御神楽岳

鈴 木 善 三    '93/08/11-13


平成五年八月十一日
 今日、梓のメンバー七人が、羽田発六時五十五分発の飛行機で大雪山に向かった。
 今回自分は田舎に帰る予定が急に帰らなくてすみ、行くところがなく、会社に置いてあった案内書を見て、急遽御神楽岳に行くことになった。上野駅二十三時十三分に乗って、新津で乗り換え津川駅に着いたのは十二日七時四分だった。今日は朝から腹の具合がよくなくて、新津の駅でトイレに行ったのに、津川駅ではがまんできなくてトイレに駆けこんだ、その間に七時七分発の八田行きバスは出てしまった。
 東京方面もずっと天気が悪く、やっと昨日天気が回復してきて、こっち方面もいい天気と思っていたが予想に反してしとしとと降っている。駅売店の人に、いろいろと尋ねると親切に詳しく説明してくれる。東京では考えられなく嬉しくなってしまう。
 ズボンなどをはきかえて準備をしてタクシーを頼む。一人ではタクシー代は少し荷が重い五千円かかった。ところがおかげで二時間くらい歩くこともなく林道終点まで行くことができた。
 林道終点から少し歩くと、鉱山跡に着いた八時二十分。広谷川に沿って水平道を進む。
 湯沢出合の取付点に九時に着いて十分に出発、最初からの急登でどんどん高度を稼ぐ、鎖場あり、やせ尾根あり、馬の背ありの連続。
鉱山跡にあった案内所には高頭まで二時間とあったが十時十五分に着いた。
 この尾根から見る湯沢の大スラブは素晴しい、この御神楽岳は丹沢の塔ヶ岳より低い標高千三百八十七メートルしか無いのに、このスラブを見る限りとてもそんな山とは思えない。高頭十時二十分に発つ。雨も上がり、高曇りの中御神楽岳頂上付近だけがガスでおおわれている。尾根道の所々に、立山りんどうを白くしたようなつつじの花が咲いている、ほんとに可愛らしい、帰ってから調べてみると、こめつつじらしい。湯沢の頭十時五十分着十一時発つ。
 案内所には、静かな山旅が楽しめる山と書いてあったが、さすがに今まで一人の山人とも会ってはいない。このぶんでは今日は誰とも会わずに下山するのかなと思ったが、御神楽岳頂上手前で一人、頂上の先で一人と出会った。御神楽岳十時五十分着、やはりガスの中で周りの山は全然見えなくなっている。ゆっくり休んで十二時五分に発つ、十二時半本名御神楽岳を通過。
 今日はこの先の避難小屋で泊まって明日下山する予定だったがまだ時間も早い。本名御神楽岳からの下りは急斜面になる。ところが非難小屋が見当たらない。見過ごしてしまったのだろうか。この急斜面ではそんなに小屋を建てる場所はない。不思議に思いながらも先に進むが、地図とにらめっこしても分からない。そのうちに固定ロープは出てくるは、岩場の乗越しは
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出てくるは、やっと穏やかなところに出て、この先で沢に下るのだなと思いそこまで行くは尾根伝いに続いている。
 それにしても踏みあとがだいぶ怪しくなってきている。道標も一つもないし、それでもまだ福島県側から登る人はほとんどいないのだななどと思いながら、何度も何度も地図を広げる。地図から行けばもうとっくに沢に降りていていいわけだ。変だ変だと思いながら少し進むと、もうほとんど分からなくなっている踏みあとは、下るどころかこの先尾根伝いに登りになっている。やはりルートが間違っていた、もう一時四十分になっている。
 この鞍部から左側の沢に降りている踏みあとはとてもしっかりしている。ここまで来てしまっては引き返すのはしんどい。一瞬自分もこの踏みあとをたどろうかと思ったが、しかし思いとどまった。それにしても一本道で間違える場所などなかった。
 地図といくら、にらめっこしてもどうしても判らない、本名御神楽岳の近くまで戻ってやっと、ことによるとずっと左の尾根に入っているのではないかと気がついた。
 本名御神楽岳に戻ったときには三時を過ぎていた。やはり頂上で地図を広げて見るが道は一本しか無い、間違えようがない。これでは登ってきた新潟方面に戻るしか方法はないかなと思う。
 頂上にザックをおいて偵察に出る、五メートルも行って見ると道は二分されていた。今度は間違いないだろう、三時十分本名御神楽岳を発つ。
しかしながらこの本名御神楽岳からのルートは、福島県側から登ればまだ先があるからまず間違えないだろうが、新潟県側から登れば初めて来た人はほぼ間違えるのではないかと思う。踏みあとも途中からは怪しくなるとはいえ頂上付近はしっかりしているし、相当数の人が間違っているのではないかと思う。
 頂上から少し下ったところに非難小屋はしっかりと立っていた。こちら側からの登山者も相当あるとみえ踏みあともしっかりとしている。五時登山口についた、登山口には品川ナンバーの車がキャンプを張っていた、挨拶をして通過。
 林道に出てしばらくして猛烈な虻に襲撃される。道のはしにある水場で、泥んこになった靴やソックスを洗おうとしても虻にじゃまされて靴も脱げない。あきらめて歩くが、じっとしていられない、数十匹の虻が身体の周りを回って襲ってくるのだ。気の枝をもって振り回しながら歩く。踊っているのか歩いているのかわからない。気が狂いそうだ。もう恐ろしいとしか言いようがない。三十分位か一時間位か襲われていた、おそらく百数十匹は殺したのではないかな。
 あともう少しと思ったころ車が来て乗せてくれた、車に乗せてもらうとき一緒に入った虻で車の中は大騒ぎ、僕だけで十四匹殺した。家に帰った翌日肌の出ていたところが虻に刺されてところどころ腫れ上がってしまった。車に乗せてもらって駅につくと十八時二十四分発の最終電車が出て行くところだった。
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追加
今回もし早く下山できたなら、帰り道にある浅草岳にも登ってみたいと思った。その予定で地図を持ってくるつもりでいたがつい忘れてしまった。十三日朝九時過ぎ田子倉駅についた。天気もよくなっているし、地図なしで登ってしまおうかとずいぶん思ったが、もし万一ことを起こしてしま
ったらと考えて、空しく通りすぎる。

 家に帰り、夏期休暇も明けて十七日会社に出ると、ファックスが机の上にあった。そこには、北海道大雪山に行っているとばかり思っていた橋元さん達は、台風のため中止して、十一日夜から浅草岳と守門岳に入っていたとあったのだった。
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