南アルプス甲斐駒ケ岳黄蓮谷

河 崎 研 二    '94/08/12〜14


参加メンバー:後藤(北沢峠より) 鈴木 橋元 大森 河崎

ぎゅうぎゅう詰めのバスのタラップに座らされた。北沢峠12時発臨時便は全部で4台のマイクロバス。一台に30人は乗っていようか。膝をつきあわす格好で同じくタラップに座る少女。初めは彼女一人で座っていたのに、駆け込んできた僕の為に可愛そうなことをした。もっと悪い事に、戸台方面仙流荘へ向かう途中で少女はもどし始めた。ひどく僕にすり寄ってくるので何だ何だと思っていたら、気分が悪かったのだ。仙流荘で下車、ひどく暑い。今日は一日中炎天下にいる。
仙丈岳に向けて出発したのが今朝の5時だった。個人的に未踏の山に登りたいが為に隊列を離れる僕に、後藤さんは疲れているにも拘らず早く起きだしモチ入り味噌汁を作ってくれた。一度動きだすと殆ど何も食べないタイプの僕にとって、このモチ入り味噌汁は本当に有り難かった。具はそれだけではモチろんない。小芋も入っていた。大森さんはバスの時間を調べてくれた。
時期が時期でもあるし天気もいい。仙丈までの道は人で一杯だ。小仙丈までは頑張って何人も抜いたが、稜線に出てからは折角だからゆっくり行こうと思い直し、これまでの記録を付け直したり地図を見ていたり、一時間近くも寝入ったりして結局頂上に着いたのが10時になった。かなり風が
きつかったが、北アルプスから富士山、八ケ岳 等よく見える。そして何となく、次は鋸岳かなと思った。 仙流荘でウドン屋のおばさんに人探しをしてもらい、何とか伊那駅までのタクシーパーティーを構成した。長崎からの単独行者と、名古屋(同じ)からの若い夫婦のけい四人。一人1500円ナリで伊那へ。ここは2年前、本多勝一氏の故郷を探訪した折に一度来たことがある。ひどく懐かしい気分になった。ちなみに本多氏の故郷はこれより更に南の下伊那郡松川町というところ。現在は妹さんが一人で住んでいる。
若夫婦と共同でいろいろ調べた結果、ここより出る長距離バスが最も都合が良いことがわかった。15時発、あと一時間ある。若夫婦は、銭湯を探し一本遅い16時発のバスに乗ると言う。しかたなく一人駅の周辺をプラプラ歩いて時間をつぶす。長距離バスはガラガラだった。二人掛けの椅子を占領し、強い日差しとクーラーの涼しさのバランスを楽しみ乍ら今回の山行の出来事をゆっくりと思い巡らしてみる。
8月12日(金)。皆の話を聞いていると、どうも僕は荷物を持ってきすぎたようだ。確かに重い。タクシーを降りた尾白川渓谷登山口で優しく柔らかく何度もいわれる。そうだその通り、思いつく物は殆ど持ってきた。しかしマゾの気のある僕は、荷の重さでグロッキーする位の山行を望んでいた。ロープもローソクも持って来た、危ない危ない。
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  11:00  竹宇駒ケ岳神社より入山(黒戸尾根)
  14:00  笹ノ平
  16:45  五合目小屋着
  18:00  岩小屋
樹林帯を歩くうち雨が降り始める。大森さんと橋元さんは傘をさす。鈴木の善さんと僕は帽子のみ。ザーザー降りというわけではない。樹々がうまい具合に雨を選別してくれる。本当の笹ノ平に着くまでに一度紛らわしい場所があった。見るからに笹ノ平なのだ。でも笹ノ平ではなかった。本当の笹ノ平は”見るからに笹ノ平”より30分程登った所にあった。大森さんをはじめ、皆ここでしばらく気分が沈んでしまった。ここが本当の笹ノ平だったからである。ああ空白の30分。
これより上部はかなりの急登となる。八丁登りだ。やがて刃渡りを過ぎ、作る時の苦労が忍ばれる木のハシゴを幾つも越える。キツくて無口になる時、善さんが花の名前を間違って場がなごむ。
五合目の小屋で飲んだビールはおいしかった。無骨だが親切で感じのいい小屋の親父。翌日の天気は午後には崩れるとのこと。早く出発せねば。
崩れに崩れて踏み跡もおぼつかない沢への下り。まるまる1時間かかって岩小屋に着いた。先客はいるも、実際何の不都合もない。大きく張りだした岩のハングの下で宿泊の準備をする。雨は相変わらずパラパラ。身体は濡れ、肌寒い。夕食のメインは大森さんのテンプラ。そして今回は不参加の富山さん風前菜2種と橋元さんの仕入れた上等の肉。酒は程々に。
大満足してシュラフに入る。虫が多いが快適な夜だった。今日は最後に失敗をしたなあ。何と水を補給する為に下の沢との出合いまで降りてしまったのだ。辺りが暗くなってもおり、心配した善さんに迎えにきてもらう始末。水場は岩小屋をほんの少し下った所より左の踏み跡へ入った所だったのだ。思い出しても恥ずかしい。
ところでこうやってシュラフにいると昨夏の守門を思い出す。テンプラ、虫、テント外就寝そして雨。あーあ今日は疲れた。

8月13日(土)。
   7:00  岩小屋発 黄蓮谷入谷
  10:00  後藤さんとの定期交信ならず
  16:00  甲斐駒頂上
  18:00  仙水小屋
  19:10  北沢長衛小屋キャンプ場
岩小屋から沢へ入る。昨日水を汲みに降りて来た割には沢の降り口でちょっとしたルートミス。善さんがズズーと岩を滑り落ちるように入谷。大森さんと橋元さんよりは早く入谷せねば昨日の水汲み下降が泣くと焦り、少し無理に入谷。あさましい。
千丈の滝の上に合流。昨日の岩小屋は千丈ノ岩小屋というらしい。山と高原エアリアマップ甲斐駒北岳には白稜ノ岩小屋というのがでているが、取りあえず千丈ノ岩小屋が正解のようだ。はじめの滝を左岸から巻き、ガレやスラブを快適に登る。久々のワラジが心地良い。東京に居るときは神保町の石井スポーツで購入したが、今回からは名古屋栄の石井スポーツの物だ。480円。ちょっと安いが3足持ってきたので心
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配はない。水と岩と戯れると時間を忘れるようだ、皆とても調子がいい。ただ天気が心配。ガスが下からあがってくる。後日仙丈からも確認できたが、どんなに晴れていても昼に近くなるにつれ、かなり上の方まで雲がモクモク谷あいを包むことが多いようだ。そういえば北岳バットレスの時も何とか午前中にピークに抜けてしまおうと努めたものだ。
当然稜線から上は晴れていて、雲の下はガスることになる。しかし雰囲気は暗くない。今回割と好評(橋元さんは何故かすっぱいという)コンニャクゼリーを食べつつ休憩。
坊主ノ滝を巻き、ナメ様の滝を過ぎると左俣との出合となる。きれいなスラブ だ。皆それぞれに興味を感じるルートを取る為、順番が何度も入れ替わる。沢のいいところだ。そして奥千丈ノ滝へ。
いよいよザイルの登場だ。登り口のいやらしい滝の直登を橋元さんがリード、あっというまに抜ける。大森さんと善さんは先に巻いて上でまっている。セカンドの気安さで僕は少々別ルートを遊ばしてもらう。少し調子に乗ったかもしれない。
その後もザイルはいろいろ役にたった。だがその度に自分のザイルワークの稚拙さに腹がたつばかり。学生時代は結構自信があったのに、これではいかんと思い至る。この日の12時間行動のうち僕が短縮できた時間が1時間はあったのではないかと思う。
先行パーティに追いついた。ラストの一人は運動靴をはいている。靴底に特殊処理がしてあるに違いないとかんがえたが、登り方を見ていてそうでない事がわかる。ほぼ同じ様なペースで10〜15メートルの滝を幾つも越える。傾斜が強くて取り付きがヌルヌルの小滝で先行パーティと重なった。ザイルを張って
「ヌルヌルでぜんぜんだめですよ。」
と言う運動靴青年の横を、何でもないかの様にさまざまなルートでバラバラに登っていく梓の面々。
とうとうガスに巻かれた。幾つかの分岐を残す状態では少々不安だ。本日合流予定の後藤さんは、既に甲斐駒頂上にいる模様。だいぶん待っていただく事になりそうだ。とっくに昼はまわっている。
烏帽子沢を左にわける所のインゼルが確定できず、本流をたどる事に注意しながら登る。呼吸が荒くなってくる。水流もなくなりただキツイ登りとなってきた。 踏跡を失う事もあり、ヤブをきって尾根を修正もした。皆確実にエネルギーレベルが落ちてきた。不機嫌なひともいる。想像以上に時間がかかった。稜線にでて左へ。頂上まで約5分。
はじめて立つ甲斐駒ケ岳頂上。満足感で一杯だ。やはり南アルプスの山は規模が大きい。一度登ってみたかった山、それも黄蓮谷から登ることができた。俗に言う‘頂上に着いた時の達成感’をヒシヒシと感じた。とりあえずビールで乾杯。
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宴もビールではじまった。実に12時間行動。頂上で飲んだビールが16時。そこからの下降も疲れた面々には大したもので、仙水小屋に着いたのが18時。
後藤さんに迎えられ北沢峠キャンプ場に着いたのが19時を過ぎた。テント場入り口で、すっかり出来上がったオヤジ達がなにやら荒々しく声掛ける。皆無視していると向こう内輪で、
「どうせ10時間くらい行動しとったんだろ。」
など言っている。すかさず橋元さんが、
「12時間行動!!」
とお返し。この言葉は皆の気持ちを代表していた。そして再び達成感。
気分は明るくも、如何とも皆疲労の色が隠せず、準備万端だった後藤さんの御馳走をたべると早々に宴はおわった。加えてこれ以上盛り上がろうにも、見事なくらいまわりの全てのテントが眠りについていて騒ぐ事も道徳上不可能なのでありました。非常においしく、橋元さんが食欲を発揮した
ヤキソバ(大森さん持参の小エビ入り)の残り味を楽しみつつ、頂上で4時間も我々を待っていてくれたという後藤さんの完璧な段取りのおかげで、南アルプス山行メインの一日は静かに終わった。

はっと目をさますと記録帳を持ったまま寝入っていた。窓の向こうにもう山はない。そうか戻ったのだと思い乍ら、二人分占領していたシートに掛けなおす。結局殆ど読まなかった‘週間朝日’のグラビアを見るような格好をする。18時15分、バスはまったく予定通り名古屋に着いた。

           終

* 帰名後、黄蓮谷のガイドを見直すと、千丈ノ岩小屋は別名白稜ノ岩小屋といって東京白稜会にちなんでいること。五合目小屋の主人は割と有名人で、古屋義成さんという事がわかりました。
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