皇海山 ―― 梅雨時の小山行 齋藤 修

96年6月15日


平成8年6月15日(土)  曇り
参加者:大森(リーダー)・齋藤
 梅雨の週末に大森氏と、皇海山に行くことができた。          
 事のはじめは、東京で開かれた会合に私が別の宴会(仕事)のためおくれて、二次会に
  間に合ったことに始まる。だいぶ酔っていたため、梓の皆様にペースが会わず、とり
  あえず第4週にどこかの山に行くことだけがわかって家に帰った。その際大森氏と金
  曜日が休みなことを確認はしたが、何をはなしたか全く思い出せなかった(梓ハイマー)。
 その後、橋元氏からのFAXで、目的が「皇海山」ということがわかり、メンバーに
  も入っているので改めて了解した。
 とにかく行ったことのない山なので期待し、その後の連絡を待つこととした。どうい
  う訳かこの週は私も忙しく、連絡もできぬまま前日になった。あわてて確認をして出
  発できるようになった。しかし、当初4人の予定が大森・橋元・齋藤の3人となり、
  間際に橋元氏が愛妻のパソコンの故障で仕事が終わらず、不参加となるアクシデント
  が生じた。
 このことが結果的には、私にとって良い展開へ向かった。2人では、たぶん山行は中
  止だろうと思っていると、大森氏からお誘いの電話があった。それも、前夜発1泊2
  日から日帰りへの変更も加わっている。最近、山へ行くと家庭の風当たりが強い私に
  とっては願ってもない申し出である。その上早朝発のため、大森氏が私の家まできて
  くれるというのだから驚きである。

  翌朝、4時前(不思議に休日だと早く起きれる)に目が覚めたので、出発の準備を整
  えるとともに、車中でのコーヒーを入れていると5時になった。ほどなく大森氏から
  電話が入る。聞くと、早くついて時間を調整していたと言うではないか。ありがたい
  ことである。
  幸手からは、一般道を経由して「関越道」に向かう。早朝なので、本庄児玉ICから
  高速道に乗ることにした。昨日までは、テントなどの準備で装備が気になったが、日
  帰りとなると気がゆるみ何も準備していない。途中のコンビニで食料を調達し、進路
  を急ぐこととした。
  快調に高速道路を急ぎ沼田で降りる。冬は混み合うこの辺も、今日は自動車の数も少
  ない。しかし、先行する路線バスに道を阻まれ速度が増せない。運転手のいらいらす
  る気持ちがひしひしと感じられる。どうやら追い越し、峠の道を快適に過ぎ、程なく
  老神温泉を通過する。ここを少し行ったところが「追貝」という町で林道の入り口が
  ある。地図を頼りに林道の分岐を目指す。この集落の道は、イメージとだいぶ異なり、
  だいぶ不明瞭である。仕方なく町まで戻り聞くことにする。早朝のため開いている店
  が少ない。雑貨屋のような店が開いてたので、その店の老人に聞くが要領が得ない返
  答である。もう一度別な店に聞くと、詳しい人を紹介してくれた。やっと、林道まで
  の経路を知り得た(信用金庫の横を入るまではあっており、すべて直進せず途中で左
  折)。おおよそ30分はロスしただろうか。しかしこの失敗は、ビールを買い忘れてい
  た我々には、頂上での乾杯の水を手に入れるきっかけとなった(聞いているうちに山
  頂で飲む水がないことに気がついた)。
 この追貝という集落は開拓農民らしく、民家と耕作地が分離しており、丘陵を登った
  ところに平地がある。ここを追貝原と言うらしい。地図上では、Sターンする程度で
  すむ道が急勾配とともに湾曲していたのである(夜中ではとうてい発見できない−早
  朝立ちが正解であった)。聞いたとおり、電波塔の表示を目標に分岐を目指すとそこ
  には「皇海山登山口」という標識もついていた。あとは、林道を終点まで進むだけで
  ある。ガイドブックによると、荒れている道のようになっていたが、ミラーなどもつ
  いておりなかなか整備された林道である。しかし、なかなか長い道のりである。大森
  氏の4WDが快適に進むが、運転手が早朝発の疲れが出てきて眠たそうである。40
  分程度で、登山口の「皇海橋」に到着した。そこには、どこからきたのか10台以上の
  車が停車していた。どうやら空き地を見つけ安全な場所に停車することにした。

 身支度を整えながら、地図を確認し行程を検討する。しかし橋の所に掲示板のような
  物があり、確認すると詳細なルート図があった。みるかぎり、多くの指導標がつけら
  れており、一般道の様相を呈している。多少期待と違った、出発となったが初めての
  深山「皇海山」を目指すべく歩き出す。林道を多少歩くと沢よりに登山道がみられた
  のでそれを進む(案内では、もっと奥まで林道を詰めることになっている)。笹が多
  少茂った程度の快適な道である。沢筋に出るが、ここから沢登と思いきやきちんとし
  た踏み跡が先行しており、利用させていただく。この後も道筋にテープが大量にまか
  れており、迷うような所はない。50分程度歩いたところで休憩をとる。高度は大森氏
  の時計で把握できるが、25,000分/1の地図を私が自動車においてきたもので詳細な
  位置は、確定できない(何で地図を持ち歩かないかという大森氏の不審そうな視線を
  感じる)。
 出発しようと自分のザックを見るとない。すぐ下の沢で発見した。ずぶぬれである。
  雨を避けていたのに、こんな場所で濡れたザックを背負うとは思わなかった。背中の
  冷たい刺激を感じながら、静かな登りを楽しむ。支流を判別しながら本流を登り詰め
  ると、樹林帯に入った。このあたりから多少雨が降り出した。下山してくる登山者も
  みうけられるようになった(皇海山は、もうこの沢沿いの道から日帰りの山になって
  いるようである)。視界のきかない道を15分程度急登すると、不動沢のコルである。
  ここで展望が開け、庚申山方面が見渡せる。鋸尾根がその名の通りの容貌で、間近に
  眺められる。ここで休憩かと思うと、大森氏は休憩をとっている人たちを尻目にまた
  登り始めた。聞くと、この先に眺めの良いところがあると案内を読んだという事なの
  で登っているそうだ。しかし、なかなかそれらしきところがなく、みつからない。あ
  きらめて、途中で小休止をとる。大森氏のザックからオレンジがでてきた。お裾分け
  をいただく。休憩していると、橋の所に止めていた人たちが次々と下山してきた。あ
  と何台と顔ぶれと車をダブラして考える。しかし、若めの老人たちが多く、しかも皆
  軽装である。
 もう少しで山頂なので、汗が引いてきたところで先を進むことにした。この山も低山
  の稜線のごとく頂上と思うとまた先があり、簡単にはピークに立たしてもらえない。
 『青銅の剣』を過ぎると、ひと息で山頂に着く。山頂は、雲も多く視界もないが、樹
  林に囲まれた静かな(?)山頂である。早速、山頂の儀となる。最近お酒には強い興味
  のない大森氏との缶ビールでの乾杯となる。ここで梓らしく大森氏のザックからフラ
  ンス製のサラミがでてきた。いただくことにする。お酒にはよく合う。考えてみれば、
  日帰り山行となってから気がゆるみこのての物も何も準備しないまま来ていたことを
  反省する。しかし、10分ほどすると山頂がにわかに騒がしくなってきた。10人程度の
  壮年グループの到着である。スイカは出るは、バーナーでカップ麺を楽しそうにこし
  らえるは、女性も多いのでにぎやかである。皇海山にたいして多少期待はずれの感を
  持ちながら昼食をしていただけに、一段と落胆せざる得なかった。

 これ以上山頂にいても成果はないようなので、下山することにした。来た道を忠実に
  もどる。数名の下山者の姿を見るが、すれ違うほどではない。道を確認しながら降り
  ていく。コルから1時間ちょっとで皇海橋についてしまった。
 なにやら、満たされないものを感じた皇海山ではあったが、次は別ルート(鋸尾根)
  でと思いながら自分を満足させた。計画段階では、夕刻に下山できるだろうと思って
  いたのに、15時前の下山になってしまった。
 休憩の後、林道をもどり迷った追貝の部落をぬけ、沼田への道へでた。本来ならここ
  を沼田へまっすぐ抜ければ早いのだが、赤城I.C.への抜け道を大森氏に教えるため横
  へそれた。我が家は、よく使う道だが近年整備されており、今回は標識まで整備され
  ているのには驚いた。もう抜け道ではないのかもしれない。信号のない道を、インタ
  ーチェンジに急いだ。高速道路も混雑もなく数分で通り抜け、行きと同じ本庄児玉I.
  C.から一般道へ出た。市街地では、車の量が増え早朝のようなペースでは飛ばせない
  が、1時間ちょっとで我が家までつくことができた。
 せっかくなので、我が家を見てもらい大森さんに帰宅の途についてもらった。
 今回は、大森氏のご厚意で「社長のゴルフ」の様な山行をさせてもらい感謝に堪えな
  い。

  幸手市5:10−沼田7:20−追貝7:50−林道出会8:00−皇海橋8:45 9:10−二股9:50
  −休憩10:00 10:10−分岐10:30−不動沢のコル10:40−休憩11:00 11:25
  −青銅の剣11:55−皇海山12:00 12:40−不動沢のコル13:10−二股14:00
  −皇海橋14:50 15:15−追貝15:50−赤城IC.16:20−本庄児玉IC.16:50
  −幸手18:30

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