安達太良山・岳温泉

―― 自炊をしながら山岳スキー 斉藤 修

1998年2月28日-3月1日


  梓全員揃い踏みと思われた今回の山行、ドタキャンで3名の欠席者ができ、7名の参
  加となった。柏方面から1台・埼玉方面から1台の車が、安達太良SCで10分の誤差
  なく合流(とは言ってもせっかく準備したトラシーバーは機能せず、視覚による捜索
  となる)。天候に不安はあるものの北上すると、多少明るくなる状況に期待を持ち出
  発する。
 二本松インターを降りると、岳温泉方面への指示に従い進む。何せこのコース信号が
  ない。岳温泉で信号を発見すると、そこがかの有名な「ニコニコ共和国」。本日の宿
  は共同風呂付帯の自炊室である。左折し、登りつめると奥岳温泉(安達太良スキー場)
  になるが、土曜日のやや遅い時間、駐車場は一杯である。スキー場よりやや下った臨
  時駐車場に止めるが、泥だらけ(当然「こんな駐車場で金を取るのか」との雄叫びが
  ある)で戦意を失いつつあるメンバーがいる。宿泊場所には、4時を過ぎないと入れ
  ないので、ほかに行くべきところも見あたらず、あきらめて身支度をする。
 ここからは、簡素な送迎バスも出ており、やや誠意も見られる。スキー場からは当然
  高度を稼ぐべく、ゴンドラの利用となる。私が代表して乗車券を購入するが、楽をす
  る代償としての850円はやはり高く思える。先行している仲間と合流するため乗車口
  に急ぐと、足の裏に違和感がある。良く見ると、私のスキー兼用靴の底が完全にはが
  れ始めている。気づいて3歩目完全にとれてしまった。片足が、完全なプラスチック
  の底になった。この靴は確か15年ほど前に購入したものだが、しばらく使っておら
  ず8年ぶりの雪の上で驚いたのか、実にきれいにはがれてしまった。どうしようかと
  思いながら、ゴンドラに乗り薬師岳下部まで運ばれてしまった。同乗していたスキー
  ヤーには、片手に靴底を持つ私の姿が、滑稽に見えたであろう。
 今回は、どうせゲレンデスキーの延長だろうと、たかをくくっての参加だったが、皆
  様完全な山スキーの出て立ち。シールもきちんと持参してきている。置いてきた事を
  残念に思っても今更しょうがない。それより自分の足の方が心配である。アイゼンを
  着けて登れば、靴底がはがれる心配はないと決断する。普段だとよっぽどの状態では
  ないと着けないアイゼンを着け登ることにした。しかし久しぶりのアイゼン装着、靴
  底も不安定だという事も重なり、やや手こずる。面々出発の準備が整い、バラバラの
  出発となる。スキーにシールを着けた大森・高橋の両名が快調に進む。そのあとをツ
  ボ足隊が追いかける構図となる。
 スキーの歩幅はやはりツボ足より長く、のんびり歩いているようで結構早い。先行す
  る2名は快適そうであるが、我々はかなり辛い。一汗かいてしまう。長老トミタンク
  (冨山)・プーチン(後藤)も辛そうであるが、山屋の闘争心が弱音を吐かせない。しか
  し、後藤さんは最近武器を持参する。デジタルビデオの登場である。要所要所で撮影
  チャンスを申し出、そこそこの休憩をものにしている。写されている方も満更悪い気
  持ちではないが、ついこの罠にはまっていく。
 天候が悪く心配したが、5メートル程度おきに竹が打たれ、非常に整備されている。
  2月も末だがなかなか雪もしまっており、ツボ足でもそう深くまで潜らない。先行パ
  ーティーもあるようで十分なトレールが着いている。あだたら温泉への分岐あたりが
  丁度中間点でなだらかになるが、さこで先行パーティーと合流する。どうやら山スキ
  ーの講習会らしく、非常に整った装備を皆装着しているが、初心者らしい。たぶん装
  備を指定の場所で買わされ饒舌なガイドが連れてきているのだろうと勝手に決めつけ
  る。私も今回最新鋭の装備を購入し、参加しているが、そのすべてを背中に背負った
  まま威力を発揮していない。
 ここからやや傾斜がきつくなるので、休憩してから山頂を目指すことにする。夏道は、
  ややトラバース道になっていが、雪道は斜めに直登してつけられているようだ。先程
  合流したスキー隊が、スキーアイゼンを装着し気楽に登っていく。装備の力はすごい
  ものだ。オリンピックでもそうであるが、実力だけではなさそうである。財力もこれ
  からは重要な要素になってくるのか?(貧乏ハイカーの愚痴)。くだらないことを考え
  ているうちに休憩の時間が過ぎ、頂上を目指し歩き始める。
 このあたりからやや天候が回復し、明るくなってきた。もしかして谷沿いを快適に下
  降できる?などと楽観的になる。しかし、すぐに視界が悪くなり戦意が消える。この
  辺で御大2名に多少の疲労の色が見られる。その上、先行していた高橋さんのシール
  が利かなくなりスキーを担いでの登行となった。先ほどまで先頭を、山屋の鏡のよう
  に後光を射しながら登っていた崇高な出で立ちがかげり始めた。見え隠れする頂上の
  岩峰に誘われ、鈴木・大森両名はもう姿が見えない。その後を橋元さんが追う展開に
  なる。多少リーダーとしての自覚をした私は、御大・高橋さんと行動を共にし、頂上
  直下のところでスキーをデポし岩峰をめざす。
 夏は、何となくいやらしい岩稜が、程良く雪が着き快適に登れる。頂上でも当然展望
  はないが、少し待つと一瞬沼ノ平まで見渡せた。しかし、幸いにも風が弱いので、居
  心地はよい。後藤さんのビデオタイム、冨山さんの撮影タイムが終わるとワインの匂
  いにつられ、岩峰を降りる。下では、橋元さんが白ワインを空け、万全の体制。みな
  すぐにコップを出し宴席となる。私が担いだ、赤ワインに手が伸びるまでさほど時間
  はいらなかった。山頂の儀担当の仲間が急遽不参加になったので、満足なものがない。
  行動食で我慢する。そのとき、プーチンザックからオイルサーディンが飛び出し、喝
  采を浴びる。先程からほぼ行動が一致しているスキー教室の20名程度は、くろがね小
  屋へ下り、明日登り返してスキー場に戻るらしく、シールをはずし滑降体制になって
  いる。我々は、意外とすぐに空いてしまったワインを寂しく思いながら、無謀な行動
  はとるまいと、来た尾根筋を戻ることに決定する。
 そうなると行動は早い、準備早々に各自の責任?で降りていってしまう。靴底を張り
  合わせながら、ビンディングに装着している私になど当然配慮はない。気づくと仲間
  の姿はない。後を追いかける。声は多少するが、再び濃霧が増し5メートル程度しか
  視界がない。道は全然わからない。この状況では、先程の竹も識別できない。カン
  (これが本当の「山勘」なのであろう)を頼りに降りる。すぐに先程降りていったスキ
  ー教室のひとパーティーにあう。その内の一人が、頭にタオルを巻いた人が降りてい
  ったと教えてくれた。たぶんタオルで重要な部分を保護していた?橋元さんだと思い
  追いかけるが、沢沿いに下っている。案の定だいぶ左(沢沿い)にそれている。やっと
  の思いで合流し、尾根筋への軌道修正をはかる。しかし、この上級スキーヤー(晴天
  時ではどんな斜面も快適にすべりおりる)、視界が悪いと気分がめいってしまう病気
  持ち。この時点で、全く覇気がなくなっている。どうにか説得し、尾根筋へ急ぐ。し
  かし当初予定していたこの「からす沢」、斜面を遮る障害物もなく快適そうである。
  天候が悪いことを悔やむ。
 5分程度すると尾根筋に人影があり、さほど互いにアルバイトすることなく偶然にも
  合流できた。やはり経験がものをいうようである(何の経験か定かではないが)。ここ
  からは、竹を頼りに降りることができる。ブッシュが出ているが、緩い傾斜で安心し
  て降りられる。こうなるとスキー隊が早い。私は、新調したスキーになれぬまま追い
  かけたが、登山靴に山スキーの高橋さんは結構苦闘しているようだ。ツボ足隊の御大
  より遅い。滑っていると先行しているはずの鈴木さんが突然樹林帯の袖からでてきた。
  相変わらず神出鬼没である。
 各自、自分のペースで30分程度の下りを楽しむと、ゴンドラの頂上駅に着いた。鈴木
  ・大森・橋元・齋藤のスキー組が先行して到着。しばらくしてツボ足隊(冨山・後藤)
  が到着。心配していると程なく高橋さんの勇壮な姿が発見できた。この時点で、高橋
  さんはスキーに見切りをつけ後藤さんと共にゴンドラ隊になる。顔にはもう「スキー
  はやらぬぞ」とかいてある。スキーも処分するとまでいいだした。上級スキーヤー橋
  元は、目がうつろな程霧に酔ってしまっている。早く宿で寝たいと駄々をこねている。
  こうなると単なる年寄り(中年?)になっている。
 こういう状況では長居は禁物。下山を決行する。一般コースとしてはあるのだが、上
  級コースはガサガサでブッシュが出ており、迂回コースは狭い歩道のような幅でガリ
  ガリ、とんでもないスキー場のようである。どおりでゴンドラが空いている。すべら
  ないと帰れないので、一同ぶつぶつ言いながら下降する。途中まで来ると急におそろ
  しいほどの緩斜面、なんとつまらないルート設定であろう。スキー場としては興味が
  わかない(あれだけ滑りたがっていた大森氏が滑ろうと言わない)。
 一気に下部まで降り、駐車場への送迎バスを見つけ乗車する。後は宿に入り宴会を待
  つことになる。程なくバスに乗車でき、駐車場で身支度を整え岳温泉へ向かうが、4
  時までまだ時間がある。意を決して、温泉に行くと案の定「ロビー」で待たされる。
  非常に規則に忠実なおばさんが仕切っている。後藤さんは、食材の調達でスーパーが
  あるということを電話でも確認していたようだか、おばさんの言うのは、隣接する山
  崎ストアー(コンビニ)がそのようである。一応の食材はあるが、梓の凝り性には納得
  できない購入先ではある。
 時間がかかると思いビールに手を出そうとすると、意外に部屋へ案内してくれると言
  うのでそれに従う。日常スリッパなどというものを律儀にはかない我々は、「部屋が
  汚れるから履いてほしい」という定義に、一応納得させられる。まじめなおばさんの
  説明が続く。この辺で、雪酔いで多少機嫌が悪い橋元さんの顔色が変わり始めた。や
  やまずい。このおばさんの機嫌も損なわないように、私が聞き役となり、おばさんと
  つきあい厨房の使用方法などを承り、どうにかチェックインを完了した。
 当初8畳2室の約束が、7名になったのでやや広めの10畳に詰め込まれた。しかし、
  小綺麗な角部屋なので納得して腰を据えた。やはり多少それぞれ疲れていたのだろう
  か、すぐには活きが上がらない。厨房が清掃のため使えなかっため準備に移れず、め
  ずらしくビールに乾きものからのスタートになった。冨山さんの北海道土産の珍味を
  つまみに渇いたのどを潤していると、厨房が使えるようになり、早速大森さんが刺身
  を盛りつけてきた。こうなると顔色が変化する。テーブルセッテングを確認し、コタ
  ツ1台とし親密な宴会関係となる。しかし7人というのは、どうも着席上案配が悪い。
  その後、後藤さんの料理(辛子明太子のたたき・ニンニクとイカ炒め・鶏のサラダ・
  野菜炒めなど)・大森さんの豚汁などが次々と準備されていく。酔いも進み皆絶好調
  となる。
 これ以上酔うと大変と思い、スキをみはかり、温泉に入りに行く。浴槽の窓を開ける
  と、外は横殴りの雪、明日は停滞と決め込み湯上がりに再び飲み出す。何という悪循
  環。夜も更けると近隣の部屋のことも多少気になり、宴席を窓際に移し、佳境となる。
  鈴木さんは完全に眠りについているが、冨山さんが絶好調、とても病み上がりとは思
  えないお戯れ。往年の生気が完全によみがえっている。私も睡魔におそわれ、先に布
  団にはいったが、御大たちはウイスキーに乗り換えて、夜半過ぎまで頑張っていたよ
  うである。
 夜中の3時過ぎにふと目が覚め、お風呂に行ったが、吹雪状態。湯上がりに静かにビ
  ールをあけ喉を潤し、寝に着く。当然、朝起きる気配がない。天候は雪、こうなると
  重い腰が一段と動かない。ここのまま延長して、ゆっくり旅立とうと決定する。念の
  ため確認すると、予約で埋まっているらしく断られる。やむなく会津の街へ繰り出す
  こととなった。
 朝飲んだビール等が心なしか残っている感じはするが、ハンドルを握り、会津へ向か
  う。大森さんだけは、くろがね小屋から鉄山をめざしたがっているが、誰も賛同しな
  い。
 会津若松では観光旅行となる。お城を始め一通りの名所を訪ねた後、橋元さんお勧め
  の鰻や「えびや」へ行くことにした。しかし、記憶が乏しい。聞きながら進むが、な
  かなか着かない。やっと判明し、着くとなかなかの雰囲気のある建物、結構な民家で
  ある。一同落ち着く場を与えられ、一安心。早速ビールをのみ、続いて地酒を所望す
  るが、銚子にひびが入っていたりとアクシデントも発生。メインの鰻も、タレがすこ
  ぶる甘く今一歩。やはり、食い物は東京に限るとの結論になる。
 何はともあれ、安達太良山の頂上に立ち、スキーで降りるという第1の目標は達して
  いる。一応満足としなければなるまい。東葛支部は常磐道で、その他は東北道での帰
  路となり、無事解散した。

平成10年2月28日・3月1日
2月28日(土)
  東川口7:50−あだたらSA11:00−岳温泉−奥岳温泉12:00−薬師岳(ゴンドラ山頂駅)
12:30−安達太良山13:40(小宴会)14:20−15:00薬師岳(ゴンドラ山頂駅)15:20
−奧岳温泉15:40−岳温泉16:00−宿泊
3月1日(日)
  岳温泉10:00−会津若松11:00−会津城・市内散策−13:30えびや16:30−東川口19:50

参加者
とりまとめ役:大森 手配師:齋藤
  冨山・後藤・鈴木・高橋・橋元

岳温泉の自炊宿なかなか利用価値あり1泊3350円/人

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