那須三斗小屋温泉

―― 初日のみの尻切れ記録 橋元武雄

96年4月13日〜14日


96年04月13日(土)  快晴。
梓山行。那須三斗小屋温泉。
東川口駅8時半集合。冨山、後藤、高橋、中村、斎藤。

今回は善さんが参加できずに残念だが、思いもかけず斎藤君の姿が見られて心強い。
快晴の関東平野をあとにしたが、那須に近づくにつれてどんどん雲が厚くなる。昨日の
真冬並みという寒気団進入の余波で、山はまだ吹雪だった。この季節では雪を予期して
いなかったひとも多いだろう。普通の乗用車は路面に雪が出だしたあたりで絶えてしま
った。

昼食にはまだ早すぎたが、もうこの先に店はないというところで、一群の土産物屋兼食
堂があったので、その一軒に入った。店に入って表を見返すと、がらんとした駐車広場
に我々の車も含めて数台が吹雪に凍えているだけだ。客は我々だけかと思っていたら、
どやどやと何人かのグループが入ってきた。外国人のグループだったが、メニューが読
めるらしく達者な日本語で注文していた。

店の壁には色校正を失敗したようなカラー写真で、『メグスリノキ』の写真が貼ってあ
り、眼病を始め諸病に効能ありと文句が並べてある。しかし、これはメグスリノキでは
ない、と思った。声高にその話をしていると、そばの机で看板の下書きをしていた店の
主人が、聞き捨てならじとばかり、一冊の本を持参し、間違いなくこれはメグスリノキ
であると主張する。負けてはならじとオジサンもデリカに搭載してある植物辞典を取っ
てきて、照合した。むむ…………、これは当方のとんだ勘違い。失礼なことを口走って
しまった。前言取り消して陳謝であった。実は同じカエデ科のチドリノキと取り違えて
いたのだった。どちらもカエデにしては珍しく葉が切れ込まないのだが、まったく別物。
このやり取りを聞いていた斎藤君が、“橋元さんも丸くなった”といったが、別におじ
さんは間違いを訂正するに吝かではない。

メニューの品数は少なく、やむなく肉うどんを注文したが、予想に反してうどんも鶏肉
も悪くなかった。ただ、カレーをたのんだひとは失敗だったようだ。

11時半ころだろうか、車道の終点の駐車場に車を止めて、冬山装備を整える。登山靴を
履くのは何年ぶりだかさだかでない。雪山をまともに歩けるかどうかも心配である。風
は強く、雪は吹きつけてくるが、やはり4月も半ばを過ぎていることで寒さは厳しくは
ない。視界がないので、那須ははじめての当方には皆目見当がつかないが、後藤さん、
尚やん、斎藤君は何度が来ているので、心配はない。

しょっぱな急登でどうなることかと思ったが、あとはさほどの斜度はなく広大な斜面を
斜めに切り上がってゆく。路面に雪もほとんどない。楽な登りである。しばらくすると
先程の外国人グループが“シツレイシマス”といって我々を追い抜いて行く。先頭の男
は一応山らしい身ごしらえだが、なかにはスウェットにズックという女性もいる。いく
らなんでもこの季節、この天候にそれはないだろうと思っていたが、案の定、真っすぐ
進めないほど風が強くなったあたりで、皆引き返してきた。まあ、賢明な判断だろう。
尚やんが、“基本的にアングロサクソンは強い”と言っていた。彼らがアングロサクソ
ンかどうかは知らないが、コーカソイドであることは間違いない。駐車場のあの嵐を見
て、あの格好で出発しようとする日本人はいないだろうことは確かだ。

峰の茶屋の強風は名物だとは言うものの、いやすごい風だった。いつかの夏山で剣沢に
テントを張ったときの台風以来である。乗越の先、下りにかかると風はますます吹きつ
のり、まるで迫ってくる壁と押しくらまんじゅうをしているような感じだ。下に向かっ
て飛び降りるような格好で体を投げ出しても、押し戻されてしまう。あとで聞くと、チ
ャウはおろかあの冨山さんまで浮き上がっていたという。

地形が原因の風だから、止むまで待つというのは意味がない。とにかく、この場所を通
過しなくてはならない。この辺りは烈風に吹き飛ばされて雪もついていないが、はるか
下方の右から張り出した尾根の突端に案内板があり、その周辺には積雪がある。あそこ
までたどり着けば風は弱まると見当を付けて必至で風を漕いだ。予想通り、そこへたど
り着くと、風は急に弱まった。風にもてあそばれた枯葉が吹き溜まりに蝟集するように、
そこへ集合。ほっと一息つく。

そこから先は、やっと話をしながら歩ける状況になる。積雪のおかげでどこでも歩ける
ような樹林帯をしばらく下ると避難小屋があって、大勢が小屋のまわりに集まって休息
している。我々もそこで小休止し、ワインを出す。まわりをみると、全員アイゼン、ピ
ッケルを持参し完全冬山装備である。しかも、どの装備も新品のピカピカ。ツボ足でお
古のストックなどといういい加減な装備は我々だけだった。ただ、装備は新品でも中身
はあまり新しいのはいなかった。近頃の夏山の傾向は冬山においても変わりない訳だ。

避難小屋から先は右山手の樹林帯のトラバースが延々と続く。基調は下りのコースでラ
ッセルは十分だから楽なはずだが、さんざんに踏み荒らされた雪道のトラバースほど歩
きにくいものはない。途中、急いだわけでもないが、先行パーティーをほとんど抜いて
しまったようだ。この雪でアイゼンを付けていれば足枷をはめているようなものだ。休
憩中のパーティーで、相当なオバサンが初めての雪山が嬉しいのか、一人ではしゃいで
る声が耳に残った。

もうこんなもんでいいだろうと思う頃に、雪中に小屋が現れる。左下手に我々の泊まる
大黒屋、右上手にもう一軒の煙草屋だ。本当に行き止まりという感じで、その先にトレ
ールはない。玄関を入るところで、最後のパーティーに追いついたようで、どうも我々
が本日最初の客ではなかったか。

大黒屋は、山小屋とは思えないしっかりした作りで、何より手入れが非常によい。床も
壁も綺麗に磨き込まれ、塵一つ落ちていない。そこいらじゅう手あかだらけのような、
上越のあたりの民宿とは大違いである。あとで、建物が栃木県の重要文化財に指定され
ていることを知った。ちゃんと乾燥室もあった。極楽、極楽。

部屋は二階の、いま下ってきた登山道に面している。雨戸に40センチ四方のガラスがは
めてあり、それが明かり取りになっている。まだ3時前後で、発電はしていないから、
それ以外に光源はない。雪の中を歩いてきた目には、明かり取りの光の届く範囲以外は
まるで暗闇だ。3時から宴会は、去年の坊主岩以来か、などといいながら、昼の土産物
屋で仕入れたつまみや、各自持参のつまみがでる。酒は八海山の本醸造と吟醸である。
八海山は大分値上がりし、旨くて当たり前のような値段になったが、今回初めての吟醸
ということで、まずは口に含んでみた。水のように爽やかである。さすが吟醸などと感
心しながら、喉に流し込むと、いや何か様子がおかしい。戻り香が異様である。しばら
く考えてはたと思い至った。駐車場で、酒をペットボトルと冨山さんの2g入り水筒に
移し替えた。そのとき、吟醸は、ペットボトルに穴でも開いてはと大事を取って水筒に
入れた。これが間違いだった。多分、先シーズンのどこぞの山行から、ずーっと水筒の
底に眠っていた残滓が、八海山吟醸に得も言えぬ薫香を与えたのである。

今回来られなかった善さんのこと、すっかりパソコンオタクになってしまった関根さん
のことなどを話題にしながら、恒例の温泉付き大宴会。

96年04月14日(日)  快晴。
最高の天気。8時半頃出発。煙草屋の間を抜けてラッセル開始。隠居倉。外傾した鎖場。
急傾斜の雪面のトラバース。黒磯駅前で一杯。トンカツをつまみに、メインが天丼はカ
ロリー過多か。

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