東丹沢白山 ―― 日だまり山行 '96 橋元 武雄

96年12月7日


96年12月07日(土) 快晴。
梓山行。東丹沢、白山。快晴無風。絶好の日だまりびより。
斉藤君を除く梓全員に、西村(元IPR)、矢崎(TBS.B)、金谷、宮本(共同通信)。

本厚木8時半集合。宮本さんを除き集合。宮本さんはこの辺りは詳しいからというので、
残り13名がそろったところで出発する。駅前から少し離れたバス停で15分ほど待ち、広
沢寺方面のバスに乗る。だれも下車するバス停をはっきり知らず、後藤さんの合図で適
当な所で降りる。案の定、一駅前だった。後藤さんが途中の店に寄って、道を訊ねたら
絵地図をくれた。絵地図で道を間違えた妙義山を思い出して、冗談半分に不安を口にす
るメンバーもいたが、何とも穏やかな天気と、どう見ても厳しさなど感じられない近辺
の山容に心配するものなどいない。実際、郊外の里山といった雰囲気のコースで、山並
みの左はゴルフ場、右は開発したばかりの住宅と墓地といった構成。はるか昔の鎌倉で
八幡宮の裏山を歩いたときを思い出した。後藤さんにも同様の思い出があったらしい。

途中ふもとに採石場のようなものがあり、ガラガラと耳を聾するような音を立てていた
ので、穏やかな雰囲気をそがれたが、それもしばらくのことで、稜線を分けるとすっか
り静かになった。山道もたっぷり広く作られていて、整備も十分だ。ただし、人工的な
整備が、自然にとっていいかどうかは別だ。どうせならさらに徹底して地表を守る仕掛
けを施したほうが良いだろう。…などと周囲の雰囲気にも似合わぬ無粋なことを考えて
しまった。

我々が白山山頂の展望台にたどり着いたとき、宮本さんはとうに到着して帰り支度をし
ていたらしい。これでめでたく予定者全員がそろった。山頂は日当たりは良かったが、
人が多かったので、稜線を50Mほど神社寄りに進んだ場所に陣取って、宴会の用意を開
始した。尚やんのご託宣では、いまは日影だがやがて日が差すはずであるとのことだっ
たが、待てども待てども日はささない。冬至近くの太陽の高度を少し計算違いしたのか
もしれない。何しろ日食はあっても月食などないという天文学の権威のご託宣だからあ
まり当てにはならぬ。イソップは偉大だ。北風と太陽の説話の逆の真実に遭遇。真冬の
日影の寒さにいたたまれず、日当たりのいい先ほどの山頂へ宴席を移動することになっ
た。もうすでに山頂には人影はなかった。あとは、恒例で山頂とも思えぬ山海の珍味が
出て、いつもの宴会となる。

ぼくは例によってすぐ寝込んでしまい、起こされたときには既に日は陰り、メインディ
ッシュはなくなり、リンゴが数かけ残っているだけだった。流石に腹がへって、そのリ
ンゴをすべてほおばったが、シャキッとした歯ごたえのあるおいしいリンゴだった。早
々に帰り支度を始める。こんな近場の山では、集合八時半は早すぎるのではという意見
もあったが、決っしてそんなことはない。いまどきの太陽はつるべ落としである。

後藤さんの話では、下山した長谷寺は、奈良の長谷寺の末寺とのことで、実際、相当規
模の大きなお寺だった。こんな場所に、こんなお寺があるとは意外だった。

町田で下車し、予定通り、明治時代から続いている柿崎屋という桜鍋屋を探すがなかな
か見つからない。どうも以前の場所から移ってしまったらしい。しばらくみんでうろう
ろして、近くの駐車場のオジサンに聞いてやっと場所が判明。でも、関根さんや後藤さ
んが知っていた古びたしもた屋風の店とは似てもにつかぬ金ぴかのビルに変わっていて、
しかも超満員。今日は勘弁してくださいと断られてしまった。なにしろ14名いるので、
ぶっつけでは入れる店はなかなかない。もう一件目を付けた焼き鳥屋も満員で、いまど
き空いているのはろくな店ではないとは思いつつ、無愛想な居酒屋に入る。案の定、板
前は一人だけで頼んだ料理はいつまで経っても出てこない。あまりに時間がかかるし、
見ていると常連客の注文は優先しているようだ。諦めて注文をキャンセルし表へ出る。
結局、生藤山の帰りの八王子ではないが、銀座アスターに落ち着いた。料理はチェーン
店だから平均的なものだが特に文句着けるところはない。それに、前の店の接客が最悪
だっただけに、係りの女性の客あしらいの良さにみんな気を良くして酒も料理も進んだ。

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