只見叶津番屋にて

橋 元 武 雄    '94/06/03〜04


94年06月03日(金) 晴れ。

梓総会。
夜8時に東京駅集合。
後藤さんの知人の所有する只見の旧叶津(かのうず)番屋宅で総会。

参加者:冨山、後藤、鈴木、関根、高橋、田中、斎藤、IRP(西村、福井)

20時15分頃、善さんヘベレケで集合場所に登場。そのまま座席に倒れて寝込んでしまった。荻窪で飲んでいたとか。デリカは禁煙車。田中氏の新セリーナは喫煙車と決まり、それぞれに乗り分ける。関越高速を小出で下りて、かって豪雪で鳴らした入広瀬村から六十里越へ向う。この峠はひどく曲がりの多い山道で、運転しながら気分が悪くなる。途中、昨年の夏山で善さんが終列車に乗り遅れてフォーストビバークした田子倉駅を通過し、深夜12時半頃に宿に到着。宿の所在地は入叶津。あとで聞くと、いま走ってきた国道は除雪したばかりだったとか。

夜中にもめげず、宴会の支度。アサリ酒蒸、マグロ、カツオなどで一杯。マグロが非常に美味。それに隠れてしまったが、カツオもなかなかのもの。あとでラジオで知ったが、いまクロマグロが豊漁で、相場が相当下がっているとか。

94年06月04日(土) 晴れ。 宿の庭先の池端にヒメサユリを見る。あとで調べたら、ヒメサユリは福島県、それもこの近辺の特産という。

今日は、八十里越まで登ることになる。登山口を宿の主人に訪ね、田中車先導で出発する。途中、林道分岐を間違えて、行き止りとなる。田中氏が入口を間違えるのは山道だけではないらしい。登山口も工事中でよくわからず、行き過ぎて工事現場の人に訪ねてやっと、登山を開始。しかし、ここでも道が途中でうやむやになり、薮に突っ込む。白い綿くずのような羽虫が乱舞するなか、途中の伐採地でビールを残雪で冷やして乾杯して下山。帰路、新車のはずの田中車がパンク。タイヤを交換する。パンク自体が近頃珍しいのに。

山菜(ユキザサ、コゴミ、ウド、ギボシ、その他名前知らずなど)を大分採取し、ユキザサと間違えて毒草ホウチャクソウを大量に摘む。図鑑で有毒なことは確認したが、いかにも旨そうだったので少し試食する。しばらくすると胃に不快感を憶え、下痢をした。みんなに食べさせなくてよかった。夕食の仕込みや、釣り堀やらてんでんに時間を過ごす。残って山菜の仕分けをしていたら、斎藤君が到着。高速は使わずに田島経由で、自宅の幸手から3時間程だったそうだ。

チャウがいたら、さぞかし変化に富んだ山菜料理ができたろうに、ただひたすら茹でる。買出しにいってきた後藤さんは、奥只見にはろくな食材がないとおかんむり。それでもブタの角煮、肉ジャガ、コブとタカノツメをまぶしたカブの薄切り、トリワサなどができた。それに、山盛りの山菜、ヤリイカの刺身と、昨夜とは変化を付けてカツオのたたき。
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大森氏は管理職研修、亀ちゃんは南米出張の準備、池田さんは仕事、チャウは母上の看護と参加できないものが多く、今回の総会はなしくずしに流れた。夏山も参加者が少なそうなので、とりあえず大雪山はまた中止になった。

94年06月05日(日) 晴れ。
今回は6升用意したので、酒は余るだろうとうっかり口走ったのが悪かったか、ぼくは先に寝てしまったので誰がどう飲んだかしらないが、酒はほとんどはけてしまったらしい。残りの1升ビンを片手に関根さんが、これはおれが片付けてやると、朝から息まいている。一昨夜は遅く着いたので、2升も空いていないから、昨夜だけで4升近く飲んでしまったことになる。朝食をとりながら恒例の談話会。登山の事などだれも言い出さない。冨山さんが開店準備のストレスからか、元気なく不調なのが気になる。
帰りがけに管理人の長谷部さんに、建屋内をくまなく案内してもらった。火伏の守りに男根を使うことはよくあり、桧枝岐でも見かけるが、この民家の天井裏のはキンタマ付きだった。これと対で女陰があると豊壌の祈願とか。同じ意味でギリシャ神話のプリアーポス Priapus (ヘクバの夫であり、ヘクトル、パリス、カサンドラの父である、トロイ王プリアモス Priam ではない)も男根で象徴される豊壌の神とか。

小出には戻らず、田島経由で東北道で帰ることにしたのは正解。少々暑いが、濃い緑と爽やかな風を切ってドライブ。デリカには善さん、尚やんとぼく。田中車には冨山さん、関根さん。斎藤車には、後藤さんというゆったりした配分。田島で食事。佐野SAで集合し、ガソリンを入れ、清算を済ませる。斎藤車はここで、田中車は東京駅で、デリカは東川口で解散。
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