瑞牆山 ―― 痛風後復帰第1弾の山行 橋元武雄

96年10月26日〜27日


96年10月26日(土) 曇りがちの晴れ。
梓山行。みずがき山。
後藤、金谷、大森、中村。
東京駅、午前10時集合。

中央高速は、都内はがらがらだったが、高井戸から先が延々勝沼の当たりまで渋滞。
須玉で高速を降り、これより先、小海方面、最後のラーメンと称する店に入る。その不味
いこと。一日中これしか作っていないのに、なぜこんなものしかできないのか聞いてみた
いほどである。途中の紅葉は最高。増富温泉の先のキャンプ場に幕営。その先にも大きな
キャンプ場ある。後から到着したグループが、がらんとしたキャンプ場で、なぜかわざわ
ざ隣りのサイトにテントを張る。その心理や解しがたし。不思議と月齢に関心のある大森
氏が今夜は満月だと言うが、雲多く月は見られなかった。しかし、夜中に明月が見られた
と、金谷氏。この夜は冷えました。

96年10月27日(日) 快晴。
天気は快晴、風も弱く申し分なし。登山口は路傍駐車の列延々。大半は高齢者だが、珍し
く子供や若者もいる。思いもかけない長いトラバースルートを行く。百名山は、姨捨1号、
爺棄2号などと名称を変えるべきかと誰かが言っていた。本格的な山屋の家族と行き逢う。
母のパッキングの見事さに感嘆。あのなかにはどれほど整然と子らの装備がつまっている
のだろう。さぞや豊富な山行経験の持ち主と思われる。

山頂は大混雑。それを避けて山頂直下の岩場で昼食。途中、ちょっと岩っぽいところがあ
るので、ハイカーは近寄ってこない。しかし、われわれの隣りの岩に、どうも関係不明瞭
な男女があとからきて居座る。男は我々と同年配。どうやら山屋の中古らしい。女ははる
かに若く、きびきびとスポーティーな感じ。受け答えも、近頃の若者には珍しい正統日本
語である。謎は深まるばかり。

痛風後最初の山行。患った方の親指で、木の根を蹴飛ばす。その痛さや伝えがたし。帰途、
大森氏が以前から気になっているという、甲府バイパス近くの、毎日新聞推奨の風呂へ。
ぼくはデリカでひと寝入りする。この午睡がたまらないんだなあ。風呂なんてどうでもい
い。金谷氏がトンカツにこだわる。彼がいる限り、こちらは尻馬に乗っていればよい。帰
りはまたも延々の渋滞。
 

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