残雪の那須岳 ―― 奥那須三斗小屋温泉旅行 齋藤 修

96年4月13日〜14日


参加者:後藤(リーダー)・富山・橋元・高橋・中村・齋藤
                  平成8年4月13日(土)〜14日(日)

  残雪と新緑を期待して、後藤リーダーのもと「奥那須三斗小屋温泉」へ行くことがで
  きた。この山域は、家族では訪れているものの、なかなか三斗小屋まで足が伸びず、
  機会があれば是非山奥の温泉に浸かってみたいと思ってた。さっそく案内に飛びつく
  ことにした。このところスキーも山行の連絡も疎遠になっていただけに、橋元氏から
  のFAXは、朗報であった。また、第2週となると、私は堂々と週末の休みが確保さ
  れるため願ってもないチャンスであった。
  東川口駅は、私にとってはなれない駅での集合となり、多少どきどきしながら集合場
  所に向う。しかし、梓の人はよく集合しているようで気楽に集まってきた。駅には、
  30分程度早く付いたが、すでに富山さんが到着していた。話をしているうちに、高
  橋氏が現れ、続いて中村さんが到着した。残すところリーダーの後藤氏だけが、姿が
  見えない。心配していると、にこやかな表情で改札を出てきた。これで全員集合であ
  る。
  乗りなれたワゴンで出発するが、残雪の多さと天候の悪化の兆しでなかなか意気があ
  がらない。時間の余裕もあるので先を急ぐこともない。高速道路を走り続けると、運
  良く渋滞もなく「那須高原インターチェンジ」につく。
  だが、その前後から雲行きが怪しくなるばかりでなく平地で雪が混じる天候となり、
  不安を隠せない表情が面々に感じられる。那須に着く頃には、春とは思えない雪景色
  となり、那須温泉で休養も良いような雰囲気となってきた。ロープウェイの駅の近く
  の大丸温泉付近では、新雪の積雪もくるぶしをこえ、完全な吹雪になってしまった。
  これではすぐに先を急ごうと言う声も出ず、おなかも空いていないが、早めの昼食と
  なった。特に食べたくなるような店もなく、みやげ物屋の食堂で手を打つことにした。
  当然時間調整の意味を兼ねているので、ビールと酒を所望することになる。ここで、
  植物博士の橋元氏が店の老人と売られている木の名前で議論をはじめている。どうや
  ら、名前が間違っているという指摘のようだが、店の老人もかなり自信があるようで
  一歩も引かない。静観していると、橋元氏が車から植物図鑑までおろし確認すると、
  何やら勘違いだったようで一件落着となった(意外にも橋元氏があっさりと異議を撤
  回した)。
  興味を抱きながら見ていても時間の経過と共に外の様子は、一向によくならずお酒の
  量も増えていった。しかしこの店、みやげ物屋なのでつまみには不自由しない。試食
  用のものをつまんでいると、なかなかいろいろな食材にありつけた。最初のうちは立
  っては食べる程度だったが、酒量と共に自制心を失うと、手元の湯飲みに試食の漬け
  物類を盛りつけるようになってきた。酒も規定量を越えたので食事になったが、以外
  とここの「うどん」は好評であり、幸先の良い印象となった。つまんだ分申し分けない
  ので多少のつまみを買い込み吹雪の中を車に乗り込んだ。
  出発点となる駐車場には、10分ほどで到着したが、4駆の車が一生懸命のぼるよう
  な状況であった。やめるという意見も出ないので、吹雪の中を身支度し、歩き始める
  ことになる。運良く先行パーティーはいたものの、5分としないうちに踏み跡はなく
  なる状況で、まさしく“(気温は高いが)冬山”である。
 那須山を巻く道に出ると、谷を走る風が次第に強くなる。ややもすると体がとられる
  ぐらいであり、ときどき立ち止まり簡単な耐風姿勢をとらざるえないほどである。先
  ほどの食堂にいた外国人パーティーが同じルートを歩いているが、外見すると軽装の上足
  元もおぼつかないようである。どうやら、この辺で引き返すようなので安心する。
  我々ベテラン(?)集団もこの風と季節外れの寒波には閉口気味であり、どうにか峰の
  茶屋(のっこし)までは、たどり着くことができた。ここは、地形上風の通り道となっ
  ており、この山行最大の試練となった。下れば風がやわらぐのは承知しているが、足
  が風に負け前に出ないのが現実であった。各々残雪の春山とはこのようなものではな
  いと思いつつ、頑張った。風の中先行した橋元・高橋両氏は、程良いところで待って
  いたが、今度は雪の量が増し、膝程度まで潜る始末である。やっとの思いで避難小屋
  まで着くと、風もやわらぎ薄日も射してきた。当然大休止となる。ワインを開けよう
  と言う声に全員が同意し、赤を1本軽々と開けてしまった。寒い外での休憩だが、先
  ほどまでの強風を思えば皆快適そうな顔をしていた。
  もう少し休もうと言う声もあったが、こうなると「温泉」の二文字が優先権を得る。
  道は心細いが、高橋・後藤両氏が何度か来ているので山肌でルートをはかってくれて
  いる。一面雪におおわれているので、「延命水」と言われる水場も全く判別できぬま
  ま先を急ぐ。地図では回り込んでいくと三斗小屋温泉になるのだが、なかなかその雰
  囲気が出てこぬまま、あっけなく温泉着となる。
  今日は、2軒ある温泉小屋のうち「大黒屋」に泊まる予定である。ここは、家主が殺
  されたり(煙草屋)とかいろいろな 話がある温泉だが、この温泉地に関する正式な由
  来は、梓の面々でも誰も把握してい ないようである。いろいろな話をする間もなく、
  濡れた雨具を干すと、体をあたためることになる。もちろん酒でである。ビールを飲
  み干すと、日本酒(多少芳醇な香りのする酒が1本と美味なる銘酒1本)・ワインとつ
  きつぎと飲み始めた。昼食を食べた食堂で手に入れたつまみが、役に立ち、寂れた温
  泉宿で話題に欠かない宴会が始まった。
  浴室は、さほど大きな湯船ではないが小綺麗にされた木製の湯船と岩風呂の二種であ
  った。時間帯で男女が分かれるが、あまり守られている気配はない。オバサン達は堂
  々と男性の時間帯に大きな風呂に入っていた。梓のおじさんもまけじと、裸で2種の
  風呂を渡り歩く始末である(当然私も加わり中村さんはじめ他の女性を追い出して入
  浴をした)。酔っぱらいは大胆になるものだが、あとでまた風呂にはいると女性が堂々
  と入浴しており逃げる気配もない。確認しなかったのでオバサンかどうか記憶にはな
  いが、今日の宿泊者に若い女性は居なかったと思うので、オバサンであろう(夜中聞
  こえてきた会話で『男性がお風呂に入ってきたが出るにでれなかったのでいっしょに
  入ってしまったわ』などと戯けた会話が飛び込んできたが、『時間を守らない方が悪
  い』と言いたくなったが我慢した)。しかし、女性であることを仲間に誇らしげに話
  す機会を与える事ができたことを思うと、良いことをしてあげたようにも思えてきた。
  食事は期待しない方が良いという高橋氏のお教え通り、朝食に毛の生えたような食材
  であった。だが、寂れた温泉宿で、部屋食であることを食事の内容と考えれば我慢で
  きる。まして、一人一人お膳できて、木のお櫃に入ったご飯を食べれるだけでも感謝
  すべきか。しかし、従業員(明らかに雇われているような2人が切り盛りしている)も
  なにか山奥の一軒宿にふさわしくないような感じの人で、対応が非常に事務的であっ
  た。そのうえ、消灯時間には電気を強制的に消すくせに、自分たちはラジオを高々と
  鳴らしている始末、意見をしてしまった。
  夜半過ぎには、雪もやみ翌日は快適な天候となる。例のオバサン集団が5時過ぎから
  バタバタするので廊下側に陣取った私は目が覚めてしまった。さっそく朝風呂を楽し
  みにいった。前日とは違い視界が開けた谷を見おろしながらの朝風呂は格別であった。
  部屋に戻るが、皆様起きる気配がないのでまた寝ることにした。宿全体が動き始めた
  頃、梓のメンバーも徐々に起きはじめ各自の始末をする。
  当然、「ビール」所望し始めた。買い置きの分を飲み干すと、増量の声(視線)が高いの
  で食堂まで願い出ると、『朝御飯の準備で忙しいから後にしてくれ』と冷たい対応で
  ある(昨日の意見も災いしている)。“何で朝からビールを飲むのか”と言わんばかり
  の返答であった。そこはそこ、もう1人の従業員に無理矢理頼み込み、5本ほど缶ビ
  ールを手に入れることができた。皆様体調は、すこぶる良いようで朝食をお櫃ごとた
  いらげた。朝食は夕食よりも良く、タンパク質(魚)がついていた。今日我々は、朝日
  岳に向いたいが、ここの泊まり客はどうやら温泉の往復がほとんどらしく、トレール
  を付ける一団は居そうもない。なんと情けない人々ばかりだ(人の踏み跡を期待して
  酒を飲んでいるグループも情けないが)。山屋のかざかみにもおけない。
  待っていてもしょうがないので、宿を跡にする。ほとんどのメンバーはきた道を帰る
  と思っていたが、高橋氏がすこぶる元気。天候がよいから隠居倉から朝日岳へむかお
  うと急かす。これまた誰も止めることなく、新雪の道を切り開き直登する決断が下さ
  れる。大黒屋に泊まった記録を残すべく記念撮影後出発した。道は、煙草屋の前を横
  切り、沢を渡るように付いているように地図には示されているが、その気配も感じら
  れぬほど積雪が多く、勘を頼りに登ることとなる。
 皆様の視線を感じ当然のように私が先頭を切っている。しかし、予想外の春山といえ
  久しぶりに新雪の上をルートを見極めながら登れる幸せも感じてきた。最近の運動不
  足のせいか、膝までになるラッセルは自然と息が荒くなり足どりも遅くなる。直後を
  歩いている橋元氏に急かされながら頑張る。中腹まで来たところで後続を待つふりを
  して、休憩をとる。ここで、橋元氏より「俺にもやらせろ」と言う願ってもない申し出
  があり、先頭を譲ることとする。もう少しで稜線に着くはずだが、このあたりから雪
  が柔らかくなり体力を一段と消耗する。夏道は、反対側の稜線についているようだが、
  我々は歩きやすい稜線を登ることにした。宿を出てから1時間ほどで稜線に着く。
  視界も開けなかなかの眺めである。苦労して登る甲斐は十分にあった。ツツジの低木
  を避けるようにすすむと、ハイマツの踏破が待っていた。雪とハイマツが混ざるとな
  かなか足元が不安定になるもので、壺足の連続となる。もう少しで隠居倉である事は
  解るが、風を避けるため休憩を採る。しかしピークでの乾杯を期待しているメンバー
  は、先を急ぎ隠居倉へすすむ。3分程度で隠居倉に着くと一段と視界が開け360度の
  展望が得られた。
  多少の風は気にせず、ビールと白ワインを1本開ける。朝の酔いも覚めていないよう
  な気がするが共に良く冷えていて、なかなかおいしい。積雪による疲労のせいか、多
  少富山氏の顔色がさえないのが気になる他メンバー全員快調そうである。
  この辺で梓のメンバーを考えると中年を越えた集団であることは、明らかであるが、
  良くこの雪の中を快調に歩けるものだと感心する壮年集団である。歩きはじめると、
  後藤リーダーをはじめみなスタスタ(?)と歩いてしまう。長老の富山氏はガッツの固
  まりのような変貌を見せている。
  ここからは、快適な登降が期待されると思ったが、進路は雪がいっぱい積もっている
  ばかりではなく「雪庇」までが出ているではないか、この季節はずれの「冬山」はこの先
  も続きそうである。30分ほどで朝日岳から三本槍の縦走路の分岐である熊見曽根に着
  く。
  ここまで来ると積雪量はさほどではないが、稜線のため風が強い。早めの食事をとる
  が、お互いにたいして食料を持っているわけではなく、譲り合っての昼食となる。雪
  ともお別れと思い下降すると、また残雪が残っていた。朝日岳には当然登ろうという
  声も出ず、下山を急いだし。ここで、先頭を歩いている私が分岐点を越えてしまい、
  高橋氏から指示をもらい無事ルートに戻るという梓的なハプニングも生じた。
 この分岐からの下降は、岩稜を巻くように付けられており、なかなかスリルがある。
  那須の温泉を見おろせる方に来ると斜面にびっしりと雪が残っていた。最初のうちは
  先行者の足跡があり、その踏み後をたどったが、この先行パーティー何を考えたか沢に降
  りている。しばし考えたが、メンバーの疲労を考慮するとトラバースするルートの方
  が良い。残雪にはじめて踏みあとを付ける事となり、腰までの膝上のラッセルをしい
  られる。後方より、『歩幅が広い』という注意(文句)を聞きながら、歩きやすい道を
  作っていった。峰の茶屋は間近に見えるが、足元が悪く、一汗・二汗をかくことにな
  ってしまった。
 のっこし(峰の茶屋)付近は、入山の時とは全く違い穏やかであった。この辺で、後藤
  リーダーのおなかの調子が悪くなったようでほど良いところまで先行していくことに
  した。残雪が残る穏やかな斜面まで来ると、雪上訓練をしているパーティーがおり、その
  上方で後藤氏を待つ形で、休憩をとった。このころから天候も安定し展望が開けてい
  た。那須岳を右側に、雪と戦った稜線を左に置くよう背を向け、駐車場に泊まるデリ
  カを眺めながらの大休止である。後藤氏も程なく合流し下山後の昼食の話題に花が咲
  く。ここまで来たのだから「黒磯」で何かしっかりしたものを食べるべく、下山を急い
  だ。駐車場には、もう雪もなく温かく穏やかな状況に変わっていた。急いで身支度を
  整え、下山祝いの酒をめざして黒磯を目指す。黒磯までは、一本道を下ることになる
  が、バイパスの通過で交差点が記憶と多少変わっている。ここで、最近記憶が鈍くな
  っている齋藤が指示するものだから、反対方向に曲がってしまった。自分で言うのも
  何だが、最近適当な指示を気楽に出すことが多くなっているので、気を付ける必要が
  おおいにあるようである。
  黒磯駅前で、こぎれいな日本そば屋に入った。多少のつまみもあり、不満を抱くほど
  の店ではないが、日本酒が非常に小さなお猪口にででくるので、なにかペースがつか
  みにくい。質もいまいちなので、橋元氏が一言意見を申し上げた。
  何はともあれ、一同満足しデリカに乗り込む。あわてておみやげを買うメンバーも現
  れ、どうにか集まった頃を見計らい出発となった。
  予想外の積雪とはいえ、2日間非常に堪能させてくれた那須の山に感謝をしながら余
  裕の帰京となった。

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