒に日焼けした下山者と、やや緊張した面持ちの登山者がにぎ
やかにたむろしている。
午前10時われわれも身繕いをして登り始めるが、すぐ左手に愛知大生を供養する塔が
ある。昭和38年冬の薬師岳で起こった大量遭難の供養に建てられたものだ。しばらく
樹林のなか展望の無い蒸し暑い道をたどり、標高1871メートルの三角点につくと、
左手に遠く劔と大日岳が望める。ここで途中コンビニでもとめた昼食をとり少憩する。
三角点からは草原と樹林が交互に続いて、やがて眼下に有峰湖が見渡せてキンコウカや
イワイチョウの咲く草原に出ると吹く風も爽やかに心地よい。
2196メートルのベンチに着く。さて一休みとなったら、金谷さんがおもむろにザッ
クの中身をならべて披露に及んだ、出てくるは出てくるは、ワイン3本、ワイン小瓶1
本、瓶ビール2本、ビールロング缶1本、ジョニ赤1本、サイダー1本、枝豆2パック、
するめにブルーチーズと金谷酒店開店のお時間と相成った。早速おためしにワイン小瓶
1本を戴く。
われわれはこの行程中お店の大恩恵に浴すこととなるが、ここで店主はビール一本20
00円と値段を付けたがついにきつい請求にはあわなかった。
太郎平まであと2キロの標識を横目に、かなた前方の小屋を見ながら進む。入山一日目
の慣れぬ体を励ましつつ午後3時太郎平小屋に到着。

 薬 師 岳

* ガスボンベ事件の事
(太郎平小屋到着)
小屋のレイアウトは大変良く出来ていて、登山者が到着するとすぐ右手にビール・ジュ
ースの売店の窓があってアンチャン3名がガラスまどの冷蔵庫の前で愛敬を振りまいて
いる。それぞれ缶ビール(500円、偉いのはアサヒドライとキリンラガーを用意して
あること)や生ビール(800円、これはアサヒドライ)を求めて渇を癒すなかでプー
チンだけはそれどころではない。
居並ぶ3名のうちひときわ身体も大きく顔も大きく、黒いシャツの左腕に難しい字をエ
ンジ色で「医」と刺したオッチャンにプーチンは「大きな困惑とすこしの媚び」を含ん
だ面持ちで切り出した。
「いやーいささか恥ずかしい話で、ガスこんろのボンベをほしいのだが分けてもらえな
いだろうか、なにせ今朝飛行機できたもんだから持ち込めず、登山口の売店にもなくこ
ちらを頼りに来たのだが……。もしなんだったら調理場を貸してもらい全部火を通して
おきたいので、何とかならないだろうか、あすは黒部五郎へ行くので……」(火を通さ
ないと困るのは、霜降り牛のにんにく味噌漬けと枝豆などとは明かせないが、全部食さ
ず下山などという悲劇だけは避けたいのだ)
日本医科大学「医」の先生は少し考え、はるか彼方を指差して「あそこの案内板の前に
居るからだの大きな人がマスターだから相談してみて下さい」という、プーチンはまた
その御仁に事態を訴えた。人品卑しからぬ小屋主五十嶋博文氏であった。
「たしかストックが3個あったね、1つお分けしてあげて」と「医」の大先生に指示、
ありがたや寒冷地用EPIがなんと500円でした。
やっと落ち着いたプーチンはでキリンラガーをもとめて渇を癒しつつも「医」の博士に
丁重に謝意を表したが、それに対し「在庫は売り物でないし、勝手にお分け出来ないの
でマスターにと云ったのです、余計な手数をかけて申し訳ない」にはもう涙も出そうに
感激でした。

 喫煙タイム

第2日:(8月8日)
*田中さん命名、高橋木道さんの事。
(太郎平〜北の俣岳〜部五郎岳〜五郎平へ)
昨夕、暮れなずむ北アルプス奥座敷の景色を眺めつつ、小屋の夕飯までに酌み交わす酒
のなんと美味なことであったろうか。
明けて第2日目、午前6時30分気持ちの良い快晴のそよ風をうけつつ出発する。小屋
の裏手にすぐ雲ノ平方面への道をわけ稜線通の道をたどる。小屋の裏手の高台は太郎山
でゆっくりと登って行き、雨水に抉り取られて深い溝になった歩きにくい道を急登する
と緩やかな稜線の一角に出る。

さあ、今日の行程は長いぞ


 北の俣岳のお花畑


ここからは北の俣岳の山頂を見ながら、ハクサンイチゲ、チングルマ、ウサギギク、モ
ミジカラマツ、イワカカミの緩やかなお花畑の道となった。道は右に神岡新道の分岐を
みてすぐに北の俣岳(2661m)の山頂であった。
有峰湖の青い水面が輝き、とおく加賀白山がかすんで見え、左下には赤木平の平坦な地
形の向こうに黒部源流が大きく曲りながら雲ノ平の高い台地を抱えている。明日たどる
三俣蓮華岳の向こうに黒いシルエットで天を指差す槍ヶ岳がくっきりと望めた。
ここからも緩やかで快適な道が続く、前方には弓折岳から抜戸岳へ続く稜線の向こうに
笠ケ岳が屹立していて20数年前の山行が思い出される。そのとき、私が同行していた
鈴木善三さんに双六岳南の弓折岳にむかって切り込んでいる谷が「双六谷だよ」といっ
たら、すこし思い違いをしていた善さんが「違う、ビールを賭けよう」と云う事になり、
まんまと1本せしめたことも思い出した。
途中、赤木岳は山頂のすぐ下を巻いて、小さな上り下りを4つほど繰り返すと中俣乗越
である。少憩ののち少し登り、また少し下ると眼前に黒部五郎までの300mほどの登
りが待っている、石ころの道をジグザグにきりつつ一歩一歩登って行く、なかなかの急
登である。やがて道は左にちょっとトラバースすると五郎の肩に躍り出た。眼下は雄大
な黒部五郎カールである。
霧が巻いていて田中さんだけが「百名山の頂上は霧中でも行ってみたい」と空身で出か
ける。すでに午後0時30分、腹ぺこの三名はビール、ワインなどを冷やすべくカール
の底へ急いだ。

 黒部五郎岳

無数の羊群岩を抱えた緑豊かなお花畑……。まだ少しは残っている雪渓から流れ出る清
冽な水はあまり多くはないもののとても冷たい。見上げる豪快な五郎の岩壁の下に巨岩
に囲まれた休憩場を見つけビール、ワインを冷やす。まずロング缶を流れる冷水に浸け
てぐるぐる廻すと、熱交換が効率よく行われ1分でキューンと冷える。これで乾杯。
例のEPIガスボンベのお陰で火を使う事が出来て、霜降牛のにんにく味噌漬けとゴー
ヤーの油いためをして天狗印の枝豆を茹で、これをつまみに
瓶ビールを飲る。次いでチリワインの赤を抜く。デザートは冷えた黄桃の缶詰、至福の
ひとときである。
ここから山腹を巻くように五郎平の小屋まで約1時間、ぬかるみや石のごろごろしたし
たいやらしい道が続く。出発時に元気になった尚介さんがなにを思ったか「しばらくで
木道があるよ」と言い出した、ゆっくりの休憩でいささか身体が鈍っていてアルコール
の所為もあってけだるい他の3人は喜ぶ。が、行けども行けども歩きにくい道が続く。
そのうち田中さんが、金谷さんに「もう目と鼻の先、あと20分」と言った。やっと黒
部五郎小屋に着いたが26分かかったので金谷さんはお冠り。一方の「木道」は期待に
反して出現せず、小屋の50mほど手前の小さな流れ(枯れていた)に渡した5mほど
の木橋が在っただけ。
善意の思い違い、思いやりから出た過失、希望的観測の齟齬などと言っても簡単に言え
ば「うそつき」、大きな「うそ」のまえに田中さんの小さな「うそ」は吹き飛んでしま
った。
田中さん命名「高橋木道さん」誕生の瞬間であった。今後わが会では「怪しげな話」に
は「それは木道じゃない?」となるとか、微妙な意味を含んだ用例については追って田
中さんが列挙することになっている。
黒部五郎小屋着午後3時30分。(懐かしい三角屋根の小屋のほか4年前に新築された
大きな建物があり、収容50人)

 五郎平小屋を望む

第3日:(8月9日)
* 金谷さんビバークの事。
(黒部平〜三俣蓮華岳〜双六岳〜鏡平小屋へ)
黒部五郎小屋の朝は早く5時45分に朝食、今日も快晴で黒部五郎岳が手前の黒々とし
た森の向こうにモルゲンロートに映えている。
時間もたっぷりあるので紅茶を入れて英気を養い、他の登山者に遅れて午前5時50分
出発。三俣蓮華岳への道はいきなりの急登で始まる。ものの30分ほども頑張ると傾斜
が緩くなり、樹高が低くなると双六方面が見渡せて遥か笠ケ岳までの縦走道程がシルエ
ットで浮かび上がる。広い尾根を辿ると黒部源流を挟んで同じくらいの標高に雲ノ平山
荘が見えるて水晶岳も立派である。なおも登ると三俣山荘方面への巻道への分岐に出る。
少憩ののち出発すると傾斜が増してひと汗かかされるが、登り切るとあっけなく山頂で
あった。

 あれが雲の平か?

三俣蓮華岳(2841m)の山頂からは360度の大パノラマである。振り返って西の方にはや
ってきた黒部五郎岳の見事なカール、南東には樅沢岳から槍ヶ岳への西鎌稜線、槍の絶
頂から壮絶な北鎌尾根、北東にはひときわ大きな鷲羽岳が望める。北西方面には、黒部
源流の渓谷をはさんで雲ノ平が広がりそのむこうの根張りの大きな山が薬師岳である。
何人ものアマチュアマメラマンが大きな三脚をかまえて構図を決めている、が今日はあ
まりにも良い天気なので絵になるかどうか。今回は双六岳の頂上を踏もうということで
稜線投通しに南にむかうが吹き上げる風がやや強く何度か帽子が飛ばされそうになる。
頂上までの稜線はヨツバシオガマ、ツマトリソウ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、
チングルマなどのみごとなお花畑になっていて退屈しない。双六岳山頂(2860m)着午前
10時10分であった。
山頂からは東にむかって幅広い尾根張り出してそのまん中に一筋の踏み跡がずーっと伸びて、その向こうの空に浮かぶように槍ヶ岳が、北に北鎌尾根と南に中岳から南岳へ
の尾根を従えて屹立していた。
これぞインド的な風景である、とは金谷さんの感想である。

 インド的な風景

まもなく双六小屋到着。早速3人は800円の生ビール、私は500円のキリンラガー
缶を飲る。小屋前のベンチは風が強くガスコンロが使えないので、乏しい水場の水を補
給ののち賽の河原のようで気分の良くなさそうなテント場をやり過ごして、双六谷の源
頭で双六岳と樅沢岳とに挟まれた穏やかな雰囲気の吹く風もやや静かな草原で昼食にす
る事にした。
待望の金谷さん持参のチリワイン白と赤(前日雪渓の水で冷やしたのでまだまだ冷たか
った)、霜降り牛のにんにく味噌漬けを牛たたき風にして粒胡椒でやり、キュウリをマ
ヨネーズでかじる。紅茶を沸かしてデザートは尚介さん持参のオレンジと缶詰パイナッ
プル。通りすがる登山者が横目でみながら「今日は」と声を掛けて行く。
あっというまに2時間余も経ってしまい、午後1時50分弓折岳の鞍部から鏡平への道
へ出発した。

 空には早くも秋の気配

ワインの酔いと標高の下降で汗をかきつつ痩せた尾根を辿って行くが、左手に展開され
る槍ヶ岳から穂高連峰に続く尾根筋のパノラマが見事である。
贅沢山行、この夜は鏡平小屋に泊まるが登山者には通過地点になるので比較的空いてい
て子供づれや登山経験の多くない様子の客が多い。この小屋は今年7月1日に新館での
営業を始めたので木の香も新しく、夜具も新品でまことに快適である、が管理人の設備
の説明と宿泊の心得についてのお話はすこししつこい。最近の登山者にはこのくらい徹
底しないとだめなのだろう。
食事の内容も豪華とは言えないがテンプラとか手を掛けたものも供されて、食堂もゆっ
たりとしていて食後は談話室として開放される。だが、今回の山小屋宿泊費は一泊2食
8500円から8400円と高価であった。が、われわれは行動食や副食が残っている
ので朝食を断って7000円で泊まる事にした。テント場の不便なばあい素泊まりだと
5000円以下になると思われこれも一つの方法かとも思われる。
ところで、金谷黒ひげ仙人は「単に寝るための屋根に対価を必要とするとは無意味な事
である」と縦走中に主張してきたが、この槍穂の連稜を望み静かな池が点在する環境を
見ると「今夜はビバーク」と主張の実践に及ぶ事にした。ご本人のザックの中には常時
シュラフが入っているし、小屋の裏には奇麗なトイレも使用可能で、洗面まで完備して
いるが、もっとも仙人には洗面の習慣はあろうが1回くらい抜かしてもなんでもなかろ
う。尚介さんからシュラフカバーを借り万全の態勢ではあった。小屋から少し離れた登
山道のわきに今宵のねぐらをを定めた金谷さんをみて、通りすがりの登山者は「あら!
こんなところで」とか「幕営して」とか訳の分らないことを言っていたそうだが、一瞬
黄金に輝いた槍穂、満天の星空、やがて羊羹に爪で掻いたような薄い月と退屈はしなか
ったようだ。ただマットが無かった事と旅すがらプーチンが手をつけて「ジョニ赤」が
残量不足であったことが不満だった様である。
一方残りの3名は小屋から日本酒を2合づつ仕入れ最後には尚介さんのブランデーを平
らげて、埒も無い会話に盛り上がり早々に就寝と相成った。

第4日:(8月10日)
* 金谷さんとカンピースの事
(鏡平〜新穂高)
最終日は新穂高温泉までの3時間30分の行程が残っているだけと、更にもう一泊温泉
でゆっくりしようと言う贅沢三昧の予定である。

 黒く屹立する槍

早起きをする必要も無いが小屋の朝は早く4時には人々が動き出してプーチンなどは寝
ていられない。5時45分からビバーグの金谷さんも来て朝食にする。1人あたり2本
の缶ビール、行動食用のパン、ショルダーベーコンとサラミのゴーヤー炒め、キューリ、
鱈子煮と棒鱈煮とあれこれザックのなかの残り物を全部平らげる。

 良く眠れましたか?

7時15分下山にかかるが下るほどに、徐々にムーット暑くなってくる。旅の終りにい
つも感じるすこし哀愁のこもった満足感が身体を包む。
途中気持ちのよい水場で紅茶を沸かして少し長い休息をとる。同時に休んでいた登りの
登山者が缶ピースを出して喫いはじめるが、すでに数日ピースの「シケモク」も切れて
意にそわぬたばこを吸ってきた金谷さん思わず「おっ、カンピース」とつぶやいたが縁
もゆかりも無い人に勧めるはずもなかった。
下山路の「小池新道」は良く整備されていてゴーロや露岩の道も石を並べなおして大変
歩きやすい。前方には緑濃い尾根と尾根の狭間に、乾いた光にきらきらひかる川の水や
コンクリートの堰堤、林道終点の広場に乗り付けられた自動車などが箱庭のようだ。つ
ぎつぎと登ってゆく人々とすれ違いながら、振り替えればすでに縦走してきた山々はも
う見えない。
わさび平小屋で休憩ののちたんたんとした林道を新穂高へ、尚介さんがものすごく早い
ピッチで飛ばす。一度用足しに立ち止まったわたしはついに追いつく事は出来なかった。

 新穂高に到着

                                              以上山行報告終り

* 冨山さんジャンダルムに肉迫の事
留守本部に下山の報告をするが、勤務中の亀村さんは電話中で女性社員の方にその旨の
伝言を依頼。悔しがらせようとしたが果たせなかった。
昼食は新穂高バス停の前の村営食堂に行く、尚介さんと田中さんは冷やし素麺、金谷さ
んはカツどん、わたくしはテンプラうどん、ビールで乾杯とするが尚介さんだけはワン
カップ。この食堂の食べ物と比較して3泊した山小屋の食事の方がどれだけましだった
か、売店にはビールも酒も置いていないし気の利かぬ施設である。
当夜の宿の村営笠山荘にチェックインする。20畳の小広間へ通されて久々ノウノウと
して露天風呂でさっぱり汗を流し午睡をむさぼる。
冨山さんは午後5時を過ぎても現れないのですこし心配になり始めたが5時30分ロー
プウエイ駅の階段を嬉しそうに降りてきた。
聞けば前日ロープウエイを利用して西穂高山荘に宿泊して同日西穂高独標ヘ向かい、更
に西穂高岳を越えジャンダルムに近づいてスケッチをものしたそうな。彩色中にガスが
でて真っ白の世界に閉じ込められ、引き返すもなかなかの難渋であったとか。名作はみ
なさんにホトギャラリーでご披露する事になろう。
この体験談は詳しくご本人の山行報告に述べられることと思われる。

 バスを待つ一行

翌日、午前9時のバスで松本へ(駅ビルのとんかつやで納会とするがお味はいまいち)
午後1時54分発あずさで一路帰宅した。
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