西上州烏帽子岳、毛無岩

―― 紅葉のなか静かな岩稜散歩 橋元武雄

95年11月3日〜4日


95年11月03日(金) おだやかな晴れ。
梓山行西上州。烏帽子岳、毛無し岩。鈴木、大森、高橋、中村、亀村。

南浦和正午集合。駅前のマルエツで買い物をして、1時前に出発。三連休で高速道路の
渋滞情報が流れているので、関越は止めて富士見有料道路で川越まで行き、そのまま川
越街道を走って途中地方道を迂回して花園から関越に乗る。天気が良いので高速の渋滞
より、農村地帯の風景を眺めながら走る一般道のほうが気分が良い。

下仁田で関越を下り、下仁田市街を通過し、8キロほど先の雨沢まで県道47号を進む。
この県道は、南牧川沿いの山間を下仁田から臼田市(佐久市の南、佐久町の北)へ抜けて
いる。ガイドにも記載があったがこの地方は庚申信仰が盛んだったらしく、道端の各所
に庚申塚を見ることが多かった。

烏帽子岳登山口は、雨沢から南下(左折)して、支流の大仁多川に沿ってさらに4キロ
ほど入った林道脇にある。毛無岩登山口は、雨沢から県道47号沿いにさらに4キロほど
先の羽沢で右折し、2キロほど北上した道場という部落にある。いずれを明日登るにし
ても、雨沢にはいずれ戻ってくることになる。

雨沢を左折するとすぐに道路工事の案内があり、途中の部落から先は通行時間帯が決め
られているのを知った。基本的には工事関係者の休憩時間以外は通行禁止となっている。
今日、入ったはいいが、夕方に出てこられないでは話にならない。休日ではあったが、
工事中のパワーシャベルの運転手に話を聞くと、規制はそれほど厳重ではなく、あくま
で工事の都合が優先ということらしい。そこで、行けるところまで行ってみようとなっ
た。工事区間は数キロにわたっていて相当に大規模な工事だ。いくら通してくれるとい
っても、気安く出入りできる状況ではないので、通過できたことを幸いに、そのまま明
日は烏帽子岳と決まった。

水場があるか心配だったが、地形からみて多分あのあたりに沢があるはずと狙いをつけ
ていたら、それが烏帽子岳への登山道でもあるシボッ沢であった。水量は多くなかった
が、これで水の心配はなくなった。普通シボ沢、シブ沢などの名前は硫黄分を含む飲め
ない沢のことが多いが、ここはそうではない。登山口と道を隔てて4、5台駐車できる
スペースがある。傾斜地ではあるが、他に適地もないのでここに幕営する事になった。
まだ4時にはなっていなかったと思う。しかし、静かな山中と思ったのはとんだ早とち
りで、山岳ラリーあるいはオフロード指向の四駆車がばんばん通る。そのたびに、もう
もうたる土煙である。これには参った。中には、こちらが迷惑げに睨んでいると、会釈
をしてゆくドライバーまでいる。ほこりっぽくして御免のつもりか、それとも仲間とで
も思っているのか。このままナイトラリーでもやられたら、たまらないなと思ったが、
それはなかった。

まだ日も落ちず、時間はたっぷりある。鳩ヶ谷産魚介類を肴に、大森食当のイモ煮鍋を
メインとする宴会が始まった。カメちゃんが、今回仕事で参加できなかった冨山さんに
先日会ったとき、冨山さんが開口一番“あのメンバーで、4升は多いな”と言ったとの
報告があった。総勢6人とはいえ、酒飲みは実質4人に、二日でビール500o1ケース、
酒4升、ワイン4本であるから、当然と言えば当然の感想である。酒を用意した当方も、
相当余裕をみた量だった。しかし、それを聞いておさまらないのが尚やん。まなじりを
決して“このくらいいけますよ”とばかり、飲み始めたのである。それに今回は善さん
も相当に出来上がり、まるで水のようにスイスイと酒を飲んでいる。時間がたっぷりだ
ったせいもあるとはいえ、結局、一晩で2升を空けてしまった。あとで聞くと、大森氏
とチャウは2人で1合程度だと言っていたし、おじさんもあまり調子がよくなかったの
で飲んでいないし、カメちゃんは例によって、最初はハイペースで飲んでいても、後半
はみんなで“スネ毛剃り”の再演を試みたほどしぶとく寝ていたから、結局、尚やんと
善さんでほとんど空けてしまったという事になる。夜も更けると、善さんは胡座をかい
たままガクッと頭を垂れて、即身成仏。尚やんは、カメちゃんの嫌いなタマネギを、こ
れみよがしで生のままスライスでかじって旨いうまいといやがらせをするなど、なかな
かの盛り上がりをみせた。
もっとも翌日は、善さんはいくら登っても酒が抜けないというし、尚やんは生タマネギ
をかじったのも忘れて、なぜか口が臭いとつぶやいていた。

95年11月04日(土) おだやかな晴れ。
谷間で日ざしはないとはいえ、見上げる空は文句なく快晴。風もなし。
前回の奥白根に続いて、天気は最高である。今日は、一般ルートから烏帽子岳を目指し、
下りにバリエーションコースで北西岩稜を下降する予定。目玉は15mの空中アップザイ
レン。ただし、本格的なロッククライミングの案内書の記述ではないので、多分“こけ
おどし”ではとの予感なきにしもあらず。それでも、善さんが43m、ぼくが20mのザイル
と、シュリンゲ、ビナは十分用意した。

シボッツ沢沿いの登りは、深い樹林帯を落ち葉を踏み締めて登る気持ちの良い山道で、
頭上はるかの稜線には、紅葉した木々に明るい陽光が差している。はやくあそこまで登
って温かい日差しを浴びたいものである。
二俣はなんなく通過し、奥の二俣から急登が始まる。ただ、ガイドにはここで左沢にコ
ースを取るとある(昭文社の地図もそうなっている)が、実際には右のコースに明瞭な
踏み跡があり、自然にそちらに進んだ。どう見ても右俣のほうが登りやすいコースだっ
た(ガイドには、“案内板に右沢へは「群界尾根を経てマル・烏帽子へ」とあるが道はな
い”の記載があるが、これは誤り。左右どちらにも踏み跡がある)。
稜線の直前は、立ち木をつかまなければ登れないほどの急登になる。

稜線に出ると、立ち枯れの明るい木立のなかに縦走路が続いている。縦走路を左に取る
と、またも急登であるが、足場はしっかりしているので苦にはならない。木の下道をし
ばらく進むと、こじんまりしたマルの山頂に至る。
夏ならまったく視界はないだろうが、今はゴヨウツツジ、ミツバツツジ、サラサドウダ
ンなどの落葉樹が葉を落としているので、木立の間を縫って周囲を見渡すことができる。
目指す烏帽子は、深いコルを挟んで眼下に見える。ほんとに登れるのかと思うほどに屹
立した岩峰である。山頂にはすでに人影がある。帰路として下降する予定の北西尾根の
全容はここからはよく見えない。この深いコルが、ガイド通りのコースを取れば縦走路
に出るはずの地点である。そのコルを目指して、マルから急下降し、また烏帽子へ向か
って急登する。急登、急下降といってもこのへんの山のスケールであるから、南北アル
プスを縦走のように通過に何時間もかかるものはない。ほとんどが15〜20分程度のタイ
ムスケールである。さすがの尚やんもこの程度では平然としている。

烏帽子の山頂には10時半頃に到着。ケルンを中心に8畳ほどの広さで、全方向に視界が
開けている。しかし、山また山の西上州のただ中、あまた山はあれども群雄割拠、どれ
がどれやらよく分からない。チャウがいみじくも言ったが“奥白根からは周囲を見下ろ
したが、ここではまわりを見上げている”ような気分である。
孤立峰ではあるが標高は1100m程で、奥白根の半分にも満たない。ガイドにはここから
見える山名の列挙があるが、あまり知らない山が多い。奥白根から見れば、地平かなた
のデコボコくらいにしか見えないだろう。現に、翌日登った毛無岩からでさえ、はっき
り烏帽子岳と名指せる山は見当たらなかった。それほど、このへんの山塊はドングリの
背比べなのである。

昼にはまだ時間があり過ぎるし、ここであまり飲みすぎると、下りが危険だからと、し
ばし考えたが、結局、もっとも安易なところに落ち着いた。要するに、ただちに山頂の
宴会を開始し、トカゲを決め込んで十分酔いをさませばよろしい、という結論に達した。
ビールで乾杯し、赤白のワインとFパン&ペーストで山頂の儀である。白はプイイ・フ
ュセ、赤はシャトー・ヌフ・デュ・パプである。どちらも千数百円で買える。4、5年前
なら数千円はした。今の安価を喜ぶべきであろうが、それでは今まで何に金を払ってい
たのかと思うと腹立たしくもある。あながち円高のせいだけではないはずだ。白は合格
だったが、ひそかに期待していた赤は大森氏に一蹴されてしまった。たしかにいま一。
フレッシュだったが、わずかに嫌味が残った。このワインの名前は“法王様の新しいお
城”の意味で、つまり14世紀のアビニオンでの教皇の捕囚を歴史的背景にもつなどと、
訳知り顔に説明したら、チャウに“フン”とあしらわれてしまった。でも高校の歴史の
時間に習ったはずだと主張しても、取り合ってくれるものはいなかった。

山頂の昼寝は、暑いくらいだった。小1時間もうとうとしていたろうか。その間、静か
な山頂には2、3パーティーしか訪れなかったようだ(あとで考えると、どうもこの間
に風邪をひいたようだった。今回は尚やんもカメちゃんも風邪を背負い込んだようだ)。
ザイルとシュリンゲ、カラビナを出して、北西尾根の下降を開始する。尾根の先端に腰
をかけて昼食をとっていた夫婦が、我々が脇を通るのを見て、こんなところを降りるの
かと話し合っている。普通のハイカーからみればとても降りられそうには見えないだろ
う。まあ、我々だってガイドがなければ降りないが。岩尾根は痩せて、両側は切り立っ
ているが、木立が茂っているせいで、それほどの恐怖感はない。それでも、全山の紅葉
を眼下に真っ青な大空の中を綱渡りでもしているような気分が味わえる。
ザイルは2、3回出したが、結局、ガイドにあった15mの空中懸垂の箇所はなかった。
最後は、多少迷ったが、善さんが行けるところまで行ってみようと、木立と岩を頼りに
クライムダウンで先行したら、登山道に出てしまったのである。多分、ガイドにある懸
垂箇所より少し上手を降りたようだった。しかし、ノーザイルでも降りられなくはない
から、あのガイドは踏査不十分と言えるだろう。

車に戻るとちょうど3時過ぎ。これなら工事は休息に入っている時刻だ。すぐに出発し、
途中徒歩で下山中の夫婦連れを下まで送ろうかと声をかけたが、でっぷり腹の出た長身
のご主人が、いいえ歩いて行きますと、きっぱり。立派ですと声をかけて通過する。奥
さんは相当疲れていた様子だから、きっとあとでご主人は文句を言われているはずと梓
の面々。

とりあえず、翌日の幕営地を探しに毛無岩の登山口である道場部落まではいる。登山口
は部落の最上部にあり、運良く下山してきた登山者の車に様子を聞かなかったらとても、
車ではいっていく気にならないような細い道(車のすれ違いはまったく不可能)の先に
あった。車道の行き止まりに2、3台の駐車スペースがあるという。情報を得て安心し
てその道へ車を入れたが、ちょうど下山時刻だったとみえて、その細い道の途中でまた
降りてくる車に出会ってしまい、駐車スペースまでバックで戻ってもらうことになった。
幕営地も確保できたので、明日に仕事を控えている大森氏を下仁田まで送る。

95年11月05日(日) 晴れ。やや風。
毛無岩。暗い杉林、明るい紅葉の樹林帯、上部では落ち葉の疎林、それに最後は高度感
のある痩せ尾根と変化にとんだ面白いコースだった。
ただ、毛無岩の山頂は狭く、幅は2mほどしかなく、4、5人立てば満員。しかも一方
は100m以上すっぱり切れ落ちた絶壁なので、ここで宴会を開く気分にはなれない。
山頂をやり過して、急下降し、一般縦走路への戻り口のコルで宴会。木漏れ日の中、枯
れ草をしとねにのんびり昼寝。下山途中から、見上げる毛無し岩は圧巻。しかし、どこ
となく愛敬のある姿であった。一周して戻った部落は、澄みきった空気に静かに差し込
む斜陽。あまりの明晰さになぜか寂しさを感じるほどだった。このかん、山で出会った
のは男2人連れの1パーティーのみ、帰着した部落でもほとんど人影はなく、ほんとに
静かな山行だった。蒟蒻畑が好評で、梓山行には常備することになった

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