大山 ―― 早春の相州の名峰阿夫利山を訪ねて

冨山八十八

96年3月16日


日時 1996年(平成8)3月16日(土) 
メンバー 後藤、高橋、鈴木、大森、中村、冨山
 2 月に「華屋」へ集まった折り、近頃は全然山へ行っていないので、という話から手
  頃な冬山へでも、と「金峰山」を提案し、3 月16〜17日の予定で出掛けようと話がま
  とまった。ところが私の都合が悪くなり、後藤さんに電話したところが、日帰りなら
  い  いだろうと、FAX が入ってきた。
「春風を待ちかねて、早春の相州の名峰阿夫利山を訪ねます…帰りは大山名物の豆腐で
  一杯という算段だ。」で豆腐につられて出かけていった。
  前夜、「ちょっと」が遅くなり、帰りついたのが2 時頃だった。どうも大山ときけば
  緊張感がない。
 昨日は久々に雨がよく降った。予報通り今日は雲ひとつない快晴。真っ白に雪がつい
  た舞台の背景のような富士山が、小田急江ノ島線の車窓いっぱいを占めている。寝不
  足の眼にまばゆい。移ろう車窓の眺めにぼんやり眼をやりながら、なるほどと思う。
  相模の国は広大な平野だ。「相模大野」の地名は伊達じゃない。
 集合場所の小田急「本厚木」へ約束の時間から遅れて到着するとチャウを除いて全員
  が集まっていた。
「ゆうべは乗り過してしまって2 時ですよ」と尚やんに言うと「じゃ、眠たいというこ
  とですね」と逆襲される。
 本厚木の駅前から「広沢寺」行きのバスに乗る。郊外へ出ると正面に大山が聳える。
  頂上のパラポラアンテナがはっきりと見え過ぎていささか感興を削ぐ。そこここに梅
  の花が見事に咲いている。終点の広沢寺温泉に着いた。ここもかつては「鉱泉」であ
  ったが温泉の基準が変わって温泉になった。この先の岩場のゲレンデにやって来てい
  た頃は寂れた風情があったが、近頃では近場の温泉としてはやっているらしい。露天
  風呂まで出来ている。
 温泉宿で水を補給して出発。コンクリートの道路を歩く。野猿の一家が姿を見せたり
  する。右手に鐘ケ 岳(561m)がこんもりとした姿を見せている。昨年の日溜まり山行に
  と後藤さんが下見にきたところ、頂上は樹が繁っていて眺望がえられず石老山へ変え
  たとのこと。「山の神」のトンネルを抜けて不動尻のキャンプ場へ着き小休止。キャ
  ンプ場から道は三峰山方面と大山方面とに別れている。杉林のなかの急勾配の登りと
  なる。つづら折りの急登が約1 時間である。足下にキャンプ場の赤い屋根が見える。

 杉林が終わって通常の山道となる。ところどころに鹿よけの金網が張ってあって、登
  山道は木製の梯子となって、その金網を越している。この梯子なら鹿も通れるのじゃ
  ないか。
 道に雪が出てきた。この道は大山の手前を右から左へぐーんと曲線を描いて横切り、
  伊勢原からの登山道に合流しているようだ。やがてざわざわと人声が聞こえるように
  なってきたと思ったら伊勢原からの登山道へ出た。
 頂上は真近だが、頂上はどうせ人と泥んこだろうから、近くの疎林のなかで宴会をし
  ようと適当な場所を決めた。ところが一向に後藤さんと善さんがやってこない。コー
  ルをかけるが音沙汰がない。汗をかいてビールを飲みたいところだったが、汗も引い
  てしまった。ややあって後藤さんが現れた。「バテ文です」
 待望の宴会が始まった。大森さんが、ちょっとワインのつまみを用意した、といって
  いたが、それはフランス土産のチーズと生ハムでなかなか結構だった。つまみの割に、
  ワインの出来がちょっとお粗末だった。
 頂上の奥の院へ詣で、下山にケーブルカーに乗り、阿夫利神社に詣で、神殿地下で湧
  き水とこの水からつくったという地酒を賞味した。
 さて名物の豆腐料理については、その曰く因縁が、戦後に先達の宿の1 軒が始めたこ
  とによるとの後藤さんの説明で、どうってことないと見送ることにした。それよりも
  伊勢原のトン焼きで、ということになったが、伊勢原駅前はすっかり様替わり。そん
  な昔の山帰りに立ち寄った屋台などはなくなっていて、仕方なく駅前の何でも屋で一
  杯やって帰った。

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